こんにちは、文LABOの松村 瞳です。
昨日に引き続き、テスト対策。実践編。
筆者に対する嫌悪感や怒りの感情が、判断力を低下させる、というお話をしました。
センターで言うのならば、大体六割前後から抜け出せない。上手く嵌っても、七割。八割以上が安定して取れないレベルの話です。五割以下は、また違った対策が必要になりますので、あしからず。(今後、必ず書きます)
【テスト必勝法 感情をもの一旦自分から切り離す】
-感情は暴走するもの-
感情というものは、本当に厄介です。
何せ、目に見えない。
目に見えないから、コントロールが上手くないと、簡単に暴走します。
ですが、テスト。ひいては勉強全般に言える事なのですが、この感情に振り回される子は、テストで高得点を維持できません。例え高得点になったとしても、乱高下し、良い時と悪い時の差がとても激しくなり、良い時の点数で志望校を絞って悪い時の原因追究をしない為に、望んでいた結果を手に入れることは難しくなります。
-目的を明確に定める-
昨日のおさらいです。
国語。特に評論文のセンター問題は、意地悪です。筆者もひねくれ者で簡単な事を難しく言います。それを更に出題者がわざと難解な選択肢を作って、迷わせようとします。だから、受験生はイラついて堪らなくなる。国語の試験が終わった後、ぐったりと疲れている子は本当に多いです。(主要三教科はどれも同じでしょうが)集中力と神経を使うからなのでしょうね。ほんのちょっとの語彙の違いが、正解不正解を分ける。しかも、1問間違えばごっそり八点も引かれていく。大打撃です。
重要なことなので何度も書きますが、国語の出題者が受験生に何を求めているのかを頭に叩き込んでください。
出題者が受験生に求めている事は、書いてある文章の内容を正確に把握し、その内容を違う言葉で言い換えをするだけ。これだけで、良いのです。だからこそ、そこにあなたの感情や考えていること。思ったことや、主張したい部分は入れてはならない。
ですが、イラついているとこれが途端に出来なくなってくる。賢い子。人よりも色んなものが見えてしまう子程、この傾向性は強いです。理系組で国語が苦手な子は、特にそうですね。徹底的なルール重視で、原則を理解し、確実に論理を積み上げれば、必ず正解に辿り着く理系の世界では、法則性が見えにくい文章は訳の解らないものに見えてしまうでしょう。
しかもそこに書いてある論理は、絶対的なルールでは無く、単に一個人(と言ったとしても、評論家や大学教授の書いたものなので間違い、という訳ではないのですが、その文章が千年間通じる絶対的な論理か、と問われると微妙になってしまうのは致し方ありません)の見解で有り、数字や実験結果等で根拠を客観的に現すことが不可能な分野が主軸です。芸術とか心理学だとか文学論や教育論、社会学論etc.etc.
答の無い分野だからこそ、論争が起こるし、反論もし易い。それを解っているから、筆者は自分の意見を補充するために根拠を示そうとする。でも、数字が使えないから、誰かの言葉を引用して補強する。解りやすい、誰が見ても間違いようのない数字での立証では無く、他人の意見への見解や説明が延々と続くから、結論が間延びになって混乱する。(その引用が古典文だった時には、投げ出す子も居るぐらいです。古典の嫌われっぷりは凄まじい物がありますね(笑))
-意識から文章を切り離す-
そこで大事になってくるのが、自分のコントロールです。
筆者に怒ったって、何にもなりません。敢えて言い切りますが、どうせテストが終われば、関係が終わる相手です。そこまであなたが執着する価値はありません。テスト中に筆者に怒っても、相手が目の前に居ないんだから喧嘩にすらなりません。不毛です。時間と感情の無駄です。そんなことに、大事なあなたのエネルギーを使わない。振り回されない。
これは、文章に対して解りにくい、とか、解りやすい。好きだ、嫌いだと判定している子ほど、やり方を変えれば点数が上がります。
冷静になる。俯瞰する=距離を取る、と言う事がなによりも大事なんです。
どんな名画であろうとも、鼻先にあるぐらいの位置まで近付いてしまったら、何にも見えません。どんな名曲であろうとも、一部の楽器の音だけが爆音で聴こえてきたら、構成も何もあったもんじゃありません。
イラつきは、問題文の内容に対してこの近視化を簡単に引き起こします。そうして、相手を説き伏せてやりたい。負かしてやりたい。相手が間違っている。自分が正しいと立証したいと、本来の正確に読み解かなければならないという目的を無視して、暴走します。
