小説読解 志賀直哉「城の崎にて」その5 ~この世は生死さえも偶然で出来ている~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回は、三つめの「死」との出会い。いもりです。

あなたはいもりが好きですか?

【何気ない場所で出会ったいもり】

だんだんとうす暗くなってきた。いつまで行っても、先の角はあった。もうここらで引き返そうと思った。(本文より)

主人公「自分」は、ヒラヒラと動く木の葉を見続けた後、まだ散歩を続けます。どこにも行く目的など無く、ただ、ぼんやりと歩いているだけ。

たまたま、その場所に居たのも、偶然です。何の意図があってのことではありません。

もう薄暗いし、そろそろ引き返そう。そんな風に思っていた時、「自分」の目に、ある水の流れが目に付きます。

たまたま、です。このたまたまを、志賀直哉は何度も強調しています。

自分は何気なく脇の流れを見た。向こう側の斜めに水から出ている半畳敷きほどの石に黒い小さいものがいた。いもりだ。(本文より)

明確な意図など無く、ただ、ふらりと歩いていて、たまたまの瞬間に横に流した視界の中に映ったいもり。意図的なものは、どこにもありません。

そのいもりを何気なく見る、「自分」。いもりは好きでも嫌いでもない。だから、本当にたまたま見ていただけ。

以前は、「いもりに生まれ変わってしまったら、自分はどうするだろう」と、いもりを見るたびに思ってしまうので、いもりを見ることが嫌いだったけれど、今は然程嫌いではなく、「それはいい色をしていた」とまで、本文に書いてあります。

もう、いもりに生まれ変わったら……等と言う事を考えなくなっていたから、嫌悪感は湧かなくなってきた。むしろ、少し好感を抱いているようにも思えます。

「前は嫌いだったんだけどなぁ……」

と自分の気持ちの変化を少し面白いと感じているような、そんな雰囲気を漂わせている中。「じぶん」はあることをしようと、唐突に思いつきます。

【いもりを狙うつもりの無かった石】

自分はいもりを驚かして水へ入れようと思った。(本文より)

驚かせて、不器用に体を振りながら、慌てて水の中に入る様子が見たい。そんな風に思ったのかもしれません。単なる、思いつきか、それとも、鼠を痛めつけるために石をながけていた子供たちの光景が脳裏に残っていたのか。

真実は解りませんが、ただ、何となく。動くいもりがみたいな、ぐらいの気持ちで、「自分」は石を取りました。

自分はしゃがんだまま、脇の小まりほどの石を取り上げ、それを投げてやった。自分は別にいもりを狙わなかった。(本文より)

「自分」は狙って投げるのが下手だと、その直後に書いてあります。別段、狙うつもりも無かった。当てるつもりもなかったし、第一当てようと思ったところで、下手だから当たるわけがない、と。

けれど、下手だからこそ、当てようと思って投げた時には当たらない人は、外そうと思って狙った場所も、当たらないのです。

だからこそ、本来いもりを避けるつもりで狙った場所には石は行かず、いもりに直撃してしまいます。

そして、ゆっくりといもりは前のめって動かなくなりました。殺してしまったのです。

いもりは死んでしまった。自分はとんだことをしたと思った。虫を殺すことを良くする自分であるが、その気が全くないのに殺してしまったのは自分に妙な嫌な気をさした。もとより自分のしたことではあったがいかにも偶然であった。(本文より)

いもりを偶然殺してしまった。

殺す気などなく、いもりを見たのもたまたまであるし、動くいもりが見たいとおもったのも、ふとした思い付きであるし、石も当てるつもりも無かった。

どれ一つ、抜け落ちていたら、いもりは死なずに済んだのです。

自分が散歩に出なければ。あそこで、引き返していれば。あの時に視線を横に振らなければ。動くいもりを見たいと思わなければ。石で逆に、狙っていたのならば……

そんな、偶然が全て折り重なって、いもりは死んでしまった。

そのことに、「自分」はショックを覚え、いもりと自分を対比するようになります。




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【偶然に死んだいもり 偶然に生きている自分】

自分はしばらくそこにしゃがんでいた。いもりと自分だけになったような心持ちがしていもりの身に自分がなってその心持ちを感じた。かわいそうと思うと同時に、生き物の寂しさをいっしょに感じた。自分は偶然に死ななかったいもりは偶然に死んだ。(本文より)

生き物の寂しさ。それは、偶然が生死を分けている、という事です。

いもりは、偶然に死んでしまった。難を避けようという意識など全く無く、ただただ、偶然に降ってきた石に、命を奪われた。

そして、この事故に遭った「自分」も、事故に遭おうと思って遭ったわけではありません。たまたま、偶然にも遭遇し、そして命が助かったのも、今自分が生きていられるのも、全て偶然が支配している。

生きようとか、運が良いとか、神様が守っているとか、自分は生きるべき人間なのだとか、そういうように思いたかったけれど、違う。生命の、生き物の命は、全て偶然が支配しているのだと、思えば思うほどに、寂しくなってくる。

それは、解りますよね。

どうしたって人間、自分が生きていることの意義を。生きると言う事の意味を探りたくなる。今は解らないけれど、きっと何かあるのかもしれない。自分がまだ気付いていないだけで、何かがあるのだろうと、そう思いたかった。

そうあって、欲しかった。

だからこそ、偶然が生死すらも左右していて、自分が今、こうして生きているのも、きっと偶然なのだ。今目の前で、いもりが偶然に命を落としたように、自分の生も偶然によって成り立っていると頭の中で繰り返せば繰り返すほど、寂しくなってくる。

ああ、自分は偶然によって今、たまたま生きているだけなのだと。

作者、志賀直哉は実父との間が険悪で、確執がとても強かったことが有名ですが、父に認められず、否定され続けたが故に本人も家族の問題に苦しみ続けた人だと言われています。(その家族間の確執が描かれた、唯一の長編が「暗夜行路」)

だからこそ、自分が生きること=小説を書く、という事に何らかの意義を見出そうとしていた彼が、生きていること=偶然であると気付くことは、堪らなく寂しかったのではないでしょうか。

その寂しさを抱えたまま、この「城の崎にて」は、終わりへと続いていきます。

続きは、また明日。明日は、まとめをします。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。






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