全く真逆? 自然に対する東西の考え方

評論解説
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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今朝は最初に目にした九州豪雨の映像に、一気に眠気が飛びました。有り得ない程広範囲で、降雨量を示す天気図が真っ赤に染まっていて、改めて自然の脅威を思い知る瞬間です。

毎年、何度も台風の通り道になっている九州。大量の雨や風に対する対処は、全国の比では無いと思いますが、それでも自然というものの力強さを感じさせられる朝。一刻も早く雨が降り止むことを、今はただ願うばかりです。

海

自然はとてつもなく美しい。だが……

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【アジアの中でも結構特殊? 日本人の自然に対する捉え方】

今日のブログは予定していたものを変更して、西洋と東洋の自然観についてのお話です。

この自然に対する考え方の違い。高校生になると、山崎正和さんの「水の東西」(鹿おどしのお話というと、記憶が蘇ってくる人も居るのではないでしょうか)を現代文で読みます。

日本の中で住んでいると気が付きませんが、世界の考え方と対比すると、意外と私達日本人の考え方や捉え方というのは、独特なのだなと言う事が解ります。この比較文化論。センターでも取り上げられますし、大学受験の問題としては結構スタンダードな論文で、この知識があるのと無いのとでは、結果に大きな差が出ます。

自分達が当たり前だと思っている事を検証し、文にして現す。簡単な事ですが、それを読み解くためにはある程度の知識が必要。当然のことなのですが、中間期末テストを乗り越えるためだけに国語の授業を受けていると、これが知識として蓄積されません。ぜひ、頭の片隅に置いてください。本を読む目的は、知識の習得です。そして、難解な知識を読み解くには、基礎となる膨大な蓄積が必要なのです。

大地が肥沃でなければ、種をまいても目が出ません。自身の脳を肥沃にする一番の方法は、知識を蓄えることです。ぜひ、現代文ではテストの点だけでなく、せっかく努力して読んだ文を知識として蓄えてください。

 

【年中、どこかしらで自然災害が起こっている日本】

中学になると、地理で環太平洋造山帯を習います。地理の教科書に載っている、造山帯を示す地図は、その赤い点が余りにも多くて日本列島が見えない程です。

年中襲ってくる地震。そして、梅雨時期の豪雨。高温高湿度の夏。夏が過ぎれば、台風がやってきて、その後は落ち着くと思ったら、雪です。日本に居ると、自然保護という感覚よりも、寧ろ自然の脅威からどう身を守っていくか。そして、災害にどうやって対応していくか、という考え方になるのも、それこそ自然な流れなのかもしれません。

【自然は畏れ、敬うもの】

畏れ=かしこまる、という意味の漢字です。

大木や大岩を太古の昔より御神体として崇め、自然を疑問も無く自分たちよりも強いものとし、その怒りに触れない様、私たちの祖先は生活してきました。自然と寄り添いながらも、その時々の災害で自然の脅威を知り、自分たちよりも強いものが存在している事を肌で感じ続けた結果。自然を上に置き、人間はその下に位置している。神や自然を上に置く考え方が、定着しました。

【西洋は日本と真逆】

多くの評論家が語っている様に、西洋は逆です。人間が上。自然が下。だからこそ、「Save The Earth」という言葉が出で来る。

自然は守る物、という言葉。一見、とっても良さそうなんですが、『守る』という言葉は、本質的に自分よりも弱いものに対してつかわれる言葉です。だから、「自然は弱いものだから、人間が守ってあげなくては!」という考えが無いと出てこない言葉でもある。

災害大国の日本からみると、「えっ??」という感じですね。でも、西洋がそんな考えになったのは、それはそれで原因があります。

先程の地理の教科書の図を見ても、恐ろしいくらいにヨーロッパって震源が無いです。綺麗さっぱり、無い。イタリアのあたりにちょろっと有るだけ。何年かに一度、震度2~3ぐらいの地震が発生する程度なのですが、(日本人の恐ろしいところは、それを聞いて、「えっ?それだけ??」と思えるところです。そんなの地震が無いに等しいじゃないかと思いますよね?) それだけでヨーロッパ社会にとっては天変地異ぐらいの災害になります。何せ建物の造りが基本石造りなので、耐震構造という考え方自体が、ほぼ無い。歴史的な建物になればなるほどそうで、向こうの大聖堂などの大きい教会に行くと、日本で言う体育館並みの高さと広さを誇った空間が、全て石で造られています。何の支えも、柱も無く、それらが数百年間残っている。という事は、地震や自然災害が襲ってこないという事実と直結します。

【文化や価値観は、育った環境に依存している】

世界史を勉強しても、災害が起こったという記述はほぼありませんが、日本史ではしょっちゅう災害に襲われています。

これは、西洋人が傲慢で日本人が謙虚、と捉えるよりは、そう成らざるを得なかった立地条件に付随していると考えた方が、建設的です。

単純明快。自分達の力で苦労して作り上げたものが、たった数分の地震や一晩の豪雨で全て潰され、押し流されれば、自然をまもるもの、などと考えられる筈も有りません。対し、作り上げたものが数百年も持続し、温厚な大地の上で生活をしていれば、自然は大人しい物だという認識になるし、自分の土地以外の比較対象を知らなければ、それが全てだと思って当然です。

ただ、だからこそ、全てを押し流されてもまた造るかと、からりと笑えるしぶとさも、同時に私達には備わっているのでしょう。

 

先ずは雨が降り止むことを、切に願います。

 

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

コメント

  1. […] 参照:全く真逆? 自然に対する東西の考え方 […]

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