誰が読むんだ、根暗シリーズ第三段。こんにちは、文LABOの松村瞳です。
さて、昨日の続きです。
【無能宣告の辛さ】
高校時代、嫌な数学から逃げまくってた過去を昨日晒したわけですが、生徒にもこれは話しています。だから、それを教訓にして数学は頑張ってねと伝えていたのですが、薄々気が付いては、いたんです。説得力ないなって。何の慰めにも参考にもならないし、数学やろうっていう気になれないよなって。
そんな時。テレビから流れてきた、某有名予備校講師の言葉に、ぐさっっ!! と胸のど真ん中をいっっったい矢で射抜かれました。漫画的な表現をするなら、「む」と「の」と「う」ってでかでかと書かれた吹き出しが、自分の胸と頭にさっくり刺さっている気分で、テレビの前で項垂れて。
「そうか……無能か……」
そりゃ、薄々解ってましたけど、はっきり言われるときついことこの上ない。でも、だったら今更やるのは遅すぎるだろうと思いながらも、数日頭の中をその言葉がぐるぐるぐるぐる。
何度も自問自答しました。そんな別に今更やっても、意味ないんじゃ? 生徒は居るんだし、そこまで無理しなくてもいいし、本来専門外だし。数学指導するつもりはないし(今後も予定はありません)、生徒も多分期待していないだろうし。
でもさぁ。
そこで、今まで自分がどうやって生徒を励ましてきたのか。それが頭の中に蘇る。
「何で一度や二度失敗しただけで、諦めるの。自分の理解が追いついてないって、せっかく解ったのに!」
うっ……
「嫌なことから逃げてもいいよ。でも、きっとどこかで。自分の一番向かい合いたくない場面で、その嫌な事に直面するからね」
ううっっ……
「取り合えずやるだけやってみなよ。駄目なら、また違う方法を考えれば良い」
うううっっ……
「やるだけやって、玉砕するのが怖いだけでしょう? 単に」
ううううううっっ……
はい。全部、受験で諦めかけそうになっていた子達に、かけてきた私の言葉です。
自分が嫌なことから逃げて、生徒に向き合えるの?
いくらもう試験を受ける必要性が無いことでも、論理的な思考を手に入れる為に数学的な考え方が必要だってのは、解ってるでしょう?
読書しない子供が多いのは、読書する姿を周りの大人が見せてないから。それを何度もお父さんやお母さんに話している私が、数学をやらないで、生徒達に「数学、頑張れ」なんて言って、説得力あるのか?
大丈夫。解らないなら、これから解ればいいだけなんだからと、数学から逃げてる私が生徒に言えるのか?
「僕、数学出来ない国語教師、大っ嫌いなんですよね。無能だから。そんな人間に教えられている、生徒が可哀想です」
ううううっっ…………
溜め息吐いて、自分には無理だったんだからと諦めることも出来たんですが、底辺には底辺の意地があると言うか、やっぱり負けず嫌いは変わらないというか。
「解ったよっ!! やればいいんでしょっ!! やればっっ!!」
と半ばキレ気味でやるのを決心したのが、今年の三月頭くらいでしょうか。
でも、がむしゃらにやっても成果は上がらないってことも、同時に解っていたので、今度は冷静に。戦略を立ててやり直してみることにしました。
【指導経験が、数学克服のヒントに】
大概、国語の塾に来て授業を受ける子で、国語が得意な子はいません。得意な子は、そもそも来ない。だから、必然的に読めない子。理解出来ない子を中心に教えてきたのですが、そこで学んだのは、闇雲に量だけやらせても、決して読めるようには成らないと言う事。
大量にテキストをこなすことで、培われるものも確かにあります。記憶力や、問題の傾向。解き方。様々な物を子供たちは吸収していきます。けれど、それで点数が一時的にあがったとしても、結果として問題のレベルが跳ね上がれば、結局点は下がっていく。
量をこなす、と言う事は、テキストをある程度覚えてしまう事と同義です。無意識に、多分ここら辺だろうと、良く考えもせずに答を書き、それが習慣となってしまい、考えることを放棄して、ただ処理をするだけになってしまった生徒は、高校生になって何一つ文章の書けない人間に成長していきます。何か自分の意見を書け、と問い掛けると、彼らがまずやることは本文の中にそれらしい記述を探すことです。それを写すことに慣れきっていて、理解しているかどうかを問いかけると、殆どの子が応えられない。
それが、何故おこるのか。
