小説読解 夏目漱石「こころ」その9~臆病ものが攻撃に転ずる瞬間~

こころ

「こころ」解説その9です。

今回は、ずっと臆病で、人の観察ばかりをし、一切行動を起こそうとしなかった先生が動くこと。つまり、Kを攻撃することを決心するシーンです。

大修館書店現代文B上巻では、188p~
筑摩書房精選現代文Bでは、161p~

そして、小説の段落番号は40の部分です。

Kの意志の固さや、その行動力に怯えていた先生が、動く。行動することを決意するとしたら、どんな時なのか。

その心理も含めて、解説していきます。

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【Kを攻撃する心理】

-図書館での変な心持ち-

新年が明け、学校も始まったので、先生は大学の図書館に居ました。教授に調べ物も課題として出されていて、それの資料集めをしています。

けれど、そこにKが現れました。机の向こう側で、自分を呼んでいます。

私はそのときに限って、一種変な心持ちがしました。(本文より)

心持ち、とは気持ちの事です。

変な気持ちがしたと言うこと。それは、Kが自分を呼びとめた瞬間から、先生の直感めいたものが訴えかけているものです。

先生はいつもと変わらなかった。ならば、変なのは、誰なのか。

そう。変なのは、Kの態度と言うことになります。

大声を出すわけにはいかない図書館で声をかけるには、都合どうしても傍によって、小さい声で話しかけなければならない。この時のKも当然そうしました。

けれど、その態度がどことなく、変だった。

いつもと違った様子がした、と言うのです。

根拠はありません。唯の先生の直感です。けれど、いつも普段のKを知っている先生からしてみたら、彼の態度がいつもと違っていることを敏感に感じ取ったのです。

-Kから散歩への誘い-

Kの要件は、「散歩に一緒に行かないか」というものでした。けれど、調べ物が終わっていない先生は、すぐに一緒に行くことは出来ないので、「少し待っててくれれば」と答えると、「待っている」と言って、先生の前の席にKは座りました。

すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。(本文より)

談判とは、揉め事の決着を図るために、話しあうことです。

この場合の揉め事とは、御常坂への恋心をどうするか、という話題以外、先生には考えられません。Kが心を決め、奥さんとお嬢さんにもう話を付けに行く、ということを宣言されるのではないかと思うと、気が気でないのです。

沈黙に耐えきれず、先生は雑誌を伏せて立ちあがります。そして、「もう終わったのか」と聞くKに「もういい」と短く答えて、図書館を出ました。

この時までは、先生はKが心のうちに何を抱えているのかが解らなくて、怯えています。何せ、恋をしないと思っていた相手が、自分の好きな相手を好きになったと言うのです。心は穏やかではないし、Kには勝てないと勝手に思い込んでいる先生には、Kの決心は脅威であったに違いありません。

そして、二人は現代でいう、上野公園。不忍池で有名な、あの公園に散歩に行きます。

そのとき彼は例の事件について、突然向こうから口を切りました。前後の様子を総合して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引っぱり出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方向へ向かってちっとも進んでいませんでした。(本文より)

例の事件とは、お嬢さんへのKの切ない恋心の事です。

先生が幾ら話を聞きたいと言っても、一向に返事をしなかったKがいきなり向こうから水を向けてきたのです。

けれど、彼は実際的の方向。つまり、お嬢さん本人に想いを告げたり、奥さんにお嬢さんとの結婚の申し出をすると言った考えには全く至っていなかったのです。

彼は私に向かって、ただ漠然と、どう思うと言うのです。(本文より)

これは恐らく先生にとっては衝撃の言葉だったのでしょう。

Kが先生に意見を求める事など、決してなかったことであるし、彼は人に相談をしようとする人ではありません。悩む時もあるし、迷う時もあるけれど、Kが何かを口にするとしたら、それは自分の中でもうすでに答えが形成されている時のみです。

けれど、この時は違った。

本当にどうして良いかわからず、先生に批判を求めたのです。

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-いつもと違うK-

そこに私は彼の平生と異なる点を確かに認めることができたと思いました。度々繰り返すようですが、彼の天性は他(ひと)の思わくをはばかるほど弱くできあがってはいなかったのです。(本文より)

Kは平生。つまり、通常の普段の状態とは、全く違って見えた。全く異なる点があった。それは一体何なのか。

天性は、生まれ持った性質です。そして、思わくは、ここでは他人の思考という意味。

はばかる、は他人に対して遠慮する。気がねする。相手に自分がどう映っているか。その評価を非常に気にする事です。

つまり、誰か他者の気持ちや考えを察して、自分が遠慮したり気にしたりするような弱い精神は持っていない。

逆に言い換えると、Kは他人にどう思われたとしても、自分の意志を貫き通すだけの、意志の強さが生まれつき備わっていた、ということです。

こうと信じたら一人でどんどん進んでいくだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家事件でその特色を強く胸のうちに彫り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。(本文より)

