評論文解説 「暴力の神話」山極寿一著 その4~まとめ 読み終わった後にすること ~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今回は、まとめ。人間のが暴力について考えていたことに対する、誤解を解くことが筆者の主張です。

面白いのですが、文章って読んでいくうちに「あれ? いま自分って何を追っかけていたんだったけ?」と思うようなこと、ありませんか?

長編小説を読んでいても、「これ、誰だったっけ?」とか、「何をしているんだったっけ?」と内容に疑問を持ったり、頭の中にシーンや登場人物の目的が理解できずに混乱することがあると思います。

評論文も、そう。

最後まで読むと「やった!」と達成感を覚えて、その嬉しさで結局筆者が何を言いたかったのかを飛ばしてしまう時があります。

それを再度確認し、まとめること。この作業を習慣づけることで、文章から知識を得るという技術が身に付きやすくなります。

「で、何が書いてあったの?」

その確認作業のやり方を、解説します。

読むには読んだけど、何書いてあったっけ? にならないよう……

【問題点をまとめる】

昨日の続きです。

60年代に主流として考えられてきた狩りの性質が、人間の暴力衝動や攻撃性を高め、それはもともと我々の祖先である猿や霊長類から引き継いだ性質なのだとされていた考えを、筆者は霊長類学者の視点からきっぱりと否定します。

狩りは食料を得るための単なる技術で、仲間に向けることはない。

そして、人間の祖と言われている霊長類たちも、仲間との喧嘩は分かり合う事が目的であり、それが達成されればあっさりと喧嘩を止めるし、相手を殺すようなことも無い。

ならば、仲間を。同種の人間同士で逢い争っている私たち人間は、一体、何時、どこでこのような性質を手に入れたのか。

狩猟採集時代でもなく、もともと持っている動物としての性質でもない。

なら、いつ、どこで、私たちはこれを手に入れたのか。

【暴力における人間独特のアイデンティティ】

段落場号7

そして、農耕の出現によって定住生活が営まれるようになり、土地の価値が高まって境界が引かれるようになったころ、人間に独特なアイデンティティが生まれた。それは集団に帰属し、集団のために戦うという意識である。(本文)

私たちを飛躍的に進化させた、そして食料の貯蔵により、人口増加の大きな要因となった稲作を代表する、農耕という食糧確保の手段。

この単なる便利なものでしかなかった農耕が、大きな意識変革を私たちにもたらしたのだと、筆者は続けます。

農耕は、その土地に定住することを義務付けられます。当たり前ですよね。米でも小麦でも収穫の為には長い時間その場にとどまって、植物の生育を見守る必要が出てきます。

そうすると、どうしても「所有」という概念が生まれてきます。これは、避けられません。

狩猟民族が一番嫌った、この「所有」という意識。逆に言うのならば、農耕はこの意識を避けては通れない生産システムだったわけです。

狩りは、獲物がいる場所に移動すれば良いだけです。だから、木や岩を使って住む場所を確保したのではなく、その場で皆、穴を掘って土の中に暮らしました。とても簡素で、壊しやすく、また、移動しやすいものを選んでいたわけです。必然的に持っている物も簡素になります。さらに、現存する狩猟民族の生活体系からは、一切の「所有」という概念を排除するルールがなされていた。

「所有」の意識が、争いを生むという事を、彼らは良く良く解っているのです。

この「所有」の意識。筆者は、「帰属意識」と述べています。

自分がいる場所。自分が持っているアイデンティティ、家族、集団、仲間。これら持っている物、を守るために、人は身を賭して戦うというのです。

しかし、人間は家族を超えてさらに大きな集団、ひいては国家にまで身を捧げて戦うという不思議な精神構造を発達させた。これは人間以外の動物には決して見られない現象であり、きわめて新しい時代に人間にあらわれたものだと思う。(本文)

この、新しい時代、というのは、日本の歴史区分で言うのならば、弥生時代以降です。




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縄文時代なんて歴史でちょろっとしかしないから、びっくりするかもしれませんが、1万2000年ほど前から縄文時代です。紀元前1万年。1万年も、狩猟民族なんです、私たち。

