ファンタジー・ワールドの誕生 解説その6

ファンタジー・ワールドの誕生
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ファンタジー・ワールドの誕生 解説その6。

今回は、第8段落の後半の解説です。

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【理解出来ない文に出会ったら、それは新しい知識にふれているチャンス】

評論文では時として、さっきまでさくさく読めていたのに、何だ!? この解らない言葉のオンパレードは???? となる瞬間が必ずあります。最後まで読める場合もも有るんですが、模試や難関大学の出すレベルの問題となってくると、必ずと言っていいほど「んっ??」って思う部分が出てきますよね。

で、それはあなたが読解力が無いわけじゃない。知識が無いわけでもなく、新しい知識に触れている瞬間だからです。

新しいものってことは、自分のなかにない物。だから、取り入れるのに少し時間がかかるのは、当たり前のことなんです。数学とかでも新しい方程式の使い方を慣れるまで、何度も問題繰り返しますよね。国語って、その解りやすい問題が無いんですけど、上手く理解出来ないってことは、新しくふれているものなんだ。知識を増やすチャンスなんだと思って、ゆっくり噛み砕いてください。

ここでのポイントは、自分の意見を出さないこと。筆者がまず、語っていることを理解することに全精力を傾けてください。受け入れ辛い意見であった時は、自分が読み間違えている可能性も大いにあります。評論家はよっぽどのことがないかぎり、読み手に受け入れてもらえないような論は書かないものです。しかも、これは教科書に載っている作品なので、高校生が理解できると判断されたものであるはずだと、信頼すること。

では、続きにいきましょう。

 

【第8段落 後半】

ここからの部分は、タイトル「ファンタジー・ワールドの誕生」とも関係してくる部分です。タイトルや標題も、重要なヒントなので、模試でも出展のタイトルは必ずチェックしてください。タイトルって、ようするに究極の要旨です。一番言いたいこと塊を、作者や筆者はタイトルにおく。だから、それがヒントの塊なんです。

では、何故筆者は「誕生」とタイトルに付けたのか。それを探っていきましょう。

-人類学とは-

その後、人類学あるいは民族誌とよばれる学問分野が、「未開文化」をこんどは科学的・客観的な記述の対象に仕立て上げることでこの概念の延命を計ってきたこともいうまでもない。(本文より)

はい、きました。「いうまでもない」って言葉。(笑)

これ、沢山見かけますよね。評論文のなかで。「いうまでもない」って説明必要ないよね? 当たり前だよね。僕ら皆、知ってることだよね。ってこと。

わっっかるわけねーよっっっ!! 当っったり前じゃねーよっっ!!! って悲鳴が聴こえてきそうです(笑)いや、実際何度も聞いてるんですが(笑)

私は生徒に解らなかったらそれを全面的に出して良いよー、と言っています。解ったフリ。納得したようなそぶりって、自分も騙しちゃうんですよね。ああ、これは解ったんだ。頭働かせなくてもいいんだ、って自分で脳にいっちゃう。それって、とってももったいないです。解らないなら、解らないでいい。その解らないに、どれだけ向き合えるかが、学ぶってことなんだから。

評論家って、結局のところ学者であることが多いです。その人達のなかでの、常識を語っている時に、この「いうまでもない」って言葉が出てきます。高校生対象に書いてないんですよ。だから、出てきたときには、学術的なことだなって受け止めて、学問の分野や専門的なことを少し調べる時間を作ってください。

此処でいうのならば、主語。人類学です。

さらっ、と言葉だけきいちゃうと、ああ、人類の学問か。って思っちゃいますが、具体的に何を研究している学問なのか。詳しく説明できる人って少ないと思います。

辞書をひいてみると、人類学とは人類に関しての総合的な学問、とあります。

はい?? なんじゃそりゃ。と思いますが、人類って、自分たち人間のこと。人のことは客観的にみれるけど、自分の事ってあんまり解らなかったりすることってありますよね。

だから、自分達がどんな存在なのかを研究する学問。

辞書の言葉を続けてみましょう。

「生物学的特性について研究対象とする学問分野を形質人類学もしくは自然人類学と呼び、言語や社会的慣習など文化的側面について研究する学問分野を文化人類学もしくは社会人類学と呼ぶ。」

ざっくり分けて、生物学的。つまり、肉体的分野と精神的分野。評論文によく出てくる、評論家が大好きな言葉でいうと、形而下と形而上で分けて人間を研究している学問ということ。

形而下、形而上が解らない人のために。

人間を頭の中で思い浮かべてください。というか、棒人形か何かでも良いので、その場でちょっとメモに書いて。

で、首の所に、横線を引いてください。

つまり、人間の身体を頭と胴体に分ける。

その線より下が、形而下=目に見える部分。肉体、物体、物理的、即物的。
その線より上が、形而上=目に見えない部分(自分の顔は自分の目では見れません)、思考、概念、抽象的、想像的。

な、違いです。

ね、簡単でしょ?

