こんにちは、文LABOです。
今回はいつもとは趣向を変えて、大河ドラマの解説です。
時代劇はもともと大好きで、よく大河ドラマは見ているのですが、2022年度のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はほんっっっっとうに面白くて、毎週、平家物語と玉葉と吾妻鏡と愚管抄を広げて、読みながら楽しんでおります。
なのですが、今回の24話。
後白河院の愛妾であった丹後局が、源頼朝の娘。大姫と北条政子との面会の名シーンがSNSなどで話題になっているのを見て、少し違和感を抱く部分がありましたので、歴史からではなく、古典を読んでいる人間の目から解説を少々付け加えたいと思います。
私自身、受験古典を中心に高校生、中学生に指導している身ですので、あくまで高校古典(現在は言語文化という教科名)で読む古文の文章から読み解ける、丹後局の厳しい言葉の裏にある事情を解説したいと思います。
丹後局の言葉の裏~心の深層~
平安時代のパワハラ? 丹後局の圧迫面接
「厚かましいにも程がある!!」
一喝、という言葉がまさに相応しい、丹後局の言葉。
そして、それを演じていらっしゃる鈴木京香さんの美しさに、ほれぼれしてしまう名シーンでしたが、見終わった後にSNSの感想を読んでいると「恐ろしい……」「大姫可哀そう……」「丹後局、厳しすぎないか?」「こんなの、心折れて当たり前だよ」「圧迫面接だよ」「パワハラだ……」etcetc…..
うん……そう感じても当たり前のシーンなのですが……そう思わせる三谷幸喜さんの脚本が素晴らしいのか、それを体現できる鈴木京香さんの演技力が素晴らしいのか。
実は、私はこのシーンを見た時に感じたのは、
「丹後局……なんて優しいんだろう」
という感想でした。
確かに恐怖を感じる鬼気迫るシーンでしたし、女の怖さ満載で、綺麗だからこその怖さであり、気位の高い貴族特有の高飛車な言葉の数々でもありましたが……それでも、宮中の真実を語る丹後局は「優しい」と言い表すに値する女性です。
別に擁護したいわけでもなんでもありません。
本当に優しいから、そう書きたいだけなのです。
逆に言うのならば、宮中はそれほど恐ろしい場所、ということです。魑魅魍魎が跋扈する、応天門をくぐった先はまさに異界であり、正しく「殿上」=雲の上の世界なのです。坂東の常識は一切通用しません。
そこに何も覚悟のないままに足を踏み入れたことが、そもそもの間違いであり、この入内騒動は、後世、源頼朝最大の失策であると言われています。
その理由を、高校古文から読み解きます。
平安時代の後宮の常識~殿上人だけが人である意味~
この時代、都以外の場所で生まれた女性は、京。特に宮中で生活している人間からは、人ではありません。動物ですらありません。
日本には奴隷が存在しなかったと言われていますが、宮中の人々からするとこの世は京の碁盤の目の中=洛中が全てであり、それ以外は意識の中にすらありません。
人の国よりおこせたる文の物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されどそれは、ゆかしきことどもをもかき集め、世にある事などをも聞けば、いとよし。(枕草子 第25段「すさまじきもの」より)
現代語訳:地方からよこした手紙で、贈り物が付いていないときは全くの興ざめである。地方の人も京からの手紙に贈り物がついていないのを興ざめに思っているだろうが、それは都の知りたいと思っているであろうことを書いてあり、知りたいことが知れるのだから、贈り物などなくとも大変すばらしいものだ。
はい……枕草子の有名な件ですが、田舎からは贈り物をちゃんとして来い。でも、都からの文は都の様々なことが知れるのだから、贈り物などついてなくともそれ以上の価値があるものだと思いなさい、という内容。
完全に、都>>>>>>>>>>田舎、の構図です。
同等の立場とは、一切思っていません。現代のスクールカーストとか、勝ち組負け組レベルの話ではありません。京から一度でも出た人は、「都落ち」レベルと見做されるわけです。
