「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説 その3


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「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説、その3

【第1~10段落まとめ】

この評論文は、さらっと読めてしまう内容なのですが、さらっと読み飛ばすには勿体ないほど素敵な論理が書かれています。

才能は贈り物であり、貰ったものだからこそ、返礼義務がある。

その返礼義務のルールは、その贈り物を、自力で価値があるものだと、価値を補填することによって、「良い物を貰ったな」と思い、感謝の念が湧いて、自然とお返しをしたくなる。

だからこそ、自分の為だけにその才能を使う人は、人間として評価に値しない、と筆者はきっぱりと言い切っています。

-自力で価値を補填するとは-

自分が貰ったものに対して、それは物体だけではなく、体そのものだったり、顔や容姿、特異なもの、声、性格、様々なものに対し、「良い物もらったな」「私の持っているものは、素敵なものだな」と、思うこと。

それが自力で価値を補填する、と言うことの意味です。

良いものだと思えば思うほどに、お返しをしたくなる。それが「贈り物」のルールである。

ということを、「挨拶」の例示から、つなげています。

良い愛情を貰ったな。いい言葉を貰ったな。

そう思えば思うほどに、深い感謝が生まれ、お返しをしようとする気持ちが湧いてくる。それが他者貢献に繋がっていく。

けれど、「ふんっ、たかがこれっぽっち?」と、思った瞬間に、価値の補填ではなく、贈り物を価値がない物として、投げ捨てる行為です。

そうすると、何かを持っていても、全て無駄になってしまう。持っているものが、ごみと同じになってしまう。

持っているものを、輝かせるか、溝に捨て去るのか。

同じ贈り物であったとしても、その二つの間に存在する違いは、自分の行動です。

それを、「良いものだ」と思うか、「意味なんかないよ」と投げ捨てるか。

たったそれだけの違いで、大きな差が生まれるのです。

さて、貴方は自分の能力。才能に対して、どんな価値観を持っていますか?

良い物と思っていますか? それとも、違う価値観を抱いていますか?

それを、考え直してみませんかと、評論文を通して、筆者が語りかけてくるような気がしてなりません。

さて。この返礼義務とは、どのように行われているのか。

続きを、読んでみましょう。

【第11段落~13段落】

本生自分のものではない贈り物を自分のものとしてしまう。それって、詐欺です。

-才能の無駄遣いをしている人とは-

でも、残念ながら、私たちのまわりにいる才能豊かな人たちの多くはそのようにはふるまいません。(本文より)

才能豊かな人々。

恐らく、これは対外的に評価を受けている、天才と呼ばれる人々のことを指しているのでしょうが、「そのように」振舞わない。

指示語です。

その前の部分から指示語の内容をひきだすと、「天賦の才能に対して、どのような返礼をしたか」と言うことです。

貰ったものだから、それを有難いと思い、深い感謝から、それを使ってお返しをしようとすること。それが、才能豊かな人々の、筆者の求める振舞いです。

けれども、現実的はそうではない。




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天賦の才能は天与の贈り物であって、自分で作り出したものではない自分のものではないにもかかわらず、彼らはおのれの才能を一種の「文化資本」として私的に所有し、それによって自己利益を確保し、敬意や賞賛を得ようとしています。(本文より)

筆者が言う、残念な才能の使い方をしている人たち。

それは、本文の内容を少し使って書きかえれば、はっきりと分かるようになります。

残念な才能の使い方をしている人達は、才能を「自分で作りだしたもの」「自分のもの」「自分だけのもの」と考えている人達のことです。

天から与えられたものを自分のものと勘違いする。ここには、感謝の念は無く、傲慢さがにじみ出ている。

だからこそ、褒められたい。人から凄いと言われたいという態度がにじみ出てしまう。

それは違う。間違っていると、筆者の厳しい指摘が見えてきます。

-才能の正しい使い方とは-

筆者は、正しい能力の使い方の例示として、腕力を上げています。

腕力が強い人が、それを利用して他人を威嚇し、金品を奪う。これは明らかに許しがたいことだと。

けれど、その腕力を使って、足の弱い人の代わりに荷物を持ってあげたり、道をふさいでいる岩や木を取り除く。

どちらが、「正しい使い方」か。

訊かなくとも、分かると思います。とても単純な理屈です。

でも、同じことを知性についてあてはめようとすると、ほとんどの人は同意してくれない。知力だって筋力と同じだと私は思います。(本文より)

腕力だったら、目に見えるものだから分かりやすいですよね。けれど、それが知力になると、途端に話は複雑になる。ほぼ、同意が得られない話題になってしまう。

おのれの知力を使って人を圧倒したり、論破したり、揚げ足を取ったり、あるいは鮮やかな弁舌やトリッキーな議論を駆使して、自己利益を増大させるのは「非人間的」だと思います。(本文より)

ポイントになるには、自己利益の拡大です。

この為だけに、能力。与えられた才能を使うことは、間違ったこと。「非人間的」とまで、筆者は言っています。

自分に例外的に与えられた能力は、それを持たない人たちの役に立つように使うべきです。それを持たない人たちを見下したり、そのアドバンテージを利用して金儲けをするために使うものではない。(本文より)

多くの才能にあふれた人たちで、間違った使い方をしている人たちが、この世の中には溢れている。

逆に言うのならば、才能があるのに、それを生かし切れていない人もまた、それだけ多いと、筆者は言いたいわけです。

自分の為に。自分の称賛の為だけに能力を使っても、感謝の念がないために、どこかで傲慢さがにじみ出ます。感謝を抱けるのならば、返礼をしなければと、贈り物のルールが発動するからです。

けれど、「良いものだ」と思えない人は、才能があったとしても、それを間違った方法で使ってしまう。自分の利益の為だけに使い、自分の称賛。つまり、褒められるため。承認欲求を満たす為だけに、使おうとしてしまいます。

時にはトリッキーな、ずるがしこいやり方を駆使して、目的を遂げようとする。

それは排他的な、自分だけのものとして、天から与えられたものを使う行為となります。

正しい才能の使い方、とは、

天から与えられたものを、「贈り物」だと認識し、もともとは自分のものではないのだし、自分の努力で手に入れた物でもないのだから、「良い物を貰ったな」と感謝することで、何かをお返ししたいという気持ちが湧きあがってくる。

その気持ちが、他者貢献へと繋がり、自然と他人を助けるようになっていく。得意なものを使う時に、どう使えば他人の役に立つのだろうかと意識がそちらに向いていく。

それが正しい、才能の使い方です。

今日はここまで。

明日は、タイトルである、ノブレス・オブリージュの意味です。

贈り物。つまり、天から与えられた才能が、ノブレス・オブリージュに繋がっていく。

その論理を解説します。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

続きはこちら⇒「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説 その4

 


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