鎮魂歌 レクイエムの意味

心のメンテナンス方法
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鎮魂歌、レクイエム……

災害や人災。そして、戦争やテロなどで亡くなった人々の魂を慰める歌や曲。または、キリスト教で行われるミサの中で歌われる曲の一種。

レクイエムは、ラテン語で「安息を」という意味の語であり、死者の安息を神に願うカトリック教会のミサのこと。死者のためのミサで用いる聖歌です。

そこから転じ、鎮魂歌という言葉の意味は、宗教性を飛び越えて、死者の魂を慰めるためのもの、という意味づけが為されています。

私も、レクイエム、鎮魂歌と名のつく詩や歌を何度なく読んできましたが、先日、素敵な詩に出会える機会があったので、改めて鎮魂歌の意味って何なのだろうと考えてみました。

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【鎮魂歌は死者の為の歌ではない】

死者の魂を鎮めるって、辞書にかいてあるじゃん!!と、クレームが来そうな気がしなくもないのですが、鎮魂、と書いてあることに少し、疑問を持ったからです。

鎮める、とあるからには、その魂。つまり、心ですね。それは、乱れている。暴れているのではないか。

心が乱れる、暴れる、ということは、何かしらの強い感情に揺さぶられて、平静ではいられない、ということです。

何故、死者の魂が乱れている、暴れている、と考える事が出来るのだろう。何か強い恨みを持って死んだのならばともかく、殆どの人は、死にたくない。もっと生きたいとむしろ願いながら死んだのではなかろうか、とぼんやりと思ってしまうんですよね。

もう聞けないし、何も伝えられない。見えないし、触れることすらできなくなる。

そう思えば思うほど、心が乱れていくのは、むしろ生きている、生き続けなければならない残された私たちなのではないか、と。

そう考えると、鎮魂歌は死者の魂を鎮めるための歌ではなく、大切な人を失ってその悲しみに耐えられない、喪失感に苛まれ、苦しみ、時には生きることを放棄したくなるような人々の心をなぐめるための歌なのではないかと、思えてならないのです。

【大切な人を失った人達の悲しみ】

東日本大震災の際、テレビかラジオかは忘れてしまったのですが、ビートたけしさんがおっしゃっていた言葉で、とても印象的な物がありました。

「人の死を数字でしか語れなくなってしまうのは、死者への冒涜だよ。そうじゃなくてそこには、『一人が死んだ事件が二万件あった』ってことなんだよ。二万通りの死にそれぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人達がそこに居て、今もその悲しみに耐えているんだから」

その悲しみに耐えている。耐えて生き続けている。

悲しむのは、生き残った人々であり、愛しい人がいない世界で、未来を作らなければいけない我々です。

だからこそ、その生きている人達の悲しみをいやす為に、多くの詩人や作曲家たちは、レクイエムを。鎮魂歌を作り続けていったのではないか。

もしかしたら、自分の悲しみをも癒すために、作ったのかもしれません。

人は辛いことや苦しいことを表に出せないし、また特に日本人は出すべきではないとされているけれども、辛くて苦しい思いをした時に、耳を傾けるべきものはこういう詩や歌なのではないかなと、思えてならないのです。

【本当の読解力とは】

国語の指導をしていると、うっかり受験に受かるためのテクニック指導をしてしまう時があるのですが、本来言葉は、美しいものです。

特に、私は日本語の響きが大好きなので、日本語の鎮魂歌や詩、悲しみを歌った唄がとても大好きです。

何かを伝えたいと思わなければ、人は物を創ろうとはしません。

そして、魂を鎮める曲は、きっと想像もつかないほどに辛く、苦しい思いをした人たちが、その悲しみや喪失感に耐えきれずにこぼした言葉をひろいあげ、苦しみをいやす為に。そして、明日を生きるために作られたものです。

具体的に語られるものは、何一つありません。むしろ、言葉にして伝えるものは、とても少なく、とても曖昧な表現です。

けれど、その言葉の裏に何があるのか。どんな気持ちで、どんな人に聴いてもらいたいと願って創ったのか。

それを考える時。思いをはせる時。

テクニックではない、本当の読解力が、自然と身に付くのでしょう。

 

あなたは、レクイエムを聴く時、誰のことを思い浮かべますか?

 

 

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

 

 

 

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