4/12 平家物語1-4 「禿童」 有名な「平家にあらずんば……」の登場シーン

オンライン授業用

「平家にあらずんば、人にあらず」

 

有名過ぎるほどに有名な、このセリフ。

しかし、

「歴史上の評価はあくまで後世の人々の評価であり、大衆は真実よりも、より歴史『らしい』記述やエピソードを好み、それを真実だと思い込む」

という、歴史を勉強するときのお決まりのフレーズがあるように、いくら有名だからと言っても、それが真実であるとは限りません。

 

平家物語もそれに漏れず、実はこのセリフは清盛が発したセリフではなく、奥さん時子さんの弟。平時平が述べた言葉でした。

ちなみにこの時平さん。

平家の中でも、清盛を筆頭とした平家を、『武家平氏』

そして、この時平さんの家系である葛原親王系の平氏を『貴族平氏』と呼んでいました。

それからも、忠盛・清盛の親子は、平氏の中でも下の方から這い上がってきて、一族の中でも下に見られていたことが伺えます。それを一気にごぼう抜きしていくんですね。

 

そして、この問題のセリフの元ネタ。

「人非人」=仏教語で八部衆(天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽)

指す言葉であり、武芸の者たちを意味します。

仏教世界の中でも、下っ端の扱いを受ける軍神たちなので(人気はこちらの方が高い気がしますが……)、平氏の栄華期においての、他の貴族たちをこう位置づけたセリフ、という意味合いだったのではないか、と言われております。

 

「人ではない」という意味合いではありませんが、幾ら弱体化しているとはいえ、朝廷において協力関係を仰がなければならない貴族勢力に対して、「お前らは下っ端」という言葉を言うことがどれほどの影響を与えるのか。

それを想像できなかった時点で、もう平家の滅亡は見えていたのかもしれません。

 

味方にして役に立つ存在は稀有ですが、どれほどの無能であったとしても、敵になると厄介な人物たちはごろごろいます。

その存在を侮ったことが、平氏の崩壊の始まりなのかもしれませんね。

 

 

1-4 禿童

(欠けていた文章の部分を足したPDFです)

 

1-4 禿童 授業後

(授業画像です)

 

ミスをしてしまい、画像が二つになってしまうのですが、現代語訳お待ちしております。

コメント

  1. YUKOTOSHIDA より:

    一の四 禿童

    このように、清盛は仁安三年十一月十一日な、五十一歳で病に冒され、すぐに出家して仏門に入りました。
    法名を「浄海」と名乗られました。
    そのおかげでしょうか、病はたちどころに治り、長生きすることができました。
    人々が服従する様子はまるで草木が風に靡くようでした。全ての人々が望むことなど清盛にとっては叶えることは容易いことで、まるで慈雨が国土を潤すかのようでした。
    「六波羅殿の御一家の君達」と名乗ろうものならば、貴族も武家の名だたる名家をも対等に肩を並べ、君達に面と向かって対抗するものなどいませんでした。

    入道相国の義理の弟である平大納言時忠卿が仰ったことには、 

    「この平家一門でないものは、八部衆のようなみ仏の世界で言えば下位の者であり、人でいえば道に外れたことをするような者だ。」
    とおっしゃったのでした。

    そういうことなので、人々は「なんとかしてこの平家一門に縁を結びたい。」と動きました。衣の指貫の着方から始まって、烏帽子の折り方に至るまで、「六波羅系」とさえ言っていれば流行の風俗になったので、天下の全ての人々は皆これを真似たのでした。

    どのように賢明な王や神聖な王の政治であっても、摂政関白のご処置であっても、世間の持て余し者、逸れ者達が、気に入らないことに誹謗中傷するのは常によくあることなのですが、入道相国が率いるこの平家一門が世の絶頂期には、少しも揺らぐ事なく、誹謗中傷する者もいませんでした。
    というのも、入道相国が十四歳から十六歳ぐらいまでの少年達を三百人ほど集めて、髪をおかっぱ頭にして赤い直垂を着せて召し使い、京都中をあちこち歩き回らせること計画し実行しました。
    平家の悪口を言う者がいてそれを禿の一人が聞きつければ、当然すぐに他の三百人に情報を伝えて、禿達は悪口を言った者の家に押し入り、家財を取り上げて捕縛し、六波羅へ引っ立てました。口は災いの元、という事なので、目に見て心で感じたことでも、言葉に出して言うものはありませんでした。
    「六波羅殿の禿」とさえ言えば、道を過ぎる馬も車も、皆避けて先に通したのでした。
    「宮中に参上する時に通る禁門を出入りする時でさえ、禿達は姓名を尋ねられることはない。京都を守る衛兵も見て見ぬふりをしている。」と見えたのでした。

    ****************

    ワカメちゃんヘアで赤い着物の「平家少年隊」ですね。
    食べさせ養い親衛隊に仕立てて、出世の道を開く、という意味では救済措置。

    平家に関係ない人々にとっては目立つスパイ。

    頼朝に清盛ほどの周到さはなかったように思えます。

    こう読んでくると、来年の大河ドラマ[鎌倉殿の十三人]絡みで「吾妻鏡」も読みたくなってきました。

    • 文LABO 文LABO より:

      おしい!!
      有名な「平家にあらずんば~」の部分なのですが、
      いわゆる、仏=天皇、貴族たちの中でも、刑部(軍隊関係)を務める家々=八部衆という比較が当て嵌まり、
      「この家の一門に属していない人物は、帝に仕える門閥の中でも、下位の人々(道に外れた人々)であるなぁ」と言っただけなのです。
      全ての人を対象にしているのではなく、刑部の門閥の中でも、平家は別格で、それ以外は下位だと言っているだけなのですね。

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