こんにちは、文LABOの松村瞳です。
数学克服シリーズ第二段と勝手に名付けていますが、苦手な物を克服するって受験では本当に大切なことですし、これって人生全般にも言えることだと思うんですね。得意な事を伸ばせば良い、という意見も確かにあります。でも、苦手なことから逃げ続けることは不可能です。いつかは絶対に向き合わなきゃいけない時が来る。
なら、無理する必要はないけれど、克服方法を知っておくって、とっても大事なことだと思うんですよね。今現在、数学を毎日やり続けている身としては。
で、そんな私の姿を見ていた生徒達で、頑張ろうと思って実際に数学の成績が伸びた子達が居るので、同じように苦しんでいる子達が居るのならばと思って、恥を晒します(笑)高校時代の友人に「数学、やり直してみたんだ」と話すと、「えっっ? 熱でもあるの?」と真剣な顔して心配されるぐらいは、数学アレルギーでしたから。
現役時代の自分に会いに行けるのならば、その方法では絶対駄目だと伝えたい。でも、そんなことは出来ないから、今、現役で苦しんでいる生徒達に伝えたい。何かしらのヒントになれば、幸いです。
【毎日居残し 泣いてばかりの日々】
高校最初の中間テストから、本当に酷い点数の日々が続きました。続く期末では、人生初の赤点を取り、そこから、赤点を取り続けることになります。授業も必死に聞いているのに、全く駄目。最早、日本語を喋っているのかどうかすら解らなくなって、先生が本当に何を言っているのかも理解出来ず、更に馬鹿だと思われたくない、という下手なプライドが邪魔して、質問すらも出来ませんでした。きっとこんなことを聞いたら笑われる。皆は、絶対に自分よりも解っていると、勝手に一人で被害妄想にとらわれていて、自分の理解が追いついていないことを人に知られない様に。ばれない様に、息を顰めて過ごしていました。
でも、そうやって過ごしていても、毎日プリントを白紙で出すしか無く、書けてもほんの数行で止まってしまいます。数学の教科書は最早暗号だらけで、見るのも読むのも嫌いになっていきました。だって、読めば読むほど、自分の出来なさっぷりと直面しなければならなくて、それが嫌で解らない時に、悔しくて涙が流れたこともあったほどです。
中学校なら、解ったのに。授業を聞けば。解説を聞けば、解らないものなんて無かったのに。
そうやって、下唇を噛むことが多くなり、俯き加減で授業を受けていました。
多分、国語や日本史、英語の文系科目が無ければ、どうなっていたのかなと想像するとぞっとします。それ位、かなり追いつめられていました。成績取れなきゃ、生きている価値なんて無い、ぐらいには、追い詰められていたかなぁ。
【時間だけはかけた数学 一日平均五時間前後】
で、普通だと此処で多分勉強やめるのでしょうが、人一倍負けず嫌いだったことと、優秀な友人たち(現役東大合格組が居ました。当時、県のトップクラスです)に助けられて、何とか追いつこうと必死に勉強しました。年間で使ったノートは40冊以上。一日平均、多分五時間ぐらいは数学だけ勉強していたかな。平均睡眠時間は四時間を切っていたと思います。試験前も徹夜していました。効果とか、質とかを全く考え無い。取り敢えず、やっている、という実感が欲しくて、頑張り続けていた。けれど、それだけ時間をかけても、成績は一向に上がらず、解らず、授業は苦痛となり、どんどん周りとの差は開いていく。本当にこれは怖かったです。その怖さがあったから、無茶な時間も勉強し続けられたし、投げ出さずにすんだけど、でも、成果と言う面ではぼろ負けです。
優秀な友人達のおかげで、どうにかこうにか進級は出来たし、テストはボロボロながらも乗り切っていたけれど、数学は大っ嫌いに成りました。そして、大っ嫌いな物にずっと向き合っていなければならない勉強は、苦痛の時間になりました。
私にとって、勉強=数学=苦痛 ぐらいの方程式が出来上がるくらい、数学はとっても痛くて、辛いものでした。
【職員室で担任にぶちまけた、大爆笑の言い訳】
ただ、読書量とじみーに中学から毎朝聞いていたラジオ放送が利いたのか。(基礎英語と続基礎英語。そしてビジネス英会話のNHKラジオ放送番組 英語はこれを聞くことが習慣になっていました)国語と英語だけは点数が良かったので、担任に呼び出されたんですね。日本史・世界史は元々司馬遼太郎や大河ドラマが大好きだったこともあって、勉強というよりは教科書に「もっと詳しく書いてよ」って文句言っていたので、覚える、というよりは既に知っている物を書く感覚に近かった。理科は、これまた星座好きで選んだ地学だったんですけど、地層覚えるのは嫌いじゃなかった。知らないことを知ることが出来るのは、読書と一緒なので、苦痛では無く、私にとっては勉強では無かったんです。
だから、呼び出されました。もっと数学頑張れないかと。
他はそこそこ良いのに数学だけは地の底。
しかも、当時のクラス担任は、数学の先生だったのです。(先生、ほんとにご迷惑おかけしましたっ!!)
