こんにちは、文LABOの松村 瞳です。
何かを書かなければならない時。日記やSNS。ブログやLINEのちょっとしたメッセージ。お手紙やちょっとした家族や友達に対するカード。毎日の学校提出の日誌や、作文。宿題、etc….
日々の中で文章を書く機会はとても沢山溢れています。けれど、「さて書こう!!」とした時。ぴたっ! と一瞬立ち止まる時が、ありませんか?
やった! ネタが見つかった!取り敢えず書き終えてしまえば楽になるから、とにかく書いちゃえ!これだったら好きな事だし、書ける書ける!!
って、あれ?
これって、具体的にどう言えば良いんだったけ? そもそも、これって、何だったけ?
【書くという、産みの苦しみ】
-ゼロから1を創り出す-
調子良く書いていたのに、不意にぴたっ!! と止まってしまう。解っていたと思っていた筈なのに、書くとなると急に自分の知識に不安が出てきて、固まってしまう事。
経験ありませんか?
そこから、あーでもないこーでもないと考え続け(これが結構苦しいんですよね)書いては消し、消しては書いての繰り返し。最終的にはもう良いやっ!!で、超てきとうに仕上げてしまう。
何でもそうですが、何もないところに何か形を作り出すことは、苦しみを伴う作業なんですよね。
因みにこのサイト。この苦しみを楽しんじゃおう!! というのが、コンセプトです。
-インプットとアウトプット-
人間の知識を確定させるには、二つのやり方があります。
インプットとアウトプット。入力と出力。文章で言うのならば、入力は読書や人の話を聞いて理解することで、出力は書いたり、喋ったりすることです。
音楽で言うなら、聴いたり、楽譜を見たりするのが入力。歌を歌ったり、楽器を演奏したりするのが出力。
スポーツなら、観戦と実際に自分でやる。記憶なら、覚えることと確認のための小テスト。入力と出力は、様々なところでセットになっています。
-現代の子供達は、入力過多-
今の時代、知識の入力は様々な方法があります。テレビやネット。動画、新聞、本。そして、学校や塾の授業も、基本はこのインプットになります。特に国語は学年が上になればなるほど、このインプット形式のモノが多くなり、インプットとアウトプットのバランスが崩れていきます。
理解することは出来ても、それを出すことが出来ない。
なんとなーく雰囲気では解ってるんだよ。
書けないだけ、書けないだけ。内容は解ってるし。
(模範解答を見て)ああ、これ書こうと思ってたんだよ。
間違ったけど、大体内容は解ってんだから、
次は大丈夫、大丈夫。
この中のどれかひとつを、口にしたことはありませんか?
理解は出来る。けれども、人に上手く説明することは出来ない。話してみると伝わらなくてイライラするし、誤解される時もあるし、何で解らないんだよと、最後には諦めて、もういいよと、ポイッ。
申し訳ないですが……
それ、解っているうちに入りません。ただ、解ったフリをしているだけです。説明しても相手に伝わらないんだったらそれは相手が駄目なのではなく、あなたの説明が下手なのてす。あなたが理解できてる【つもり】になってるだけなんです。
-書くことは、同時に理解を深めることでもある-
『理解』って面白い言葉ですよね。解ってる、と解っていない、の間に、『なんとなく』という段階があって、しかもそれは他人から見てはっきりと形として見えるものではない。もしかしたら、自分がどのレベルで解っているのかどうかも、本人にしてみたら、考えたことすらないのかも。
その理解レベルを一発で判定できるスグレモノがあります。それが、アウトプット。書く、という作業です。
-書いた文は、証拠として残る-
声に出して一瞬で消えて行ってしまう会話ならば、多少適当でも良いかもしれません。(スピーチは違いますが)友達との何気ない会話も、いい加減くらいの方が楽しいですよね。でも、文章は形に残ります。確かにその時の自分が書いたものとして、ちゃんと形が残る。そして、文章の素晴らしい部分は、自分で書いたものを、何度も見直せる点です。
知っていても、書き表すとなると、自分の知識を見直します。あやふやな部分にぶつかった時。唯、言葉だけを知っていて、その内容を良く覚えていなかった時。自分でも良く解っていなかった理解の曖昧な境界線を、「書く」事ははっきりと教えてくれるんですよね。
「あれ? これって、なんだったっけ?」という、心の声とともに。
【まとめ 日々の1度が、将来を変える】
人の変化、と言うものは、劇的に訪れるモノではありません。ドラマや映画みたいに、「まるで人が変ったみたい!!」なんて事は、物語のご都合主義的に必要な部分で、それがないと話が進まないからそう演出されているだけで、現実には中々難しいし、また本当に訪れるのならば、相当凄いインパクトのある出来事が必要になってきます。(事故とか病気とか災害とか浪人とか)
本当の変化は、もっと地味で、穏やか。もっと何でもない日常のささやかな場所に存在していますし、その方が長続きします。
「これって、なんだったっけ?」と思った瞬間。「この熟語の意味は?」と、疑問を抱いた瞬間がチャンス調べて、書きとめて、メモをする。解らないなら、人に聞く。そして、それをそのまま写すのではなく自分の言葉でまとめてみる。たったそれだけの行動が、1週間、1か月、1年、10年続けた後、どうなっていくのか。
そして、それを面倒だと些細な変化。角度で言うなら、たった1度を踏み出さなかった人が、どうなってしまうのか。このIT全盛期だからこそ、アナログな紙とペンを、使ってみませんか?
あなたを変える、第一歩として。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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