論語解説 「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし。」と。

論語

論語解説。

これも有名でありながら、ちょっと考えないと理解できない段。

分かってしまうととても簡単なので、訳だけでなく、孔子が言いたかったことを理解していきましょう。

1回理解すると頭から離れないのが論語の良いところです。最初が1番難しい。逆にそこさえ乗り越えてしまえば、あっさりと身に付いてしまうものです。

では、本文を読んでいきましょう。

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【本文】

~白文~

子曰、「学而不思則罔。思而不学則殆。」

~書き下し文~

子曰はく、「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆ふし。」と。

~訳文~

先生が言われた。「学ぶだけで考えなければ本当の理解には到達しない。それとは逆に、考えるだけで学ばなければ独断に陥る危険がある。」と。

~解説~

この訳文。

これを読むだけでも、「へぇ〜っ」って、何となく分かったような気になっちゃうので、つらっと読みがちですが、これ、要するにどんなことを言ってるの?と聞くとほとんどの子は答えられません。

訳文覚えるだけじゃ駄目なの?

と言われそうですが、別に覚えるだけでも基本は大丈夫です。けど、理解して納得すると覚えようと思わなくても、勝手に頭の中に入ってくれる。

それを狙ったほうが楽ですよね。

だから、そこを狙いましょう。

この場合、漢文で使用されている言葉の意味を正確に取ることが、とても重要になります。

〜「学ぶ」と「思う」の違い〜

言葉の些細な意味の違いって、なんでしょうか?

試しにちょっと考えてみてください。

学ぶって、どういうことなのか。

思うって、どういうことなのか。

しかも、日本語の意味ではなく、漢文。つまり、中国語の漢字の意味です。見た目同じでも、示す意味は微妙に違うんですね。

参考→ものとことば 解説その1

この場所で使われている意味は、

学ぶ=人から教わること。誰かに教えてもらうこと。

思う=自力で考えること。自分の意見を確立させること。

です。

と、なると、訳文の意味はどうなるのか。

人から学ぶばかりで、自分で考えようとしない状態が長く続くと、自力で答えを導き出す力が養われないので、物事の本質を見抜く力が身につかないよ。(本質を見抜く目が持てない=もう、目が見えない、見ているようで見えていない)

逆に

自力で考えるばかりで、人から教わらず、自分とちがう意見があることを取り入れようとしない人間は、考える思考の幅がとても狭くなり、自分の考えが全て正しいのだと思い込み、独善的になるので、危険である。

と、言っているわけです。

【罔しと殆し】

〜グラフ化してみる〜

昨日のエントリーと同じく、対比で2つの言葉が出てきた場合は、グラフ化をしてみましょう。

縦軸に学ぶ、学ばず

横軸に思ふ、思はず

そして、罔しと殆しのゾーンを作ってみる。

するとわかると思うのですが、綺麗に点対称の反対側に属するゾーンが色づけされます。

この、グラフ化してゾーン分けをして考えるやり方は、ぼんやりとしたものをはっきりと目に見える形で理解しやすくすることに、とても便利です。

それを言葉でスパンと言える孔子の頭の中ってどうなってたんでしょうね。凄いなぁ。

〜学ぶ>思ふ〜

学ぶほうが多い思考。

つまり、物を考えるときに人の意見ばかりを聞いているとどうなるのか。

自分の頭で考えようとせず、人の考えに依存するようになり、あの時あの人がああ言ったから大丈夫!と思って、自分で頑張ろうとしなくなる。

それって、どういう状態でしょうか?

人の言うことを聞いてばかり。

素直なことはとても良いことなのですが、けれどもそれが行き過ぎると自分の頭で考える努力をしなくなってしまいます。何故なら、自力で考えるって、とても面倒な事だから。

楽な方に流れてしまうのが、人間です。

でも、いつも誰かの考えや教えを大事にしていたらどうなるでしょうか?

それは人の考えに支配されてしまうことと同義語です。

他者に自分の考えと行動を支配されてしまう。それって、洗脳状態と同じことです。

誰かが言っていたから。現代風に言うのならば、テレビで言っていたから。ネットに書いてあったから。

それを自分で確かめもせず、調べもせず、鵜呑みにしてしまう。無条件にそれが正しいと思ってしまう。

それは考え方を人に明け渡していることと同じことになります。

どれだけそれが怖いことなのか。

そのことを孔子は罔し、という言葉で表現しています。

(そんな、人の意見に左右され、環境に影響されてばかりの人間がどういう末路になるのかを描いた小説解説。⇒小説読解 芥川龍之介「羅生門」その1~状況分析~)

〜思ふ>学ぶ〜

では、自力で考えることがいいんだと、自分1人で考えてばかりだとどうなってしまうのか。

人は、否定される事が嫌な動物です。

誰だって自分の考えを否定されたら、大なり小なり嫌な気分になります。それが、誰かの意見や本などから学んだことではなく、自力で考えた理論ならば尚更です。

けれど、そうなってくるとどうなってしまうのか。

人から学ばなくなるということは、人から間違いを指摘されたとしても、聞き入れられなくなるのです。

つまり、アドバイスをされても、それを受け入れられなくなる。

すると、人の意見に耳を貸せなくなります。自分の考えが1番正しく、自分が間違ったときもそれを認められなくなってくる。間違いを訂正出来なくなってくる。

そんな人の周りに、人は集まってくるでしょうか?

多分、集まってきませんよね。

だから、孤独になり、ますます人の意見が聞けなくなり、アドバイスを受け入れられないから自分の欠点などを治すきっかけを得られずに、独善的。自分の考えが1番正しいのだという意識が強くなっていく。

(↓自分が正しいと独善的になってしまった主人公が、虎になってしまった話)

 

だから、危険だと孔子は語っているのです。

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【教わることと考えることのバランスが大事】

孔子は理想的な人間として君子を挙げますが、これはバランスがとても良い人のことをいいます。

しっかりとした自分の意見を持ち、かつ、人の意見を聞く耳を持っている。

そして、よくよく考えて自分の意見が間違っているなと思ったら、訂正することを恐れず、むしろ向上のために広く周囲から意見を集めていく。

けれど、譲れない部分はしっかりと持っていて、自分の核。意見はきちんと持ち、ブレない。

学ぶときは人から大いに学び、かつ、自分の意見も大事にする。

この両立がバランスよくできる人が、君子ということになります。

さて、あなたはグラフではどの場所に居ますか?

洗脳されるゾーンでしょうか?

それとも、独裁者ゾーン?

君子ゾーンに既に居る!って人もいるかもしれませんね。

こんな風にグラフにすると、1発でよく分かる。

今の自分の考え方を振り返る言葉です。

学びて思はざれば、すなわち罔し。思ひて学ばざれば、すなわち殆し、と。

唱えながら、確認してみましょう。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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