ものとことば 解説その4


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ものとことば 解説4回目(その1 その2 その3)

今回は、具体例のオンパレードになります。そして、結論まで解説します。

この評論文は、中間に主題の抽象論がドンっと長くあって、その後具体例。ちょろっと結論のまとめ、という構成。

なので、真ん中の抽象論が解れば、あとは確認作業のようなものです。

【もし、抽象論が解らなかったら】

抽象論⇒具体例は、定番の評論文の流れ。
この抽象論をしっかり理解できていると、具体例はさらっと流し読みできるのですが、もし抽象論が全く理解できない、具体例が解らない場合、筆者が呈示してくれる具体例を読んだ後、抽象論に戻るクセを付けると、意外にすんなり理解できます。

解らなくても、そこで諦めたら試合終了です。

解んない時に、理解できるやり方を身につけると、何でも読めるようになる。投げ出す前に、具体例は読んでみる。で、抽象論に戻ってみる。

模試を乗り切る、ポイントです。

【前回までのまとめ】

-世界はものとことばで溢れているけど、存在しないものもある-

逆説のように思えるかもしれないけれど、世界はものとことばで溢れているはずなのに、自分が認識しないものはその人の中で存在しないものになる、という驚愕の事実。

知らない事はあるな~、とは解っているのですが、認知できないものは存在しないも一緒、とまで言われると、びっくりしますよね。

 

-ことばで表せないものは存在していないも一緒-

でも、植物の種類の豊富さはなんとなく解っていても、具体的に名前を知らない植物は、見たとしても「草があるなぁ~」としか思わない。

人でも一緒で、人が沢山居ても、知り合いではなかったり、名前を知らなかったりすると、「人が居るな~」になってしまって、その個体とか個性とかは別に知らなくてもいいとなってしまう。

この、別に知らなくてもいい、という感覚が、「存在していない」という言葉で、本文では表されています。

-同じものでも、違う認識を私たちは持つ存在-

その人が背負っている言語、文化、背景、環境が違えば、「もの」そのものは一緒だったとしても、違う印象を受けるようになる。

所変われば品変わる……ではなく、所変わると、イメージ・価値が変わる。

例えば、漫画とかアニメ。

最近では日本国内でも評価が高いものもありますが、基本的に娯楽性の高いもので、子どもが楽しむものという認識が高いです。

けれど、ヨーロッパでは芸術品として日本のアニメの映像や、イラストが扱われています。

値段や価値感も段違い。

ヨーロッパの文化背景では、想像を描き出したものは、全て芸術品なんですね。これは凄い認識の差です。

逆にヨーロッパでは凄く価値のあるものとして扱われているものが、日本では全く価値が低く扱われているものも。

例示は、水。

ヨーロッパ・中東などの大陸文化の中では、水はとてつもなく貴重品です。けれど、日本は基本的に水にとても恵まれているので、相対価値は低くなる。

あって当たり前のものだから、毎日お風呂に入るのが常識になったりする。ヨーロッパでは毎日お風呂って、結構贅沢なことです。だから、体臭を消す為に香水が発達した。

でも、日本だとある意味当然のことで、日に何度も入る人も珍しくないくらいです。汗をよくかく夏には、朝にさっとシャワー浴びて、夜にゆったりお風呂に入る人って、「お金持ちだな~」とか思いますか? 思わないですよね。

それは私たち日本人にとって、水は豊富にあるという認識だからです。

「水」は全く同じです。「お風呂」「身体を洗う」という事も同じ。

でも、価値感は全く違う。




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となると……「ことば」って、同じ様で同じじゃない。そのものの「価値」も、全く違う。

なら、もしかして私たちは、「ことば」が創り出す、イメージの中で生きている。そのイメージって、虚構のもの。つまり、嘘なんじゃないかな? と、続きます。

では、本文を読んでいきましょう。

【第22~29段落】

もしかしたら、虚構の歪んだ世界を私たちは見ているの、かも?

-机って、何?-

「机を、机という言葉を使わずに説明してください」

と質問すると、大概「えっ? 作業するためのもの」とか、「木で出来てる?」
「椅子に座って、勉強するもの」「座ってじゃないの?」「ガラスのやつとか、色々あるよね」とか、色々出てきます。

こう考えてみると、机を形態、素材、色彩、大きさ、脚の有無、及び数といった外面的具体的な特徴から定義することは、ほとんど不可能であることが分かってくる。(本文より)

特徴で定義は出来ない、って事は、一括りにできるものがないって事です。

それそのものの特徴では、全く違う観点からくくらなきゃ、机の意味が定義できない。素材・質は全く関係ないっていう、とんでもない結論に。

そこで机とは何かといえば、「人がその上で何かをするために利用できる平面を確保してくれるもの」とでも言う他はあるまい。(本文より)

