テストで高得点を取る方法 その3


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戦い方
勝ちたいのならば、無謀は駄目。

こんにちは、文LABOの松村 瞳です。

【感情との戦い方】

今日は、テスト中にどう自分の感情をコントロールするか、と言う事に付いて書きたいと思います。この感情という人間には付き物の厄介な代物。これとの付き合い方が、殆どの受験の成否を分けるほど、大事なものです。ですが、殆どの生徒はこれとの付き合い方を学んで来ていませんし、『頑張れば何とかなる筈だ!!』と言う、一昔どころか、ふた昔前ぐらいの価値観が今現在でも信じられているのが現状です。

それで何とかなるんだったら苦労はしません。何ともならないから、皆苦しんでいる。頑張っている子に、更に頑張りが足りないんだと追い詰めても、疲れるだけです。

 

だったら、どうすればいいのか。どうやって感情と付き合っていくのか。

具体的な方法を今日は書きたいと思います。

ちなみに、今回の方法はテストを受ける前。もしくは日常的に行う事が望ましいです。今、この瞬間から出来ることを書きますので、是非日常生活に取り入れてみてください。大丈夫。お金も大量の時間も要りません。必要なのは『ノートとペン、そして書くという行動』だけです。

必要なのは、自分に素直になること。知ったかぶりや解ったフリは、害悪でしかありません。解らないのに解ったフリをして、取り敢えず自分のブライトを保つ。そんなことしても、何の意味もありません。ノートは自分だけが見れば良いものです。自分との対話です。自分に対して、嘘は吐かない。約束はこれだけです。

ここで警告をひとつ。

自分に吐いた嘘は誰も困りません。寧ろ、お母さんやお父さんは喜んでくれるかもしれない。

親「勉強、ちゃんと解っているのか?」

子供「うん、大丈夫」(本当は大丈夫じゃないけど、そんなこと言ったら勉強しろって怒られるだけだしなぁ。適当に解ってるって言っておこう。)

良くありがちな日常の一コマですよね。意外にも嘘を吐いているなんて認識、本人にも無いかもしれない。

咄嗟に口から出た出鱈目は、勉強しているのかと追及される面倒臭い言葉を賢く避けるためにも、役に立つことでしょう。

でもね。

自分に吐いた嘘は、いつか現実になります。

鉄拳
自分に吐いた嘘は、必ず自分を殴りにやってきます。

一番現実化して欲しくない時に、とんでもない勢いで追いかけてきます。
それから逃れることは、不可能です。

それを良く、解っておいてください。

【ステップ1 まず、認める】

テストでイラついた。筆者の意見にムカついた、だけでなく、学校の先生がムカつく。友達、クラスメイトがムカついた。親と喧嘩した。色んな場面で怒りを感じた時。

その瞬間に必要なのは、冷静になることです。けれど、中々これが出来ないから困る。喧嘩している最中なんか、もう怒りの真っただ中ですよね。コントロールなんか果てしなく遠いと思えてしまう。

筆者の意見に反発を感じている時も、同じ事が言えます。読めば読むほど怒りが沸いてくる。イライラして堪らない。(筆者の言っている事が解らない自分の能力に対しての怒りも、ごちゃまぜになっている場合もあります)

怒りというのは面白い感情で、その突発的な怒りはエネルギーが凄い分、数十秒しか続かないという実験結果があります。

えっ? たった数十秒? と思いますよね。
怒っている人って、ずっと怒り続けているし。

人間って面白いなって思うんですが、その突発的な怒りが一回だけでは収まらず、大概その怒りが収まり切る前に、また新しく何かに苛立って、また数十秒プラス。そしてそれが治まり切る前に、また……と、連鎖していくんですね。そうして、結局何時間も怒り続けていたり、酷い人は一日中怒っていたりして、『あの人は怖い人だ……』なんて、周囲の人から思われてしまい、その態度にムカついて、また更に怒り続けていく………という連鎖が止まらないんです。

だからこそ、まず認めてください。

自分は怒っているんだと、気付く。怒鳴りたくなった瞬間や、イライラしたり、ムカついたり、何となく居心地が悪かったり。
人によって反応は様々ですが、怒った時は必ず何かしらの身体に変化が訪れます。

それをまず、認める。自分は怒っているんだと、自分に一度言い聞かせる。

良いとか悪いとかは、度外視です。判定も反省も後から幾らでも出来ます。それはまた別。今は、認めるということだけに、集中してください。

感情って不思議で、感じてあげれば抜けていきます。




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やってはいけないのは、『自分は怒ってるんじゃない!! こんなこと考えちゃいけないっっ!!』って思えば思う程に、どつぼに嵌る様に引きずりますから、気を付けて。

 

【ステップ2 深呼吸をして目を閉じる】

 

その連鎖を断ち切るにはどうすれば良いか。簡単ですね。数十秒耐えれば良い。次の火種を見つけない。自分に次の怒りの種を渡さない、と意識してみる。

突発的に怒りを感じたら、先ずは深呼吸をし、目を閉じ(刺激を入れない)、耳をふさぎ(人の言葉を一分間だけ聞かない)、そのままの状態で一分間だけ。六十秒だけ耐えてみる。

それだけで随分違います。まずは自分の怒りの種を治めて、膨大なエネルギーの熱を冷やす。

そこから、次の段階へと入ります。振り回されていては、どうしようも出来ないですからね。

テスト中で時間がもったいない、という意見もありますが、怒りに振り回されて冷静さを失った状態で問題を解くのと、冷静さを取り戻した頭で戦略的に解く。どちらが利益を得られるか。