後白河院との間に皇女、覲子内親王を生んだ丹後局の最高位は、従二位。内大臣に相当する身分になります。分かりやすく言うと、後宮のトップです。賢い女性でなければ、後宮のトップにはいられません。さらに言うのならば、夫が亡くなり、後ろ盾などないに等しい状態で、美貌と己の才覚のみを武器にして後白河院の寵愛を勝ち取り、政治力も満載であった女性です。
出生は謎多き人ですが、明確な資料が残っていないということは、取るに足らない家の出身だったということです。同時にそれは、後宮の中での後ろ盾が全くない状態で生き抜き、動乱の時代の後宮のトップに立った女性である、ということです。
相当な努力家であり、宮中の光も闇も知り尽くしている女性であると伺えます。
もちろん、丹後局が後白河院の寵愛を得ることができたのは、平家による鳥羽殿への幽閉事件(治承三年の政変)が切っ掛けです。逆を言えば、そのような天変地異が起こらなければ、決して後白河院に近づけるチャンスなどなかったでしょう。院にとっては、この清盛による鳥羽殿幽閉は地獄の様な出来事でしょうが、丹後局にとっては、後白河院の寵愛を独り占めできる僥倖以外の何物でもなかったはずです。(なにせ幽閉されてますから、他に女性は近付けません。)
更に頼朝が源通親に賂(まいない)を贈っているシーンがありましたが、「これで上手くいく」と安心している頼朝に、「そんなわけあるか!!」と思ってしまいました。
枕草子で書いてあったように、田舎から都の貴族に贈り物があるのは、貴族たちからしてみれば『当たり前』なのです。やるなら、寺社仏閣の一つや二つを寄進するぐらいでなければ、無理です。(実際、平家はそれで出世しました)
まさしく、「厚かましいにも程がある」のです。
宮中のえぐい恐ろしさ
新参者に対する冷たい洗礼
宮に初めて参りたる頃、ものの恥ずかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ……(枕草子第177段「宮に初めて参りたる頃」より)
現代語訳:宮中に初めて参内し、仕事をし始めた時期は、何もかもが知らないことだらけで、恥ずかしい失敗を数多くしてしまい、泣きたくもないのに涙が落ちてしまいそうな状態だったので……
有名な、枕草子の一節です。
父は三十六歌仙に数えられた和歌の名手、清原元輔。ただし、父の任期に従って、周防の国に4歳まで過ごしていたためか、宮中に女房として仕えることになった当初、清少納言は酷くおびえていました。清少納言は性格的にきつく、なんでもはきはき物を言う、きっぱりとした印象が強い女性ですが、その彼女でも宮中で生活しようとすれば涙が流れそうになるくらい辛い生活なのです。
しかも召使いの女房レベルでこれです。
帝の寵愛を争う、中宮、女御、更衣、御息所レベルならば、どんな殺伐とした世界が待っているかは、想像したくありません……しかもこの時期、九条兼実の娘が後鳥羽天皇の中宮として立后している状態です。大姫の付け入る隙は全くと言っていいほど、ないわけです。
そこに入内しようというのですから、生半可な覚悟ではそもそも耐えられないでしょうし、帝のお渡り(帝が大姫の部屋を訪ねにくる)など、ありえません。
仮に入内できたとして~予想できる大姫の未来像~
帝の仕事は、跡継ぎをつくることと、平穏無事に次代に政(まつりごと)をつないでいくことです。なので、後宮内では、皆が認める姫君のところにだけに通うのが定番です。
わざわざ波風を立てそうな相手の所に行くはずがありません。あっても気まぐれの一度か二度が精々です。(それでも、あるかどうかははっきりと確約されているわけではありません。運次第です)
なので、大姫にとって入内するということは、熾烈な女性たちからのいじめに耐え抜き、来るかどうかも分からない帝の気まぐれを何日も、何か月も、何十年もただひたすら「待つ」生活が予想されるわけです。
そして宮中で生き抜くためには必須になるのが”教養”です。
和歌が詠め、漢文を理解することができ、さらには琵琶か琴がプロ級に上手いことが求められます。
現代風にいうのならば、YOASOBIレベルの人気な曲を作って歌い、英語がペラペラで、さらにはピアノかヴァイオリンがプロ級で上手い、というレベルです。