で、農耕がおこなわれるようになってきたのは、紀元前4世紀ごろ。1万年と、2400年……圧倒的に、縄文時代の方が長いんですね。で、土器をつくり始めた時期から縄文と言っているだけで、狩猟の歴史はさらに長いわけです。圧倒的に、人間は狩猟の時代の方が長く、農耕文化の方が短い。逆に言うのならば、農耕を手に入れてからの進化の過程が凄まじいといってもいいのです。

けれど、急激な変化には痛みが伴うように、この「帰属意識」という副産物をもたらした。

【人間社会に対する警鐘】

筆者は続けます。

段落番号8

人間は民族、文化、国家、宗教などの仮想の集団を作り、そのアイデンティティを多様なシンボルによって支えてきた。今、それは音を立てて崩れつつある。そのアイデンティティを無理やり創り出そうとして、人々は新たな境界を引き、暴力によってそれを守ろうとする。(本文)

仮想の集団。確かに、元をたどっていけば、私たちは全て猿に繋がっていきます。けれど、些細な差異を持ち出して、所有、帰属意識、という概念から、私たちはグループ分けをしたがる。

物凄くスケールを小さくして言ってしまえば、クラスのグループ分け。現代風に言うのならば、スクールカーストです。どことなーく、グループと言う目に見えない線引きがありますよね。あの、入っていけない雰囲気。空気。

それを筆者は仮想集団だと言い切っている。違いなど然程ないのに、なぜか人は線を引きたがると。

その原因が稲作文化を元にした帰属意識の拡大だと、繋げていきます。

この国家や文化が崩壊する時代が来ている。

確かに、ソ連の崩壊や、ユーゴスラビアの分裂など、永遠と思われていた国家が崩壊する瞬間が多発しています。宗教の権威性も揺らぎ、あれほど引いた境界線を極度に強調しすぎることは争いを生むだけなのだと人間が学んだ結果なのかもしれません。

けれど、私たちに生まれたこの帰属意識は、不安を与えます。「どこかに所属していないと、怖い」という、漠然とした不安感。孤独を恐れるあまり、どこかに属したいと考えてしまうのです。

そして、新たな境界線を引き、暴力によってそれを守ろうとする。

クラスのグループ分けで、違うグループに入っていこうとすると睨まれたり、逆に無視されたりしたことはありませんか?

これもある意味で、暴力です。相手と分かり合う為ではなく、相手を傷付ける目的で行っている行動ですから。

人間の社会が取り返しのつかない方向へ進んでしまう前に、平和と和解を前提にしていた暴力の由来をもう一度認識し直す必要があるのではないだろうか。(本文)

暴力は、そもそも動物の社会では和解の手段だった。仲直りの手段であり、分かり合うための行動であったこと。

そして、徹底的に争いを避けるために、個人や集団の間に差異が現れるのを防ぐシステムを作っていた狩猟民族に学ぼう、とまとめているわけです。

【最後まで読んで、振り返る】

さて、此処で。

全部読んで、納得した! もう大丈夫!!

と思ったそこのあなた。

それ、国語ではとても危険な思考です。

人は努力が基本大っきらいな存在です。詰まらない事はやりたくないし、面倒なことはスルー出来ればスルーしたい。

だから、人から説明されて解った気になっている状態は、危険です。危険以外の何物でもありません。害悪とも言って良いです。

読み終わって、最初にすることは、もう一度冒頭に戻ることです。

そして、筆者は結論に至るために、最初。冒頭をどう書き出しているのか。

そして、問題提起は何だったのか。タイトルの意味は。

それを確認する。誰かに言われたからやるのではなく、自分の中で答えを探せるまで、説明された後にまとめることが、とても大事になってきます。

少なくとも

・導入

・問題提起

・対比

・結論

を自分でまとめてみる。

この時のポイントは、教科書の文章を右から左にコピーするのではなく、自分の言葉でまとめること。

読むことは大事です。けれど、書く作業は全く違う脳の部分を使います。だからこそ、教科書を読み、理解したと思ったら閉じて、自分の言葉でまとめてみる。

記述の練習にも成ります。

ぜひ、やってみてください。

綺麗にまとめる必要は一切ありません。解らなかったら、また本文に戻って読みなおせば良い。授業ノートを見直せばいい。

けれど、自分でまとめを書く時は、何も見てはいけません。

自分の力で、自分の普段の言葉でまとめてみてください。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。


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