何故人はマウンティングを行うのか~自分が上に立ちたい願望の強い人が抱えている闇~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回は、学生だけでなく大人の社会でも良くありがちなマウンティングのお話。

人間は社会性のある動物です。「社会」とは何かと、現代文でも良く出る用語なので生徒に訊くのですが、一瞬で応えられる人はとても少ないこの用語。違う言葉で言い換えると、集団生活を営む人々のこと。又はその団体。若しくは、同種の職業を選択した人々の集団の事を指します。

共通しているのは集団、と言うこと。私達人間は、誰かと一緒でなければ生きていくことが出来ない存在だと言う事が、はっきりしています。孤独感や孤立感はその人の免疫能力を下げ、死に至らしめることもあるほど強力な作用です。どれだけ苦しかろうが辛かろうが、私達は誰かと共に集団で生きていかなくては、長生きできないように身体が作られているのです。

逆に言えば、だからこそ特定の人物を集団の中で無視し続ける行動は、最大の攻撃であり、被害者の尊厳を根底から打ち砕く行為である、とも言えます。

人間が生きる上でどうしても避けられない集団行動。集団で行動した方が利益が高いと言う事を、私達は遺伝子レベルで刻まれていることになります。ゲームの世界でもそうですよね。一人で強敵に挑むよりも、結託して協力し合い、大物を倒して利益を分散する方が勝てるし、生き残るには効率が良い世界です。今の世でも、それは変わりません。貴方が大手に就職したいと願うのは、大きな会社だから。存続しそうだから。安心感があるから。将来が安定していそうだから。という、自分が生き残る理由で選んでいる部分が、少なからずある筈です。

生き残るために、群れる。これは動物の防衛能力の本能とも言っていいほどです。

けれど、その安定した社会のなかで、何故マウンティングが行われるのか。動物の場合、その殆どが種の保存のためです。

ならばそれが全く関係ない場所で頻繁に行われる人間同士のマウンティングは、どうして行われるのでしょうか。

何故相手を引きずり降ろさないと気が済まないのか。どうして、上下関係が必要で無い場所でも、それを持ちこんでしまうのか。その人間の心の裏側を書いていきます。

【マウンティングは自分が相手よりも上だと、周囲に示す行為】

マウンティング、とはそもそもどんな行為を示すのか。それは、猿の行動観察で解ったことですが、オス、メス関係なく、動物社会における順序確認の行為で、一方は優位を誇示し、他方は無抵抗を示すことで攻撃をかわしたり、止めさせたりすることです。その行為の仕方が馬乗りの形に似ていることから、マウンティングと言います。

人間においてのマウンティング行為は、あからさまな序列や身分制度を強調することの他に、日常的な会話で自分の優位性を誇示するために発せられる言葉や態度。行動などが、それに当たります。

具体的に言うと、相手を貶める行為をしたり、自分を上げるために自慢話を延々したり、という形に成ります。(どこかの某女性議員の顔がよぎりますね……)

社会とは団体・集団での活動であり、だからこそ問題も多く産まれてくる

【マウンティングの裏に隠れているもの】

では、何故人は自分が上位だと周囲に誇示する必要があるのでしょうか。

少し、冷静になって考えてみましょう。

他者に何かを自慢したり、自分の方が上だと誇示したりする人達は、何が目的なのでしようか。その行動を取ることによって、得られるもの。若しくは得られると考えられているものは、何なのでしょうか。

「わぁ、それって凄いねぇ~」「あなたは人とは違うね」「それって、あなただから出来ることだよ。優秀なんだね」

何かを自慢する人は、心のどこかで相手に自分を認めて貰いたいと願っています。子供が褒められたいと目をキラキラさせて、「僕、頑張ったよ!」と言ってくるのは本当に微笑ましいですが、これは子供だけでなく、思春期になっても大人になっても、人間の基本は何一つ変らないのです。

皆、褒められたい。人から認められたいと、心のどこかで思っています。

けれど、何かの努力の結果が出た場合を除いて(大学、高校合格、就職試験合格、資格試験合格、何かしらの賞を取った、その他etc)人から手放しに褒められる事など殆ど有りません。日常的にはほぼ皆無です。(だからこそ、それを上手く取り入れたSNS文化が此処まで発達したのだと思いますが……)

だから、その称賛が欲しくて、無意味な場所であったとしても自分の地位を高めて、褒められる機会を作るためにマウンティングを行い続けます。そう。彼らは褒められたいのです。これを承認欲求と言います。人から認められたい。周囲で目立つ存在で有りたい、という願望ですね。

【承認欲求は、特別な人ではなく普通の人が抱く欲求】

人は、無い物を欲しがる、という事を上に書きました。

なら、褒めて貰いたい。人よりも優れていると周囲から思われたい、と考えてマウンティングをしている人は、どんな日常生活を送っていると思いますか?

