「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説 その4


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「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説 その4

今回は、最後の部分。タイトルにもなっている、ノブレス・オブリージュの解説となります。

【ノブレス・オブリージュとは】

天才と言えばこの人「トーマス・エジソン」けど、有名な問題児で、小学校を退学しています。

この、「ノブレス・オブリージュ」という言葉。

最近になって、良く映画やドラマ。小説や、マンガ、アニメ、ゲームに至るまで、色んなところで使われているなぁ……と気付くことが多くなった言葉でもありますが、元はフランス語です。

直訳は、「高貴さは、義務を強制する」という言葉。

語源は、19世紀半ばに活躍した女流作家が、ある手紙の中で、「貴族が義務を背負うのならば、王族はもっと義務を背負わなければ、理屈に合わない」と書いたのが語源だとされています。

権利や富を持っている存在が、多くの義務を背負うという思想は、さかのぼれば古代ローマの時代にも見つける事ができます。

現在の21世紀でも貴族が現存するイギリスなどでは、この考え方が徹底されていて、現在でも王族の一員であるウィリアム王子は、自らの意志で志願兵として軍に所属した経歴を持っています。

富める者こそ、誰もが嫌がることを率先してやる責務がある。

現代社会では、富裕層や著名人、有名人などが、「社会の模範となるべき行動をするべきだ」という、社会的責任について使われることが多いこの言葉。

私利私欲のために、能力を使うのではなく、秀でた能力があるのならば、それを万民の為に使うべきだという、ヨーロッパ社会に存在する不文律の道徳観と言ってもいいのかもしれません。

-評論文の譲歩のパターン-

受験の定番とも言える評論文のパターンに、譲歩構文、というのが存在します。

確かにAだ。けれども、Bだ。

という、この順番。

非常によく出てきます。

簡単に、AとBに言葉を入れてみると、

確かに君の意見は正しい。けれども、僕の意見は君とは違う。

確かに学校の授業は大事だ。けれども、学んだことを自分の力で復習する自力学習は、もっと大事だ。

確かに数学は難しい。けれども、答が最初からひとつと決まっているという点においては、簡単だ。

色んな例示が思い浮かびます。

ここで大事なのは、一旦「確かに~」で、一般的な意見を受け入れる。重要なのは、その後です。

けれども、しかし、だが、という逆説の接続詞を間に入れることによって、その後の部分を強調する。そこに、一番主張したいことを入れる。

この部分を外さないだけでも、評論文はぐっと読みやすくなります。

皆こう思うでしょ? でも、僕の意見は違うんだよね!

という、自分の意見を主張しやすいパターンとも言えます。だから、Aって、~~ってことだと思うよね? みたいな、当たり前の常識を書いてきたら、ピンッ! と気付けるようになりましょう。

パターンさえ解ってしまえば、評論文は本当に楽です。

そして、この譲歩のパターン。この「贈り物」としてのノブレス・オブリージュでも沢山使われているんです。

「贈り物」って物だと思うよね。でも、違うんだよ。挨拶とか、形のない物も含まれるよ。才能とかもね。

とか、




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「贈り物」の価値って、贈られた品物そのものの価値だと思うでしょ?けど、実際は違って、贈り物の価値を決めるのは、受け取り側なんだよ。

とか。

このパターンをずっと繰り返しているようなものです。

そして、ラストも、この譲歩構文で終わっています。もう、評論家の使いやすいパターンなんですよね。これ。

気が付けば、色んなところで使われてます。「また?」って思うくらいに。

だからこそ、今、身に付けましょう。

【第14~15段落】

-筆者のノブレス・オブリージュの解釈-

「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。一般的には、貴族(ノブレス)は、普通の人よりも重い負荷を引き受けなければならないという意味で使われます。でも、私の解釈は少し違います。(本文より)

はい、来ました。

譲歩構文です。

もう、「一般的には~」という言葉が来たら、「ああ、また来た!」と思えるぐらいになっておくと、大事なところに反応できるようになってきます。

他の文章でもないか、是非とも探してみてください。こんなの、パターンが解ってしまえばゲームと同じです。見つけるのが難しいのが、難易度が高いだけ。本当に、ゲームと一緒なんです。

さて。本文解釈に戻って。

筆者の言いたい、ノブレス・オブリージュの解釈って何なのか。どういう意味で、ノブレス・オブリージュを考えているのか。

万人はそれぞれ固有の仕方で「ノブレス」であるというのが私の解釈です。(本文より)

えっ?? 万人=ノブレス?

ノブレスは、前述のとおり、貴族の意。もっと広く捉えると、階級的な言葉だけではなく、「持てる者」「富める者」という意味があります。

けれど、筆者は万民。つまり、全ての人が、この、「持てる者」「富める者」だと言う。

特権階級だけでなく、世間的に認められ、才能にあふれている人とみなされている人だけでなく、全ての人間。これを書いている私も、読んでいる貴方も、全員が「ノブレス」「持てる者」だと、筆者は言っているわけです。

-「持てる者」の本当の意味-

全ての人が、「持てる者」「富める者」だという、筆者の主張。

その意味は、一体どういうことなのか。この主張を理解してもらうために、筆者は「贈り物」から始まり、価値の判定、返礼義務、才能と、論を展開してきた。

つまり、誰もが天から与えられた天賦の才能を持っている。その価値を生じさせるのは、私たち受け取った側の人間である。そして、価値を発生させれば、それは意味のあるものとなり、感謝の念と返礼の気持ちが湧きあがる。

