古典解説「小式部の大江山の歌」~気に食わない上司の撃退法~


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怒り
ムカつくこと平気で言う人って、いますよね。

こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回の古典解説は超有名な大江山。百人一首にも選ばれた、若手女流歌人の物語なんですが、和歌だけだと「へ~、そう」ってだけで終わっちゃうのが、その背景のエピソードを知ると一発で彼女が好きになるというお話です。

レベルは高校一年生程度。中学生は、高校受験で出た事もある古典です。

しかもこの話。現代に通じるような問題解決のエッセンスが入りまくっているんですよね。人間関係に悩んだら古典を学べと言った先人達の言葉は当たっています。だって、今でもこう言う話、何処でも転がっていそうだもの。

出典は十訓抄。「じっきんしょう」と読みます。「じゅ」では無いので気を付けて。(じみ~に試験に出るかもです)十の教訓のお話。

どーしても毎日顔を合わせなきゃいけない、嫌味な先生や先輩、上司、目上の人達を黙らせてやりたい方。

平安時代も同じような苦しみで嫌な思いをした女の子が居ましたよ。彼女は半端無く強かった。その強さは、1000年ぐらい語り草になるほど。

そんな女の子の、デビュー戦です。

 

原文

和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、小式部内侍、歌よみにとられてよみけるを、定頼中納言たはぶれて、小式部内侍、局にありけるに、「丹後へつかはしける人は参りたりや。いかに心もとなくおぼすらん。」といひて、局の前を過ぎられけるを、

和泉式部が藤原保昌の妻として、夫の転勤に付きそい、京を離れて丹後の国に引っ越しを済ませていた時のお話である。
その頃、京の都で歌合があって、和泉式部の娘である小式部内侍が歌人として選ばれた。それを聞いた定頼中納言はふざけて、小式部内侍がいる局(小さい部屋)の前に立たれ、「(お母さんが居る)丹後に行かせた召使は、戻ってまいりましたか? さぞ、今は不安で心配でしょうね」と言って、部屋の前を悠々と歩き去ろうとしたところ

解説

これ、さらっ……と読み飛ばしてしまえる簡単な部分なんですが、背景を知っているととっても面白い。

このお話の主人公は小式部内侍。若干十五歳前後の今で言うなら、中学校三年生。一説によると、とっても美少女で世間でも人気だったとか。しかも、この小式部。美貌だけでなく、家柄も良いんです。お母さんは、当時都で大人気の和歌の名手。和泉式部です。お母さんもお母さんでとっても美人で、恋多き人であったと同時に、歌が凄く上手かった。

「歌が上手いってだけでしょう? 別に趣味じゃん」

と、現代の中・高校生だったら思っちゃうでしょうが、平安当時。和歌が上手い、というのはとっても政治的に必須なスキルで、和歌が下手だと、今で言うなら会社をクビになったり、給料が下がったりすることが頻繁に起きてました。

「えっ? たかが、歌で??」

そう。資格試験とか、就職試験とか、昇進試験とか、全部歌が必須。下手だったら、他がどんなに上手くても出世できない世界です。家柄が良くても、「あの人、歌が下手で出世したってことは、コネでずるしたのよね」「ああ……お父様、身分が高いから……」「あんなに歌が下手なのにねぇ」と噂になることは避けられません。
今より、地味に厳しいです。

逆に、歌が上手かったら?

この世の春ですね。それだけで天皇や身分の上の方々に気に入って貰えることが沢山あって、出世や給料も思いのままです。恋愛でモテるのにも、うたのスキルが必須。容姿よりも、歌です。平安当時は、イケメン=歌の名手。美女=歌が上手い、と同義語でした。

当時の美女の三大条件は、歌が上手い、漢詩が読める、髪が綺麗のみっつ。だからみんな、歌をめちゃくちゃ勉強したんです。女子力、と言ったら筆頭にくるのは、歌。現代よりもよっぽど文章能力や表現能力が高いことに価値が置かれていた時代だったのです。

なので、親子で歌が上手かった和泉式部と小式部内侍。宮中ではとっても目立っていたみたいで、評判の母と子どもだったんです。

で、そのお母さんの和泉式部が家庭の事情で京都に居ない。そんな時に、京都で歌合のイベントがあったんです。簡単に言うなら、紅白歌合戦。チームに分かれて、題材に対して歌を出し合い、皆で優劣を決めるもの。場合によっては、帝も同席した時もあったそうなので、平安貴族にとっては一大イベント。

もし、ここで良い歌が歌えたなら、出世は思いのまま。でも、逆もしかりです。下手な歌を歌ってしまったならば、その場で幻滅されてジ・エンド。なので、皆必死です。出来れば、良い歌を歌いたい。皆に褒められたい。目立ちたいっ!!

