ネットが崩す公私の境 解説その5
今日は全体のまとめと、テスト予想問題になります。
【評論文のパターンを読みとる】
-まとめで一番大事なこと-
高校での国語は、一つ一つの評論文を読み重ねて行くことが、受験の問題に直結していきます。
日本語は皆もう読めるわけだし、後は書いてある内容をどれだけ理解できているかに懸っているので、一年だろうが新入生だろうが、国語の受験問題に対しては既に解ける能力と素地はあるはずです。
けれど、多くは三年生の切羽詰まらないと読解力を身につけようとしません。
毎回の文章を、深く読み解いていれば、受験時にわざわざ勉強する必要など無いはずなのに、授業を聞くだけで自分で考えず、解らない部分も適当に読み飛ばしていると、とんでもないことになっていくのが国語の怖いところ。
なので、まとめのポイントは、次の通りです。
・筆者の文章をただ真似るのではなく、自分の言葉で全て説明できるようになっておくこと。
・本文を読みなおさなくても、内容を誰かに説明できるようにしておくこと。
できれば、教科書で読んだ内容を、お父さんお母さん、兄弟、特に年下の存在に語れるかどうか。相手が、内容を理解してくれるかどうかが、ポイントです。
相手が理解できなかったら、相手の理解能力が低いのではありませんよ。
あなたの説明能力が足りないのです。
そして、人に説明できない人は、テストで赤点が待っていると思ってください。
これを繰り返しておくと、まとめが楽にできるようになってきます。説明能力が上がると言うことは、理解能力も格段に上がるのでやってみてください。
ただし、くれぐれも筆者の言葉に頼らない事。
噛み砕いて、自分の言葉で相手に解りやすく、説明してくださいね。
【本文まとめ】
では、本文のまとめです。
導入-一般論-一般論の否定-根拠の具体例-結論(分析)
このパターンを見抜いていきます。
-導入の哲学者の言葉 読むことの腐敗は精神を腐敗させる-
100年前の哲学者。ニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」からの引用です。
ニーチェは受験まで、とても仲良くなる哲学者なので(試験に頻繁に出てきます)今のうちに毛嫌いせずに仲良くなっておきましょう。
ニーチェの考え方はこうです。
何にも考えずに、本に書いてあることをそのまま信じる馬鹿な読者が増える。
↓
何を書いても読者が指示してくれるので、書き手がいい加減に物を書くようになる。(書くことの腐敗)
↓
書いてあることを「本当なんだろうか」と疑ったり、実際に調べてみたり、実践してみたりせず、「これは正しいことなんだ」と受け止める読者が多くなり、考えることが面倒なので、考えなくなる。
↓
考えることの腐敗が始まる。同時に、著者も物を書く時に深く考えなくなる。(考えて書かなくても、読者が支持してくれるから)
↓
精神の腐敗へ
という警告です。
要するに、本に書いてあるから丸ごと信用するんじゃなくて、ちゃんと自分の頭で考えて、自分の責任で行動しないと、いつの間にか人に洗脳されているような状態になっちゃうよ!! ということ。
これは現代社会でも言えますよね。
大々的に新聞やテレビで報道されていると、「へー、そうなんだ……」と思っちゃうこと、ありますものね。
そう言う意味では、ニーチェが予想した通りの世界になっています。あー、気をつけようと思うけれど、皆が考えている事に寄り添いたくなるのが人間というもの。でも、大概歴史的に価値の高い考え方って、皆と違うことを考えた人の物なんですよね。
ここから見れるのは、発言者や情報発信者は、とてもない権力を持っていて、読者やそれを受け取る大衆をある程度感化、教化、洗脳させるだけの権力を持っている、ということです。
-一般論 ネットによる発言権は不正をただすことができる、良いもの-
さて、ここで一般論の登場です。
タイトルが示すように、この話は「ネット」「インターネット」の話題が中心となるはず。
便利な現代社会では、もうインターネットと切り離して生活を考えることは不可能と言っても良いぐらい、生活にネットは浸透しています。
その中でも、一般人が自由に発言し、それを気軽に発表できる場ができた。
それは、今まで著者だけが持っていた権威性を、一般人の発言にも与えることとなります。
なにより、拡散力、影響力が凄まじい。一晩で、何百万人もの人々がその意見を見ることなど、紙文化では土台不可能な世界です。
それは、一見とてもいいことのように思えます。だって、情報戦で弱者だった存在に、公に発言できる場所が確保されたのですから、不正をただしたり、泣き寝入りをする必要がなくなります。そして、誰もが簡単にその力を持つことができる。年齢も関係がありません。時間も、殆どかかりません。
そんなメディアは今までに無かったことです。
-一般論の否定 発言の自由が何をもたらしたか-
何故、ここまでの発言の自由性が手に入ったのか。
それは、物理的にデジタルな情報は量に制限がありません。知りたい情報を瞬時に取り出せると言う検索能力を備え付けたネットは、多種多様な意見をどれだけ書いたとしても、制限を受けることなど無いのです。
紙はどうしたって、数の限界がある。映像もそうです。作り上げるには、コストがかかり過ぎてしまうし、時間的な制約もある。
それに対し、ネットの情報量は無尽蔵と言って良いかもしれません。
既存のテレビ局が、YouTubeに挙げられている動画と同じ数の番組を作ろうと思ったら、とんでもない作業量になりますし、物理的に不可能です。