源氏物語を楽しんで読んでいるレベルは、当たり前すぎて丹後局にそれこそ鼻で笑われます。何を当然のことをさも自慢げに言うのかと、一蹴されるでしょう。
現代風にいうのなら、「大河ドラマを楽しんで見ているから、私には歴史の教養があります」と自慢げに言っているぐらいだと思ってください。
そんな相手のところに、後鳥羽帝が通う必要などありえません。
入内しても、来ない帝をただひたすら待って、待って、待ち続ける日々が、未来として予想できます。
娘を入内させることの意味~母・政子に課せられた仕事~
父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方々にもいたう劣らず、何事の儀式をももてなし給ひけれど~(源氏物語『桐壺』より)
現代語訳:桐壺の更衣の父である大納言は亡くなって、母親である北の方は旧家の生まれであったので、教養が深く、娘である桐壺の更衣に色々と教えなさっていたので、両親が揃っている世間の評判が華やかな姫君たちと比べても、教養深さでは見劣りすることなどなく、どのような儀式の際にも相応しい振る舞いをなさっていらっしゃいましたが~
源氏物語の冒頭、桐壺のワンシーンです。
貴族世界、特に宮中では、子どもの出世は「誰の息子であるか」ではなく、「母親が誰であるか」で決定していました。
なぜならば、後宮は帝の子息を育てる場所です。なので、父親の血筋の高さが決まっているのならば、違いはどこから来るのでしょうか。
そう。母親の身分です。
そして、入内をすれば終わりではありません。
宮中は一年中目まぐるしく行事が行われている場所です。その全てに歴史があり、格式があり、決まり事や常識が事細かく設定されています。してはならないことも多く、入内する姫君たちはそれこそ生まれた瞬間からそれを徹底的に叩き込まれます。更には、儀式を執り行う際の調度品や着物の種類に至るまで、全て実家が用意するのです。
つまり、大姫が仮に入内をするのならば、頼朝の娘としてではなく、北条家の娘として入内するわけです。身分など、殆どありません。
更に宮中で生き抜くために、政子自身が宮中行事に精通し、大姫が困らないように全て準備立てる必要があります。
もちろん、知識、教養を持ち、さらには帝(=後鳥羽帝)の好み、センスにぴったりな物を取りそろえる必要があります。
おそらく政子が起こした「後妻討ち」は都でも噂になっていたことでしょう。後継者を育てるために、側室を持つことが当たり前の都文化の中で、たかが一人の側室を持つことすら許せずに館ごと焼いた政子の恐妻ぶりは、丹後局からすれば、会う事すら馬鹿らしい相手なのではないでしょうか。
その政子に育てられた大姫など、入内を望むことすら「厚かましい」わけです。
今様を好んだ後白河院に気に入られるために、丹後局も必死になって和歌を勉強したはずです。中世屈指の歌人であり、新古今和歌集を勅撰した後鳥羽帝に気に入られる和歌の才能を、大姫が持っていたor政子が教えることができたとは、到底思えません。
更には、後宮は女御ごとに一種のサロンのような華やかな交流場所を女房たちに提供しなければなりません。
中宮定子が清少納言をサロンに抱え、中宮彰子は紫式部・和泉式部をサロンに抱えました。帝を楽しませるために、才女を召使として抱えたわけです。もちろん、入内すれば自動的にそんな人たちが来てくれるわけではありません。貴族の女性たちの中から有望株をスカウトしてくるわけです。
そんな人脈、政子にあるでしょうか。
だからこそ、丹後局の協力が必須だったわけですが、その教えを請わなければならない相手に、とてつもない無礼をあの二人は働いてしまったわけです。ああ、恐ろしい……
政子・大姫がしてしまった失態3つ
10話で、政子がりくの兄。牧宗親から礼儀作法を教わるシーンがありましたが、御簾の内側からの物でしたので、おそらくあれは、政子が身分が上であり、下の者と面会するシーンの礼儀を教えられたのだろうと推測しています。(間違っていたら、すみません……汗)
けれども、鎌倉中の女性たちの中で一番上の身分に立ったわけですから、自分よりも上がいない状況で政子は過ごしてきているわけです。
