小説読解 魯迅「故郷」その3 ~悪い方へと変わった人々~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

「故郷」の3回目。今日は、ルントー以外の故郷で出会う人。楊(ヤン)おばさんの登場の意味を解説します。

コンパスそっくりな脚。これで覚えている人も多いのでは。

【昔と変わり果ててしまった姿】

ルントーの美しい思い出を堪能した主人公「私」の許に、招かれざる客がやってきます。

引っ越しの際の資金作りとして、身の回りの物を売ろうとしていた主人公家族の許に、「買うよ」と言って物色をする体を装いながら、実際は盗みをする人々。これが良く来るのだと、母親が言います。

-本文-

「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして」
不意に甲高い声が響いた。
びっくりして顔を上げてみると、私の前には頬骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女が立っていた。両手を腰にあてがい、スカートをはかないズボン姿で足を開いて立ったところは、まるで製図用の脚の細いコンパスそっくりだった。

-解説-

小説家の凄いところって、「不快だ!」という印象を、「不快」という言葉を使わずに伝えるところですよね。

甲高い声って、響く癖に心が休まらない声です。意識に引っかかると言うか、何かを責められているような気がしてしまうのは、これを書いた魯迅だけではないはず。

「びくっっ!!」と反射的に背筋が震えるあの感じです。

頬骨が出ている、というのは、痩せている、と言う事。しかも、この痩せ方。あまり良い痩せ方ではありません。ルントーの描写に「艶のいい丸顔」とあったように、ふくよかな事が健康である証でもあります。

特に顔が痩せこけていると言うのは、食事がまともに取れていない。もしくは、あまり良い経済状態ではない事の証。

そして、人に会う時に両手を腰に当てている状況、というのを想像してみてください。

どう考えても、威嚇行動。自分の方が偉いんだぞ! という示威行動です。

スカートをはかないズボンというのは、労働者であるという証。当時、共産化の波があった中国では、労働者こそ尊敬されるべき存在であるという考え方が浸透し始めた時期です。そして、封建社会が崩壊し、長年中国を支配し続けてきた身分による権威、という物が壊れ始めてきた時期でもありました。

「私」が子供の時には、こんなふうに目の前で腰に手を当てる、という行動は出来なかったと思います。偉そうですし、身分が残っている時代ならば、礼儀を守らなければ処罰されるのは下の階級の人々。この場合は、楊おばさんです。

魯迅も、その階級制度や上の身分に逆らえない封建制度を否定していたはずなのに、それが現実になったら、礼儀をわきまえず、温かい気持ちが通わない態度を取るようになった人々がいる。

それほど、人々の心は腐敗し、病に冒されているのだという現状を端的に表しています。

【人は悪い方にも変わる】

「変わりたい!」「世の中を変えたい!」

変化という言葉を聞くと、私たちは「良い方に変わる」と思いがちです。

けれど、変化と言うのは悪い方にもふれるもの。

-本文-

私はどきんとした。
「忘れたかね? よく抱っこしてあげたものだが。」
ますますどきんとした。幸い母が現れて口添えしてくれた。
「長いこと家にいなかったから、見忘れてしまってね。おまえ、覚えているだろ。」と、私に向かって、「ほら、筋向いの楊おばさん……豆腐屋の。」
そうそう、思い出した。そういえば子供の頃、筋向いの豆腐屋に、ヤンおばさんという人が一日中座っていて、「豆腐屋小町」とよばれていたっけ。しかし、その人ならおしろいを塗っていたし、頬骨もこんなに出ていないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。

-解説-

良く問題になるのは、この「どきんとした」という表現です。

胸が高鳴る表現として受け止めがちですが、心臓が動くというのは、焦った時です。焦る、という言葉は、不意の出来事に動揺する、と言う事。

そして、人に求められる行動を、自分が出来ない時に感じるものです。

「忘れたかね?」と言う言葉が示していますが、それが図星なのです。「私」は、完全に目の前に居る人の姿が誰か、解らない。解らないけれど、「どちら様ですか?」と訊く事も出来ないぐらい、相手が「覚えていて当然!」のような姿で立たれてしまうと、質問も出来ないものです。

ポイントは、

・目の前に居る人のことを忘れてしまっていた事。
・相手は自分の事を知っていると言う事。
・その事実に、焦っている事。

これが入れば記述は大丈夫。ポイントまとめは、必ずしてください。最初は面倒だと思うかもしれませんが、この作業をするかしないかで、国語の点数はかなり影響します。

慣れてきたら、勝手に脳味噌が気付かせてくれるので、慣れるまでが大事。

そして、昔の楊おばさんをようやく思い出し、記憶の中に居る存在と、今目の前に居る存在が、「私」の中では繋がらない現状をまざまざと見せつけます。




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小町って、美人の俗称です。つまり、昔は美人だった。豆腐屋が繁盛するほどに、美人だった。その面影が、全くない。つまりは……不快な人になっていた、という事を暗に示しています。

