自己推薦文の書きかた

【自己推薦文とは】

高校受験・大学受験・就職試験。

自分の個性を発揮し、何故その学校、または会社に入りたいのかをアピールする、この文章。

けれど、学生の多くがこの自己推薦文の書き方を知りません。そして、誤解を恐れず言うのであるのならば、多くの学校の先生方も、この書き方を知らないのが現状です。

-「書き直し」と言うだけの指導-

何年も指導をしてきて、生徒たちから聞く言葉は、学校からの指導は「書き直し」「これでは駄目」という一言のみです。

不思議なのですが、「駄目」であることは、文章は誰にでも理解できる。けれども、どう直せばいいのかは、指導できる人はほんの一握りです。

どう書けばいいのか。

どうすれば、相手の心に響く文が書けるのか。

それには、自分の内観。自己の目標の再認識が、どうしても必要な作業となってきます。

-自己推薦文を書くメリット-

もちろん、受験や試験で必要とされるから、というのが自己推薦を書く理由でしょう。

文章を書くのは基本的に難しく、「何をどう書いていいのか分からない」「やり方を知らない」という問題は、想像する以上に困難なものです。

けれど、社会に出た後に必要とされる能力は、この「文章化」という能力であり、更に自己をアピールする力というのは、どんな時でも味方になってくれます。

けれど、指導をする人間はとっても少ない。

指導を受ける前と受けた後では、どう変わっているのか。

実際に大学に合格した生徒たちの推薦文の変化。そして、印象を是非読みとってください。

同じ生徒が書いたもので、私は、一切書いていません。

代筆は請け負っていませんし、自分で書くつもりがない生徒の指導は、お断りさせていただきます。あくまで、書くのは貴方です。

同じ人間から出た文章でも、指導を受ける前と後ではどれだけ違うのか。

是非、一読してみてください。

同じ道でもこれだけ違う……

【実例その1 国立大学 医学部合格 推薦書】

-指導前-

志望動機

私が貴学を志望する理由は、地元にある国立大学であり、地元で医師を目指したいからです。

私は地方に密着した医療に大変強い興味を抱いています。貴学が開催されたオープンキャンパスで受講した地域密着型の医療体制の講義に深く興味を抱き、自分の望む勉強が受けられると思い、入学を強く望みました。

私は高校生活で運動部に所属し、医師に必要な強い体と体力を持っています。更に、チームワークの必要なスポーツをすることで、幅広い人数とのコミュニケーションを取れる、コミュニケーション能力を育ててきました。

大学では付属病院での臨床実習などでもこのコミュニケーション力を発揮し、積極的に臨床の現場での連携や意見交換をスムーズに行い、医師として必要な能力を得ていきたいと思います。

私はこれからの地域医療に必要な人材として情熱を持ち、自ら学ぶ意欲を持っていますし、貴学が必要とする学生として相応しい能力を保持しているので、○○大学に入学を希望します。

-何が悪いのか-

まず、この文章を読んだ時、貴方はどんな人間が見えてくるでしょうか。

この文を持ってきた時は、既に学校の先生に三度、指導を受けた後でした。(ちなみに、県No.1の有名進学校です)

字数が埋まらない。駄目だと突き返される。どう書いていいのか、本当に分からない。

そう、困り果てた顔をしていたのを、今でも覚えています。

・医療に強い興味がある。
・コミュニケーション能力がある。
・体力がある。
・情熱を持っている。

この自己推薦文を要約すると、この四点しか入っていません。そして、自分にできる事を駄目な推薦書ほど強調します。まるで、それしか取りえがないように、出来る事を並びたてますが、それで人の心は動きません。

できる事を並べ立てても、何一つ伝わらないのです。

-具体的な指導-

ご両親も含め、面談を行いました。

そして、そもそも「何故、医者になろうと思ったのか」を、正直に。赤裸々に語ってもらいました。

その中で、

・職業的に、高い報酬が約束されているから。
・自分の能力を発揮したいから。
・お金持ちになりたいから。
・でも、人を助けたいと思う気持ちもちゃんとある。

なんていう、本音だだもれ。欲望まみれのことも、さらけ出してもらいました。そうしないと、人って本当に持っている感情なんか出てこないからです。

そうして、最初のきっかけは何だったのか。それを丁寧に探り出し、御両親からも、「そういえば、あの時にこんなこと言っていた」など、本人が思いだせなかったことも、情報として聞き出し、何故難関と呼ばれている医学部を目指したのか。どうして、きつい勉強を進学校で頑張れたのか。

