何故いじめは陰湿化するのか~自己正当化の闇~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今週ずっと続けて書いているいじめ特集。

何かに才能を持つ人ほど、嫉妬を受けやすい

【いじめの話を書くわけ】

家庭教師や塾講師を務める中、「学校に行けない子供」たちに、私はとても多く出会ってきました。

その中で、本来学校にちゃんと行って、楽しく過ごしていたのならば、きっとこの子は東大や京大に行けるぐらいの学力は持てるだろうなと思うぐらい、優秀な生徒に出会ってきたことがあります。むしろ、いじめを受けている子たちの方が、才能あふれるものを感じさせる子が多かった。

けれど、いろいろな要因が重なって学校に行けなくなってしまい、人に怯え、顔も上げられず、何より自分に自信が持てず、なんとかしなければならないのに動けない自分にもがき苦しんでいる子供たちのなんと多いことか……

御両親から、「まともに食事をしない」「病院に行こうとしない」「家の外に出られない」「近頃は部屋からも出てこなくなった」という話を、伺う時や御相談に乗らせていただくときも、数多くありました。

その度々に私が感じてきたのは、強烈な怒りです。なぜ、こんなにも才能にあふれている子供たちが、人から蔑まれなければならないのか。なぜ、下を向いて外を歩かなければならないのか。誰だって、自分の好きなことを思いっきり出来る権利があるはずです。

不登校=楽をしている、逃げる=卑怯、と思われがちですが、彼らの部屋まで行き、そして話をしていると、何よりも動く気力が出てこない事にもがき苦しんでいるのは、いじめを受けた彼ら自身です。そんなもがいて苦しんでいる子たちに必要なのは、休息と安心できる場所。そして、理不尽なものと戦える力だと私は思っています。

戦える力は、知性です。相手が何を考えているのか。どうしていじめが起こるのか。観察力と分析力を持ってください。そして、相手を冷静に分析する力を、手に入れてください。

それが出来た時。きっとあなたにとって、あなたをいじめたにっくき相手は、どうでも良い存在に成り下がります。そう成るために、知識と知性を手に入れてください。

【陰湿化の裏側】

良くいじめは表面化しない。した時は、もうすでに手遅れ、という声を聞く時があります。
陰惨な、これが「いじめ」という言葉で片付けられるのかと思うようなひどい状況。これで何故周囲の人間に気付かれないのかと思うかもしませんが、酷いものほど隠されます。

大っぴらに出来ない。目立つような場所で行わない。
今はSNSなどで相互監視が簡単に出来てしまう状態です。誰にも知られず、簡単にいじめをすることが出来、いじめる側もこれがいじめだとは理解せずに、認識せずに行っていることが殆どです。

隠す理由はたった一つ。いじめが悪いことだと知っているからです。

いじめが陰湿化、隠蔽化される最大の原因はここにあります。
どれだけ理由を口にしようが、言い訳を作り出そうが、「自分のやっていることが間違いなのだ」と解っているから、人はいじめを隠蔽します。これに、昨日のエントリーで書いた閉鎖空間の環境の力が加わって、暴走し始める。歯止めが効きません。

良く考えてください。人が自分の行為を他者から隠そうとする心の裏側には、必ず後ろめたいことがあるからです。発覚したら、自分の立場がまずいことになると思っているからこそ、彼らは隠します。こっそり裏でやっていること、というのは、程度の差はあれ、「自分は悪いことをしている」という自覚があるから、隠すのです。

逆に言うのならば、オープンに隠されていない行動は、(少なくともその人の判断では)「悪いことだとは思っていない事」です。

そう。いじめている人間は、自分のやっていることは悪いことだと、知っているのです。知っていて、やっているのです。

【いじめる側が行う醜い自己正当化】

人間の脳はとっても都合よく出来ています。
脳は実際とは全く違うものを、本物だと簡単に思い込みます。薬でないものを薬だと思って飲んだだけで効果が表れる、プラシーボ効果のように、思い込みは凄い力を持っています。そして、この思い込み。一種の洗脳のようなものですが、自分自身に対して。そして、自分が誤った、間違った行為を行っているときに、強力な効果を発揮するのです。

人は、自分が間違った行為をしていると解っていることをやり続けるのは、苦痛です。表面上はストレス発散の快楽が勝ちますが、無意識には悪いことだと解っている。隠していることが、それを如実に物語っています。ばれないように行動しているすべてが、悪いことだと認識しているからです。

いじめをすることで快楽を得ている。ストレスを発散出来ている。けれど、悪いことだという罪悪感も確かにある。そうなったとき、人間の脳はどんな風に考えてしまうのか。

それは、自己正当化です。

こんな言葉を、いじめの討論会で聞いたことがないでしょうか?