思い通りにならない物に対して、人は早くそこから離れたいと思う様になります。そして、テストには付き物の時間制限が迫り、吟味をすること無く、君たちの心理をうまく誘導した出題者が、待ってましたとばかりに仕掛けておいたトラップの選択肢にマークを付けてしまう。
これがセンター試験の出題者が狙っている事です。
ならば、対応策はどうするのか。
テスト。特にセンターに限って言うのならば、読者にならず、『観察者』『傍観者』になってください。読者になってしまうと、筆者の意見に寄り添わなければならない。同意しなければならないのではないかと考える人が多いですが、そのスタンスで居ると反論したくなってきてしまいます。だからこそ、距離を取る。自分とこの文とは無関係であると、一先ず思う。
-当事者から傍観者へ-
以前、孫子の言葉で「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず(原文)」という言葉を紹介しましたが、(言い換えは、敵を知り、己を知れば百戦危うからず、になります。) 相手の弱点を知り、自分の長所を解っていれば、ちゃんと勝てるよ、という言葉です。相手の弱点。此処で言うと、テスト問題作成者の弱点、と言う事になりますが、ある意味問題作成者の弱点は、『絶対に誰の目から見ても納得出来る解答の選択肢を一つだけ作っとかなきゃいけない』って事です。「それ、解答として微妙だよっ!!」という突っ込みは食らわない様に。でも、解りやすくしちゃったら皆が正解するから、うまーくすり替えておく。特に、集中力が落ちた人間がどう言うミスをするのかを、ちゃんと熟知して作成しているっていう背景がある。
だから、センターの選択肢って、単語の前後の組み合わせが入れ換わっていたり、出題文で筆者が書いてないことが選択肢で書かれていたり(イラついてこれに引っかかる人がとても多い)、時代の設定だけが入れ換わっていて後は全部正しかったり、そんなせっっこい選択肢のオンパレードです。殆ど、間違い探しのクイズと同レベルです。(って言いきったら怒られるかな……でも、本当なのですよ。うん。)
だからこそ、筆者と喧嘩するなんて無駄なエネルギーは使わない。戦う相手は筆者じゃなくて、その影に隠れて毒針で此方を狙っている出題者です。
若者批判だろうと、テクノロジー批判だろうと、今の課題はその筆者の意見に反論することでは無く、同じことを書いてあるものを選び出すだけ。解答は目の前に有るんです。だからこそ、機械的な処理が必要になってくる。
頑張りに頼っては駄目です。寧ろ、それはテストでは害悪でしか無い。頑張ろうと思えば思う程に、感情に振り回される様になります。
【まとめ まわりを観察しよう】
高校生。特に進学校組。君らのクラス、もしくは学校で、ぶっちぎりで高得点を取っている子達は、どんな雰囲気の子ですか? ちょっと想像してみてください。
中学までは明るい、社交的な子が高得点を取っている時もありますが、高校になるとそれは一変します。
「こいつ、いつもぼへーっとして、何考えてるんだ?」
「何この人考えてるんだろう……」
「視線がどっか違うところ見てるんだけど」
「もしかして、なんか見えてる??」
そこまでいかなくても、なんか普通と「どっか違う」子が多いと思います。
彼らの共通点は、喜怒哀楽が傍目には非常に少ない(ように見える)。
本人達はちゃんと感情はあるんですが、あんまり外に出さないんですね。
だって疲れるから(笑)
感情に振り回されるのが、とても疲れることだと彼らは知っているのです。だから、無駄なことにエネルギーを使わず、筆者の意見に対しても「そういう考え方もあるか」の一言で終わる。ガンガン論争にまで発展させる子は、二番手です。何故なら、自分が果たさなければならない目的を見誤っているから。
でも、人間だから反論したくなっても当たり前!!
という叫びが聞こえてきそうです。勿論、感想を持ったり、筆者の意見に反論したりしたいのだったら、止めません。寧ろ、率先して私はその論争や、生徒の論理の展開に付き合いたい方です。(実際やっています)
ですが、今話しているのは、テスト時のテクニック。
テストを受ける目的は、大学合格。若しくは、様々な試験合格、が目的のはず。ならば、その目的を達する為に邪魔なものを一旦横に置いておこう、と言っているだけです。感情を無くせ、等とは言ってません。
傍観者、観察者になると、様々な事が見えてきます。
当事者から一歩離れる。
客観性を手に入れる。
その具体的な方法は、また明日♪
此処まで読んで頂いてありがとうございました。
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