こんにちは、文LABOの松村瞳です。
関東は長雨続きですが、そろそろ夏バテが出てくる時期でも有りますよね。もうちょっと踏ん張れば、豊穣の秋です。もうすぐで夏も終わるのかと思うと、ちょっと寂しい気もしますよね。何事も、思った通りにはならない。予定していたはず通りには進まない時、「ああっ……」と溜め息吐いて下を向きたくなる気持ち、とっても解ります。
けれど、古典を読み解き、現代でも成功しているミリオネアやビリオネアの本などを読んでいると、ちょっと面白い共通点に気がつけます。古典って面白いなぁ、って思うのはこういう時。読み解くのは、最初にちょっと知識が要りますが、そこを抜けると迷った時の考え方や受け止め方を教えてくれる、最良の相談相手です。
本だけでなく、何百年も残っている物に心が惹かれてしまうのは、科学技術がどれだけ進んだとしても、私達人間が心惹かれるものや悩み、苦しみは、基本的に変わらないってことの証なのかもしれません。
で、今日の古文は徒然草から。勉強でも課題でも仕事でも、予定して計画してスケジュールだけはしっかり立てるけど、思い通りに進まない。そんな時、溜め息を吐く前に読みたい、ほっとする文章です。
【原文】
今日はそのことをなさんと思へど、あらぬ急ぎまづ出で来てまぎれ暮らし、待つ人は障りありて、頼めぬ人は来たり。頼みたる方のことは違ひて、思ひ寄らぬ道ばかりはかなひぬ。煩はしかりつることは、ことなくて、易かるべきことは、いと心苦し。日々に過ぎゆくさま、かねて思ひつるには似ず。一年のうちもかくのごとし。一生の間もまたしかなり。
かねてのあらまし、みな違ひゆくかと思ふに、おのづから違はぬこともあれば、いよいよものは定め難し。不定と心得ぬるのみ、まことにて違わず。
【現代語訳】
今日、やろうと思っていたことだが、別の急用が入ってしまって、急いでそれを片付けていたら一日が過ぎてしまったことがあったり、今日家に遊びに来ると約束していた人が都合が悪くなって来なくなったと思っていたら、全然思いもよらなかった人が訪れてくれたりすることがある。期待している方面の事柄は予想と違って上手くいかず、一方全然期待をしていなかった事柄が思いも掛けずに上手くいったりすることも、ある。面倒だ、厄介だと思い込んでいたものは、やり始めてみたら案外するすると簡単に出来てしまい、こんなもの簡単だと思って油断していたものは、結局苦労することになることも、ある。毎日が過ぎていく様子は、以前想像していたこととは全く違っている。一年の間でも、予想通りには進まない。一生も、似た様なものである。
けれど、あらかじめ予想していたことが全部外れるのか、というとそうとも言い切れず、たまには上手く予想通りに進むこともあったりするから、ますます前もって決めてしまう事が無意味に思えてしまう。要するに、物事は不確かで定めることが出来ない物だということだけ知っておくことが、真実であって間違いは無い事なのだろう。
【解説】
この文章。とても大好きな段です。
兼好さんの考え方に、無常観が存在しているのですが、平家物語の様に栄えたものが必ず滅びる、で終わるのではなく、一度沈んだものもまた栄える場合も確かにある、といった両面をきちんと文章にしてくれるのが、兼好さんの良いところです。
今回は、未来の予定。思った通りに物事は進まない話です。
予定していたものが、全く予定通りに進まない。会えることを楽しみにして待っていたのに、来ない人もいれば、会えるなんて思ってもいなかった人から連絡が入ることもあるし、難しいって思いこんでたものが実は意外に簡単で、逆にこれぐらい簡単にこなせる、大丈夫! と思っていたものが、物凄く難しかったり……思い通りに人生って進みませんよね。
余談ですが、この、簡単だと思っていたけど、結構難しくて厄介、というのは、小論文の定番です。
皆、文章ぐらい簡単に書けると思って、実は全く書けない自分に真っ青になるのが、小論文の初歩です。書けない子ほど、何故か自信満々なんですよね。大学受験の小論文は最短でも、三ヶ月はかかります。そろそろ推薦文の用意も考えなければならない時期なので、皆準備始めてくださいね。
脱線を戻し……(笑)
毎日が過ぎていくなかでも、中々予定通りになんて進まない。一年の計画でも、そうだ。一生も、多分そんなものなのだろうと、小さいことから段々大きいものに移行していく書き方は、説得力が違いますね。確かに、テスト計画表とか学生の時に書かされましたが、そんな計画通りに進んだことは一度として無く、予定通りに進むことは相手がいる仕事だったらまだしも、プライベートはかなり厳しいものが有ります。皆さま、今年ももう半分以上過ぎていますが、1月1日に立てた今年の抱負。叶っているでしょうか?
