評論文解説 「暴力の神話」山極寿一著 その1~タイトルを読み取る~

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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回から暫く、評論の解説を行います。

センターが差し迫ってきたり、受験シーズンに突入していくと、どうしても評論の成績が上がらない、という相談を良く受けます。受験生でなくとも、中学までは説明文の方が読めた。むしろ、小説よりも得意だったという生徒が、高校になった途端に評論文を読めなくなってしまう。何を言っているのかが、読みとれなくなってしまうことって、本当に良くあります。

むしろ、当たり前のように起こる現象です。

なんとなーく解っているから、大丈夫大丈夫。日本語なんだし、ある程度解っているんだし、ちゃんと真面目に読めばなんとかなるなる。

と、思っているそこの人。

残念でした。何もしなくて、解る評論はあり得ません。むしろ、どんどん解らなくなっていくのが通常です。

この、何となくわかるんだけど、テストになると書けない症候群、とでもいいましょうか。多くの国語遭難者が罹る病には、共通点が存在します。

それは、自分の頭で納得するまで考えてない、という事です。

人に説明できなければ、それは解っていないのと同じこと、とはよく言われる言葉ですが、国語はこれを体言している教科です。記述解答はまさに、これを具体的に形にして提示しろという事ですから、書けない=出来ないと同義です。

なんとなーく、解ってるんだけどなぁ……

そんなものは、国語に存在いたしませんので、あしからず。

だからこそ、明確に自分が納得するまで、ゆっくりと考えることが絶対条件となります。

自分に素直に、解ったふりをしない事。そして、解らない自分から目をそむけない事。それが点数獲得への第一歩であり、勉強が知識の獲得と楽しさに繋がる、最初のステップです。

神様の話って、一体だれが考えたんでしょうね。

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【はっきりしない言葉の罠】

実は、評論で一番の敵になるのは、自分です。

自分の知識との戦いです。

何となく解っている。知っている。言葉は聞いたことはある。

これが、とてつも無く恐ろしい。何故ならば、この曖昧模糊とした言葉の不明瞭な意味合いが重なって、結局何もかも解らなくなるのですが、一つ一つはとても些細なものなのです。

細かい部分に、真実は宿ります。国語の評論の場合、細かい熟語の意味をクリアにするだけで、評論の内容がぐっ、と掴みやすくなることは事実です。

だからこそ、少しでも違和感を覚えた用語があるのならば、丁寧に辞書で引っ張ってみてください。そして、複数ある意味合いを、しっかりと読んでメモをしてください。

解らない物があるという事は、チャンスです。そこさえ解れば理解が深まるのだから、妥協せずに調べてください。

【神話という言葉の意味】

まず、この評論のタイトルです。

「暴力の神話

おかしくありませんか? 暴力の神様でもいるのでしょうか。神話とは、神様に関する話のはずです。もちろん、科学的に考えて神が実在したとは考え辛いので、神のように身体能力に長けていたり。容姿が素晴らしかったり、芸術的才能が長けていた人々のことを称賛し、崇め奉り、それらが神として扱われるようになったのか、それとも記述されるようになったのか。

事実はどちらかは解りませんが、元は人間の行いであったことは予想が付きます。なら、暴力の神がいたのか。ギリシア神話にピアーと言う暴力の女神が存在しますが、その記述は評論の中には一切出てきません。山極さんは神話学を研究する学者ではなく、人類・霊長類学者です。

ならば、神話=神々の話という意味ではない、という事にまず気付かなければなりません。

辞書をひいてみてください。二番目に、実体は明らかではないのに、長い間人々に真実だと信じられ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄、とあります。

タイトルの神話は、この意味です。

ここからタイトルの意味を考えると、

「暴力について、根拠はないけれども長い間、真実として認識されていた考え方=神話、があるけれども、はたしてそれは本当に真実なのだろうか?」

と、読み解けます。

【評論家が評論を書く目的】

物事の真実を描く為、様々な切り口から評論家は文章を紡ぎます。

そして、これは評論のメソッドとも言って良いのですが、良く語られる形として、常識的、一般的に正しいとされているものが、実は間違いであった。当たり前だと思っていたことが、実は研究を進めていったら真逆の真実が浮かび上がってきた、と展開を進めるやり方が、多く見られます。

研究論文という物は、大概予想から始まります。その予想をつかさどっているのは、私たちの常識。つまり、一般的な考えの延長線上に載っているものです。

その常識に疑問を持ち、本当にこれは真実なのかと実際に調べてみたら、違う事実に突き当たった。評論家は、そうやって評論を書いてします。

常識を裏切るもの。当然だと思っていたことが、実は全く真逆であったもの。そういうものは、数多くこの世に存在します。その一つを、評論家は形にして示しているのです。

【暴力の常識とは】

では、山極さんが私たちに提示する暴力の、長年信じられていた先入観、常識とはどういったものなのでしょうか。

本文を見てみましょう。都合上、段落番号をつけて説明します。

段落番号1

人間を全ての生物の頂点に置く考え方は、古来人々の心に深く根を下してきた。

人間の進化の物語は、人間が他の生物を征服してきた英雄譚として描かれることが多く、それを可能にしたのは、高度な知性と殺傷力に優れた武器であった。(本文)

要するに、この第一段落。

全ての生物の上に人間は立っていて、それを可能にしたのは高度な知性と殺傷能力に優れた武器。つまり、動物たちを暴力によって支配してきた。暴力を知性によって使いこなすことが、人間の進化であると、冒頭で述べています。

段落番号2

しかし、人間はいったいどのくらい昔から暴力を用いて自然に立ち向かうようになったのだろう。そして、いったいどの時代にその暴力を人間へと向けるようになったのだろう。(本文)

逆説の接続詞は、評論では貴重なヒントです。

逆説の後は必ず重要なことが書いてあります。そして、筆者の主張に絡んでいる場合が殆どです。

今回の場合は、問題提起。

この問題提起への答えが、この評論文の論旨です。

今回の問題は、

どのくらい昔から暴力を使っていたのか。
そして、どの時代に暴力を人間を相手に向けるようになったのか。

という事です。

ここの部分に、神話。思い込みが発生していたというのです。

筆者が言う、大きな誤解はこの部分。

人間に独特な特徴を進化させた原動力は狩猟という生活様式であり、狩猟によって発達した攻撃性を仲間に向けることによって人間は倫理や規範にもとづくさらに大きな社会を編成できるようになったという考え方である。(本文)

難しい言葉の羅列で、「げっ……」と思うかも知れませんが、解らないのならば解るまで分解すればいいのです。一気に理解しようとするのは危険。解るサイズまで、単純化します。

人間は特殊な進化を遂げた存在。

その原動力は狩猟で生活してきたこと。

狩猟によって、攻撃性が発達(進化)

その攻撃性を仲間に向けた

倫理や規範(要するに、ルール)が出来る。(破った存在に攻撃を加えることによって、規範が発達)

倫理や規範によって、コントロールできる集団がどんどん大きく出来た。

より大きな社会を編成できた。

逆に言うと、人間がより大きな社会を作れたのは、暴力に支えられた倫理や規範によってであり、その暴力や攻撃性は、狩猟から発達したものだと。

この狩猟時代に、全ての人間の攻撃性の原点はある、という考え方。

これが、長い間信じられていた誤解=神話だと、筆者は言っているのです。

続きの③段落からは、また明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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