その原動力を、見つけました。

後は簡単です。構成を作り直し、見せ方。書く順番を、決めました。

-指導後-

 

私が医師を志すきっかけは、祖母の存在である。

祖母は農作業中に左手を断裂し、今は義手で生活をしている。だが、祖母は健常者と変わらない生活をしているのだ。私にとっての日常は左手の無い祖母だった。だが小学校高学年になって、周囲の声により祖母が障碍者であることに気付かされた。

「何で手袋をしているの。」

私は祖母にそう問い掛けていたらしい。子供の残酷な質問に祖母は

「怪我をしたんだよ。」

と優しく答えてくれた。

祖母が人生の中でどれだけの痛みに耐え、苦労し、乗り越えてきたのか。その努力が想像できる今、私は祖母を人間として尊敬している。

体が不自由な人の生活がどれほど辛いか。楽になる為には何が必要なのか。常にその疑問があったため、将来、自分が選択する道として、医療しか選ぶことができなかった。

これからの日本では、体の不自由な高齢者が確実に増えてくる。そんな人々を助けられるような医師になることが、自分の目標であり、貴学で医療を学びたい理由である。

-同一人物でもこれだけ違う-

 

この文章を読んだ後、あなたはこれを書いた人物にどんな印象を抱くでしょうか。

ここには、個人が出来る事は何一つ書いてありません。

けれども、明確に伝わってくる何かがあります。

なによりも、この文章を書きあげた後。本人の勉強に向き合う態度が変わったと、御両親から連絡をいただきました。

それまでも決して努力していなかったわけではなかったのですが、目つきや態度が変わったと。

推薦文を書く過程で、どうして自分が医者を目指したのか。そのことを再認識し、再確認できたからなのでしょう。

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【実例その2 国立大学 文学部哲学科合格 推薦書】

-指導前-

私が○○大学を目指す理由は、フーコーの研究をなさっている助教授がいらっしゃるからだ。

以前、フーコーの『言葉と物』を読んだことがある。19世紀に「人間」という概念が誕生したというフーコーの主張には驚愕した。

さらにフーコーの研究を進め、この痛快な感動を味わいたいため、その助教授から是非教えていただきたい。

私が哲学を好きになったきっかけは、子供の頃に観た映画で「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉に出会ったことにある。当時幼かった私は母に例の言葉の意味を教えてもらった。

母は私にこう言った。「あなたは健康な体をもっている。それだけで大いなる力があるの。だから、世の中の人の役に立つような人になりなさい。」と。

それ以来、母の言葉を胸に誰かの役に立とうと頑張ってきた。例えば、中学の時に生徒会長を務めたこともそうだ。

しかし、ある日例の言葉に不信感を抱いた。

それは高校生のある日、「ノブレス・オブリージュ」という言葉を知ったからだ。この言葉には、「大いなる責任が伴う」ことを強制しているように思えたのだ。「大いなる力には大いなる責任が伴う」幼い頃はただかっこよく見えた言葉が視点を変えると少し歪んで見えたのだ。ここに、私は哲学の力を感じた。

思うに、哲学とは人の心の根底にあるものである。そして、私に新たな視点を与え、私にとっての世界をまるごとひっくり返す力が哲学にはあるのだ。

-何が悪いのか-

もともと文章を書くことが苦手であったことも原因なのですが、この文の問題点を挙げると

・趣旨が一貫していない。
・フーコーを勉強したいと言うことが、殆ど触れられていない。
・言葉の使い方が変。
・で、何が言いたいの? と読んだ人がなってしまう。

多くの自己推薦文を書く人の欠点が集約されているような文です。

どうしても、自分の願望を書かなければならない。自分を選んでもらわなければという気持ちが強いからなのでしょうが、目立つことを書こうとして、実は何一つ伝わらない、薄っぺらな文章を書いてしまう傾向があります。

そう。出来る事。やったことを書いても、何一つ伝わらない。もちろん、能力は大事です。けれど、資格や目立った経歴は内申書などでも書かれている事であり、推薦文で書くことは二重になります。