予備校のテスト偏差値の並び順って、大概主要三教科が先にきますよね。国語、数学、英語って順番で。
で、偏差値の折れ線グラフを見せられる。国語と英語に挟まれると、只でさえ悪い数学の偏差値が、もっと悪い様に見えてしまい、しょぼんとしていると……
先生「松村。あのな、この折れ線グラフ。鈍角とまでは言わん。せめて、この酷い鋭角を、直角にする気はないか?」
流石、数学の先生。上手い言い方するなぁ……と、しみじみ成績表見ながら思い、そりゃそうですよね。見事な超鋭角ですものね。尖った鉛筆の芯みたい。刺さったら、痛そう。とか、他人事のようにぼんやり眺める私。同時に、だって頑張ったってどうにもならないんだから、これ以上何を頑張れと? 時間、全部数学に使ってるし、やってもやっても解らないのに? 頑張って報われるんだったら、もうとっくに報われていいと思うんだけどっ……と、多少キレ気味に。
先生「あのな。お前、そんなに俺が嫌いか?」
泣きそうになっているのが解ったのか。ほとほと困り果てた先生が言った言葉に、ぶちっ、と何かが切れました。ええ、マジで。好きな先生だった分、物凄く腹が立ってきたんです。勿論、先生にではなく、この現実を跳ね返せない自分に腹が立っていた。
「先生……多分、私が数学を嫌いじゃないと思うんです。数学が私のこと、嫌いなんだと思うんです」
先生「はっ……?」
「だって、そうじゃないですかっ!! 毎日毎日、どんだけこっちが数学に時間かけてると思ってるんですかっ!! 昨日だってサクシードの問題やってたら、何時の間にか朝日昇ってて、それで解けるなら良いですけど、解けないんですよ? 何回やっても模範解答、浮かばないんです。覚えても全然無理でっ……こんなにこっちが頑張って必死になって解ろうと努力してるのに、あっちは知らんぷりじゃないですかっ!! 絶対私、数学に嫌われてると思うっ!!」
先生「…………」
呆けている数学の先生の後ろで聞いていた、他の先生が「ぶっ!!」と噴き出す声が聞こえて、笑うのを堪えてる姿が。こっちは必死なんだとよ、思わず睨みましたが、それが余計笑えるのか。うん、多分、今の自分が現役高校生だった自分の言い分を聞いたら、笑いしか出ないだろうなと思います。必死だったよね、ほんとに。
【そんなこんなでどうにか卒業】
大学受験って、何とか成るもんです。センター、数学がボロボロでも、国語で満点取れば、プラマイゼロ。本、読んできて良かったなと本気で思った瞬間でした。苦手なものを克服するより、思いっ切り得意分野で帳尻合わせをした。そんな数学に苦しんだ高校生活が終わり、大学受験が終わった瞬間に、全ての数学に関する参考書や問題集、教科書をきれいさっぱり捨てました。
もう、二度と私の人生に数学なんか必要ないっ!! と清々しい気分で。
あー、嫌な時間がこれで終わったとばかりに。二度と手に取るつもりなんか、ありませんでした。これ、本当です。はい。
【数学のない、平和な世界に入ったノイズ】
で、大学生になり、卒業すると本気で数学に触れる機会なんか、ありません。塾で働いた経験もあるので、数学の先生と話すこともあるのですが、基本専門分野以外ですし、授業や問題を見ても、懐かしいなぁ~ぐらいの感覚しかありませんでした。
でも、仕事をする上で、スキルの向上は必須です。色々指導法ややり方を勉強したり、書けない子や記述が上手くいかない子の指導法を工夫してみたりと思考錯誤するなかで、頑張っても頑張っても国語の成績が上がらない子に出会います。
そういう子に出会うと、あの時、数学で足掻いていた自分を思い出して、どうにかして点数が取れるようにと頑張るのですが、一向に点数が取れる様には成らない。他の子達がどんどんあがっていくなかで、もがき苦しむ子達の姿を見ていると、やっぱり自分の指導方法に欠点があるのだろうか。どうすればいいんだろうかと、悩んでいる時に、何気なく見ていたテレビから流れてくる言葉が、耳に飛び込んできました。
「僕、数学出来ない国語教師って、大っ嫌いなんですよね。無能だから」
ぐっっさっっ!!!
ピンポイントで人の胸を抉った言葉を放った人は、そう。某有名予備校現代文講師。林修先生の一言です。
続きはまた明日。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
続きはこちら
数学のススメ ~数学偏差値学年最下位だった私が、高等数学をやり直したわけ その3~
数学のススメ ~数学偏差値学年最下位だった私が、高等数学をやり直したわけ その4~
コメント