けれど、平生のKと違う部分。つまり、他者の意見や批判を求め、自分の意志が決まらず迷い、どう行動すればいいのか、解らなくなっている。

こんなKは恐らく先生は初めて出会う男のように見えたのでしょう。

だからこそ、先生はここであることを決心します。

Kが弱みのようなものを初めて見せたこの瞬間。先生は、Kに勝てると思い、Kを攻撃することを決意したのです。

そう。臆病ものは、目の前にいる強い存在に勝つわけがない、勝てるわけがないと思っているから、何も行動出来ないのです。けれど、今なら勝てると思ったならば……徹底的に攻撃するのです。それこそ、容赦がないほどに。

-先生の攻撃-

ここで、先生とKは短い言葉で質問を繰り返します。

書き出してみると、

先生「私の批評が何故必要なのか」
K「自分は弱い人間であるのが恥ずかしい。迷っているので、自己判断はきっと意味のないものになってしまうから、君から客観的な意見を聞きたいんだ」
先生「迷う、とは、どういう意味だ?」
K「進んでいいのか、退いていいのか、迷っている」
先生は一歩前に進みだして
先生「退こうと思えば退けるのか?」
K「……ただ、苦しいんだ」

という会話になります。

自分の判断は狂っているだろうから、客観的意見を知りたい、というK。先生の批評を、自分を映し出す鏡のような存在として使いたいということです。自分で自分のことは、案外解りませんからね。

Kの態度は常に悄然として、苦しそうです。悄然とは、元気がなく、萎れているさまの事です。

Kはとにかく元気がなく、苦しそうな表情を浮かべていたというのです。

もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その乾ききった顔の上に慈雨(じう)のごとく注いでやったか分かりません。私はそりくらい美しい同情を持って生まれてきた人間と自分ながら信じています。しかし、その時の私は違っていました。(本文より)

彼に都合のいい返事、とはKにとって都合が良い返事です。

つまり、恋の後押しをする。Kを応援し、お嬢さんへ恋心を告白して来いと、背中を押し、勇気づけるような言葉を与えるということです。

友達が苦しんでいるのならば、本人が望んでいる方向に進ませるために、不安を感じているその背中を、励ましという言葉で押してあげるぐらいの同情心は、自分にはあったと先生は強調しています。

自分ながらに、美しい同情心を持って生まれた筈だと。自分はそういう人間だと信じていた。

けれど、この時ばかりは違っていた。

要するに、自分の利害とぶつかる場合は、相手の応援をするなどとんでもない。むしろ、その望む方向に行かせないように。諦めさせるように、説得する。

Kの恋を邪魔してやる。恋心を、捨て去る方向に説得しようと、この瞬間に決めたのです。

【臆病な先生を変えたものは何だったのか】

あれほど行動しない先生が、何故この時ばかりは、悪い意味でのやる気に充ち溢れているのか。先生を変えたものは、何だったのでしょう。

それは、Kの弱々しい態度です。

彼が強いと思っていたから、先生は動けば必ず自分が負けると思っていた。だから、動けなかった。失敗なんて、嫌だったから。それくらいだったら、何もしない方がましだと、基本的に先生は自分から何かをしかけるような人間ではありません。

けれど、相手が強いと思っていたならば出てこない勇気も、相手に勝てる。今、この瞬間に弱っている彼ならば、確実に勝てる!と思うと、俄然やる気になって行動するのです。

そう、迷い、弱っているKに対して、自分が勝てると確信が持てたから、先生はKを攻撃する気になったのです。

これは、スポーツや色んな勝ち負けに関わってくる場面では、良くある出来事です。

士気。やる気、と言うのは、それぐらい結果を左右するものです。

「勝てる!」と思ったら、勢いが出てくるチームとか有りますよね。けれど、「何をやってもこいつにはかなわない」と思っている相手に対しては、やれば勝てた場面でも、人は動かないものです。

それほど、精神。こころの状態と言うのは、人の行動を決めてしまう。ある意味、この場面の先生は、Kの弱みに付け込んで、自分の思い通りに彼を動かす為に、Kをボロボロに傷付けます。

先生が攻撃に出たのは、一大決心をしたわけでも、やめるだけやってみようとなりふり構わず動いたわけでもありません。唯一つ。「Kが弱っていて、初めてKに勝てそうだったから」に他ありません。

さて、どんなふうに先生がKを傷付けたのかは、また明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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