季節を分ける節分の由来 節分あれこれ

行事の意味・由来
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もうすぐ節分!という事で、節分にまつわるアレコレを書いていきます。

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【節分=立春の前日】

そもそも、節分の語源は、「季節の分かれ目の日」という意味です。

平安時代には、立春、立夏、立秋、立冬の4つの季節の分かれ目の日が、二十四節気で決まっていました。

そして、その決まっていた4つの日の前日がそれぞれ節分と呼ばれていたのですが、何故か今残っているのは、春の前日のみです。

【何故立春の前だけ残ったのか】

昨日のエントリーでも書きましたが、(参考⇒今と違う? 古典の季節の区分2月4日の立春は昔の日付でいうと、1月1日。つまり、年が明ける日。

なら、その前日の節分は、大晦日という事になります。

どの節分の日も、季節を分けるという意味では重要な行事でしたが、やはり年が改まる日の節分は重要であったのでしょう。

明治維新後、西洋の文化が入ってきて、太陰暦から太陽暦に暦が代わり、大衆にも太陽暦を使用したカレンダーが配布され、当時は随分と反発が多かったようなのですが、そこは順応性が高い日本人。

二十四節気の中でも特に特徴的ですべての人々に関わりのある行事や言葉が残り、具体的な暦は現在の太陽暦を利用したカレンダーが浸透していった。

その中でも、大晦日に行われる特徴的な行事は、今の節分の行事に色濃く残っています。

【大晦日に行われた追儺の儀式】

追儺=ついな、と読みます。

その名の通り、儺を追い払う儀式。

陰陽道の中で、人々は日々を生きる中で様々な汚れをその身に受けてしまうという考え方があります。なので、それを半年に一度。6月30日と12月31日に大祓という行事で払っていました。

今の、大掃除と同じ感覚です。

そして、6月30日の夏越の祓の時には行われない行事が、大晦日の12月31日には行われます。

それが、追儺の儀式です。

儺は、疫病の意です。

「鬼やらい」という別名も有りますが、とにかく病という鬼を追い払うという儀式。今の「鬼は外 福は内」の鬼です。

【なんで病=鬼?】

何故、病が鬼になるのか。

古代の時代。病というのは、今のように風邪だったり、インフルエンザだったり、ノロウィルスだったり、原因がはっきりわかるようなものでもなければ、対処法が解っていたものでも有りません。

それこそ、昔は、身体の具合が悪い=悪い鬼や悪霊などがとりついた、と考えられていました。病気=悪霊がとりついた。

だから、熱が出たり、おかしなことを口走ってしまうのは、全て悪い霊が言わせている事なのだ。早く、この霊を退治しなければ。もしくは<退散してもらわなければ!! と本気で考えていたのです。

特に、この追儺の儀式で追い払う対象にされた鬼って、何なのか。

特定の誰かではなく、大々的にやっていた行事なわけですから、皆が関係していたはず。それこそ、身分の低い民衆から、身分の高い貴族まで、誰もが平等に罹る病気。

季節は冬の一番寒い時期です。その時期に、京の都。今で言うのならば、大都市であり、人の交流がとても激しい場所です。

となると、想像がつくと思います。

そう。病=インフルエンザ。急性感染症です。

それ以外にも、「鬼」の語源は「陰」(おん)が関係していると言われています。陰陽道は、世の中の影と日向。つまり、はっきり見えないものと、はっきりと見えるものの、学問です。

鬼は見えないもの、つまり、はっきりと目で見えない影でうごめく物。しっかりと認識できないもの、ということを考えると、インフルエンザのような病気だけでなく、災害や世の中に蔓延る不安、恐怖などを全て合わせて鬼としていた。

そして、逢魔が刻、という言葉が意味するように、陰と陽の切れ間の時間。一年の境目の時間に魔と人間が出逢い、鬼が悪さをするということから、大晦日の夜に、この追儺の儀式は行われていました。

様々な魔を含んだ鬼を、桃の弓や葦の矢で追い払おうとしたのです。

現在のように豆をまく風習は、室町時代以降です。

【何故豆になったのか】

豆はまめまめしい、という意味がある食べ物であり、一つの枝から沢山とれるものから、生命力を象徴するものでした。

そして、安価で手に入りやすい食べ物でもあったので、豆の持つ生命力で清めの意味も込めて、広範囲にまく行為が、室町、江戸と続く時代に民衆に定着していきました。

豆は清めの意味も有りますし、古典の文献に、京都鞍馬山に鬼が出た時に、毘沙門天のお告げを頼りにして豆をぶつけたら、退散していったというエピソードも存在します。

確かに、豆をぶつけられると痛いですよね。しかも、目をめがけて投げることで、「魔を滅する」という意味も有るみたいです。鬼さんがちょっと、可哀想になる瞬間です。一斉に目を狙われたら、そりゃ逃げたくもなる。(笑)

ちなみに鰯の頭と柊を飾る風習も有りますが、両方とも鬼の大っ嫌いなものから、由来します。

臭いもの=鰯の頭、触っていたいもの=柊の棘

の、合わせ技。

嫌なものを掲げている家の玄関には、近付きたくないですよね。あれか。今の泥棒さんが、警備サービスのステッカーが貼ってある家を避けるのと同じ心理か。(笑)

ちなみに、豆まきは夜行うものです。

鬼は、夜にしか出てきませんから。大事するのは、夜です。

【豆を食べる理由】

豆=生命力。そして、福豆、という言葉が示す通り、鬼を退治し、福をもたらすものです。

それを、年の数+1。土地によっては、数え年や、実年齢そのままなど色々ありますが、その福を身体の中に取り込み、厄を払い落しましょう。そして、立春を迎えて、新しい年を健康に過ごしましょう、という理由です。

豆ご飯とか、福茶とか、色んなレシピで食べるのも楽しいかもですね。実際、大豆はとても栄養価の高いもので、高蛋白質でありながら糖質がほぼゼロという、ダイエットに最適な食品。

今は豆まき用に少しずつ袋に小分けされたものも売っているので、衛生的な配慮をしながら豆まきを楽しめるので、是非とも皆で盛大に豆まきをして、厄をはらいおとして、2月4日の立春をお迎えください。


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【まとめ】

・節分は季節の分かれ目の前日。
・古代は立春が1月1日。節分が12月31日
・大晦日の夜に行われる追儺の儀式は疫病や災害などの人間の怖いものを集めた鬼をはらう儀式
・生命力の高い豆で、鬼を滅していた。「鬼滅」=「まめ」
・鬼をはらった福豆を食べて、厄を落とし、新しい年を元気に過ごす為の儀式。

こうやって見ると、年末の大掃除が目に見える場所を清める陽ならば、目に見えない厄を払い落し、清めるのが、陰。夜に行う豆まきだったのかもしれませんね。

家を隅々まで掃除して、家族みんなで豆をまき、皆で食べる。

是非、楽しんで豆まきしてください。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

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