小説読解 ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」その1~情景描写の役割~

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今回から、中学校1年生で読むヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を読解します。

決して楽しい思い出ばかりじゃない。思い出すことが辛く、苦しいものも確かにある。

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イントロダクション

この作品。読むのは13歳の時期ですが、入っている内容はヘッセらしい、とても残酷な面に彩られた、それでいてたった数秒。一時の出来事が、大人になるまで色濃くその人の人生に影を落とすことになるという、とても深い作品です。

ヘルマン・ヘッセとは

読み始める前に、作者、ヘルマン・ヘッセがどのような人だったかを少し調べましょう。

1877年生まれのドイツ生まれの小説家。ノーベル文学賞を受賞したことでも有名ですが、その人生の始まりは、順風満帆とはいきませんでした。

まだ第一次世界大戦がはじまる前のドイツ帝国時代の生まれです。

封建主義が常識として根強く残り、神童と噂され、エリートとして育てられたヘッセは有名進学校に進みますが、そこで壁にぶつかり、半年で学校の寮を脱走。その後、両親の手によって精神病院に入退院を繰り返し、そこでもたびたび脱走を繰り返しています。

その自身の体験を書き表した小説が、有名な「車輪の下」です。

どこか閉塞感があり、暗い未来を予想させるような、ノスタルジックな少年時代の精神を描いていたヘッセの作風。

けれど、その作風はヘッセが第一次世界大戦の従軍したことを切っ掛けにして、がらりと変わります。

戦争によって、限界まで追い詰められた精神危機的状態が、精神学者たちのケアによって回復し、またそのことを体験したからこそ、ヘッセの作風は文明社会への痛烈な批判や平和主義的なものに変化し、その変化が現在、彼をドイツ文学を代表する小説家とし、ノーベル文学賞受賞という偉業へと押し上げることになります。

ヘッセにとって、決して明るいとは言えない青年時代の経験や、戦争へ従軍したという心の傷は一見とても苦しいものに見えるかもしれませんが、それを乗り越える過程が彼を変えていきました。

 

「少年の日の思い出」の数奇な運命

そして、今回読む「少年の日の思い出」は、ヘッセが第一次世界大戦に従軍する前に書いた作品を、10年以上経った後に彼が書き直し、タイトルも変え、更にはとても不思議なことに、原書は日本にしか存在しないという、貴重な作品になっています。

初期のヘッセのノスタルジックな雰囲気を残しながら、かつ、「車輪の下」とは違う、平易な言葉で書かれながらも、深い読解に耐えきる素晴らしい作品です。

太宰の「走れメロス」とは違い、ヘッセには突っ込みどころはありませんが、けれども静かに流れる、ヘッセの穏やかな文体で紡ぎだされる世界の時間は、静かで穏やかだからこそ、とても残酷に、自分自身を責めさいなむ棘となって一生抜けない痛みとなることを隠喩しています。

ふと、時間が過ぎ去った後に、振り返るからこそ解る事実というのが時に沢山見えてくる。

これは、そんなお話でもあり、高校生になった生徒に問いかけても、「蝶の話」とか、「エーミール」という登場人物の名前を覚えているくらい、印象深く心に残るものです。

これから読む子も、またもう読んでしまった上級生の子達も、『小説を読解する』ということを学びなおすためにも、一緒に読んでいきましょう。

【冒頭部分】

読み飛ばしてしまいがちな冒頭をしっかり読む

物事って、一番辛いのはやり始めです。宿題とかもそうですよね。やろうかな~、やらないでおこうかな~と考えている時が一番辛い。やり始めちゃったら、慣性の法則が行動にも働くのか。結構続けられるものです。

それは、読書も同じ。

そして、小説を書く、小説家の立場も、同じなのです。

物語が創り上げられ、動き始めてしまえば後は簡単です。それこそ、勢いづいてしまえば。これを良く「筆がのる」なんて言葉で表現されることもありますが、その状態になってしまえば、書きたいことが書けるようになりますが、大変なのはそこに行くまでにどうすればいいのかと、多くの小説家は悩みます。

お話の冒頭。話をどうやって語り始めるか。それは、全ての小説家の悩みとも言っていい部分であり、冒頭には細心の注意を払って書きなおしをする、というように言われています。