ここで、ポイントが出てきました。

そう。「人」

人の視点で定義した時、一気に定義が出てきて、全部がくくれてしまう。

そのものの、質とか価値とか素材とか、どうでも良い。

「人」がどのようにそれを必要とし、どうやって使っているのか。

それが解れば、全てくくれてしまう(笑)一気に解決です。

「ことば」って、あくまでも「人」のために作られているんですよね。

 

-「机」の定義は、あくまで人間との関係性で決定されるという不思議-

注意してほしいことは、この長たらしい定義のうちで、人間側の要素、つまり、そこにあるものに対する利用目的とか、人との相対的位置といった条件が大切なのであって、そこに素材として、人間の外側に存在するものの持つ多くの性質は、机ということばで表される「もの」を決定する要因にはなっていないということである。(本文より)

「机」の定義って、必ず「人」が関わっている。

というよりも、「ことば」で表す限り、必ず「人」の存在を入れないと、定義。つまり、意味づけが出来ないんです。

机を構成するものが、鉄であろうが、段ボールであろうが、プラスチックであろうが、木であろうが、どうでも良いんです。

人間とって大切なのは、あくまで「自分達」であって、人間がどう使うか、という見地に立って全ての「ことば」は作られています。

猫とか犬にしてみたら、自分の上にある板が、机であろうが椅子であろうが、ベッドの底板であろうが、全く関係ない。むしろ、どうでも良い。(いや、犬とか猫と話せるわけじゃないですが……きっとどうでも良いんじゃないかなと(笑))

「ことば」って本当に、「人」が中心で作られているんです。人が創り出した道具だから、仕方がないといえば仕方がないのですが。

 

-人間の見地・人間に有意義な嘘の世界-

このようにことばというものは、渾沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の分節を与え、そして分類する働きを担っている。(本文より)

人間が自分達の意志疎通に便利だから創り出した、言語。「ことば」という道具。

なので、その成り立ちからいっても、徹底的に人間に都合のいいように出来ています。

私たちは、ことばでいろんなものを分けています。

けれど、それって、本当に意味のある分類なのでしょうか?

例えば、食品においても、ざっくりと炭水化物・脂質・たんぱく質と分かれていますが、その分類って、「これ食べたら、人間にとって有益だよー」という分類ですよね。

筋肉ほしいなら、たんぱく質は必須だし、勉強するための燃料が必要なら、炭水化物(糖類)だし、痩せたいなら脂質は控えた方が良いだろうし。

でも、食べられるものの立場にたったら、脂質を種に貯め込むのは、発芽の為だし、タンパク質はほとんどその生物が生きていくために必要なものだし、炭水化物だって成長の為のエネルギー源です。そもそも、人間の身体のことを考えて分けられた3分野だから、動植物からしたらどうでも良いことですよね。

と、いうことは、「ことば」での分類って、人間の立場を離れたら、どうでもいいことになる。

つまり、「ことば」で作られたイメージって、虚構=嘘なんじゃないのか、って話になってくるんですよね。

 

-ことばが持つイメージは、本質的には嘘である-

言語とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区分された、「もの」や「こと」の集合であるかのような姿の下に、人間に呈示して見せる虚構性を本質的に持っているのである。(本文より)

 

ずうっと「ことば」とひらがなで書いてきた表現が、ラストでいきなり「言語」となっています。

筆者にとって、

「ことば」=意味をあらわすもの。
「言語」=文法のシステムや表記の違いがあるもの。

という明確な線引きがあって、本文の中で使われています。

つまり、日本語だけでなく、人間が存在し続ける限り。その言語を使っている人間がいる限り、常に作られ続け、世界を区分し、分けて、理解しやすいように整理してくれるんだけど、それってただのイメージであり、場所が変われば当然見方も価値もイメージも変わるのだから、ある意味では虚構=人間が勝手に創り出した世界=ファンタジー=嘘の世界だと。

ことばが創り出す、「嘘」の中で、私たちは生きている。

ことばには、言語には本質的に人にイメージを与える力があるのだから、そうならざるを得ないんですね。

 

【今日のまとめ】

-ことばは人間が作り出した嘘の世界-

言語は本質的に虚構性を含んでいる。

つまり、人間が創り出した嘘のイメージで、私たちはこの世界を生きている。

その事実を知ってくれと、筆者はこの文章の後に続けたいような感覚を持ちました。

だからこそ、昔は駄目だと思っていたものが、ことばを言い換えたりすると途端にいいものだと思うようになったり、または逆も起きたり。

結構私たちは、ネーミングで価値感を左右されがちなんですよね。

それを知っておくだけでも、気をつけられることが多くなります。

今日はここまで。

全体のまとめは、また明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

続きはこちら⇒ものとことば 解説その5 まとめ


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