小説読解 魯迅「故郷」その4 ~砕かれた希望~

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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回、「故郷」の中でも衝撃シーンNo.1の部分を解説します。

古い友人と思っていた人に、20年ぶりに再会した時。貴方は、先ず第一声で、その人を何と呼ぶでしょうか?

あなたは相手にどうやって呼ばれたいですか?

 

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【ルントーとの再会】

楊おばさんとの会話の後。数日後に、ルントーが「私」の家を訪ねてきます。

-本文-

ひと目でルントーと分かったものの、そのルントーは、私の記憶にあるルントーとは似もつかなかった。

-解説-

意外にもあっさりと登場したルントー。「私」の母が知らせておいたので、主人公に会いに来てくれたのです。

けれど、その様子は昔とは似ても似つかなかった。

当たり前です。30年も年月が経ってしまっている。主人公が成長をしたように、ルントーにも月日の流れが訪れているのだから、変わっていて当然です。

そして、楊おばさんと同じように、ルントーに訪れた変化もまた、良い物とは言えないものでした。

本文には、それが羅列で並べられています。

艶のいい丸顔⇒黄ばんだ色+深い皺
頭には古ぼけた毛織りの帽子
全身ぶるぶる震えているほど薄手の綿入れの服一枚
血色の良い丸々とした指⇒節くれ立った、ひび割れた松の幹のような手

ここまで羅列するかと言うぐらい、詳細に彼の様子は描かれています。その様子は、経済的に困窮し、生活が厳しいことを如実に物語っています。

けれど、貧しくとも、心が満たされている人々も存在するのは、事実。

ルントーはどうだったのかと言う事が、次の部分で明らかになります。

【「だんな様」の呼び方の意味】

-本文-

彼は突っ立ったままだった。喜びと寂しさの色が顔に現れた。唇が動いたが、声にはならなかった。最後に、うやうやしい態度に変わって、はっきりこう言った。
「だんな様! ……」
私は身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。私は口がきけなかった。

-解説-

はい。出会いの衝撃シーンです。

解説をする前に、ちょっと想像してみてください。

自分が小学生の時に友達だった、近所の子。どうやらお金持ちの子供らしいけど、そんなことは全く気にせずに遊びまくっていた子です。

彼が引っ越しをしてしまって、寂しいとは思ったけれど、そのまま自分は生活を続け、頑張って働いたのだけれども、就職活動に失敗し、就職した先はブラック企業。それでも何とか頑張って働き続け、頑張れば何とかなると必死になってやってきても、給料は上がらないばかりかリストラにあい、借金も背負ってしまい、パートでなんとか日々の生活を過ごしている。

そんな状況で。

30年前の彼が、東京でどうやら文部科学省の役人に抜擢されたらしいと聞き、ひょっこりと目の前に彼が現れたとしたならば……

昔と同じように、仲良く声をかけることが……貴方は出来ますか?

 

これは、主人公「私」の状況ではなく、逆。ルントーの立場から見てみた世界です。

ルントーと主人公が遊んだのは、10歳。再び出会ったのは、30年後の40歳過ぎです。

その時に、全く背景や社会的身分を考慮せずに話すことが、貴方は出来るでしょうか?

「私」の立場からしてみたら、身震いしたらしかったという表現からも分かるように、衝撃的だったことが伺えます。

伝聞の形をとっている表現は、後から人に聞いた、と言う事です。

お母さんに、後から聞いて気が付いた。つまり、自分はその時、震えたことすら解らなかったほど、衝撃を受けた、と言う事です。

何故、衝撃を受けたのか。

衝撃とは、びっくりする事です。激しい動揺をもたらすもの。では、動揺とは何か。気持ちが不安定になる事です。

「だんな様」と呼ばれて気持ちが不安定になった、と言う事は、じゃあ、どう呼ばれたら、安定したのでしょうか。

そこを考えると、とてもこの問題は楽に解けます。登場人物が真に望んでいたものは何だったのか。

そう。望んでいたものは、「シュンちゃん!」と昔のように呼んでくれて、跳ね魚やチャーの話。昔、自分が聞いて、心が躍った話をまた聞かせてほしい。

そう、願っていたのです。

けれど、ルントーから聞こえた呼び声は、「だんな様」という身分を意識させるものです。自分が召使。相手が自分の主人でなければ、出てこない言葉です。

「私」はルントーを召使とは思っていなかった。けれど、ルントーが自分を召使だと思い、身分を自重してそう呼んだのです。そう呼ばなければいけないと、思い込んでいた。

悲しい厚い壁=身分差がもたらす心理的な壁です。

身分差、だけではだめです。身分が違うと思い込んでしまうと、「ああ、自分はこの人と付き合えない」と思ってしまい、自然に自分から距離を取ってしまう。

【ルントーの喜びと寂しさ】

出会いのシーンで見せた、ルントーの描写を解説します。

このような真逆の言葉で色取られている場合、解説しなさいと問題になることが多い場面です。

「喜び」とは何か。
そして、「寂しさ」とは何か。

この二つが過不足なく説明できていないと、解答に至りません。

ルントーの喜びは、何か。

これは簡単です。

30年ぶりに仲の良い幼馴染に会えたのは、ルントーも同じです。だから、「私」との出会いが単純に嬉しく、懐かしく、昔の楽しい思い出が主人公と同じように浮かび上がってきた。

けれども、その次に「寂しさ」がこみ上げてきた。

ここが、書けない部分です。けれど、その後を考えれば単純です。

昔どおりに、ルントーは主人公に話しかけられたでしょうか?

違いますよね。「だんな様」とためらいながらも言っている。つまり、ルントーも昔のように話し会えたら、と思っていた。けれど、そこで大人になったが故の身分差を思い出してしまい、昔どおりに話したらきっと駄目なんだ。出来ないんだと、思えば思うほど、寂しさがこみ上げてくる。

昔どおりに話したい。けれども、もう出来ない。

これを書ければ良いのです。

ポイントをまとめます。

・30年ぶりに「私」に会えたのが、懐かしく、嬉しかった。
・けれども、同時に昔のように馴れ馴れしい言葉で話しかけることは、自分の身分では出来ないと思った。
・昔どおりに話せない事が、悲しく、寂しかった。

これを書ければ、大丈夫です。

是非とも、記述練習をしてみてください。

今日はここまで。

続きは明日です。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

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