本文では、民族誌も取り上げられているので、形而上。つまり、文化や芸術面での人類学を取り上げています。

で、「未開文化」は既にもう存在しない、っことは、昨日のエントリーで取り上げましたよね。(参照⇒ファンタジー・ワールドの誕生 解説その5)

なのに、それを人類学や民族誌は、科学的に研究しますよー、客観的に人類の文化を研究してみたら、こんなことが解りましたよー、ともう既に存在しないもの。というか、自分達で破壊しつくしたものを、さも存在している様に書き立てる。

そして、「未開文化」ってまだ地球上に存在しているんですよー、って宣伝しつづけているから、この概念がまだ皆のなかにあるんだ。もうなくなっているものなのに。=延命を計っている。と言っています。

概念は、ある物事に対して、ひとつにまとめて現した抽象的な言葉や、考えのことです。

ペンとか、消しゴム、とかは具体的な物の名前だけど、文具品ってなると、一気に広がりますよね。概念は、ペンや消しゴムを文具品でまとめて、言い表すことです。いちいち言ってたら、効率悪いから、全部まとめちゃえ、ってこと。

「この概念」の内容は、前文ですね。

「未開文化」は実際にはもう存在せず、想像力の産物であり、憧れが産み出した単なる造り物だ、という考え方。

西欧人が自分で壊したものを、いや、まだ「未開文化」は存在するんだって、植民地時代に壊しまくったそれを憧れと想像力で産み出し、そんな馬鹿げた妄想を今現在でも生きながらえさせているのは、人類学だよね、と言いきっているんですよね。この今福さん。ご自身も文化人類学者なんですが、研究している自分の専門分野だからこその、批判でしょう。

-「観光」の持つ、裏の意味-

観光っていいですよね。リフレッシュになるし、知らない土地に行くのはワクワクするし。

けれど、この「観光」が持つ裏の意味、というのも、鋭く筆者は指摘しています。

もう既に幻想で、なくなったはずの「未開文化」を求め続ける西欧人たち。

その西欧人たちを、ノスタルジックな憧憬に導くのが人類学でしたが、既に人類学は学問なので、この筆者が言うように、この皮肉な部分を明らかにしてきた。

となると、西欧人は人類学を知れば知るほど、自分達の醜悪な姿と直面しなきゃなくなる。そんなことは、出来ないから、違う手段を考えた、と言うのです。

自分達の好奇心を満足させ、プリミティヴィズム(優位性)を存分に味合わせてくれる。例えそれが存在しない、幻想でもOK。いい気分らさせてくれるのならば!!

そんな、とんでもない思考のもとに生まれたのが、「未開文化」の「観光」だと言うのです。(観光旅行、好きなんだけどなぁ……)

その意味では、現代社会において「観光」こそが、人類学に代わって、この「プリミティブ」な世界を一種の憧憬をもって見つめるための最後の拠点となっている。(本文より)

学問は、当たり前ですがとても客観的です。そして、色んな人の洞察や、観察もはいる。自分達、西欧人が歴史的に行ってきたこと。不都合な事も、直面させられる時も、ある。

ああ、それは都合が悪い。そんな、深刻な話を聞きたいわけじゃないんだ。僕達は、良い気分になりたいだけなんだ。そんな難しい話は、学者たちだけの世界で行ってくれ。私たちは、ただたんに、楽しみたいだけなんだ。

そう。自分達がいかに優れていて、自分達がいかに経済的・文化的に豊かで素晴らしいのかを、感じさせてくれるものが必要なんだよ。

ああ、「観光」旅行か。これは良い!! 誰からも、何からも批判なんかされず、楽しめるのはいいことじゃないか!!

その考えが、「観光」旅行を、優位性を感じるための行為として、現在最後の拠点。よりどころとなっているのです。

-存在しない「未開文化」-

存在しない「未開文化」は、いまや観光客のために新たに、そして独占的に創りだされているというわけなのだ。(本文より)

「未開文化」は存在しないのです。もう、そんなものは地球上のどこにも無い。そんなのは、大航海時代や帝国主義時代の時に調べつくしてしまった。むしろ、もう既に知っている文化なのです。

なのに、皆が知らないところに行きましょう!! とっても素敵ですよ、と宣伝する。それが喜ばれ、西欧人が群がるのは、優位性を感じ続けたい、その欲望の為に、「ファンタジー・ワールド」は存在し続けなければならないわけです。

恐らく、この傾向は今後も続くでしょう。

奴隷制度を植民地主義、経済協定など、耳当たりの良い言葉で言い換え、搾取を延々と続けている国際社会です。

優位性を感じられる学問が、最初は人類学だった。そして、民族誌などが、更にそれを盛りたてていた。けれど、不都合な部分も出てきたとき、これはやばい。変えなければと、「観光」に言いかえた。

けれど、既に「未開文化」なんか何処にも無い。それは駄目だ。造らなきゃ! 自分達の憧れを満足させる場所を。優位性を感じさせてくれる場所を、造らなければと、人為的に造り上げられた場所を、彼らは「観光」で訪れているのです。

自分で造った場所に、自分で「観光」をしにいく。

その目的は、憧れと、優位性を存分に感じたいから。

そのことを筆者は鋭く指摘しています。

今日はここまで。

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

テスト前の学生は、是非ノートにまとめてみてくださいね。読んだだけでは、点数、上がりませんよ。自分でもう一度、本文を読んで、それがどう言うことを指すのか。ちゃんとまとめてみてください。

それを続けると、びっくりするような未来が待ってますよ。

 

つづきはこちら⇒ファンタジー・ワールドの誕生 解説その7

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