ならば、そういう意味で、全ての人々は「持てる者」である、と筆者は言い切っているのです。

厳しい言い方かも知れませんが、自身を「持てない人」「貧する者」にしているのは、貴方自身が受け取った才能に、自力で価値を補填していないからだと。

その自力で価値を補填することさえできれば、全ての人が「持てる者」となる。そう言い切っているのです。

すべての人間の中にはさまざまな種類の「他人にはできないことが自分にはできる、他人にはわからないことが自分にはわかる」という固有の能力があります。(本文より)

「えーっ、自分には何にもないよ」「こんなものがあったって……」

そう言いたくなる気持ち。心の底から分かります。

実際、私自身もそう考えたこと。思ったことなんか、山のようにある。そういう意味で、この文章はとても耳に痛い物であり、胸に刺さる内容でした。

お前が自分で自分の価値を、見下しているだけだろう?
持っているものを、価値のないものだと、お前自身が勝手に見下して、どぶに捨てているだけだろう?

と、読みながらそう耳許で言われている気がしました。これ、本当です(笑)

唯の国語の、現代文の授業、と思って受けていたら、「試験の為にな嫌々読んでるだけ―」の人でも、理解をすると、「ああ、自分ってそういうところがある。私を潰しているのは、苦しめているのは、私自身かもしれない」という、とても耳に痛い内容で、気付きを与えてくれる文となる。

耳に痛ければ痛いだけ、その気付きは貴方にとって大事なものです。変わるには、痛かろうが辛かろうが、自分の甘えに気付くしかありません。

筆者、内田樹さんは、これを訴えたくて、溢れている貴方の中に存在する才能に、あなた自身に気付いてほしくて、この文章を書かれたのかもしれません。

-「ノブレス」=特異性、多様性、個別性-

私は「ノブレス」という言葉を階層社会における貴族という意味ではなく、そのような特異性、多様性、個別性を指す言葉だと解したいと思います。(本文より)

金子みすゞの、「みんなちがって みんないい」(「私と小鳥と鈴と」より)ではありませんが、私たちは一人として、同じ人間は存在しません。

遺伝子がほぼ同じである、双子ですら、違う存在。違う人間です。

この、違う、と言うことは、ひとりひとりに違った才能が存在している、と言うことです。良い悪い、ではなく、人間とはそういう性質を持って生まれてくる。だからこそ、必要なのは自分に与えられたものを、どう価値を見出し、どう生かすか。

自分の活かし方を、どう工夫していくか。

それによって、多様性や、本当の意味での個別性が生まれ、与えられたものにたいする返礼義務。他者への貢献という形で、お互いに助け合い、他者と繋がることができる。

-筆者にとっての「ノブレス・オブリージュ」とは-

もし自分以外、誰も気がついていないことに気がついたり、自分だけにしか見えないものがあれば、皆に知らせる義務が私たちにはあります。力のある人は腕力を、知力のある人は知恵を、目がいい人は視力を、鼻がいい人は嗅覚を、隣人たちのために捧げる。これが私の考える「ノブレス・オブリージュ」です。(本文より)

評論文の勉強の方法として、常に、解答に「なぜか」と、問いかけていく方法があります。

結論から、原因をさかのぼる、因果関係のチェックです。

試しに、やってみましょう。

まず、筆者の考える、「ノブレス・オブリージュ」とは、どんなことを指すのか。

答え。自分だけが分かること。自分が理解できることがあれば、それを隣人たちの為に捧げること。

なぜ、それが答えなのか?。

「自分だけが分かること」=「特異性・多様性・個別性を示すもの」=「ノブレス」=万人がもてる「才能」だから返礼義務が生じる。

万人が「才能」を持てるのは、なぜか。

「才能」は天から与えられた贈り物であり、それに価値が生ずるのは、受け取った本人が自力で価値を補填した瞬間だから。

返礼義務が生じるのはなぜか。

才能は天から与えられたものであり、自分の力で獲得したものではなく、贈り物であり、その価値を認識した瞬間に、お返しをしたいという強い気持ちがわき上がるから。

なぜ、贈り物にお返しをしたくなるのか。

贈り物には、お祝いする気持ちが込められているものだと、私たちは認識しているから。

具体例、挨拶。

お祝いされたら、感謝をし、同じような気持ちを返したいと思うのが、人間の当たり前の感情だから。

 

 

と言うように、「なぜ?」と問いかけて、冒頭までさかのぼれたら、因果関係が理解できている証拠です。

試しに、色んな文章で試してみてください。

これが途中で途切れてしまったり、詰まってしまうと、記述問題が解けません。最初は上手く書けないかもしれませんが、一旦説明を聞いた後。結論から冒頭まで、「なぜ」でさかのぼっていけるか。

この訓練は、現代文の勉強法としてはとても効果があります。

 

天から与えられた才能を特異性、多様性、個別性と受け取り、そこに価値を見出し、感謝することによって、天に返せない代わりに、その感謝を隣人に捧げていく。

それが、才能を持った人々の生き方であり、筆者が考える、「持てる者の責任=ノブレス・オブリージュ」です。

「贈り物」=「天から与えられたもの」=「才能」=「価値を認識し、感謝をする」⇒「天への返礼義務」=「隣人に捧げる」=「ノブレス・オブリージュ」

というように、論旨が繋がっていく。

皆、誰もが才能を持っているよ。隣人に捧げられるものを、貴方は持っているんだよ。それを自覚しようね。活かそうね。自分で溝に捨てないでね。

そんな、筆者のメッセージ。活かしたいですよね。

明日はまとめです。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

続きはこちら

「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ 解説 その5 まとめ

 

 


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