漢詩の読み方~黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くのを送る~

李白

友達との別れる時、貴方はどんな気持ちを抱きますか?

毎日、学校で会う友達と別れる時。
職場で仲の良い同僚と別れる時。
卒業式で、違う学校に進学する友人と、別れる時。
遠方に住む友人と数年ぶりに再会し、またいつ会うか解らない状況で別れる時。

 

そして、もしかしたらもう二度と会えないと解っていて、別れる時。

あなたは、どんな気分でしょうか?

唯だ見る長江の天際に流るるを

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【漢詩の読解ルール】

中学校で習う絶句のルール。

この、漢字四行で綴られた漢詩は、一定のルールに基づいて作られています。和歌にも5.7.5.7.7.という文字の縛りや、掛け言葉、序言葉、枕詞など、様々なルールがあるように、漢詩もルールがちゃんと有ります。

そのルールをきちんと理解して読むと、ただの漢字の塊がちゃんとした意味を為すようになるので、ただ暗記暗唱をして丸覚えするより、ルールを覚えましょう。

絶句は、起承転結の四つの句に分かれていて、前半二句と後半二句にきっぱりと分かれます。

前半は情景描写を歌っているものが多く、

後半は心理描写が多く歌われています。

大概、前半が明るいと、後半の心情が沈み、前半が暗いと、後半の心情が明るくなる。三句目の転句で状況が一変します。

前半が状況説明。後半がその時に感じた気持ちを表している、と考えると、ぐっと読みやすくなるのが漢詩です。

この時のポイントが、心情と言うのは具体的な感情として読まないのが、詩のルールです。そういう状況だったら、どんな気持ちになるのか。何かの気持ちを抱いているはず。そう思って、その状況に自分がもしなったとしたならば、と考えてみる。感じてみる。

この、誰かの立場や状況を理解し、相手の心理や感情を推測することが、国語の大きな課題となります。外れても良いので、是非ひとつひとつ。読むごとに考えてみてください。

【本文】

では、読解です。

-白文-

①故人西辞黄鶴楼
②煙花三月下揚
③孤帆遠影碧空尽
④唯見長江天際

州(shu-)・流(ryu-) 共に押韻

-書き下し-

①故人西のかた黄鶴楼を辞し
②煙花三月揚州に下る
③孤帆の遠影碧空に尽き
④唯だ見る長江の天際に流るるを

 

-①の訳-

古い友人の孟浩然が、西方にある黄鶴楼を旅立ち

故人は古い友人です。ここでは、李白の友人。タイトルにもある、孟浩然のこと。孟浩然も詩人として有名な人です。

古くからの友人の二人。

けれども、現在は二人とも無職。働かないと生きていけないのは昔も今も同じです。だから、孟浩然は田舎の西から、長江の河口にある東の都に向かって、旅立とうとしている。

状況説明です。黄鶴楼は建物の名前です。今で言うと、空港の建物とか、駅ビルみたいな感じ。

-②の訳-

花が空を覆う煙のように華やかに咲き誇っている三月に、揚州の都に向かおうとしている。

春爛漫の、花が咲き誇っている三月に、友達が旅立とうとしている。

今で言うのならば、県外にや海外に勉強や仕事、生活の為に飛び立とうとしている友達を、空港や駅で見送っている瞬間の光景です。

春は旅立ちの季節でもあり、旅立つということは、それまでの環境とは別れを告げるということです。

-③の訳-

友が乗った船の姿は、広い長江の流れの中で唯一つ。そして、それも晴れ渡った空の向こう側に消えてしまった。

転句では旅立ちの華やかさからは一変して、広い広い長江でたった一つの帆船の姿。長江の広さは、日本の川の広さと同じにしてはいけません。幅が約2キロ。海と考えた方が、スケール的にはぴったりです。

