漫画に夢中になる主人公 更級日記解説「『源氏』の五十余巻」

更級日記

更級日記解説、その3

今回は、「『源氏』の五十余巻」を解説します。

幼い時、田舎暮らしだった主人公はあこがれの京都にやってきます。(解説その1)

そして、大好きだった継母との別れを経験し、(解説その2)その後、乳母を亡くし、あこがれだった人も、病気で亡くすという、身近な人々が自分の傍から居なくなる経験をします。

幼い時から大好きだった人が、一人、また一人と傍から居なくなっていく感覚。

現代でも、想像するとちょっと辛い状況です。これを体験した主人公は部屋に閉じこもるように……には、ならないんですね(笑)

結構たくましい、というか図太い主人公。(褒めてます)

心の慰めに、「物語(現代の価値観でいうと、漫画)を読みたい!!」とここぞとばかりに主張します。

転んでもただでは起きない主人公。

その物語に夢中になるさまは、読んでいて「ああ……覚えがあるなぁ」と思う人もいれば、「これ、ちょっと危なくないか?」と思う人もいるでしょう。

そんな、物語に夢中になっていく様を、読んでいきましょう。

 

 本文 黒太字 オレンジ色は文法解説部分。
〈訳〉現代語訳
〈文法〉品詞分解・説明
〈解説〉解説と言う名のツッコミ。背景、状況説明など。

 

上るときは時間かかりますが、落ちる時は一気です。

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【第一段落】

-1文目-

かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと心苦しがりて、母、物語など求めて見せ給ふに、げにおのづから慰みゆく。

〈訳〉

このようにふさぎ込んでばかりいる私の心を慰めようと、母が心配をしてくれて、私が読みたがっていた物語などを探し求めて読ませてくださったので、その物語を読んでいるときだけは、本当に私の苦しい気持ちも自然と慰められていった。
〈文法〉
思ひくんじ/ サ変「思ひくんず」の連用形
たる/ 完了の助動詞「たり」の連体形
※ サ変動詞は「す」「おはす」の二語だが、複合語があるので注意。
慰め/ マ行下二段「慰む」の未然形
む/ 意志の助動詞「む」の終止形
〈解説〉
ふさぎ込んでいた作者を実のお母さんが心配して、唯一好きなものを探してきてくれます。
「え? 本なんて簡単に手に入るじゃないか?」
というのは、現代人の感覚。
当時の本というのは、本当に貴重でした。
何せ、それが書いてある紙が超高級品です。貴族であったとしても、現代のように使いまわせるものではありません。しかも、印刷技術も発達していませんから、物語は、全て手書きで書かれていました。
人から借りて、手で書き写し、更にその写しをまた人が写して……と、数が増えていったのです。
その、書き写したものを手に入れられないかと探したんですが、なかなか手元に置いている人が見つかりません。
それでも、子供のためにお母さんが頑張って探してきてくれたものを読んでいるときだけ、作者の気持ちは慰められていきました。
傷ついたとき、何かに夢中になることで、その辛さを忘れられる気がする。
今も昔も、人間の感覚は変わりません。

-2文目-

紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず、誰もいまだ都馴れぬほどにて、え見つけず

〈訳〉

「源氏物語」の「若紫の巻」を読んで、その続きを読みたいと思ったのだが、自分で誰かに頼むこともできず、家の中の人々はまだ誰も都の生活に馴れていなかったので、「若紫」の続きを見つけることが出来なかった。
〈文法〉
見/ マ行上一段「見る」の未然形
まほしく/ 希望の助動詞「まほし」の連用形
おぼゆれ/ ヤ行下二段動詞「おぼゆ」の已然形
ど/ 逆説の接続助詞
え/ 副詞
せ/ サ変「す」の未然形
ず/ 打消の助動詞「ず」の終止形
※「え~ず」で、「~できない」の意。
え/ 副詞
見つけ/ カ行下二段動詞「見つく」の未然形
ず/ 打消の助動詞「ず」の終止形
〈解説〉
たまたま、「若紫」の巻が手に入り、その続きがとても作者は読みたくなります。
この「若紫」のシーンは、源氏物語でも屈指の名シーンでもあり、作者からしてみれば、登場人物の若紫の年齢とも近いこともあって、感情移入しやすかったのでしょう。
「若紫」の話の内容は、ほとんどシンデレラストーリーですから、女の子の大好きなものを固めたようなストーリーです。
けれど、引っ越したばかりで都に不慣れで、知人もそこまで多くありません。だから、読みたくても、誰も探し出してくれない。とてもじれったい気持ちで過ごすことになります。
現代で例えるのならば、超人気漫画の連載を読み続けていて、とてもいいところで終わってしまい、続きが読みたくて読みたくてたまらなくて、発売日をじっっと待つ、という感覚でしょうか。

