大津いじめ訴訟の記事を読んで~いじめ加害者は反省など絶対にしない~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今日も、新聞から気になったニュースを一つ。

今から6年も前の事になりますが、滋賀県大津市のある中学校で、とても痛ましい事件が起こりました。当時、たった13歳の少年が、学校での同級生によるいじめにより、自殺してしまった事件。当時、センセーショナルにマスコミなどでも連日報道されていたので、記憶されている人も少なくないと思います。

その生徒のご両親が、元同級生3人らに損害賠償を求めた訴訟で、いじめの加害者であった同級生3人に対し、口頭弁論が大津地裁で行われたという記事です。

大津いじめ訴訟、元同級生が証言 傷つけた認識「ない」

当時13、14歳だった彼らも、既に成人しています。人一人、自殺にまで追い込んでしまったという事実。自分の一言が。行動が、人を死に追いやってしまったとしたならば……想像するだけで、背筋が寒くなりますが、この口頭弁論で彼らは「いじめをした認識、相手を傷付けたという認識はない」という発言をしています。

閉鎖的な空間は、加害者も被害者も歪めてしまう

【矛盾した加害者の言葉】

ここで、一つ、記事から解る矛盾があります。

当時少年であったこの加害者達。

いじめの意識はなかった。けれども、彼(自殺した少年)に謝りたい。

という、主旨の発言をしています。

これは、酷い矛盾を感じてしまう言葉です。謝る、という事は、自分が相手に対して悪いことをした、という自覚がなければ、出てこない言葉です。けれど、いじめをしているという意識はなかった、と同時に発言している。

なら、自殺してしまった少年に対して、何を謝りたいのでしょう? 何を許されたいのでしょう? 何に対して謝りたいのかは、記事からは読み取れませんでしたが、悪いことをしていない(いじめをしたという意識がない)のならば、謝る必要もないはずです。

恐らく、法廷上のテクニックとして、敗訴を避けたい戦略で、いじめということ自体は認めず、けれども自分の行動が誤解されて死に追いやってしまったのならば、それは謝りたい、という意志を裁判長に見せるためだという事は理解できます。

裁判に負けない事。もしくは、賠償金の金額を下げたい一心が、この発言の後ろに透けて見えるのは、私だけでしょうか。

この加害者少年に、良心の呵責は存在しないのでしょうか。

【やったことはすぐ忘れ、やられたことは覚えてしまう】

人間の特徴として、自分がやられたことは記憶としてはっきりと残りますが、己のしていることは滅多に記憶に残らないものです。

いじめをしたという認識がない、という事は、口の中に蜂を放り込んでも、後ろから相手の首を絞めても、壁に追い詰めて、お前が自殺するまで止めないからと脅すことも、加害者にとっては、楽しい遊び。単なるふざけただけのことでしかなかったという事なのでしょう。

けれど、やられた方は。しかも、1対複数での行為であり、助けが誰も無い、閉鎖空間でそれを行われてしまった場合、人は簡単に追い詰められてしまいます。

職業選択の自由がある程度確保されている社会人ですら、追い詰められて衝動的に自殺をしてしまう人が少なくないのに、物理的に学校と言う外部の目が入りづらい空間で、毎日のように延々と嫌がらせを受け続けることは、外部に居る人間達の想像をはるかに超えた状態で、追い詰められていくのでしょう。

特に人間は、やられたことをはっきりと記憶してしまう存在です。そして、一度焼きついてしまったものから逃れるには、きちんとした心の休養が必要なのですが、安全と思える場所が無くなってしまった場合、その休む、ということすらできなくなってしまいます。

更に恐ろしいなと思ったのは、被害者がたとえ死んだとしても、いじめの加害者は全くと言って良いほど心を痛めていない、という事実です。

【人は簡単に悪魔にすり替わる】

私たち人間は、多くの哲学者や心理学者、そして宗教家が述べているように、誰もが悪人。悪魔になる可能性を常に心の中に秘めています。

あの人は、絶対にそんなことをしない、という保証は、一定の環境下では脆くも崩れ去ってしまう事は、多くの歴史的事例や心理実験が、証明していることです。(参考→閉鎖空間に押しつぶされる恐怖〜いじめは逃げるが勝ちの訳〜)