その政子が、初めてと言っていいぐらいに、圧倒的な身分差がある女性と対面するわけですから、失態を犯すんだろうなと思っていたら、やはりそうだったのか……と思わずにはいられません。それがさらりと、嫌味なく演出に組み込まれているのがやはり素晴らしい。
史実を振り返ってみると、24話のあの対面シーンは、丹後局が頼朝の滞在場所・六波羅亭へと赴いています。
これは恐らく身分のない政子や大姫を朝廷に入れるわけにはいかないので仕方のないことだと思われますが、身分が上の人間が、下の身分の家を訪れるのは、滅多にないほどの幸運です。それこそ、帝のお出かけが「行幸」(ゆく先々に幸福を与えるほどの素晴らしいこと)という名前がついているほどの事です。
なのに……
政子「今日は帝にお会いできるのですか?」
というセリフ……
政子がいかに京の事情に明るくないか。無知であるかを、この一言で見事に表しています。
帝が行幸するのならば、女主人である政子が用意しなければならないことは山のようにあるはずなのに、それすら思考がいっていない。帝のお出ましを通常の状態で待つことなど許されない常識が、政子には何も備わっていないことが、分かります。
そして何より恐ろしいのが、その自身の無知さの程度を、政子が解っていないことです。
失態その1 勝手に顔を上げている
大河ドラマは、特に朝廷のシーンにおいて、所作指導が毎回入るほどに、立ち居振る舞いに細かな設定が成されています。
その時代時代によって微妙に振る舞いは変化しますが、今回の「鎌倉殿の13人」に於いても、鎌倉勢が後白河法皇に謁見するシーンでは、声をかけられても顔を上げてはおりません。
ほとんどの鎌倉勢が顔を下げたまま返事をしています。
顔を上げて会話できるのは、対等な立場の人間のみです。
ですが……
政子と大姫は、丹後局が声を発する前に顔を上げています。
これだけで、丹後局としては「馬鹿にしているのか」と思っても仕方がないわけです。
失態その2 丹後局が名前を呼ぶor話しかける前に声を発している
更には、違うシーンで確認をしてほしいのですが、北条家の人間(時政・義時)が後白河法皇に対面している箇所では、上の身分の人間が名を呼んだ後、発言をしています。
更に身分が下の人間は、上から許されて、初めて発言できるわけです。
この場合、丹後局➡大姫➡政子と身分が下がります。
ですが、丹後局が話しかけている大姫が受け応えるのは、まだぎりぎりOK(名を呼ばれてないので、危ういと言えば危ういのですが、そこは若輩ということで思わず受け応えてしまったと取れば、まだなんとか……)ですが、政子は完全にアウトです。一発アウト。
丹後局からしてみれば、懇意にしている(政治的に懇意にせざるを得ない)頼朝の娘だから、大姫に会うのです。伊豆の名もない一族である北条家の娘。政子には、会う価値など一ミリたりともあるはずがありません。頼朝の妻であることは、政子自身の身分を上げることには何もならないのです。寵愛がなくなれば、そんなものは風前の灯。頼家が家督を継いで、初めて政子の身分が確定する世界です。
なので、この時点で、政子の立場は吹けば飛ぶレベルですらなく、庭に転がっている石同然の存在です。
声を発することはおろか、許しなく、顔を上げることすら無礼です。
失態その3 視線を合わせて話している
平安時代、貴人の姿を垣間見ることは大変無礼なことでした。特に女性たちの世界では、その姿を見せることは最も恥ずべきことであり、指先すら見せず、己の身体で見せるのは衣とその長い黒髪のみ、という徹底ぶりです。
なので、自身よりも身分が上の存在の人と、目線を合わすことは絶対に避けなければならないことでした。
直視などとんでもなく、うちとけた間柄ならまだしも、初対面でしていいはずがありません。
無論ドラマは作りごとの世界観です。現代のドラマでそんなルールを適用してはまだるっこしくて仕方がないので、省略しても当たり前です。
けれども、他のシーンではその礼儀が徹底して守られているのに、この政子との対面シーンだけは違っていました。
本来、礼を尽くさなければならない立場の政子が、丹後局の身分を無理やり対等に引きずりおろしているにも等しい、とてつもない無礼な行為です。この時点で丹後局は何も語らずに帰っても良いぐらいです。