-3文目-

いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この『源氏の物語』、一の巻よりして、皆見せ給へ。」と、心の内に祈る。

〈訳〉

無性に読みたくなって、もどかしくて仕方がなかったので、「この『源氏物語』を一の巻から全部読ませてください」と、心の中で仏様にお祈りをした。
〈文法〉
おぼゆる/ ヤ行下二段動詞「おぼゆ」の連体形
まま/ 名詞・体言
に/ 格助詞
〈解説〉
流石に作者。京にきてまでも、仏さまは作らなかった。
単に、場所がなかっただけとも思えますが、困ると基本仏さまにお願いするのは、変わらず……
現代の神頼みとか、受験の時だけお守り大事に持っていくとかと、あんまり感覚は変わらないのかも。

-4文目-

親の太秦に籠もり給へるにも、異ごとなくこのことを申して、出でむままにこの物語見果てむ」と思へど、見えず。

〈訳〉

親が太秦のお寺(広隆寺)にご参篭(さんろう)なさった時も、他のことは言わず、「物語を読ませてください」ということだけをお願いしてほしいと申し出て、(親が)お寺から出たら(きっと願いが通じて物語が読めるようになっているはずだから)すぐにでも読み通してしまおう、と思っていたはずなのに、その願いが叶うことはなかった。
〈文法〉
出で/ ダ行下二段動詞「出づ」の未然形
む/ 仮定の助動詞「む」の連体形
まま/ 名詞・体言
に/ 格助詞
この/ 指示語
物語/ 名詞・体言
見果て/ タ行下二段動詞「見果つ」の未然形
む/ 意志の助動詞「む」の連体形
〈解説〉
文章にはっきりとは明記されていませんが、多分お母さんがお寺に籠もって、お祈りをしたんですね。今でも、一日お寺に宿泊して、お坊さんと一緒に修行を体験する、なんてツアーがありますが、これも似た感じの体験です。
ただし、期間は一週間から一か月くらいと、とても長いですが。
そうやって修行を積むことが徳となり、極楽浄土へ行けると信じられていた時代です。
けれど、お母さんがそうやって仏さまに祈りをささげている(おそらくは娘(作者)の将来とか、夫の出世とか、自分の将来とか)中、作者の願いはただ一つのみ。
「物語(漫画)、読ませてくださいっっ!!!」
お母さんも、これには困っただろうなぁ……(苦笑)
いえ、素直でいいんですけどね。
けれど、「東路の道の果て」でお願いして願いが叶った時とは違い、「お母さまがお寺から帰ってきたら、きっっと願いがかなうはず!!」と思い込んでいた作者は願いが叶わなくて、落胆……
願えば、自分の望みは必ずかなうんだっ!!という思い込みが結構効いております。
すごいな……一回、それが成功しちゃったので、悪い方に思い込みがかかっています。

-5文目①-

いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いとうつくしう生ひなりにけり。」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、

〈訳〉

期待していたのに、それが叶わなくてとても残念で、そのことを嘆いてばかりいた頃に、田舎から京の都に上京してきている叔母の家を訪ねたところ、「大きくなってとても可愛らしくなったわね。」というようなことを言ってくれて、懐かしく、私のことを珍しがってくれたので、帰るときに、
〈文法〉
思ひ/ ハ行四段動詞「思ふ」の連用形
嘆か/ カ行四段動詞「嘆く」の未然形
るる/ 自発の助動詞「る」の連体形
に/ 接続助詞
上り/ ラ行四段動詞「上る」の連用形
たる/ 完了の助動詞「たり」の連体形
所/ 名詞・体言
に/ 格助詞
渡い/ ラ行四段動詞「渡る」の連用形(イ音便変化)
たれ/ 完了の助動詞「たり」の已然形
ば/ 順接の偶然条件の接続助詞 
〈解説〉
古典単語の重要語句「うつくし」
これは、どうしても現代語の「美しい」と訳をとらえがちですが、実際の訳は「可愛らしい」です。
受験でもよく出る単語なので、
「うつくし」=「(子供っぽくて)可愛らしい」と覚えましょう。
ちなみに、同じ「可愛い」の意味でよく出てくる「らうたし」は
「らうたし」=「(無力ではかなくて)可愛らしい」
の意味。
「うつくし」は、小学生ぐらいまでの子供が、「可愛いなぁ」
「らうたし」は、赤ちゃんから幼稚園児くらいの子どもを、「可愛いなぁ」
と思っていることになります。このニュアンスの違いが分かってくると、同じ「可愛い」でも、違いが分かります。
そして、ひょんなことから、叔母さんのところに行くのですが、そこで「久しぶり。とっても可愛らしくなって」と作者は歓迎されますが、ある意味この人が作者の人生のターニングポイントになります(苦笑)

