小説読解 太宰治「走れメロス」その5~巻き込まれた友人と言う名の被害者~

テスト対策
PhilipBarrington / Pixabay

こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回は、メロスの命題にもなっている友情について、です。

人を疑わず、相手を信じる。それはとても尊いことです。けれども、無条件に信じることが本当に良いことなのか。良いと言い切れる人も居るでしょうが、太宰はこの物語を通じて、ディオニス王が述べたとおり、口先だけではなく、真実相手を信じるということは、どういうことを指し示すのかを、私たちに問いかけているように思えてなりません。

そして、友情と信頼の相手として筆頭に挙がるのが、登場シーンは少ない割に重要な役割を果たす、メロスの友人。セリヌンティウスです。

いつまでも一緒……って、時と場合によりますよね。

小説では、状況を理解するために主要登場人物が何を考えてるのか。そして何を感じているかを考える必要があります。その切っ掛けになるものは、必ず文章の中に隠れているものです。

それを見つけて、予測をしましょう。小説家は、必ずヒントを出してくれています。

スポンサーリンク

【セリヌンティウスの状況を確認する】

セリヌンティウスはメロスと竹馬の友の間柄です。竹馬(ちくば)の友とは、ともに竹馬(たけうま)に乗って遊んでいた時期からの友人という意味で、つまり幼馴染ということ。

小さなころは、一緒に遊んでともに育った友達で、おそらくメロスと同じ村出身なのでしょう。そして、今ではメロスは地元に残って牧人を。セリヌンティウスは都会へ行って、石工をしている。つまり、今でいうのならば大工、弟子をとっているところから考えても、大工ならば棟梁。設計図を書いているのならば、建築士と言ったところでしょうか。

そして、セリヌンティウスからしてみれば深夜にいきなり王の臣下。おそらく、警備兵がやってきて、城に来いと言われる。

そこで二年ぶりに友人と再会し、事情を話したメロスの言葉に頷いて抱き合って、メロスの代わりに鞭打たれます。

【ポイントをまとめよう】

えーと、「走れメロス」の本文を読むと、この状況。セリヌンティウスが鞭打たれるシーンはさらっと流されているのですが、ちょっと立ち止まって考えると、酷いことこの上ないんです。

ポイントだけ抜き出すと……

・メロスとは幼馴染。
・二年間会っていない。
・深夜に予告なく叩き起こされている。
・警備兵から理由を告げられもせず、連行。
・いきなり友人が三日後に処刑にされると告げられる。
・でも、妹の結婚式に出たいから身代わりをお願いされる。
・メロスが三日後に帰ってこなかったら、代わりに処刑されるのは自分。
セリヌンティウスは全く罪を犯していない。

書き出しているだけで、頭が痛くなってきたんですが、良き友と良き友の間ではそれだけで良かったと本文には書いてあります。

えっ……? 本当に???

今の世の中で言ったら、深夜にいきなり警察がやってきて拘束され、首相官邸に呼びだされて、友達が妹の結婚式を挙げてやりたいから、その間。代わりに捕まっておいてくれと頼まれる。そして、帰ってこなかったら、代わりに殺されるのは君だと宣告される、ということですよね。

その話を聞いて、何一つ疑問を持たずに、「解った」って、あなたは言えますか?
ちなみにメロスが処刑になる理由は、完全にメロスの自業自得です。

多分、私は言えないと思うし、身代わりになる友人を指名することも出来ないと思うのですが……

メロスが処刑されるのは、当然言えば当然です。現代の考え方に照らし合わせてしまうと、なんて王様は酷い人なんだと責めることが出来ますが、王政では当たり前の出来事です。むしろ、短剣で王を殺そうとしているメロスの方が、下手したらテロリスト扱いで、犯罪者です。その犯罪者の言い分をきちんと聞いている王は、至極真っ当というか、常識人というか……

まさか王も、処刑の身代わりを差し出すなんて思っていなかっただろうし、それを引き受ける人間がいるとも思っていなかったから、二度びっくりしたでしょうね。

まぁ、ここでセリヌンティウスが引き受けてくれなかったら話が進まないので、都合上。太宰もこういう風に書くしかなかったのかなと思うのですが、それをすると面白くないので、ちょっと考えてみましょう。

無理難題を振りかけてくる相手の言い分を聞いてしまう。もしくは、聞かざるを得ない時って、どんな状況。もしくは、どんな相手の時なのか。

【無理難題を押し通してしまう人って、どんな人?】

全幅の信頼がある人って、きっとあまり相手には無理難題は言わないような気がするのです。お願い事も、常識の範囲内というか、お互いの迷惑にならない範囲を心得ているというか。

なら、その逆はどうでしょうか。

無理難題を言ってくる相手は、どんな人でしょう。そして、何故、人はその人の言うことを聞いてしまうのか。

セリヌンティウスはメロスの幼馴染。つまり、幼い時から良くメロスを知っている人物で、その性格を熟知しています。もちろん、メロスが政治を知らず、猪突猛進で、思い込んだら一直線。人が止めようが、どんな説得をしようがどうしようもなく、突っ走ってしまう人間だということを、セリヌンティウスは知っている。

そんな人間に呼び出され、「俺、三日間で行って必ず戻ってくるから、代わりにここで待ってて」と言われたとして……

「嫌だ」って言ったら、その後どうなるでしょうか?

セリヌンティウスって、メロスの我儘を聞いているの、きっと一度や二度じゃない気がするんですよね。本当に。

で、昔から、断ったとしたらその方が困ったことになるということを、知っていたのではないのかなと。

それこそ、泣きまくったり、抱きついて説得しまくって、「ああっ!!俺の真実の心を信頼してくれない、信じてくれない友人を持ってしまった。俺の最大の不幸は、お前が俺の友人だったことだ!」(注:本文ではありません。)とか、目の前で泣き崩れられて恨み事を延々言われ続ける……ような気がしてなりません。

もしかして……セリヌンティウスが産まれた村を離れて街で石工をしているのも、離れられない友人から穏便に離れることが目的だったのかなぁ? とか、思ってしまうんですよね。

【浮き上がってくるメロスの人物像】

友情に篤い男。正直者で、正義を愛する男、メロス。

けれど、こうやってメロスの立場から一旦離れ、冷静に分析をしてみると、その一種狂気じみた正義感が浮き彫りになってきます。

一言で言うのならば、「悪い奴ではないんだけど、めんどくさい奴」といえるでしょう。ちょっとしたことにもギャーギャー騒ぎ立てて、自分の考えを押し通さなければ気が済まないタイプ。

これって、メロスを「良い人」と思っていたら、絶対に見えてこない観点です。おそらく、初読の時に抱いていた、正義感あふれる、道徳心溢れる姿は、遠い空の彼方でしょう。

その人物感が間違っていると言いたいわけではありません。それも一種のメロスの姿です。けれど、読解というのは様々な可能性を探る作業です。そうやっていろんな読み方や受け取り方を学びとっていく過程で、観察力や読解力は養われていく。

正しい、一つだけの答えがある数学とは違い、文章は様々な解釈が出来る自由度がある学問です。その可能性を閉じてしまい、たった一つの受け取り方のみを優先することは、人の想像力を奪ってしまうことと同義だと私は思っているので、こんなメロスの読み方もあるよと、提示してみたいと思います。

さて、条件は整いました。

明日は復路のメロスの走りっぷりではなく、歩きっぷりを解説します。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

続きはこちら

小説読解 太宰治「走れメロス」その6~復路のメロス 油断大敵の末路~

コメント

This site is protected by wp-copyrightpro.com

タイトルとURLをコピーしました