そして、不思議だと思うかもしれませんが、出来る事を書いても、読んだ人間は「へー、凄いね」で終わってしまうのです。

推薦書の第一の目的は、読んだ人に「これを書いた人間に会ってみたいな」と思わせることです。

特に文学部の推薦文なので、基本的に文系の文章を書くスキルが高い学生が集まっている中で、表現力のない子がどうやって文章で自分をアピールしていくのか。

それには、何故哲学を学ぶことに興味を持ち、目指したのかをストリーとして織り込む必要があります。

-具体的な指導-

哲学に何故惹かれたのか。

どうして、物事の本質を知りたいと願うのか。

とても思考的な対話ですが、何かを強烈に知りたい、学びたいと願うからには、その真逆の経験が何かしらあるはず、と思い、対話を続けました。

そして、指導の中で「人間」を知りたいと願ったその先に、本人が強烈に孤独を恐れている事。

そして、「何をやったとしても、何かが変わることなんかない」という、諦観を持っていたことを見つけました。

同時に、その諦めに屈したくない。何かしらの意味がある筈だと思いたい願望も存在しました。

そこを本人が気付くまで、何度も書いてもらいました。文章を書くことは、自分との対話です。何故そう思うのか。どうして、そう考えてしまうのか。

その原因は。切っ掛けは。

諦めずに、良く書いてくれたと思います。

-指導後-

なぜ哲学に惹かれたのか。

それは、私が孤独を恐れているからだ。だから、人の輪に入ろうと、常に努力している。

コミュニケーションを得意とするのも、孤独から逃れるための技術なのだと、高校生になり理解するようになった。

そんな中、現代文の授業で、他者の概念に触れることを学んだ。己の認識とは異なるものに触れることで、それまで見えなかったものが見えるように、感じた。

人が己の生き方を立証するには、先ず目の前の一人を納得させる必要があり、それが世界へと繋がっていくという内容は、たかが一人を説得して世界が変わるわけがないと、諦観にも似た意識を持っていた私を、惹きつけた。

自分の生きる意味とはなんだろうか。自分の存在の立証とは何をすればいいのだろうか。このようなことに思いを巡らし、没頭する時は、集中する心地よさを感じることができた。

先人たちの考えを新たに知れば、人間の意識をもっと理解できるのではないだろうか。この期待が私を哲学に引き寄せた。

いくらインターネットが進化しても、自分の謎を解き明かそうとしても、技術は答えてくれない。他者を、そして自分を知るには、自らと対話し、向き合っていくしか方法がないのだ。

フーコーの著作に出会ったのは高校2年生の時だったが、『言葉と物』において、人間の意味作用について書かれている部分に興味を持った。

が、学力不足のため全てを理解するのは困難だった。彼の思想が分かれば、もっと人を理解出来るような気がするのに、できない。何度読んでも解らないことが悔しかった。

だからこそ、大学でフーコーの研究をしたいと決意した。

多岐に渡る哲学の中でも、フーコーを専門に研究されている教授の許で学びたいと思い、貴学を志望した。

我々の最も身近にして最大の謎を抱える人間。

大学での学びを通して、他者の意識と、自分の存在意義を知る手掛かりが掴めたらと願う。

 -できる事ではなく、出来ない事も織り交ぜる-

フーコーの著書を読んでも解らなかった。理解できなかった。だから、大学で学びたいと思った。

人が学びたいと思う切っ掛けは、出来ない事をできるようになりたいという欲求です。

とても当たり前で、学校は学ぶための場所なのですから、入る前にできてしまったら、学校に行く必要など無いはずです。

けれど、多くの推薦文で見るのは、「できる事の羅列」であり、「できない事」を「できるようになる」為に、大学or高校で勉強したい、と書いてくる子は居ません。

できない事を書くなんて!! と大概顔色を変えます。

けれど、読み比べてみて、どうでしょうか。

出来ない。解らないことを書いた学生の文章と、出来る事ばかりを羅列した文章と。

貴方が会いたい学生は、どちらでしょうか。

 

【自己推薦文指導】

高校、大学受験。そして、就職試験での自己推薦文、志望動機書は、全ての試験に今後、必要になってくるでしょう。

私は一切、代筆は請け負っていません。

とくに、自己推薦文は、代筆を引き受けません。

何故なら、代筆で簡単に手に入れた文章は、何一つ貴方の意識を変えないからです。

試験に必要というだけでなく、苦労して書きあげる過程で、どうして自分が頑張っているのか。何故、自分がこの道を進みたいと思ったのか。その動機を、自分自身を再認識することになります。

1対1で、御本人が満足するまで、指導させていただきます。

詳細は、問い合わせからどうぞ。⇒お問い合わせ

(題名に「自己推薦書指導について」と書きこんで、お送りください。折り返し、詳細を送らせていただきます。)