自分の頭で考えてください。

 

【ステップ3 怒りの背後にある価値感を見抜こう】

 

少し冷静になったら、此処からが勝負です。

怒り、と言うのは、多くの方が誤解しているのですが、馬鹿にされた時や自分の存在を見下されたり侮辱されたりする時に感じるものではありません。特にそれが見知らぬ誰かや、子供相手からの言葉だったら、(中高校生は小学低学年や、小学生は幼稚園児を思い浮かべてね)怒りなど湧いてくるはずもありません。

相手との関係性や状況、それらが複雑に絡み合った感情だと思いがちなんですが、確かに相手を見ればそうなります。

けれど、その視線を自分に向ければ、そんなに難しい話では無くなってくるんです。

「怒り」
それは、自分の大事なもの。価値観を脅かされた時に、それを守りたいと思う防衛本能が働いた結果。湧き上がる感情なんです。

たとえば

中高生『(心の声)そろそろ期末試験近いし、勉強始めないといけないよな……やろうかな。やらなくちゃいけないのは、解ってるし、宿題も出てたよな……やらなきゃな。このテレビ、見終わったらやろうかな……』

親「そんなにテレビばっかり見てて良いのか? そろそろ試験だろ? 勉強しなくても良いのか?」

中高生「(カッチン!!!) 今やろうと思ってたのにっっ!!! うるっさいんだよっっっ!!」

親「何でそんなにいきなり怒るんだ……?」

中高生「あー、もうやる気失せたっっ!!(部屋に閉じこもり)」

親「(なんでそうなるの……?)」

 

まぁ、良くある一コマですよね。

ご両親から見てみれば、アドバイスをした筈なのに何で子供は怒りだすんだと解らないし、その子供の怒りにつられて、怒鳴り合いになったりすることもあるかもしれません。子供の考えている事が解らない、とご相談下さる親御さんは本当に多いですし、みなさん頭を悩ませられています。

子供は子供で、親は解ってくれないっっ!!とぷんすかモード。良くそれだけ怒っていられるなと、ある意味微笑ましいですよね。
大概その後で「怒鳴っちゃったよ……」と反省モードに入るんですが、如何せんコントロールの仕方を知らないから、いつもと同じように、何時も通りにまた怒鳴ってしまう。

その連鎖を、断ち切りましょう。

大概、勉強しろ!!と言われて気分が良くなる子供が居るわけがありません。大人だったら、「仕事しろっ!!」と言われて、気分が良くなる人が居ないのと同じようなものですね。その不快感は何処から来ているのか。

それは「勉強しろ」という命令系の言葉が、鍵を握っています。

目の前で一生懸命勉強している人に向かって、「勉強しろ!!」って言葉、投げかけますか?

仕事でも同じことが言えますね。バリバリと仕事を次から次へとこなしている人に対して、「仕事しろっ!!」なんて誰も言いません。大概頑張り続けている人に対しては、「少し休憩したら?」と声をかけるのが普通です。

と言う事は……

「勉強しろ!」「勉強したら?」という言葉は、その影に「やってないよね?」という確認を含めた指摘が入っているのです。

「勉強しろ!」

「勉強してないってことか?」

「まるで責められている様な気分になる」

「何で責められなきゃならないんだ。今やろうとしていたのに

自分は悪くない! 悪いのは、やろうとしていたのを認めてくれない相手だ!!」

怒りの衝動へ。

という図式が出来ちゃうんですね。

つまり。

勉強をしろという指摘に対して怒る、という事は、本人は逆の存在で有ることを望んでいる。又は、それを大事にしている、と言う事になります。この場合、自分ですすんで勉強をする存在になりたい。又は、そう扱って欲しい。勉強出来る人間で居たい、と願っていることになります。

だから、「勉強しろ!」と言われて不快感を覚えるのならば、自覚してください。

あなたは勉強を出来るようになりたいと願っている。又は、勉強を大事にしている人間なのです。

評論文の内容で生徒が不快感を示す内容は、ざっくりとまとめれば若者批判です。「今時の若い奴らは……」と言われて、気分が良くなる筈がないですよね。

安易な楽しみや、便利な機能に飛びつき過ぎだ!! という批判にムッ、とするのならば、便利で楽しい事が悪い事なのだろうか? という疑問を抱いていることに気付けるし、自分の使っている遊びの道具に愛着を感じている、という事に気が付くことが出来ます。

環境問題の評論文も、嫌という程出てきますよね。けれど、これも人気が薄い内容です。どれもこれも同じ内容で耳タコ。飽きる、うざい、とイラつく子が多い内容です。と言う事は、何が考えられるのか。環境問題で指摘されていることは大事なことです。それはちゃんと皆理解している。でも、地味な行動(節水やごみの分別・レジ袋・割り箸の利用を控える等)が本当に意味のある物なのだろうかという疑問は、拭えない。自分の行動が、はっきりとした成果になるんだろうかと、どうしても思ってしまう。

それをきちんと見つめ返せば、行動が成果としてきちんと形になって返ってくるものが好きなんだと言う、自分の価値観に気付けるきっかけになります。成果がちゃんと出る、意味のあることをしたい。そう考えている自分の姿が、見えてくるのです。

 

ちょっと長くなったので、続きはまた明日のその4で。

 

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 






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