対面して、おそらく秒数的に30秒ぐらいでしょうか。
立て続けにやらかしてしまった政子。けれど、それに政子自身が全く気づいておらず、入内が決まったかのような口ぶりで、丹後局が色々と便宜を図ってくれるものと信じ切って、語っております。
恐ろしくて、言葉が出ません。
今までもちょくちょく政子の無能ぶり、無教養ぶり(和泉式部の和歌が理解できない、文書を読んでいないetc….)が出てきていましたが、このシーンは流石に恐ろしいと感じてしまいました。無知の、恐ろしさです。
丹後局が見せた優しさ
「まぁ、お美しい姫君」
最初に口を開いた時、まず丹後局は大姫を褒めました。
これは、京のルールをどれだけ解っているかのテストのようなものでしょう。
褒められたら警戒しろという合図
枕草子には、幾度となく「和歌が褒められるが苦痛でならない」と清少納言がぼやいている記述が見えます。
これは謙遜でもなんでもなく、京で、宮中で評判になる=目立つ=敵が多くなる、ということです。
褒められて、「ありがとうございます」などと答えるのは愚の骨頂。相手を怒らせたのだと恐縮するのが、筋です。
更には、入内のする年齢も大姫の年齢から考えて、遅すぎます。普通なら、10歳~12歳で入内の申し入れがあるのが筋。大姫は18歳。京の常識からすれば、適齢期を過ぎています。「姫君」と呼ばれるには、育ちすぎているのです。
それに全く気が付いていない大姫の表情に、何も知らないのだと丹後局が失望しても、当然と言うより他に言いようがありません。傷つくことすら、お門違いです。
東夷と同じ目線で叱ってくれる
「貴女はただの東夷」
そう言いながらも、上座から丹後局は下りています。
しかも、政子と同じ目線にしっかりと降りて、対等の立場で叱ってくれています。
政子を叱るべき対等の存在として扱っている、確かな証です。
それは源頼朝という権力者の寵愛を受けている政子の姿が、後白河法皇の寵愛を受け、おそらく数多の失態を犯してきたであろう昔の無知な自身の姿と重なったからではないでしょうか。
権力者の寵愛を受けるということが、どういうことなのか。ただ、笑って耐えるだけでは何もならない。貴女は学ぶべきものを学んでいない。交渉など程遠く、対面すらまともにこなせない。
正しく、無知な「東夷」なのだと自覚しなければ、何も学べない。
そう言っているように、私には聞こえました。
「そなたにその覚悟がおありか」
そう問いかけるということは、政子に「覚悟しなさい」と忠告しているようにしか思えません。
入内云々だけではなく、今後、京と鎌倉は関わり続けていきます。その中で、裏工作や女性同士の後宮のいざこざも増えていくでしょう。その一切を執り仕切る責任が、政子の肩にかかってくるわけです。
無知なままでは、いられません。それを初めて、鎌倉のぬるま湯で育ってきた政子に教えているわけです。そんな義理などなく、無礼をし、その無礼に何も気が付いてない相手に、覚悟を持って学べと伝えているわけです。
服の色や袴の意味など、細かな部分もありますが、有職装束を調べてみても明確なNGと断言できる部分が見つからなかったので、衣については明言を避けたいと思います。
けれど、丹後局の言葉を信じるのならば、おそらく京のはやりからズレた、流行おくれの衣か、色合わせが季節に合ってなかったか、朝廷で会っているわけもないのに、赤袴をはいていたのが無礼だったのか……
様々な理由が考えられますが、ぜひ美しい絢爛豪華な世界の裏側に何があったのか。それに思いを馳せていただけたら嬉しいです。
ただ「恐ろしい」だけではない、素晴らしい名シーンの楽しみ方のひとつになれば、幸いです。
でも、鈴木京香さん。ほんっっっとうに美しかった。本当に素晴らしかった。それに尽きます。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。
あー、来週も楽しみ!!
(ただの大河ドラマファンのたわごとにお付き合いいただき、ありがとうございました。)
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