そんなよこしまな下心たっぷりな人達にとって、人気女流歌人である和泉式部の娘って言うだけで選ばれた小式部内侍は、はっきり言ってムカつく存在。「どーせ若いし、お母さんに全部代筆して貰ってるんじゃねーの?」って嫌みの一つも言いたくなる。

けど、そこでぐっ……と耐えたり、素直に若者の才能を称賛するのが大人な対応だったんですが、この大人に成りきれていない人が此処で一人登場します。

自身も有名な歌人である父・藤原公任を持つ、超エリート貴族。藤原定頼です。しかも、中納言の地位にもついているので、今で言うのならば年収二千万~一億くらいの間に居る、高収入のサラリーマン。




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お父様の手前、歌では失敗出来ません。歌合は大事なイベントです。なのに、其処に邪魔ものが一人。小式部内侍です。ここで自分が歌で彼女に負けようものなら、立場が無い。お父さんからも怒られるかも……

だから、つい嫌味を言っちゃったんですね。わざわざ彼女の部屋の前まで行ってこれ見よがしに嫌味を言うんですよ。どんだけ彼女が気になるんだよ、定頼中納言……しっかも言う嫌味も心がせっまいせっまい。

「どーせお母さんの所に泣き付くための使者出したんでしょ? だって、君の歌なんて、全部お母さんの代筆だもんね。でも、丹波は遠いし、どんなに急いでも間に合わないから今不安だろうねぇ。ねぇ、どんな気持ちで居るの? 今までズルしてた報いだよねぇ。いい気味だ」

心、狭すぎる……定頼さん、なんか嫌なことでも前日にあったのかな……(それこそお父さんにプレッシャーかけられたとか、なんとか……)相手、中3の女の子ですよ……?

で、言うだけ言ってすっきりした定頼さん。悠々と彼女の部屋の前を通り過ぎようとします。あんた、一体何しに来たんだ……(嫌味言う為だけに来たんなら、大人として終わってますね)

そんな心せっまいエリート中納言の定頼さん。その後訪れる悲劇を今はまだ知りません。

 

原文

御簾よりなからばかり出でて、わづかに直衣の袖をひかえて、

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

とよみかけけり。思わずにあさましくて、「こはいかに。かかる様やはある。」とばかりいひて、返歌にも及ばす、袖を引き放ちて逃げられけり。

小式部内侍は御簾より半分身体を乗り出して定頼中納言の直衣の袖を掴んで引き寄せ、

大江山を越えて、生野地方(お母さんの居る丹波のこと)に行く道は遠いので、私は天橋立(丹後にある名所)をこの足で踏んで渡ってみたこともありませんし、勿論母からの文も見ておりません。

と、即興で歌を詠んだ。定頼中納言は驚き、余りに意外だったので「これは一体どうした事だ? こんな事があっていいのだろうか、いや、あるはずがないっ!!」とだけ思わず口から本音が零れ、動揺のあまり返歌すらせずに、小式部内侍に掴まれていた袖をひっぱり、その場からそそくさと逃げて行った。

解説

さて。小式部内侍の反撃です。

さっすがにこの嫌味には、カッチンっっ!! ときたんでしょうね。

「はっ? 私がカンニングしてるって言うの??」

これ、歌が好きで歌っている人間ほど、カッチンとくるはずです。多分、小式部もお母さんの和泉式部の名声が凄いから、親の七光りだって言われ続けてきたんじゃないかなって、ちょっと想像しちゃうんですよね。だからこそ、そう言われないようにちゃんと勉強しよう。ちゃんと頑張ろう。私の歌は、私のものだって誇りをもって歌ってきたんじゃないかなって思うんです。

此処で気の弱い子だったら、俯いて唇をかむんじゃないかな。多分、定頼中納言が想像した態度も、そんな大人しいイメージだったのかもしれませんね。

でも、小式部内侍は違った。

部屋のカーテン(御簾)の隙間から、手を出して男性の服の裾を掴む。

おい、こら。ちょっと待て。勝手に行くなっ!!って、捕まえたシーンなんですが、これ、平安時代の女性の価値観や常識を知っていると、「えええっっ!!??」って驚くシーンなんです。

当時、女性の身体の一部で男性に見せて良い部分は、髪の毛。しかも、髪の先だけです。(だから、髪が綺麗な事が大事だった)肌や体の一部を見せるのは、旦那様になる男性にだけ。素顔を見せるなんて、当時の感覚なら全裸で男性の前に立っているようなものです。それぐらい、身体の一部を見せることは、とんでもないことだった。ましてや、日中に男性の服を掴むなんてこと、有り得ない行為です。