「いじめられる側にも、責任はある。その態度を直せよっ!!」

これは究極の醜い責任転嫁です。たとえ、百歩譲って、いじめられる側に相手を腹立たせるものがあったとしましょう。けれど、それがいじめる側の弁明には一切成りません。

嫌な相手が居るのだというのならば、攻撃などせず距離を置けば良いだけの話です。そして、自分のむかつく気持ちを、自分できちんと処理する方法を学べば良いだけの話です。相手にどれだけいじめられる原因があったとしても、あなたが「攻撃という行動を起こした」事への罪は揺らぎません。「相手を攻撃する」という行動の選択肢と同等に、「攻撃をせずに自分の衝動と向き合う」という選択肢があったことに見えないふりをし、「自分がこれだけ悪いことをするのは、相手の為なんだ」と、とんでもない自己弁護を作り出します。

この自己弁護。時間にして、一瞬で脳は答えをはじき出します。「この行動は、正義なのだ」と自己正当化をし、「遊んでやっただけ」「ちょっとふざけていただけ」「そんなに傷付いているのならば、言えばよかったのに」「悪いことなんか、何一つしていない」と、事実とは全く違うことを平気で口にします。

彼らの多くが、意図的にそれをやっているのならば、まだ良いです。けれど、人間の恐ろしいところは、思い込みの洗脳能力です。いじめっ子の多くが堂々としているのは、いじめの原因を追及されたときに、開き直りにも近い言葉を口にした瞬間。本人自身も「あれは正当な行為だったのだ」と思いこむことです。

罪悪感は、誰一人抱きたくないものです。そして、罪悪感は自分が悪いことをしていると自覚した時に湧きあがる気持ちなので、その不快さを避けるために、自分の行動の原因や認識を、後付けで上書きしてしまうのです。

自分は悪いことなど何一つしていない。悪いことに取られるなら、それは相手の責任であり、自分は相手の悪いところや間違っているところを治してあげているだけなのだ。これは親切心から、起こった行動なのだ、と……




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【自己正当化の成れの果て】

このように自己正当化で一旦難を逃れると、それを脳は覚えます。そして、ショートカットが大好きな脳は、同じような不快な感情。嫉妬が湧きあがったときに、同じ行動をとらせるようにし、何度もいじめを繰り返し、その度に正当化を繰り返し、その状況、考え方、思考の道筋に、慣れていきます。

自分の感情を自分でコントロールする術を学ぼうとせず、不快さを他人を攻撃することで晴らそうとします。

だからこそ、いじめをする人間は居なくならず、ますます陰湿化し、隠蔽も巧妙になっていきます。

この思い込み、逆にいじめられる人にも働きます。そう。自分はこれだけ攻撃されるのだから、価値のない人間なのだと、何度も罵倒されるとそう思い込むようになってしまうのです。

【相手に正当化をさせない方法】

放っておいたら、このいじめの行為はどんどんエスカレートしていきます。

だからこそ、証拠を集めてください。その場で言い返しても、いじめはどんどん陰湿化するだけです。相手は自分の行動を「正しい」としているのですから、反撃は「正義」を行う者に対する反逆と取られ、攻撃はもっと陰湿になり、陰険さを増していきます。

勝手に脳の思い込みを発動させないためには、動かぬ証拠が必要です。洗脳を解くためには、誰が何と言おうとゆるぎない、動かない証拠が必要になります。

LINEで暴言をされたなら、その時のスクリーンショットを。
無視ならば、自分を無視することで不利益を相手が被る状況を考えください。
暴言は、録音を。
暴力は、その場で警察と病院へ。
写真も撮れるのなら、撮ってください。

改ざんなど出来ない、物的証拠をつかみ、相手に記憶の改ざんをさせないでください。

【いじめ問題を取り扱った小説】

2012年に刊行された宮部みゆき著の「ソロモンの偽証」

一人の少年の死をめぐって、前代未聞の中学生による学校裁判の詳細を描いたミステリーの傑作ですが、このお話は謎の解明よりも、被告人としてこの裁判で訴えられた、いじめ加害者の少年が自分の罪を認め、謝罪するシーンに私は心惹かれました。

彼は裁判中。数々の自分が行った悪行を並びたてられ、証拠を突きつけられ、「ちょっとふざけただけだ」と白状します。

「そういうふうに被告人が”ちょっとふざけ”ているとき、相手がどんな態度をとったか覚えていますか。相手の表情を覚えていますか。あるいは、相手が何か言ったことを覚えていますか」
「被告人と一緒になって、相手もおふざけを楽しんでいると感じましたか」
「被告人と一緒になって、相手も楽しんでいたでしょうか」
「被告人に殴られた相手が、痛いと叫んだことはありませんか。やめてくれと被告人に頼んだことはありませんか。被告人に裸になれと強要された女子が、泣いて嫌がったという事実はありませんか」
被告人は見て、聞いていたはずだ――と、弁護人は続けた。「相手の反応がなければ、おふざけはちっとも面白くないからです。違いますか」(本文より)

この、謝罪に繋がるまでのシーンは、圧巻の一言です。多くのいじめで苦しんでいた、そして苦しみ続けている人達への、心の叫びを代弁したかのようなシーン。

自己弁護を、正当化を許さない。記憶の改ざんをさせない問いかけの数々。
陰湿化も隠蔽も許さない。すべて白日の元にさらされると、この正当化は全く働かなくなります。

逆を言うのならば、それが怖いと解っているから、陰湿化と隠蔽化が起こるのです。

ぜひ、今いじめに苦しんでいたり、過去に苦しんでいた人に読んでほしい一冊です。自分が言いたいことを。心の痛みを、代弁するかのような言葉の数々に、きっと心が惹かれることでしょう。感情は感じてあげなければ、ずっと心の中でくすぶり続けます。それを吐き出させるためにも、まず傷付いた自分の心をきちんと感じて、そうして外に出してあげてください。

辛い時には、つらいと感じることが一番早く回復します。それを感じさせてくれる小説を、どうか手に取ってみてください。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。






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