昨今流行りのアドラー心理学では、「人の悩みは全て対人関係に集約される」と言い切っています。人間が、社会性のある動物である以上、10代でも、大人でも、悩みの根幹は全て他者との関わりの中で発生している、という考え方。(ちなみに社会、って何でしょう? 辞書を引かずに、違う言葉で言い換えてみてください。これ、言えたら国語偏差値65は確実です。大概は、詰まるはず。すらっ、とノータイムで言えたら、拍手!)
悩み事って尽きない。それぞれの年代で、皆立ち向かわなければならない課題があるからこその、言葉なんだなと岸田先生の「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読みながら思ったものですが、逆を言えば悩み事が無くなった瞬間、人は幸せも感じなくなるのかなと感想をいだきました。
辛いことがあるから、楽しいことを楽しいと感じられる。
嫌われた経験があるから、好かれる事を大事だと思える。
感受性や感性が人一倍鋭いと言う事は、耳当たりの良い様に聴こえるかもしれませんが、それだけ大量に色んなものが見えたり気付けたり、その分色んな事に傷付いているからこその、能力なのかもしれません。
そんな、傷付いてボロボロになった時。論語の中には様々な面で視野を広げてくれる一言が、存在しています。
【人に言えない悩み事は、古典からヒントを得よう】
中学や高校時代に初めて論語に触れた時。正直、堅苦しい言葉と、語られている聖人君子の姿が余りにも遠過ぎて、そんな素晴らしい人になれる筈も無いと思いながら読んだものですが、今こうしてじっくりと繰り返し読んでみると、当時とは違った感覚で読むことが出来ます。
そして、孔子自身も悩みながら、学びながら、弟子たちと一緒になってこれらの言葉を残していったのだと思うと、ただの学習だけで通り過ぎるには勿体無いくらいに、心の支えになってくれる言葉があります。
これで私に絵を描く才能とかがあったら、解りやすい様に四コマ漫画にすることが出来るのでしょうが、超絶絵が下手なので、(生徒の前で描くと、大概笑いの渦です。ええ、もう開き直って描くけどね。絵を描くだけで、居眠りしている子が起きてくれるなら、万々歳だ)それは断念して、出来る限り難解な論語を、解りやすい言葉で書いていきたいと思います。
悩み事は誰かに話すことが出来れば良いのですが、それが中々出来ないのもまた、人間だから。でも、お父さんお母さん、先生の言葉だったら自分に近過ぎて腹が立ち、素直に聞けないことも有るけど、おじいちゃんおばあちゃんの穏やかな言葉だったら、距離があって素直に聞けることも有るものです。
何千年も前に生きている、究極のおじいちゃん。孔子先生に悩み事を聞いてみましょう。ちょーっと、偏屈で厳しいけど、親しみやすくて根は結構優しいです。優し過ぎて、叱るときは少々容赦ないけど(笑)
【論子 学而1-1】
原文(白文)
子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。
原文(書き下し文)
子曰(いわ)く、学びて時に之を習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有り遠方(えんぽう)自(よ)り来たる、亦た楽しからずや。人知れずして慍(いか)らず、また君子ならずや。
訳
先生は言われた。「学んだことを、丁度良い時に復習するのは、喜びだね。勉強仲間が遠方から自分を訪ねてくれるのは、楽しいことだね。人から認められなくても腹を立てない。それこそ、君子とも言うべき人のあり方だね」
解説
この文は長大な論語の始め。『学而』の冒頭に書かれている文です。
学ぶ人の姿勢、が書かれている文ですが、これって人に好かれる人。つまり、魅力ある人の特徴を短くまとめてみたものです。
孔子の凄いところは、本質をぱしっ、と短く切り取るところ。そして、観点が明確で、すっきりとしているところです。けれど、現代人が読むとスッキリし過ぎていて、逆になにがなんだか解らなくなってしまう。なので、三つの観点を解りやすくまとめてみます。
【ポイント1 好奇心旺盛で視野が広いこと。】
学んだこと、というと、すぐに勉強に結びつける人がいますが、別段これは勉強だけのことを言っているのではなく、広い意味での学びです。
たとえば、運動部等の部活動などでは、最初から試合に出してもらえる事など皆無ですよね。大概は、地味なランニングや筋肉トレーニングを繰り返しさせられる。全国強豪校等になると、本当にこのトレーニングは計画的に、凄まじい内容のメニューで作られているそうです。