よし、頑張る!! 数学、何とか克服するぞ!!と頑張って始めても、頑張っているのに全然進まない。点数、全然動かない、と言う事も有れば、全く勉強していない世界史でぽんっ! と学年トップが取れたり、あんまりやってない教科が何故か取れたり……成績って解らないものです。
周りから評価されたいと願っている部分が全く素通りされて、自分で余り特別だと思っていない様な部分が、妙に高評価を受けて首を傾げることになる。皆から褒められる部分は、「別にそんな凄いかなぁ?」と思う部分で、逆に上手くなって欲しいと願って頑張っている部分は、全く変化が無い。
人間は既に持っている物には、価値を見出さない性質が有ります。
息をするように、自然に身に付けてしまったものを「凄いっ!」と言われても、努力して身に付けたものでもないし、自分にとってはこれが当たり前だから凄いとも思わない。これは当然の理屈です。意識して頑張ってなくても出来る。それが当然だし、その感覚が毎日続いているから、他人も同じなのだろうと勘違いしてしまうけれど、意外にそれが稀有な才能だったりするものです。
そして、出来ない物。持っていない物に人間の意識はどうしても向いてしまいます。コンプレックスですね。口に出してしまうと、「ええ? そんなことが? 気にすること無いのにっ」と、友達から言われたこと、有りませんか?
本人にとっては重大な問題なのに、周囲からしてみれば、たかがそんなこと。気にすることじゃないよと言われてしまう事が、妙に気になったり、どうしても忘れられなかったりするものです。
人間って、持っているものには価値を見出せず、持っていない物を欲しがってしまう。みんな、そんな性質を持っているのです。だから、人生上手くいったように思えないし、幸福を感じにくいようにそもそも出来ているのです。
予想通りにいかないし、失敗すると思ってたものが大成功したりもする。
けど、意外にも全部が全部、そういう訳でも無い。たま~に上手くいくこともあったりするし、予想通りに行く時も有るから、未来を定めないほうが良い。定まっていない、と思っておくのが、多分間違いないんだろうねと、兼好さんは締めくくっています。
【未来は定まって無いから面白い】
多くの成功者の手記や自伝などを読むと、面白い事に一定の成果を出していらっしゃって、長い期間成功し続けていたり、一度失敗してもまた這い上がってきたりする人の考え方には、ある共通点が見えてきます。
それは、この無常観を持っているか持っていないか、です。
つまり、失敗をしたけれど、そのままずっとその状態が続くわけでもないし、成功したらそれで終わり、なんて有るわけがない。沈む時も有れば、失敗だって有りうる。でも、それで終わりな訳では無い。という考え方をしているということです。
普通、一度失敗してしまったら……それが、人生をかけた物事での失敗だったら、もう自分の未来は先が真っ暗だと落ち込み、二度と失敗しないようにと安全な道を行きたくなってしまいます。大学受験で失敗したり、就職試験で失敗したり。学生たちが、一様に沈み、もう二度と傷付きたくないと心を閉ざしてしまうのも、解らなくは有りません。
失敗しない道を、誰もがいきたい。傷付きたくない。そんな、大変な道。進みたくないと思ってしまう気持ちは、痛いほど解ります。
けれど、成功者は真逆な考え方をします。
勉強、ゲームとかスポーツ、全ての物事で、一番面白い時期って、何時だと思いますか?
百点取りまくっている時でしょうか? それとも、逆に取れない時?