たとえるなら……

えーっと、エリートサラリーマン(もしくは先生)がすっごい高いスーツ着て嫌味を言って通り過ぎようとしていたところに、制服姿の中高生の女の子(美少女)が、スカートの中が見えるのもお構いなしに、そのサラリーマンの背中目掛けて飛び蹴りくらわした、ぐらいのとんでもないことです。

で、物理的に攻撃をくらわしただけで済んだのなら、定頼さんもここまで狼狽しなかった。その後が更に小式部は凄かった。

「あのね!! その耳かっぽじって、よーく聞きなさいよっ!! 今からあんたの嫌味を題材に、目の前で歌ってあげるからっ!!」

で、当時流行りのテクニックだった掛け言葉(一つの言葉に二つの意味を乗せる手法)を二つも入れこんで、完璧に嫌味に対して切り替えす返答を和歌でした。

彼女が優秀な何よりも証拠ですね。カンペなんか必要ない。自分の力で、彼女は自分の歌を歌っていただけです。だからこそ、この嫌味が何よりも腹が立った。少しくらいはしたない事をしたとしても、どうしてもこの男を黙らせてやりたかった。自分の得意な歌で。

で、なっさけなかったのが大人の定頼の方。
平安時代、和歌を貰ったら返歌は絶対です。既読スルーは許されない。返信が絶対なんです。

なのに、あんまりにも慌ててしまって(まぁ、解らなくはないけど……女の子に殴られたようなものだしね)「えっ?? 嘘っ!?? こんなこと、あるはずが無いっ……」って、動転しまくって返歌もせずに逃げ帰る。情けないことこの上ないです。カッコ悪過ぎ……

 

原文

小式部、これより歌よみの世におぼえ出できにけり。これはうちまかせて、理運の事なれども、かの卿の心には、これほどの歌、ただ今よみ出だすべしとは、知られざりけるにや。

小式部内侍は、この出来事が噂になって、その時から優れた歌人として世の中に評判になった。このエピソードは、(優れた歌人の親から優れた子どもが産まれるという)ごく自然の当たり前の事なのだけれども、定頼中納言の考えではこれほどの和歌を即座に読むことが出来るとは、思ってもみなかったことなのだろう。

解釈

で、後日談です。

このエピソードが宮中で噂になって、小式部の人気がとっても増したそう。当然ですよね。逆に株が下がったのは、定頼さん。

このお話は十訓抄の中でも、『人を侮ってはいけない』という章でまとめられているお話の一つです。見た目(年齢)や、噂(七光りで得をしている)で、人を勝手に評価して侮ったら、後で痛い目みるよ~って教訓なのですが、私はこのお話に込められている教訓はそれだけでは無い気がします。

人から馬鹿にされたり、侮られたり、というのは昔も今も変わらない。それが無くなることは、恐らくないのでしょう。残念ながら。

でも、それを嘆くのではなく、小式部内侍は戦った。
自分の得意なもので。お母さんなど関係ないと磨いてきた能力を、存分に発揮した。

この馬鹿にされた時、彼女が何も能力を持ってなかったならば、黙って俯くしかなかったでしょう。けれど、そう成らなかったのは彼女がその陰で膨大な努力をして能力を磨いてきたからです。だから、馬鹿にされずに済み、その場で即興で自分の実力を示す事が出来た。それが出来なければ、唯泣くだけだったに過ぎないでしょう。

馬鹿にされたくないのなら。侮られたくないのなら、実力は必要。そして、それが何時何どき必要になるか解らないのがこの世の常。ならば、必要な時に使えるよう、きちんと爪を磨いでおくべきです。

必要になったら、する。のではなく、何時でも使えるように準備をしておく。それが、侮られない為。気に食わない上司や周囲の人を撃退する為に、人知れず能力を磨いておくことが大事だと、言っているように思えてしまいます。

女子の意地ですね。そして、七光りで正当に評価されない人達へのエールでもある。親が偉大ならば、その親を越えるべく努力する必要がある。そこから逃げるのも、立ち向かうのも自由だけれども、逃げたら周囲から侮られる人生になってしまうよ。戦う実力を付けようよと、小式部が言っているような気がしてならないのです。

 

今日は六月三十日。一年の丁度半分の日です。
一年の半分の穢れを払う、夏越の祓の日。自分実力を磨くために、悪い習慣(穢れ)を見直し、小式部内侍を見習って七月を迎えてみませんか?

 

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

 






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