そう。現実は逆なんです。

自慢やマウンティングをする人ほど、褒められる事など滅多に無い。優れていると周囲から思われていない。若しくは、足りないと感じているからこそ、過剰なまでに褒めて貰いたいと思ってしまう。

これが解っているだけでも、マウンティングを受けた時の心理的な負担はかなり軽減されます。

マウンティングを行う人。それがエスカレートしていじめに発展してしまう人の殆どは、自分を優位に立たせて人からの称賛を得たい。自分の立場を上げるために、相対的に他を落とす。貶める。良い気分で居たいという欲求を自分で消化することが出来ず、その欲求を他者で満たそうと、あなたの尊厳を貶めて利用しているだけに過ぎないのです。

【いじめは暇な人間がすること】

逆に、本当に承認を得られる人とはどのような人でしょうか。プロが、自分が出来ること。何かに秀でている事を(宣伝は別として)周囲に誇示しようとするでしょうか。

学生でも、そうです。学年トップを取る様な人間は、勉強が好きな人間ですが、大概自分のやりたいことに一生懸命です。向上したいと考えている人間は自分の能力を伸ばすためには努力しかないと解っていますし、また努力することが苦痛では無いので、一心不乱に一つのことに集中します。だから、あからさまなマウンティングを受けたとしても、それと気が付かないこともあるぐらいです。




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ある意味では、自分の好きなことしか考えていないから、他人からの視線と言うものを気にしていません。他者との比較も、無意味だと解っています。能力の高い人間は、常に自分の設定したレベルに達しているかいないかを考えます。価値判断の基準が確立しているのですね。例え学年1位でも、99点で自分のケアレスミスが原因だったら、そのことの方が心に残るのが優秀な人間の特徴です。

自分のやりたい事や、好きなことに集中している人は、そのことで頭がいっぱいなので褒められよう、自分を誇示しよう等と言う事に、興味が無い。又は、興味があったとしても気にする暇が無いのです。やることや、やりたいことが多すぎて、そんなことを考える時間がもったいないし、第一思考のなかにそんな余計なことは入りません。

【受験期になるといじめが止む不思議】

暇な人間。余計な事を考える、好きなことに熱中出来ない人間がいじめをするのは、生徒を見ていても解ります。

中学校1年生時は学校に慣れることで精一杯。だから、いじめが起こるのは慣れて余裕が出てきた6月、7月ごろ。

そして、中学校2年生時期が、最もいじめが悪化します。学校にも慣れ、3年生も部活で引退し、自分の自由に出来る部分も増え、けれどもまだ受験は遠い先の話。

それが、中学校3年生になると、いじめが段々無くなっていくのです。

何かしらの事件が起こるわけではありません。指導が入るわけでもないのに、自然にいじめがぴたりと止まります。皆、受験。そして内申書が気になり、自分の進路を真剣に考え始める時期ですから、暇が実質的に無くなっていくから、いじめをする余裕がなくなるのです。

そして、高校でもほぼ同じことが繰り返されます。受験時期になると、ぱたりといじめが無くなっていく。

つまり、いじめや誰かの悪口を言っている時点で、その人は暇だと言う事です。

なので、マウンティングをされた時はこう考えてください。

ああ、この人は好きな事に思いっ切り夢中になれない暇な人で、普段褒められることが無くて、自信が無くて、その欲求を埋めたいだけで私を利用しているだけなんだ、と。

いじめは、受ける被害者に欠点があるのではなく、行う加害者側の問題です。そこを間違わず、線引きをしっかりする。

あなたの責任ではない事を、しっかり理解してください。

その線引きをはっきり解っていると、闇雲な恐怖感が薄れていきます。

恐怖感が薄れれば、もうあなたは一歩。いじめの被害者から抜け出すための前進を始めたことになります。

是非、この考え方を使ってみてください。

 

明日から、月曜日。

明日からの一週間は、いじめにどう対抗していくのか。どう戦って乗り越えていくのかを書きます。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。






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