物事って不思議なんですが、出来るようになってしまった時よりも、出来なかったことが出来るようになってくる上り調子の時が一番楽しいものです。難問のクイズでも、解けそうで解けない時が一番楽しいですよね。もう解ってしまった問題は、何にも興味が沸きません。解りそうで解らないものが人を惹きつけるのは、もうちょっと頑張れば出来るかもしれない! と思えて、ワクワクするからです。既に解っているものに、人は興味を抱きません。解るかもしれない。けど、解らないかもしれないギリギリのラインを行ったり来たりするから、面白くて夢中になる。
そして、成功者は等しく、この感覚を皆さん持っています。
調べてみると面白いのですが、成功者は最初から順風満帆な人生を送っていることは少なく、その殆どが人生のどん底から這い上がっています。そして、その時期が苦しかったけれど今となっては楽しかったと、語っているのです。
出来ないことが楽しい。自分の思い通りにならないことの方が、より楽面白いし、どうやったら上手くいくのか考えるのが、楽しくて仕方がない。最初から上手くいくことなんか、興味は無い。上手くいかないことをどう上手くさせるのか。その工夫が楽しいのだと彼らは言うのです。
決まっている物など面白くない。失敗をした時ほど、彼らは喜ぶと言います。科学者もそうですね。優秀な人ほど、予想が外れたことを喜びます。なぜなら、異常が起こったと言う事は何処かに欠陥がある。直さなければいけないポイントが見つかったから、今までとは違う。新しいものを見つけられるかもしれない。予想外のものを生み出せるかもしれないと、目を輝かせるのです。
予想通りにいったなら、更に次。上手くいかなかったら、目を輝かせてどうやれば上手くいくだろうかと挑戦し続ける。
偉業を成し遂げる人たちは、等しくそんな考え方をしているのが、彼らの考え方から読み取れます。
【成功も失敗も、同じ状況は続かない】
成功している理由の根幹は、ここです。
普通は、失敗が怖くて、一度失敗したら閉じこもりたくなります。そして、二度と傷付きたくないと防御の姿勢になってしまう。二度と傷付かない唯一の方法は、何も挑戦しないことです。動かないこと。そのままで良いと何もしなければ、傷付くことも有りません。
けれど、停滞は衰退を招きます。挑戦をしない人が成功を手に入れることははっきり言って有り得ません。世の中の多くの人が挑戦を辞め、ほどほどで良いという風潮の中。恐らく、成功者はこの風潮を喜ぶでしょう。だって挑戦する人間が少なくなるのならば、挑戦した者が圧倒的に長けます。失敗を重ねることは、失敗の状況が長く続くことでは無く、何かしらの改善をしろという合図です。それを受け止め、分析し、改善をするには、先ず失敗の経験を積み上げなければ無理です。
動いたものが勝ち上がっていく。そして、未来は決まらず、常に動き続けるからこそ、それを楽しいと思い、動き続ける人間に、人は惹かれていくのでしょう。そして、失敗の原因が改善された時。大きな成功を成し遂げます。苦労しているときは世に出ていないので、私達は知りえることはありません。だから、簡単に成功を収めている様に見えてしまいますが、彼らはその前に膨大な失敗を積み上げ、更に言うのならば出来ないことを楽しみ、予想通りにいかないことを、真理として受け止めて果敢に挑戦したからこそ、成功を成し遂げるのです。
未来は不定。定まっていない物。だからこそ、今上手くいかないからと言って、顔を下に向ける必要は有りません。未来も上手くいかないとは誰も決めていない。決まっていない。
けれど、それを「どうせ自分が頑張っても……」と限った瞬間に、不定のはずの未来が決まってしまいます。
未来は定まっていない。定めてしまうのは、私達の単なる思い込みだと言う事を、兼好さんは教えてくれています。
だからこそ、今上手くいかないことがあるのならば、どうやれば上手くいくのか。今は、工夫を楽しむ時期なんだと、思ってみてください。物事は、楽しんだ人間が最強です。どうせ上手くいかないなら、違う事に意識を向けてみたり、これ以上悪く成り様がないと思うなら、正面からぶつかって、やりきってしまうのも一つの手です。
失敗して傷付くよりも先に、面白いと思ってみる。無理矢理でも良いから、頭の片隅に、ちょっと置いておいてください。落ち込んでいるより、きっとその方が晴れやかな気持ちになれます。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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