-6文目②-

「何をか奉らむ。まめまめしき物は、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなる物を奉らむ。」とて、『源氏』の五十余巻、櫃に入りながら、『在中将』『とほぎみ』『せり河』『しらら』『あさうづ』などいふ物語ども、一袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞ、いみじきや。

〈訳〉

「何をあなたにさしあげましょうか? 実用的なものはいらないのでしょう? あなたが欲しがっていらっしゃるものを、さし上げましょうね。」と言って、櫃一杯に入ったままの、『源氏物語』の全50余巻。さらに、『在中将』『とほぎみ』『せり河』『しらら』『あさうづ』などというタイトルのついた物語をたくさん、袋一杯に入れてくださった。そして、それを抱えながら帰るときの気持ちは、まさに天にも上るような気持だった。

〈文法〉

まさなかり/ 形容詞ク活用「まさなし」の連用形
な/ 強意の助動詞「ぬ」の未然形
む/ 推量の助動詞「む」の終止形
※確述用法「つべし」「ぬべし」「てむ」「なむ」は、強意+推量の組み合わせで、「きっと~だろう」「~に違いない」という意味になる。
〈解説〉
文法で重要事項を一つ。
「つべし」「ぬべし」「てむ」「なむ」の四種は何が何でも覚えてください。
確述用法と言われる特殊用法なんですが、判別の難しい「べし」の訳が推量と固定されるだけでなく、意味もほぼ確定。文法分析も、「強意」+「推量」でほぼほぼ確定です。
そして、これが重要。受験によく出る。
特にセンター必須です。

これから、この四種が出てきたら、

「あっ、確述用法」

と言えるくらいになってください。

それぐらい重要です。
そして、内容ですが……
ほしいほしいと思っていて、それを周囲に言いまくっていたら……
出ました。くれる人が。しかも、源氏全五十巻分を、ぽんっ!!と。
大体『源氏物語』が出来上がってから、50年近く経っている時代ですから、全巻持っている人がいてもおかしくはないですよね。
現代風に言うのならば、10年位前に爆発的にヒットした長編漫画の全巻を、「これ、好きなんだってね。あげるよ」と全巻、親戚のおばさんがくれた感じでしょうか。
その他の物語は、はっきりとした伝承は伝わっていませんが、その当時人気だった物語です。
こちらは源氏物語とは違って現代まで残らなかった物語の数々。
血筋なのかな……この叔母さんも相当物語好きですよね。
その大好きな物語を満杯に抱えて帰る気分は、空を飛んでるくらいのものだった。
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【第二段落】

-1文目-

はしるはしる、僅かに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ『源氏』を、一の巻よりして、人も交じらず几帳の内にうち臥して、引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ

〈訳〉

今までは断片的にとばしとばしで読んでいて、あらすじも良く解らずに、じれったく思っていた源氏物語を、一の巻から、たった一人で誰も入ってこない部屋で几帳の内側に寝ころびながら、櫃の中から引きずり出しながら読んでいく気持ちは、后の位を得ることなど物の数ではないと思うほどうれしいことだった。

〈文法〉

僅かに/ 形容動詞ナリ活用「僅かなり」の連用形
見/ マ行上一段動詞「見る」の連用形
つつ/ 反復の接続助詞
何/ 名詞・体言
に/ 格助詞
か/ 係助詞
は/ 係助詞
せ/ サ変動詞「す」の未然形
む/ 意志の助動詞「む」の連体形(係助詞の結び)
〈解説〉
そして、今までは全50巻のうち、1巻と5巻だけ。とか、16巻と、28巻だけ、とか、そんな感じで読んでいたので、続けて一気に読めるのが嬉しくてたまらない。
自分の部屋のベッドの上で、大量に漫画を積み上げながら一冊一冊読み進めていく気持ち。
体験したことのある人なら、歓喜ですよね。これ。
その嬉しさを、当時の女性の最高の地位だった后の位すら、どうでもよくなるぐらい嬉しくてたまらなかった、と後の筆者が表現しています。
大人になった作者が書いているんですから、「あの時はあれだけのことで、本当に喜べた。無邪気だったなぁ……」と回想しているんですね。
冒頭の、ショックな気持ちはどこへやら。完全に忘れています(笑)

-2文目①-

昼は日暮らし、夜は目の覚めたる限り、火を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の黄なる袈裟着たるが来て、「『法華経』五の巻を、疾く習へ。」と言ふを見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず

