ラップトップ抱えた「石器人」 解説その3。
【ヒューマンエラーの過小評価の謎】
例示として挙げられていた東海村のウラン流出事故。
原子力発電所のトラブル隠し。
NASAのスペースシャトルの大気圏突入時の分解・・
全て挙げられている例示は、ヒューマンエラーによって起こった人災です。
その人災をどうして防げないのか。
しかも起こっているのは、知識がない人たちが運営している施設ではありません。世間的には優秀とされ、専門知識もしっかりと備わっている人たちが集まっているのに、そんなヒューマンエラーが起こってしまう。
それは何故なのか。
筆者は、リスク認識に何か問題があると指摘しています。
そして、それは私たち人間側に問題がある。
挙げられている原因は次の二つ。
・人間は実感できるリスクには対処するが、実感できないものには反応しない。そして、団体になるとこの実感の感覚が薄れる。
・「ギャンブラーの誤謬」に現れているように、「今まで大丈夫だったんだから、次も大丈夫」という考え方を私たちの脳が持っているということ。
この二つが上手く絡み合って、小さなミスが全体にどれだけ影響するかを分かりづらくさせている。
更に、偶発的に上手くいったことを、「次も上手くいくだろう」と考えてしまい、点検や真の危険を顧みない行動へと繋がっていく。
何故そんな風になってしまうのか。
続きを読んでみましょう。
【第8~11段落】
-5万年変わらない脳-
しかし、人類は、少なくともおよそこの5万年にわたって、その基本的な脳の働き方において少しも変わっていないのである。(本文より)
目に見える技術や、私たちを取り巻く環境は、五万年前とは激減しました。
それこそ、歴史の教科書に載っている、原人とほぼ脳の構造的には全く同じであり、発展など何もしていないのです。
何故なら、脳の発達は、遺伝子の構造が変わることと同義語です。けれど、この遺伝子が書き変わる期間は、もっとずっと長い時間がかかることであり、その変化は非常にゆっくりです。
けれど、人間の世界は、文字の発達と蓄積、そしてそれを次代に受け継いでいく教育によって、加速度的に飛躍しました。
あれですね。
成長する時って、人は一次関数の直線で考えがちですが、成果って二次関数の曲線で現れるものです。(モノによりますが、けれど、生徒の成長を見てもその傾向性がやっぱり強い)
だから、進化するときは一気に変化が訪れるけれど、遺伝子の蓄積はそのスピードに追い付いていっていないわけです。
私たちの脳は、石器時代となんら変わらない。
一人ひとりの脳が、世代が変わるたびに進化し、賢くなってきたからではなく、膨大な知識の蓄積が技術の発達を支えていただけです。
-私たちの脳は100年前の人々よりも、優れているわけではない-
私が飛行機に乗り、コンピューターをあやつって、100年前の人々にはできなかったような仕事をしても、それは、私自身の脳が100年前の人々よりも優れているからではないのである。(本文より)
人間、出来たことの結果で優劣を判断してしまいがちですが、それは知識の蓄積によって為されただけのことであり、一人ひとりの脳自体が優れているわけではない。
確かに、古典や歴史を学んでいると何時も思うのですが、100年前と言わず、1000年前や、物によっては古代ローマなどで語られている内容って、十分現代にも通用するし、孔子の言っていることって色んなところで現代にも適用できるし、精神性や考え方はむしろ古代の人々の方が優れているのではと、思うぐらいのことが本当に沢山あります。
科学技術は、知識の積み重ねで進歩してきただけで、じゃあ、この機械文明の恩恵を受け、教育を受けている私たちの中で、誰が一からコンピューターを作り出せる人間が居るのか。
そう聞くと、殆どの人は首を横に振るでしょう。
平均値で取ったら、圧倒的に作れない人間の方が多いはずです。
私たちの脳は、機械文明のように、決して石器時代から優れた発展を遂げたわけではない。
その証拠として、筆者は狩猟と採集で生きている、石器時代とほぼ変わらない生活を過ごしている人々に、実験的に教育を施す事例を挙げています。
子どもころから教育を受ければ、パイロットにも脳外科医にも彼らはなることができる。
つまり、脳の構造は決して変わっていない。
石器時代と同じであるわけです。
-現代の社会は、脳にとってキャパオーバーな世界-
およそ5万年前までにできあがった、非常に可塑性に富む人類の脳が、一致団結して知恵を蓄積してきた結果、こんな技術や社会ができた。しかし、この技術的蓄積と生活環境の改変は、あまりにも急速に起こったため、人類は、自らの脳が自信をもって処理できる以上の情報を氾濫させ、数々の巨大施設を築き上げてしまった。(本文より)
可塑性、という言葉が出てきました。
この可塑性。科学用語なのですが、覚えておくととても便利です。なぜなら、センターに出される評論文で良く出会うことになるから。
可塑性=プラスチックと覚えてください。
つまり、一旦、熱や圧で力を加えられると、それに応じて形を変形させ、その力が無くなったとしても、その形をそのまま保つことです。
脳は、本当にこの可塑性に富んだ器官です。
つまり、変形しやすい素材であり、そのままの形を保持しやすい傾向がある。
私たちの脳って、変化しやすいんです。
だから、狩猟的な生活をし続ければ、そのままです。けれど、一旦教育を始めると、変化を帯びていく可能性を持っている。
人が変われる。変化するということは、視野の広がりや知識の獲得によって行われるものです。だからこそ、先人たちの知恵を蓄え、より効率的に、合理的に考えた結果。
こんな大量生産や、加速度的な発展、発達を遂げられる社会になった。
けれど、急速な発展に、私たちの脳はついていけないのです。
私たちの危機管理能力は、やっぱり自分の体に関わる部分しか考えられないし、想定もし辛い。感覚も、予想も、自分が関わっている部分のみにしか、働かないのです。
石器人時代の人たちはそうやって、危機を管理してきた。自分のミスが、まさか村全体に影響がでるなんて、思えなかったし、現実に起こらなかった。私たちの脳は、その時代のままなのです。
-脳や感覚は、石器時代のまま置いてけぼり-
未知への人間の挑戦と、その結果獲得した技術は素晴らしい。しかし、私たちは、ラップトップを抱えた石器人でもあるのだと、もう一度謙虚に認識する必要があるだろう。(本文より)
ラップトップ。つまり、最先端技術の結晶とも言っていいパソコンの小型化したものを手にしながらも、脳や感覚は石器時代のまま変わっていない。
脳の構造や、感覚の発達などは、進化など何一つしていない。
なのに、現代人は進化したと思いたがっている。石器時代から進化しているのだと、思っているその傲慢さが、もしかしたらヒューマンエラーを産み出している原因なのではと、筆者は語っています。
そのヒューマンエラーをなくすためには、まず、自分達の脳の構造が、進化などしておらず、自分の影響の及ぶ範囲でしか物を考えられない。そういう性質を持っているし、そういう感覚なのだと、まず自分達の能力を把握することから始めなければ、絶対に無くならないのではないか。
謙虚とは、自分を優れているとは思わず、すなおに他者から学ぶ姿勢を持っている態度のことです。
だからこそ、自分達は進化したのだと思い込んでいること自体に、ヒューマンエラーの原因がひそんでいる可能性を、筆者は示唆しています。
私たちの脳は、発達などしていない。
少なくとも、危機管理、という意味では、集団でのリスク把握の感覚が鈍くなってしまう。
性格や人格、能力などとは全く関係がなく、私たち人類全てに共通する傾向なのだと、筆者は原因を突き止めています。
明日は、まとめです。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
続きはこちら⇒ラップトップ抱えた「石器人」 解説その4 まとめ
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