読書嫌いの子どもが多い理由 本嫌いを量産する読書感想文の罪

読書感想文
Comfreak / Pixabay

7月も中旬。もうすぐ待ちに待った夏休みです。

けれど、夏休みと言うと、嫌なものが宿題ですよね。

テキストだったら、とっとと終わらせてしまって終り!!に出来るけど、その中でも

地味な努力が必要で、

時間かかって面倒で、

でもやらなくちゃならない、

嫌な宿題No.1!!

それは、読書感想文です。

本って、面白いから読むのであって、感想書かなきゃならないからって、それ、目的が違いますよね。

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【何故、読書感想文が嫌われるのか】

-読書の目的が変わってしまう読書感想文-

読書の目的って何でしょうか?

「知識を得るため」というのが1番先に来ると思うのですが、それは大人の理屈です。

子どもは、違う世界に連れてってくれる、想像の世界や、楽しい世界を体験できる、物語を楽しみたくて、本を手に取ります。

今は、漫画や映画、ドラマ、アニメ、ゲーム、様々なものが人気ですが、人気が出るものって共通して、そこに、ストーリー性が存在しているものです。

そう。

読書って、楽しくて面白いから、するものなんです。

決して、「感想文を書くために読むもの」ではない。

大人だって、「この映画を観た後に、感想文を原稿用紙に5枚書いてください。そして、それは仕事の評価対象になります」って言われて、「映画は楽しんでみてください」って、出来ますか?

ぜっったい出来ないですよね。

頭のどこかで、「あ、ここで書こう」とか「どこのポイントで書こうかな」って考えちゃって、映画どころの話じゃ無くなってくる。

そう。感想文って、物語を楽しめなくなる、最たるものなんですよ。本当に。

 

-面白い、だけでは駄目なもの-

「読書感想文」は物語を楽しむことを許してくれません。

「あー、面白かった!! 次、次の巻!!」

って、面白かったら次々読んでいきますよね。

けど、読書感想文を書くために本を手に取り、仮に面白かったとしても、「あ、これで書かなきゃならないのか……」って思った瞬間にやる気がダウン。

イメージが繋がって、「本を読んだら、感想持たなきゃいけないんだ」って思ったら、次に本を手に取る意欲なんか沸き上がる筈がない。

そもそも、感想文って、本を面白く読まさせない、嫌がらせみたいなものです。

だって、「書いてこい」って命令するのに、「書き方」は一切教えてくれない。

書き方を教えてくださいとお願いしたら、「自由に書け」と言われるだけ。

ご自由にどうぞ~で嬉しいのは、某うどん屋さんのネギサービスだけです。セルフサービスだって、選択肢くれるのに、文章に関しては選択肢すらくれない。

夏休みの日記とかもそうですけど、「何書けばいいの?」って、誰もが持ったこと有りますよね。

それって、当然です。だって、書き方なんて、誰も教わってないんです。

-書き方を教えてくれない学校-

学校って、書く量と読む量でいったら、圧倒的に読む量の方が多いです。

それが悪いわけではありません。だって、知らなきゃ真似ることは出来ないし、取りあえず「知る」って事は大事。言葉も知らなきゃ出せないし。

けど、じゃあ、「読書感想文の書き方」って、学校で教えてもらったお母さん、お父さんっていますか?

例えば、足し算とか引き算とか掛け算割り算って、子どもと一緒に解くこと出来ますよね。「こうすれば良いよ」って教える事も、出来ます。

人に教えることが出来るって、それが身についていることの証明です。教えられたことが、ちゃんと自分に定着していて、使えるから、子どもにも教えられる。

けど、子どもに「読書感想文ってどうやって書くの?」と聞かれて、「こうだよ!!」と自信もって答えられる人は、多くないですよね。

難関大に合格した子ですら、「読書感想文は、何を書いていいか、未だに迷走します……」と呟いていたほどです。

そう。身についてないんです。恐ろしいほどに、教えられていないです。書き方を。

 

-本好きでも嫌いな読書感想文-

「でも、読書好きなら簡単に書けるんでしょう?」

実際、そういう子もいます。

さらっと書けてしまう子もいるし、短時間で文字だけ埋めて終わる子も、確かにいます。

でも、そう言う子が読書好きになるでしょうか?

読書が好きな子でも、読書感想文は嫌いです。だって、「感想を強要させられる」のですから、自然な感想なんか抱くはずがありません。

感想って、誰にも強制されずに抱くもののはずです。だから、変な義務感や、強制感を抱いた時点で、それは感想では無かったりします。

-文章を書くのが嫌いになる原因となってしまう-

で、これが最たる害悪なんですが、みんな、これで文章を書くのが嫌いになるんです。

強制されたものって、人は良いイメージを抱きません。

更に、それのやり方すら教えてもらえない。文章を書くって、基本時間がかかります。

本を読む時間も、強制的に「感想を持たなくちゃだめなんだ」というプレッシャーと、書く時間の、「どうやって書けばいいんだよ」という迷い。

こんなの二つ抱えて、読書感想文が好きになる子がいたら、結構な変態です。というか、変人です。(才能にあふれた偉人って、大概子どもの時は変人ですよね。)

人間、嫌なことは長続きしないんです。

長続きするのは、楽しいこと。面白いこと。

そんなイメージ、読書感想文に抱いている子どもが居るでしょうか。いないですよね。

文章書くのが嫌いな子を、量産しているような宿題です。

-害悪だらけの読書感想文-

それでもしぶとく生き残っている読書感想文。

こんなに嫌がられいるのに、何故長年にわたってそれが宿題として君臨しているのか。

子どもを読書嫌いにし、

文章を書くのを嫌いにさせ、

夏休みの度に嫌われ続ける。

そんなものを続けている理由は、本を読んで理解する能力。そして、自分の意志を明確に文章で表現する能力が、社会の中で必要とされているからです。

嫌なイメージが染み付いてしまっているものが、大人になってから1番必要とされる能力になる。

どんな仕事でも、自力で技術や知識を習得し、身につけ、それを人に伝えて行く力がある人が抜きんでます。というよりも、抜きんでている人は、すべからく、この能力を持ち得ています。

最初が肝心です。

何故なら、抵抗感が無い子は、どんどん書きます。

抵抗感が付いてしまうと、ずっと文章を書くことが苦手なままです。

そのまま、大学受験までいってしまう子は、本当に多い。なぜなら、文章の書き方は進学校であったとしても、教えてもらうことはほとんどないからです。

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