理解することでは無く、点を取ること。偏差値を上げることに、意識が集中してしまい、それを達成するために短距離で目的を達したい、という欲望が働くから、余計なことはしたくないのです。時間は限られているし、成果は欲しい。だから、理解という無駄を省く。量をやらせればやらせるほど、そうなっていきます。
けれど、その当たり前の欲望が、自分の能力を下落させていく一番の原因になるという皮肉。
指導していると、本当にそれを感じていました。
【質が悪いものに時間をかけても、成果はゼロどころか、マイナスになる】
国語だと、本当に良く解ります。
そんな小手先だけのテクニックでどうにかなる様な難しさでは無い。量をこなすのは、解ってからの方が絶対に良いから、今はきちんと理解出来るまで、粘れ。本当に理解できているっていうレベルは、こういう事だからと、記憶することを一切排して、内容理解に時間をかけます。そうすると、問題が解けるようになってくる。
接続詞や漢字は、その過程で必要な便利なものだから、理解に必要だと納得すれば、脳は勝手に覚えてくれます。読解をして覚え、身に付けるよりも、言葉の感覚は自分で実際に文章を書いて身に付けることが、一番面倒ですが、能力を跳ね上げるには一番早道です。
この一番面倒なこと。一見遠回りに見えることが、実は一番の近道だということを、生徒に教えられていました。
本当の能力を手にするには、じっくり日々の勉強の質を上げていくしかない。
出来ない生徒とずっと向き合ってきたからこそ、別人みたいに点を取り続けていく子達が、辛い時期にどのように考え、どのようにやれば点を上げていったのかを、現実に見てきています。ただ、むしゃらにやっても無理。一見、努力を積み重ねれば成果が出ると思いがちですが、むしろ最も遠いやり方なのかもしれません。
成果を上げる最短の道は、成果を上げている人達のやり方を学び、盗むことです。勿論、全てを真似る必要はない。自分の状況や環境に照らし合わせて、工夫をすることが何よりも大事。
興味の無い分野から責めたって、そんなの理解しろって方が無理です。
一つでも、解るものを増やしていくのが先決。それが一番の近道。
だったら、今の私に出来ることは何なのかと、考えました。
高校の様に、ただ教科書や問題集を闇雲にやり続けることが、成果を出す方法とは、どうしても今の私には思えなかったんです。
だって、高校時代。時間はかけた。やるだけはやった。でも、一向に解らなかった過去がある。量をやっても無駄だと本当に思えたのは、少なくとも必死に頑張って、努力したけれど、きれいさっぱり玉砕した過去があったからです。
【自分に出来ることを探す】
で、冷静になって考えてみました。今の自分に出来ることはなんだろう、と。
数学を出来るようになる、というよりは、苦手な物を克服するために、利用できる自分のスキルは何があるのか、を冷静に、客観的に考えてみたら、少なくとも人よりも得意だと胸を張れるものは、読書量の多さと読解能力ぐらいしかありませんでした。
なので、その利点を最大限に生かして、足を向けた先は、本屋さん。そこで、兎に角「数学克服」だの「文系の為の数学」「解りやすい」「超簡単」とか、気になるタイトルの数学指南書を片っ端から読みました。
ええ、「文章で」説明している数学の本を、読み漁ったんです。立ち読みも含めれば、30冊ぐらい読みました。その中で、実際に買ったのは、10冊。
二万円程度の費用で長年の悩みだった数学を克服できるなら、安いものです。本は財産になりますし。自分に合わなくても、合う生徒にプレゼントすればいいだけなので、直観で良いなと思った文体の本を、買いました。
そして、熟読した中で、ヒットしたものがあったんです。
続きは、また明日。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
続きはこちら
数学のススメ ~数学偏差値学年最下位だった私が、高等数学をやり直したわけ その4~
数学のススメ ~数学偏差値学年最下位だった私が、高等数学をやり直したわけ その5~
数学のススメ ~数学偏差値学年最下位だった私が、高等数学をやり直したわけ その6~
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