【当時の中国に居た大多数の人々の姿】

-本文-

「忘れたのかい? 何しろ身分のあるおかたは目が上を向いているからね……」
そんなわけじゃないよ……僕は……。」私はどぎまぎして、立ち上がった。
「それならね、お聞きなさいよ、シュンちゃん。あなた、金持ちになったんでしょ。持ち運びだって、重くて不便ですよ。こんながらくた道具、邪魔だから、あたしにくれてしまいなさいよ。あたしたち貧乏人には、けっこう役に立ちますからね。」
僕は金持ちじゃないよ。これを売って、その金で……」
「おやおや、まあまあ、知事様になっても金持ちじゃない? 現にお妾が三人もいて、お出ましは八人のかきのかごで、それでも金持ちじゃない? ふん、だまそうたって、そうはいきませんよ。
返事のしようがないので、私は口を閉じたまま立っていた。

-解説-

読むのが辛くなるシーンですね。

当時、封建社会が崩壊し始めた時期ではありましたが、その革命運動が齎した余波なのか。それとも、欧米列強に植民地化をされていた影響もあるのか、民衆の生活が苦しくなってきているのが如実に解るシーンです。

「私」がどきまぎしたのは、美人を前にして緊張したわけではありません。残念ながら。

この楊おばさん。どうしてこんなにきつい物言いなのか解らないぐらい、きつい印象の言葉を使っています。そして、「私」が自分を忘れていたことを察して、機嫌が急降下。「わたしを覚えていないなんて!!」ぐらいの、軽いヒステリー状態です。

そんな人に詰め寄られれば、受け答えがはきはきとは出来なくなってしまうのが理解できると思います。

そして、金持ちではない。余裕もない、と話しているのですが、楊おばさんは聞く耳を持ちません。

恐らく、自分よりは金を持っているはずだ。昔、あんなに羽振りが良かったのだから、必ず金目の物を残しているはずだ、という思い込みの許に動いているのがとてもよく解ります。

この、長く続いた身分社会。

その悪い部分。つまり、上の身分の人間が権力を振りかざして横暴に振舞ったり、理不尽な要求を突き付けたりしていたそれらが人々に与えた心の膿。温かい人間同士の心の通い合いではなく、自分よりも良い生活をしている人間が許せないという、卑屈な、利益だけを優先してしまう人間の姿が描かれています。

ずっと虐げられてきたのだ。だから、少しくらいはおこぼれを寄こせと、犯罪に近いことをしてしまう。金持ちから盗みをしても、構わない。私たちはそれ以上に昔、こいつらに搾取されてきたのだから、ここでその分を取り戻すように傷付けてやる、と言わんばかりの楊おばさん。

そして、何も言えなくなってしまう主人公。

どう言っても、何を言っても、理解してもらえない。

どれだけ困窮しているかという事を伝えても、「そんなこと言っても、私よりは裕福なはず! 嘘だ!!」という思い込みの許では、何を言っても通じない状態です。

楊おばさんにとって大事なのは、真実を知ることではなく、今まで自分よりも良い生活をしてきた、裕福な家族たちに対する嫉妬から、傷付けられてきた自分の気持ちが満足して癒されるまで、お前たちのものを寄こせと言っているのです。

そして、これは魯迅をして、中国の大衆は心の病に冒されている、と言わしめた、当時の中国の人々の姿を現しているのでしょう。そして、その原因となった封建社会の問題点を、魯迅は作品の中で批判し続けることになります。

【何故悪辣な部分を描いたのか】

この楊おばさんを小説の中に出したのは、人は昔と変わってしまう存在であり、膠着してしまう人間の姿を描き出そうとしたのでしょう。

人は、希望も何もない状態で摩耗してしまうと、明るい事が考えられなくなってしまいます。

そんなことを考えたって、どうせ意味など無いだろうと思考を放棄してしまうと、自分の考えが全て正しく、それがあるゆえに人の意見は全く耳を貸さなくなってしまいます。

自分が正しい=自分以外の人間は全て間違い

という思考に陥って、膠着してしまうと何も動き出すことが出来ません。

敢えて、悪辣な姿を描き出すことで、明確に何も書いてはありませんが、「こうはなりたくないな」と、読者に思ってほしかったのでしないでしょうか。

人は命令されたり、強制されたりすると、それをするのが正しいと解っていても、したくなくなるものです。

けれど、反面教師は自分で感じて思うものなので、人から強制されるよりも強力ですし、何より本人がすすんでやるものです。だからこそ、魯迅は其の当時の中国の人々の現状を。その悪辣な部分を描き出すことを行っていったのでしょう。

そうではない未来になることを期待して。

 

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。


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