それをやっている時は、やることに夢中で何も考えられないのが正直なところですが、段々慣れてきて、楽にそれがこなせるようになってきた時。ある時、試合で出来なかったプレイが急に出来るように成ることがある。すると、地味にやっていた筋トレの意味が理解できて、身についた事を嬉しいと思えるようになる。
料理とかもそうです。基本をしっかり守って作った後、もう何も見なくとも当たり前の様に作れるようになって初めて、もう一度料理の本を読んだり、人に習ったりすると、無意味だと思っていた下ごしらえや面倒だと思っていた準備、野菜の切り方などの意味に気付けるようになります。
本もそう。
一旦習った教科書の例文も、勉強した後に一旦おいて、寝かせておいて、ふとした時に読みなおしてみると、以前とは違った感想を抱き、昔には気が付けなかった場所に気が付けるようになる。
つまり、アンテナが広く、色んな事に気が付ける知識が有り、視野を常に広げ、好奇心を持って既に知っていることですら、気軽に触れてみようと本を手に取る。行動に躊躇が無く、フットワーク軽く色んなものに触れる回数の多い人間が、結局のところ知識に触れる回数が圧倒的に増える。色んなものを吸収できるから、自然と魅力的な人間が出来上がる、と言っているのです。
しかも、それを努力で行っているのではなく、「楽しいなぁ~」と、心底面白がってやっている。
基本、人というのは根暗で孤独な雰囲気の人よりも、楽しそうで雰囲気の良い人に惹かれますよね。もう既に知っていることでも「ああ、それ知ってる。だから、必要無い」みたいに、シャッター、ガラガラぴっしゃん!!って目の前で閉められると、会話を楽しむ隙間もなくて、2度と声をかけるもんかって思っちゃう。けど、知ってても「ああ、それ、知ってる。たしか~~ってことだったっけ?」とか「読んだこと有るけど、なんだったけ? 忘れちゃったなぁ。教えて」と聞かれたら、此方としても話しやすくなりますよね。
自分と全く同じ存在はこの世には居ない。当たり前のことなんですが、これは、逆を言えば自分の考えと全く同じ意見を持っている人は存在しないことを指します。全ての人は何かしら、自分と違う意見を持っている筈。だからこそ、これを解っている人は興味を持って人の意見に耳を傾けることが出来る。これを、『傾聴』と言います。
傾聴は、好奇心が強く、また視野が広い人しか出来ないことです。
既に知っていることで有ったとしても、もう一度触れればまた違う見方が出来るかもしれない。それを楽しんでやっている人とは、学ぶのが上手い人だから是非友達に成りたいものだね。
孔子はそう言っているのです。
【ポイント2 親友が居ること】
敢えて、友達、とせずに、親友、と書きました。
「天才は孤独である」という言葉が有りますが、実際に科学者が、圧倒的な成果を上げている天才を直接調べたところ、孤独な天才は存在しなかったそうです。天才は、必ず親友がいる。これは、友人の数が多い、という意味ではありません。人は、例え友人が沢山居ても、周りが沢山の人で溢れていても、孤独に陥ることがあります。人に囲まれている方が、寧ろ疎外感や孤独感を抱きやすいことは、学校生活を経てきていれば、解るでしょう。
けれど、成果を出している人。つまり、圧倒的に高いレベルで成績が高い人には、必ず仲のいい親友が、数人いる。
天才の友人は少数で、そして付き合いが深く、長い。たった数人で良い。自分のことを解ってくれている存在が居れば、それで良いと、彼らは無暗矢鱈に交友関係を広げようとしないのです。
自分と違う分野であったとしても、同じように頑張っているからこそ、解り合う事が出来る親友と共感し、解り合う事が出来れば、充分過ぎるほど生きることは楽しくなるはずだ。それで満足できないのならば、何処かで何かが歪んでいる証拠である、と短いながらも、耳に痛い孔子の言葉が胸に突き刺さります。
人は鏡だと言います。
頑張る人には、頑張っている友人が集まる。
逆もまた、然り、ということ。
あなたという人間を判断したければ、友人が何をしているかを見れば良い、ということにも繋がりますね。
【ポイント3 己と違う意見の他者を許していること】
人から認められなくとも、腹を立てない。これは、言うは易く、行うのが難しい言葉です。
たとえば、自分が好きな野球チームやサッカーチーム。映画や小説などの作品や、食べ物、土地、芸能人、番組、音楽、アーティスト、それら様々なものを目の前で思いっ切り貶されたとしたならば、あなたはどんな気持ちになりますか?
