こんにちは、文LABOの松村瞳です。
今回は、受験の合格したことによって起こる、弊害。悪い合格の特徴をまとめます。
悪い合格なんてあるのか? と思われるかも知れませんが、確実にあります。それは、はっきりと断言できます。
【受験生のパターン分け】
全ての合格が悪いわけではなく、全ての不合格が悪いわけでもありません。
顕著なのは、もともと持っているものが高いがゆえに、努力の方法を知らなかったり、解らないものにどうアプローチすればいいのか分からず、その後伸び悩んだり、逆に勉強自体を「むいていない」とあっさり諦めてしまったりする特徴を持つ、受験生が居る、と言うことです。
むしろ、この傾向は、悪い合格を経ることで、経験的に身についてしまう特徴とも言えます。
受験結果のパターン分けは、次の四つ。
・その1 一生懸命自分の限界に挑戦し、合格。
・その2 一生懸命自分の限界に挑戦したけれど、第一志望に不合格。
・その3 努力せず、合格。または、確実に合格できるところを選ぶ。
・その4 努力せず、不合格。
この四つのなかで、一番問題となる悪い合格は、「その3」の、努力せずに、合格してしまったパターンです。
その何が問題なのか。まとめていきます。
【ポテンシャルが高い害】
努力せずに合格してしまった子は、例外なくもともとのポテンシャルが高い子です。
小学生、中学生と常に優秀で、出来が良く、天才とは言わずとも、それなりに成績で称賛を得てきたタイプです。そして、能力が確かに高いので、ちょっとの努力ですぐ結果が出てしまうタイプ。
とっても良いことのように思います。
苦労なく、努力なく、そんな状態になれるのだったら、皆、その方が良いと思うでしょう。けれど、彼らはポテンシャルが高いが故に、出来ない事に向かい合う、それを乗り越えていく経験を、子どものころに全く身につける事ができないとも言えるのです。
物事、良いことばっかり、なんてあるわけがない。傍目にみて、良いことのように思えても、ちゃんと悪い面って存在するんですよ。これがまた。
【苦手なことから逃げる癖】
受験は、殆ど自分の苦手な分野との向き合いです。精一杯それに向き合って、けれども敗れたのならば、人は次のステージで「何かを得なければ!」「何かを達成しなければ!!」と必死になります。
できない事に向き合い、甘えを許されず、全てを掛けて戦ったが故に敗れた人間は、だからこそ次のステップを昇る時に、必死になります。何かをしなければと、敗北感の辛さを抱えながらも、「このまま終わるのは嫌だ!」と色んな事にチャレンジしていきます。
けれど、レベルを下げて合格してしまった人間は、基本的にそんな気持ちにはなりません。
「ああ、良かった」「受験戦争から、もう逃げだせた」「受かれば、取りあえず行く場所があるし」
と、安堵してしまう。
そうして、大事な場面で、苦手なことから逃げる事を覚えてしまうのです。
【失敗できなかったことが、人生の失敗を呼び込んでいく】
では、苦手なこと。辛いことから逃げる事を覚えた人間は、どうなっていくでしょうか。
そう。また、逃げるんです。
壁に直面した時、それと正面からぶつからず、避ける事を覚え、避け続けた結果。
何にも挑戦しない人間に、なってしまう。または、困難な状況を避けるようになります。
好きなことであろうと何であろうと、何かしらの成果を出したいと思うのならば、好きなこと。楽しいことばかりではいられません。
嫌な事も、困難なことも、苦手なことにも向き合わなくてはいけない。
喜びや楽しみや達成感って、そういう嫌なこととワンセットになっていて、それらを乗り越えた時に手に入るものです。
けれど、恐らく多くの学生がぶち当たるであろう、最初の難関の受験で楽をすることを覚え、自分の願望や弱い部分と向き合うことを避けると、それがその子の定番の考え方になっていきます。
そうすると、失敗ができなくなっていく。失敗する可能性のあるものに、手がだせない。だって、挑戦したら失敗するリスクを負わなければなりません。その時に、「やらなくてもいい」という選択肢が目の前にあるならば、どうなるでしょうか。
そう。挑戦を選ばなくなる。失敗する危険性を、避ける。
つまり、何にも行動しない人間が出来あがってしまうのです。
「馬鹿だなぁ。あんな辛いことして」
と他人がなりふり構わず努力している姿を非効率だと笑い、自分は「上手くやった」と思い、「これもこれで選択としてはアリかな」と思いながら、努力をしない人間になっていく。
そう。失敗を恐れ、避けると言うことは、段々挑戦をせず、努力もせず、もし一度失敗したとしたならば、それで「もういいや」「向いてないんだ」と、諦める事がとっても得意になっていく。
【自分で逃げたことに気が付けない】
そして、最大の弊害は、自分で問題から逃げている事に、気付けないことです。
だって失敗していません。
合格して、成功してしまっている。
それもアリだし、学校側も確実に進学できることを勧めてくれたし、親にも迷惑かけずに済むし、と、山のような言い訳はすぐ思い浮かびますが、本来自分が持っていた夢や目標のことは考えなくなり、口にもしなくなり、「あの時は無謀なこと考えていたなぁ~」と懐かしく思い出すだけになっていく。
そして、必死に努力し、沢山の失敗を積み上げて達成した人間を、羨むようになっていくのです。
もともと持っているものは、本来「逃げる子」の方が高いのに。
エリートの心が折れやすい特徴と、酷く似ているかもしれません。もともと持っているものが高いが故に、努力をせずに学校の中で栄光を勝ち取ってしまうと、失敗を経験できなくなってしまう。
だから、失敗をした時に全てを投げ出してしまう子も、少なくありません。精神的にとても弱い子が多いです。
そういう子ほど、楽に道が提示されると、様々な言い訳を並べ立ててそこに飛びついてしまうのです。
【責任転嫁しやすくなる】
ちなみに進学校の先生は、確実に受かる大学や高校を提示することで、ノルマとして課されている進学率を上げるために勧めているだけです。貴方の人生を心配して勧めているわけでは決してないし、その提示をする先生を無責任だとは、責められません。だって、提示された選択肢を蹴る権利は、貴方にあったはずです。それを選んだのは、最終的には、貴方自身です。それを忘れないでください。
けれど、そういう子に限って、「あの時、先生の言葉に従わなければ良かった」「なんで、こんな学校きちゃったんだろう」と思い描いた理想と違った場合、その選択肢を自分に提示した人を恨むようになっていきます。
昨日のエントリーでも書いたように、落ちる事。失敗することは、改善のチャンスです。(参照⇒不合格は失敗か それとも成長か)
合格してしまった子は、自分の欠点に気がつけず、逃げる事を覚えてしまったことも気付かずに、また同じことを繰り返していきます。そして、失敗そのものを避けるようになっていきます。
だって、そこからの這い上がり方を知らないのですから、当然です。
けれど、成功は失敗を繰り返してこそ、唯一得られるものです。
そして、失敗をするためには、自分が失敗したことをまず、認めなければ始りません。
外部的には、合格してしまっているので失敗と捉える事は難しいでしょう。
けれど、その合格。
本当にあなたが望んだものでしたか?
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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