そんなだだっ広い川の上に、帆船が一隻だけぽつんと浮かんでいる。孟浩然の険しい行き先を予見しているかのような、孤独な情景です。

そして、それが空の彼方に消えていく。

消えていくまで。見えなくなるまで、李白は川岸でずっと。ずっと立って見ていたのです。

-④の訳-

もう帆船の影は見えないのに、ただ呆然と眺めてしまうよ。あの舟が消えてしまった、川面と空のはざまの流れを。

そして、影が見えなくなっても、李白は見続けます。

消えてしまった、友の姿を隠してしまった川と、空のはざまを。その接している部分をずっと……ずっと見続けている。

一体、どれだけの間、見ていたのか。

恐らくは、私たちが想像する以上に見続けていたのでしょう。

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【生涯の別れの時の気持ち】

えっ? 唯の友達との別れじゃないか。そんなに何で眺めているの?

と思うかも知れませんが、古代中国(現代もそうかもしれませんが)では、一旦住む場所を離れ、都に出てしまうと、生きている間に再会することはまれと言われています。

現代のように交通機関が発達しているわけでもなく、更に言うのならば比較的政情が安定していた唐の時代であっても、反乱や動乱とは無縁では居られません。

それに中国は本当に国土が広大なのです。

だからこそ、この別れは恐らく、今生で最後のものになるかもしれない。生きて会えるのは、もう二度とないのかもしれない。

そんな別れは、現代で直面する事はまれでしょう。

仲のいい友達と、もう二度と会えないのかもしれない。けれども、彼の将来の為に、この旅立ちを祝おう。だから、ひきとめはしない。けれど、どうしても見つめ続けてしまう。

そんな李白の心の声が、ただひたすらに川面を眺める、という行為から伝わってきます。

どれほど悲しいのか。どれほど、切ないのか。

そう。別れって、皆が毎日している事ですけど、それが最後の別れになるなんて誰も思っていない。「また会える」と思うから、気軽に別れられる。

けれど、この時代の別れは、二度と会えないかも……という背景を常に背負っているのだと理解すると、この友が消えていった先を眺め続ける李白の気持ちが伝わってきます。

【気持ちを具体的に言わない表現】

詩や小説など、人の心の動きを表現するものでは、「悲しい気持ち」を「悲しい」とは書きません。

その代わり、悲しい気持ちなのだろうなと解る状況や、環境。人の行動や、態度でそれを表します。

ここでは、李白のただ、眺める。ただ、立って見続ける。という行為が、別離の悲しみを強めている。

このように、明確に書いていない心情を書き表すのが、国語の問題です。

文章に書き表していないものを、読みとる。

これには、背景をきちんと知る必要があります。知識ですね。

唐の時代がどんな時代だったのか。科学技術は。人の価値感や距離感覚は。そして何より、李白がどんな人であったのか。

李白は、詩仙とまで呼ばれた、詩の名人です。

そして、李白の絵を見てみると、常にお酒を抱えている姿が残っているほどの酒好きです。一説には、深酒しすぎて湖に落ちて死んだという逸話までもが残っているぐらい。

そんな李白ですが、この詩を読むと、不思議とお酒の影は有りません。

きっと、飲めなかったんだろうなぁ……と思ってしまう。明るく、奔放だった李白ですが、友との別れの日に、大好きな酒を口にすることなく、ただ茫然と眺める事しか出来なかった。

それぐらい、切なくつらい別れです。

けれど、涙はない。

すっきりと晴れ渡った春の空。その空が美しければ美しいほど、ひとり黄鶴楼の上でたたずむ李白の姿が、強く印象に残ります。

【まとめ】

漢詩が解らない!!と言う人はしても多いです。同じように、和歌が解らないという人も多い。

そんな人の為に今日のエントリーを書いてみました。

何でも構いません。一つだけ、好きだなと思う詩を作ってください。この気持ちだったら解るなという詩を作る。

友達と別れなければならなかった時。別の学校に進学することが決まった時の別れを思い出して、読んでみてください。

それを思いだしたとき、李白がずっと立って眺めていた気持ちが、あなたの心にも伝わるはずです。1300年前も、今も。友との別れは、どうしたってつらい。それを、彼は「つらい」と言う代わりに、絶句に書き残しただけなのです。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

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