「である」ことと「する」こと まとめ

「である」ことと「する」こと

こんにちは。

今日は、『「である」ことと「する」こと』のまとめです。

長々書いてありますが、必要なのは読んだ後に何を読んだのかをまとめられるかどうかです。難しい言葉でなく、分かりやすい自分の言葉で話せるかを、ポイントにまとめていきましょう。

もし、読んでいて、

これがわからん!

という人は、チャレンジで友達に説明してみてください。

 

人に説明することは、最高の現代文勉強法です。

政治を行う理想的な関り方とは。

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【「である」ことと「する」こと 全体まとめ】

-権利は保持されない-

評論文の基本の書き方に、常識を覆すパターンというものがあります。

常識的には、当然と考えているけれど実は違う。

というパターン。

センターも殆どコレです。

この、「であることとすること」で考えるのならば、冒頭は・・・

お金を人に貸したら、「返してくれ!」って言わなくても、勝手に返してもらえると思い込んでませんか?それ、違いますよ!権利は、ほっといたら無くなっちゃうものなんだよ!権利を保持するためには、「返してくれ!」って、言い続けないといけないんだよ!

というお話が冒頭部分です。

こういう、常識をひっくり返す評論文はとても多いので、1つのパターンだと思って、復習して下さい。センターも近いですし。

-近代の制度は行動によって保持される-

で、この権利を保持する法則は、近代政治の色んなところに適応できるし、色んな真理を表しています。

この近代政治の時代は、

権利を貰ったー!

って喜んでるだけでは駄目で、ちゃんと政治を監視し続け、自由であり続けるために努力していないと、気が付いたら取っていかれてしまうよ!と続きます。

行動が状態を保つ、と。

この冒頭のまとめは、最後の部分とも繋がってきます。

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-である論理とは-

である、と言うことは、身分制や全時代的な考え方とされがちですが、文化、文芸、学問まで話を広げると、あるだけで価値があるもの、と読み解けます。

存在することが価値であり、効率や合理的な考えとは程遠いものです。

けれど、このである論理が身分制度と結びついていることが、話をややこしくしています。

その身分・役職についていること=偉い。下の身分の人間に何をしてもいい、という封建社会の誤った価値観が身分制の崩壊した近代社会でも、のさばっていることに筆者は強い警戒心を抱いています。

居ますよね、先輩・上司ってだけで、何故か偉ぶる人。

それは勘違いだと筆者が50年以上も前に指摘してるんですが、今現在はどうでしょうか?

人間は、早々すぐには変われないってことを示しているようでもありますよね。

-する論理とは-

では、その身分制度のである論理に変わって、近代ではする論理。つまり、目的が明確で、その目的達成のために人が集まり、仕事をしたり、政治や経済を回していく考え方です。

グループの役割分担は、あくまでも目的の達成のためにそうしているわけで、上も下も本来はない。

だから、目的達成のグループを離れたら、その他の人間関係に影響がでる必要もないのですが、そうはいかないのが人間の脆いところです。

こうやってみると、人間は合理性とか効率性とかいう考え方からは、最も遠い存在なのかもしれませんね。

-価値の倒錯とは-

そんな2つの論理がごちゃ混ぜに混在した現在は、

目的重視の団体の中で、目的達成のために割り振った役割が、何故か身分制のような権威を持つようになってしまう。

逆に、

目的や成果や合理性とは程遠い分野。文化や学問、芸術などの分野や何故か休日まで例示に出てますが、あることに価値があり、存在に意義がある分野では、何故か成果を求めるような風潮になっている。

真逆なはずの「である」論理、「する」論理が互いに入れ替わるように、互いの悪い部分を付属させてしまっているような状態になっています。

存在することに価値がある、という例示で1番わかりやすいのが、家族・友達・恋人の存在。

何かをしてくれるから、好きになる、って訳でもなく、ただ何となく、好きだから。一緒に居たいなって思うし、会いたいなと何の根拠もなく思う相手って、居ると思います。

役に立つから一緒に居るとか、合理的だからとか、効率的に友達や恋人選んでるっていう人が居たら、ちょっと避けたいですよね。少なくとも、私は嫌だなぁ。

けど、何故かそれが横行している世の中になってしまっている。

それを筆者は何とかしたい。

この倒錯を元に戻したい。

-問題解決の鍵は十分な教養を持った人物の働きにかかっている-

そして、これらの問題を解決する手段として提示しているのが、

十分な教養を持った存在が、政治や制度の問題を確認し、監視をしたり、行動を起こすことによって、世の中が整っていくのではないか?

とまとめています。

教養を無駄な、非合理的なもの、と思うかもしれませんが、文化や学問、芸能の中には、人として学ばなければならない大事なことがたくさん溢れています。

それらの無駄とも言える教養を身につけた人間は、内省力があり、常識と道徳を十分に兼ね備えているので、政治を見る能力も長けている。

近代社会のシステムを過不足なく回すのならば、我々国民全員が、この教養を身に付ける必要性があるのではないかと。

そして、教養とは、自由や権利と同じように、教養を自分は身につけてない。だから、身に付けなければと、不断の行動をし続ける人が、教養性の高い状態を保てる。という冒頭の論理に繋げることが出来ます。

【まとめ】

難しい言葉で書いてありますが、分かってしまえば簡単。

でも、そこで油断をするのではなく、分かった!と思ったら、もう一度自分1人だけで読んで、きちんと頭の中で整理できるかどうかを試してみてください。

数学の文章題の計算過程を、説明されたとおり、そっくりに解くように、国語も同じです。演習がなにより大事。

理解し、再現できるかどうか、がテストで点を取る鍵になります。

もう一度、最初からゆっくり読んで、理解が繋がるかどうか。ぜひ、ためしてみてください。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 

参照⇒最初から読み直してみる

コメント

  1. たかよし より:

    めちゃめちゃ助かりました!
    自分が分からないと思っていた所が全部わかりやすく説明されていたので嬉しかったです^^*
    痒いところにも有り余るほど手が届いていたのでより理解を深めることが出来ました!
    模試の参考にさせていただきます、ありがとうございました!

    • 文LABO文LABO より:

      たかよしさん
      嬉しいコメントありがとうございます。
      助かったのなら、頑張って詳しく書いたかいがありました。模試、頑張ってください。応援してます。

  2. より:

    テスト当日の通学中に読ませていただきました。授業などで要点を抑えられず流れがいまいち不安でしたのでとても助かりました。ありがとうございました。

    • 文LABO文LABO より:

      たさん

      テスト、どうでしたか?
      こちらこそ、読んでくれてありがとう。現代文の勉強、頑張ってください。

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