実際、作文を教える時も、「どうやって始めればいいのかすら、解らない」と一行も書けずに挫折する子が居るのですが、当たり前です。冒頭が一番難しいのです。「書けない……」と思い込むのは早いので、それで自分を責めないでくださいね。プロですら気を使うのです。あなたが悩んで苦しむのは、当たり前。むしろ、当然なのです。

何故冒頭が書きづらいのか。読者と言うのは我儘だと小説家は知っています。そして、冒頭はどうしても説明口調にならざるを得ない。

主人公がどんな人で、どんな環境にて、何歳で、性別は、職業は、体調は、抱えている問題は、性格は……と、まずその主人公がどんな人間であるかを知ってもらわなければならない。そして、相対する人間がどんな人物なのかも、知らせなければならない。

これは大変な情報量です。

でも、それを知ってもらわなければお話が続かない。けど、説明口調にしたら面白くもなんともない。

読者に面白いと思わせ、興味を持って先を読んでもらえるような印象的な出だしにし、かつ、必要な情報を解りやすく、説明口調にならずに伝える必要がある。

小説の冒頭に課せられた役割はとても多大です。その難関をクリアしなければ、先には進めない。だからこそ、小説家は冒頭に細心の注意を払って書くのです。

説明口調でつまらない、と受け取ってしまうのも確かに解ります。けれど、そこには必要な情報がとても沢山詰まっている。それを拾い取る技術を身に付けましょう。大丈夫。解ってしまえば、すぐ身に付きます。案外、単純なんです。

暗い情景描写は内容のネタばれ

まず、小説の冒頭に切り落とせない描写があるとしたら、それは情景描写です。

小説の到る所にちりばめられていますが、その比重は冒頭に多くを割いています。

空の色や調度品の描写の仕方。そして、人物の描写も、その人の性格を暗示する部分が数多く見られます。自然だけでなく、その色がどのように見えるのか、でもそこから始まる話のイメージを決定づけるものです。

例えば、赤。

その色を、薔薇色と見てしまう人間も居れば、血の色に見えてしまう人間も居る。その人たちの気持ちや、どうしてそのように見えてしまうのか。そんな風に読者に興味を持ってもらうために、冒頭は様々な伏線が張られています。

「少年の日の思い出」の冒頭は、ある男性が友人宅を訪れたところから、始まっています。

その描写は……

「客は、夕方の散歩から帰って、わたしの書斎でわたしの傍に腰かけていた。昼間の明るさは消え失せようとしていた。窓の外には、色あせた湖が、丘の多い岸に鋭く縁どられて、遠く彼方まで広がっていた。」

明るさが消えていく。夕方だから、夜になることを示したいのは解りますが、「夜が訪れた」という描写と、「昼間の明るさが消え失せた」では、雰囲気は全く変わってきます。

そして、色あせた、鋭く……とても温かい描写とは思えない物が続く。

どう考えても、ここから続く物語が、暗いものであるという暗示めいた符号が見えます。

いや、単純な描写じゃないかというのならば、この冒頭を無理矢理、明るい言葉に置き換えてみましょう。どれだけ雰囲気が変わるのか、試してみるのです。

「客は、の散歩から帰って、わたしの書斎でわたしの傍に腰かけていた。段々と光があふれ、夜の闇の名残はすでにどこにもない。窓の外には、朝日を受けて眩しいほどに輝く湖が、木々の鮮やかな緑に柔らかく縁どられ、遠く彼方まで広がっていた。」

さあ、あなたはどんな印象を抱くでしょうか。

それぐらい、情景描写という物は、小説を読み解くことに必須のものだということです。

細かいっ!! と思うかも知れません。けれど、この細かさが、後で役立ちます。そして、それが意識して行うことでなく、段々と慣れていき、当たり前のように気が付けるようになると、どんなお話であったとしても読み解ける実力が付くようになってきます。

この暗い描写は、この冒頭の数行にとどまりません。

この後も、何度も出てきます。

その細かい部分に、目を配っていきましょう。あなただけの読解力を身につけるために。

 

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

明日は、主人公の心理を読み解きます。

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