〈訳〉

昼は朝から晩まで。夜は起きていられる間中、燈火を近くに灯して、この物語を読むこと以外のことは何もしないで、自然と物語の文章をそらで覚えてしまうようになったことを、素晴らしいことだなぁ、と思っていると、ある夜。黄色の布の袈裟を着た非常に美しい僧が出てきて、「法華経の五の巻を早く習いなさい」と話してくれた夢を見たのだけれど、人に話すこともせず、また、法華経を人に習おうという気にも全くならずに、
〈文法〉
いと/ 副詞
清げなる/ 形容動詞ナリ活用「清げなり」の連体形
僧/ 名詞・体言
着/ カ行上一段動詞「着る」の連用形
たる/ 存続の助動詞「たり」の連体形
が/ 格助詞
来/ カ変「来」の連用形
て/ 接続助詞
習は/ ハ行四段動詞「習ふ」の未然形
む/ 意志の助動詞「む」の終止形
と/ 格助詞
も/ 係助詞
思ひかけ/ カ行下二段動詞「思ひかく」の未然形
ず/ 打消の助動詞「ず」の連用形
〈解説〉
そんな作者に不思議な幻想が。
夢の世界なのですが、当時、夢は現代とは違う感覚で受け取られていました。
誰かが夢の中に出てきたら
現代→自分が、その人のことを好きだから、夢に出るまで思ってしまった。
平安時代→相手が、自分のことを好きだから、夢の中に出るくらい、自分のことを思ってくれていた。
という、真逆の価値観があったんですね。
なので、この場合、相手側。
つまり、僧侶。お坊さんが、作者のことを心配して、出てきてくれた。
で、言うことは……
『勉強しなさい!!!』
だったんですが、作者は「まぁ、そんな夢見たけど、気にしない気にしない~」ということで、全く勉強しませんでした……
まぁ、ここまでは良いんです。
ここまでは。

-2文目②-

物語のことをのみ心にしめて、我はこの頃悪きぞかし、盛りにならば、容貌も限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなくあさまし。

〈訳〉

ただ物語のことだけを頭に一杯にして、「私は今はまだ(おさないから)美しくないけれど、成長して盛りの時期になったならば、顔も美人になるだろうし、髪の毛もうんと長くなって、光源氏の愛人であった夕顔の君や、宇治の大将の薫の君の愛人の、浮舟の女君のようにきっときっとなるだろう」……と、未来を予想していた自分の姿は、何というか、本当にとりとめもなくて、あきれたような状態だった。
〈文法〉
悪き/ 形容詞ク活用「悪(わろ)し」の連体形
ぞ/ 係助詞
かし/ 強意の終助詞
長く/ 形容詞ク活用「長し」の連用形
なり/ ラ行四段動詞「なる」の連用形
な/ 強意の助動詞「ぬ」の未然形
む/ 推量の助動詞「む」の終止形
※確述用法、強意+推量=「きっと~だろう」「~に違いない」の意
やう/ 名詞・体言
に/ 断定の助動詞「なり」の連用形
こそ/ 係助詞
あら/ ラ変動詞「あり」の未然形
め/ 推量の助動詞「む」の已然形
※「に」は、下にラ変の「あり」が、「あらめ」「あらむ」などの形で続く場合、断定の助動詞になる。受験必須の古典知識。テストにもよく出ます。

〈解説〉

「今はまだ子供だから、そんなに綺麗じゃないけど、大人になったらきっとこの物語の主人公達みたいに、とっっっても綺麗な女性になるんだわ!!」と思う女の子……

イタタタタ……と、男子が読んだら思うのかもしれませんが、女子が読むと……「あー……うん、まぁ、確かに思ったこともあるような、ないような……」という気分になる子は、居るかもしれませんね。(苦笑)

これが小学生低学年なら、まぁ分からなくもない。

けれど、問題なのは作者の年齢です。

平安時代の常識として、13歳は成人一歩手前ぐらいの年齢。今でいうのならば、高校生ぐらいでしょうか。

女子高生が「大人になったら、私、きっと美人になるから!!」と、漫画読みながら話していたら……と考えてください。

しかも、選んでいる女性は「夕顔」と「浮舟」

両方とも源氏物語に出てくる女性なのですが、この二人に共通している部分って……

美人
二人の男性(イケメンでお金持ち)に愛される

身分が比較的低い
最後は不幸(夕顔に至っては、怨霊に呪い殺されてますし……)
不幸なものに惹かれるのは、生活が幸福なことのあかしなのですが(本当にのっぴきならない状態だったら、不幸な物語なんか読めないはずです)、ここでもその例に習うようですね。
だから、それを回想しながら、作者も……
「あの時の自分は、痛かったなぁ……」
と、ため息吐きながら書いてる姿が、ちょっと想像できます。
40代の女性が、10代の自分を振り返って、「イタタタタッ……」と思いながら、でも赤裸々に包み隠さず描いているのは、反省の意味ももちろんあるのでしょうが、昔を懐かしく思い出しているからでもあり、そんな姿が当時の女性たちの心を打ったから(同じような人が多かったのでしょう)現代まで、残った作品と言えます。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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