いじめの加害者は、反省などしません。

人は、他者を変えることは不可能ですし、貴方がどれだけ不幸になろうとも、相手は絶対に反省などしません。これは、今回の裁判の口述からも、断言することが出来ます。

加害者には加害者の言い分があり、言い訳をしている時点で、事実を受け止める気などないことが解ります。もちろん、現実を受け止めることは、勇気ある人にしか出来ない事ですから、自己正当化をしてしまっている時点で、反省など無縁です。

だからこそ、今いじめを受けて苦しい思いをしている人がいるのならば、閉鎖空間から逃げる手段を講じてください。

【究極的に自分の命を守れるのは、自分自身】

何時か誰かが助けてくれる。時が来れば、どうにかなる。

来年になれば、クラスが変われば、学校が変われば、進学すれば……

そんな日は、やってきません。




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誰も、助けてくれない。その冷徹な事実を、正面から見据えてください。もし、誰かが助けてくれるのならば、何故いじめでの自殺が無くならないのでしょうか。何故、あなたのまわりでいじめが起こっているのでしょうか? 無くならないのは、何故なのか。

それは、究極的に言ってしまえば、学校が閉鎖的な空間だからです。

普段は争いなど起こらない動物たちも、閉鎖的な空間に押し込めると、途端に攻撃的になり、いがみ合うようになる実験が証明しているように、閉鎖的な閉ざされた空間に居ると、人はほんの少しの違いにすら、敏感になります。

そして、徹底的に個性を抑え込む空間によって、わずかな違いを切っ掛けに、攻め立てたり、除外や無視が始まり、その延長で言葉の暴力や、実際の傷を伴った暴力をふるうようになってしまいます。

けれど、閉鎖空間でそれが行われると、人間は環境になれるので、その状態が普通であると認識するようになっていってしまうのです。

あー……また、あの子いじめられてるなぁ……いつもの毎日だなぁ。

という認識が、通常化してしまうと、助けようという気持ちがわくはずもなく、日々の生活の一部となってしまうから、疑問すら抱かない。いじめをやっている方は、いじめているのが当たり前なのですから、なおさら止めようなどという意識がわいてくるはずがない。

何故なら、それは毎日顔を洗う事や歯を磨くことと同程度の、当たり前のことだからです。

だからこそ、その状況を苦しいと感じるのならば、逃げてください。

全力で、抜け出してください。逃げられる手と足を、貴方は持っているはずです。

助けは来ないのならば、自分で自分をどうか、助けてください。

【閉鎖空間から抜け出す為には】

8月末に書いた、いじめのシリーズでも再三書きましたが、(参考→いじめを乗り越えることで手に入るもの その1) ぜひ、学校外の活動を何か一つでも良いので、やってみてください。

習い事でも、趣味の集まりでも、何でも構いません。自分の好きなもので、何かを続けてみてください。

もし、学校で苦しい思いをしているのならば、敢えて学校の校区の中で選ぶのではなく、一歩外の世界に出てみてください。いじめられている貴方を知らない世界に、行ってみる。そして、好きなことをやってみてください。何でも構いません。

そして、可能ならば得意な人は、勉強を頑張ってみてください。

成績は、学生の間は明確な力になります。そして、圧倒的な学力差を身につけてみてください。

受験で淘汰されていくのは、陰湿ないじめに耽っていた人間達です。その場所にうずくまっているよりも、自分の好きなことや将来貴方の力になる学力や知識を身につけてみてください。

それをする気力がないのならば、先ず、逃げること。貴方の命を守る行動を、とってください。

貴方達は可能性の塊です。生きているだけで、偉いのです。

だからこそ、辛いのならばその辛さから抜け出す戦いを、始めてみてください。

死んだとしても、相手は絶対に反省などしません。だから、貴方の命を、苦しみから逃れるためではなく、幸せになるために使ってください。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。


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