人は、自分が好きなものを、どうしても周りに伝えたくなるものです。そうして、同じように好きになってくれて、共感してくれる人がいると、それだけで嬉しくなる。ポイント2で話した、親友の存在です。だからこそ、その共感の楽しさを知っているから、それが欲しくて自分の意見を相手に伝えようとしてしまう。
それが悪いと言っている訳ではありません。けれど、それを続けていくと、どうしても自分と違う意見、というものとぶつかる時が存在します。
この世には、人が10人居れば、自分を好きになってくれる人は2人、逆に嫌いになる人も2人存在して、どうでも良いと感じる人が6人存在する、2対6対2の法則が有ります。どんな正しそうに見える意見でも、それを嫌う人が、二割は存在する。
誰からも好かれる人、というのを嫌う人は居ます。傍に居ませんか? ベストセラーや人気作だから、見たくなくなる。皆が良いという作品は、逆に胡散臭くて観たくないって、天の邪鬼な意見を言う人。(笑)
で、そんな意見を持っている人を、無理矢理強引に納得させようとすると、此処で争いが起きてしまいます。
自分の意見が正しい。自分の意見を認めろ、とやってしまうと、これは無意識に相手が間違っている、という意見を押し付けてしまう事になってしまいます。そして、人は押し付けられると拒絶感が強くなってしまうもの。余計な争いを産んでしまい、治まるどころか、却って炎上してしまう例示は、後を絶ちません。
だからこそ、共感できる親友がいてくれるのだから、それで満足し、違う意見を持っている人と戦わない。自分の意見が相手に受け入れられなくても別段気にもせず、違う意見を持っていることを認め、「そっか、あなたはそう考えるんだね」とからりと笑える人間は、素敵だねと言っているんです。
一旦、相手の意見を受け入れる。それで良いと、変える様な事はしない。違う意見を持っていても、良い。私の意見を受け入れなくても、別に全然構わない。だって違う人間だから、違う意見を持っていて当たり前だものね、と。
他者を無理矢理変えようとしない人間は、精神的な余裕を持っています。それに、相手を変えようとしていないから、争いと無縁で居られます。自分の考えをしっかりと持ち、その考えを持つ為に好奇心を持って様々な知識を学びとり、親友と共有しながら、人に認められなくとも、それを恨まず妬まず、他者を無理矢理変えようとせずに、自分が好きで、楽しい事を続けていく。
そんな人間の周囲には、自然と人で溢れるものです。
不思議なのですが、教える立場になると之は本当に真実だなと実感します。
何とかして点数を上げよう。この子を変えようと思って色々しても、変わりません。寧ろ、どんどん悪くなっていく。勉強しろとどれだけ言っても、生徒は勉強するようには絶対にならない。逆に、「好きにすればいいよ。自分に合う方法を探してごらん」と選択肢を与えて、どっちを選ぶか。生徒自身で選ぶようにして、求められた時にヒントと手助けをするようにしていくと、伸びが違います。
他者を認めさせようとしない。そんなことで、人は動かない。寧ろ、相手を屈服させようとすればするほど、妬みと恨みの世界へと落ちていくだけです。だったら、そんな地獄とはきっぱりと線を引き、人の評価など気にせず、解り合える友達と楽しく過ごして、昔学んだ本を読んで、新しい視野を持とうね。と、孔子は勧めているのでしょう。
【まとめ】
魅力的な人間になる為のポイントは、
1 好奇心を持って、様々な知識に触れること
2 共感を分かち合える大事な親友を作ること
3 自分と違う意見の他者を許すこと
すぐには出来ないかもしれません。けど、出来たら素敵だなと思って、他人や悩み事に振り回されそうになったら、この言葉を呟いてみてください。
きっと孔子も、腹の立つことが沢山あったんだと思います。
彼が生きた時代は戦乱の時代です。他者に騙され、裏切られ、利用されて、ボロボロにされる。殺さなければ此方が殺される。弱肉強食の世界です。世の中には、どうやって効率的に人を殺し、争いに勝つことが出来るのかを重視していた時代です。
その時代に、生きることに一番大事なことは、仁。他者を思いやることだと説いた彼の意見が、人からそっぽを向かれたのは理解出来ることです。けれど、彼は絶対に自分の考えを曲げなかった。そして、万人に受け入れられずとも、そのことを恨まなかった。
もしかしたらこの言葉。弟子たちに、というよりも、孔子が自分に向けて呟いていた言葉なのかもしれません。
人知らずして慍らず。亦た、君子ならずや。
認めて貰えなくとも、面接で落ちても、聞いて貰えなくても、テストで良い点取れなくとも、恨まない。
そんな時間の過ごし方を出来るひとが、逆に人から認められていくのかも、しれませんね。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
コメント