けれど、その無尽蔵な自由性が、個人の誹謗中傷に近いものを公に発表したり、根拠のないもの・嘘や偽りでさえ、簡単にネット上に挙げられるようになってしまいました。
紙文化の時にあったはずの、公に発表する前の他者によるチェックのワンクッションは存在せず、「思いついたらすぐ行動!」とばかりに、秒速で公に発言出来てしまう。
それが拡散されるのも、一瞬です。
だからこそ、ただの思い付きである思念・思い・感情が、きちんとした根拠のある意見になる過程を経ることができなくなってしまいました。
ネットの書き込みは、感情的な呟きや感覚的なもの。解りやすいもの、目立つもの、派手なもの、見た目の良いものが殆どです。
そしてその発言の容易さが、私たちの精神に知らず知らずのうちに大きな害を及ぼしています。
-ネットが崩した公私の境とは-
筆者が語るネットの害悪は、公私。公的なものと私的なものの差が、意識の上でなくなっていることです。
家の中での、家族だけに見せる表情と、初対面の人に見せる態度や、例えば受験の面接などで見せる表情は、同じであるはずがありません。
公と私は、現実世界ではきっぱりと分かれているはずです。
けれど、ネット上ではこれが容易く崩れ落ちる。
その理由を、筆者は自我境界の曖昧化と拡大化、としています。
つまり、自分と他者との境目が解らなくなってしまう。皆が賛同しているのだから、これは正しいことなんだろうと思い込むのと同時に、「自分と相手の意見が一緒であるはず」「自分が考えることは、皆も良いと思ってくれるだろう」という意識のことです。
本来は、複雑であるはずの他者との意見交換が、とっても単純化してしまう。
人の意見にはグレーゾーンがあるはずなのに、なぜかネット上では、白か黒かという極端な意見に偏ってしまう場合が多い。
この自己と世界の短絡化、単純化は、私たちにどんな腐敗をもたらすのか。
-結論 現状の分析のみで、筆者の意見はなしの警告のみ-
普通は、ここで筆者の意見を述べるのですが、今回の評論は現状を認識してほしいという筆者の願いが中心なので、分析で終わっています。
ネット上で発言すること。「発想」と「発表」の落差が、物理的に殆ど存在しない事が、どんな状態を私たちにもたらしているのか。
そこには、公に対して発言している、という意識すらありません。
自分の意見が賛同されるだろう、読んでくれた人は受け止めてくれるだろう。と無意識に思ってしまうのは、発言の気安さと、ネットが公の場であり、批判されることも反論されることもある。受け止められない事も、時として当たり前のようにあって当たり前なのだという意識が抜け落ちている。
そうして、単純化した世界で発言し続けた人間は、どうなってしまうのか。
敢えて、筆者は答を書いていません。
その意味は、「私たち読者一人一人に、考えて欲しい」からです。
ニーチェは、「考えることの腐敗」を警告しました。だからこそ、筆者は「考えること」の意味や意義に、気付いてほしい。
与えられた解答をただ受け止めるだけでなく、自分で答を探し、考えて欲しいと願っているのです。
だから、結論は無し。警告のみの結論となっています。
【定期テスト予想問題】
では、テスト予想問題です。
-ニーチェが危惧した状態-
問 第2段落「精神そのものが悪臭を放つようになるだろう」とは、具体的に誰がどういう状態になってしまうことか。説明せよ。
ニーチェの言葉の説明です。
誰が、と言及されているので、「読者と筆者」をそれぞれ書かなければなりません。
結果的に、この二者の精神が、どのように腐敗していくのか。精神=考えること、と思って、全て違う言葉で段階を踏まえて、解答を書いてみてください。
-自己と世界が短絡してしまう、とは-
問 第13段落「自己と世界が、いわば〈短絡〉してしまうのである。」とは、なぜ起こってしまうのか。自我境界の意味を明確にしたうえで、説明しなさい。
なぜ、と問題で問われているので、「~~~(だ)から」の文末にして、理由を答ます。
どうして、自分の世界と、周囲の環境=世界が、単純化してしまうのか。
この単純化は、白か黒か。賛成か、反対か、の二つ。肯定か否定か。その二者しか存在しない世界になっている理由は何なのか。
これは、紙の文化の時には発生しなかったことだと言うことをヒントに、まとめてみてください。
-筆者の警告の内容と予想-
問 第15段落「誰もが公表できるという事態は、いったい今度は何を腐敗させてしまうことになるのだろうか。」という筆者の問いかけに対し、あなたなりの解答を書きなさい。
自由に意見を書く問題です。
ニーチェは、誰もが読者になれる世界は、精神を腐敗させるといった。
なら、誰もが著者になり、発言でき、自我境界が曖昧・拡大化し、公私の境が崩れた、単純化した世界に長く居続ける現代人は、一体何が腐敗していくのでしょうか。
あなたなりの解答を書いてみてください。
そして、考えてみてください。
ヒントを挙げるなら、「腐敗しない」という意見も、根拠がしっかり示されていれば、大丈夫です。必ず、自分なりの根拠、具体例を示す事。
短絡化された、理由も根拠もない解答は、どんな結果になるかは、理解できますよね。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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