こんにちは、文LABOの松村瞳です。
今日から京都は祇園祭の宵宵山。と言っても、七月中はずっと祇園祭ですし、コンチキチンが街中に鳴り響いているし、2014年から鉾巡業は二回ある様になったけど、やっぱりテンションあがるのは宵宵山からですよね。
はっ? 何それ。何言ってんの?
………………最近、寂しいんです。と言うか、偶に戦慄するんです。
だって………
・節分って何? ⇒『豆と無言で巻き寿司食べる日』
・七夕って何? ⇒『願い事、笹に書く日』
・お盆って何? ⇒『親戚が集まる日。あと、休日! 連休!!』
ちょっと毛色が変わって海外編
・ハローウィンって? ⇒『コスプレする日!!』
・クリスマスって? ⇒『リア充の為の日(恋人達の日と言いたいらしい……)』
いや、これ、笑い話じゃなく本当なんです。おいっっ!! って突っ込みを入れたくなるんですが、冗談を言っているのではなく、真剣にそう思っているらしくて、此方が軽く蒼褪めます。情報化社会じゃないのか?? すぐ調べられる世界になったんじゃないのか?? 行事ってそんなものなのかなぁ…と若干諦め気味にもなるのですが、背景知っていた方が絶対面白いと思うので、超個人的見解(といっても、ちゃんと調べてます)なお祭りに関わる謎を今日はお話したいと思います。
行事って、毎年当たり前の様に巡ってきますが、時代を遡れば、それを始めた人が存在するという事です。彼らは何を思い、何を考えて、お祭りを作っていったのか。古典を読み、歴史を勉強しているとそんな人の感情や感覚に触れる時がある。そういう時に感じるのは、『人間って千年たっても、二千年たっても、どれだけ身分が高くなっても、頭良くても悪くても、考える事や感情って一緒だな』って事。
なので、ちょっと祇園祭の由来を辿りながら、平安時代初期まで、タイムスリップしてみましょう。
【祇園祭の由来は祇園御霊会】
祇園祭の由来は、千年の都に相応しい、平安時代まで遡ります。九世紀中ごろ。丁度、桓武天皇が平安京に遷都した年から、半世紀ほど経った都では、疫病が蔓延していました。
京の都は、四方を山に囲まれています。これは、平安京が中国から渡ってきた陰陽五行に基づいた陰陽学を土台に、都を開くのに最も適した土地を探したことに由来をします。北を山、南を門、東に川、西に平野が広がっている場所を探した結果、今のこの場所に落ち着きました。黄龍を中心に、青龍、朱雀、白虎、玄武の四神獣に守られている場所です。その前に何度もお引っ越しを試して、ようやく都を開く理想的な土地に落ち着きました。
この陰陽学。現在で言うと、風水だったり九星気学だったりに受け継がれている考え方です。現在の建築学や科学と照らし合わせても、驚くほど利にかなっている考え方。先人たちの試行錯誤と思考の結晶はやはり凄いですね。結果として、千年以上、都として栄え、今現在でも古都としてその雰囲気と知名度を誇っている都市を作りだしたのですから。
けれど、都としては栄えたのですが、京の都が弱かったものがあります。
それは、病と自然災害。
四方を山に囲まれている結果。土地として京都は盆地になります。盆地は風が籠ってしまう。なので、一度伝染病が都に入ってしまうと、中々それが終息しない。空気が澱んでしまうのですね。今で言うと、ウィルスが死滅しない。更に、盆地の性質上、どうしても低い場所では雨水が溢れてしまう。豪雨やその豪雨の前触れである雷は、都の人々にとって、恐怖の対象でした。何故ならば、その後雨が降り、水が溢れ、病原菌が繁殖し、人から人へと伝播して、人が沢山死んでしまうから。
そして、都として整備されているが故に、広い土地が有りません。なので、死体が出てもそれを燃やす場所も無く、唯一の広場で有る鴨川付近に積み上げて燃やすしか無くなってくる。一説によれば、燃やすことも出来ない位死体が多くなった時は、鴨川を使い、船で下流の山を越えた場所まで運んでいたそうです。
人の死体は、腐ります。そして、腐った死体は病原菌の温床となり、それを蚊や蠅などと言った人間の生活に密着した虫達が、またそれを人に伝えていく。生活水で有る鴨川の水も当然汚染されます。
近代になるまで、この伝染病に対する対策は、殆ど取られていませんでした。唯一の対策が、「人と出来るだけ合わない」「外に出ない」という事だけです。
更に当時、病の考え方は、「疫神(えきしん)」と呼ばれる神様たちが居て、自分達の行いが何か神様の怒りに触れたのだろう。だから、それを罰する為に、疫神達が都に病をもたらしているのだろう」という考え方がスタンダードでした。
だからこそ、その疫神達を慰め、奉ることによって、病の穢れを都から払い清めよう。災いから逃れようとした人々が、大々的に行ったのが「御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれる、疫病退散の為の神事を行い、神社に神輿を奉納する、とい行動でした。
この神輿が、現在の山鉾に繋がる原型です。鉾を神社に奉納する前に街中を通らせることで、穢れを払おうとしたのですね。山鉾巡行は、街中の(霊的な)お掃除、の意味合いが強かったのです。
病から逃れよう。今でいうのならば、インフルエンザの時にワクチン打ったり、栄養のあるものを食べたり、マスクをしたり、という病気予防の行動が、当時では神様に祈ること、だったのです。
これが京の都の祇園社(現・八坂神社)で行われ、祇園御霊会と名付けられます。これが後の祇園祭へと、繋がっていきました。
【病を取り去る儀式から、町衆達の祭へ】
祇園御霊会は、疫病が蔓延した時だけ行われていたものでしたが、段々それが行事として定着し、やがて毎年行われる様になったのが、丁度10世紀。約100年かけて、イレギュラーだった行事が、毎年やるものに定着していったのです。これは、物事が長続きする絶対法則です。小さく初めて、段々大きくなっていく。最初から計画されていたことでは無く、必要に応じて行っていたことが、定着し、歴史となっていく。長続きするものは、強制や意図的では出来上がらない。行事も人間関係も、同じことが当てはまります。
そして、定着した時期から、都の町衆の人々が
・神様に奉納するのだったら、相撲も取り行おう。
・神社の儀式ならば、踊りが必要だ。(後の歌舞伎奉納へ)
という感じで、街中を上げてあちらこちらで山鉾巡行に合わせて様々な行事が取り行われる様になり、現在の祭りの色を濃くしていきます。
そして、平安時代から鎌倉、室町、戦国、江戸、現在に渡るまで、何度か戦や乱。そして戦争等で中断を余儀なくされた時。祇園祭を復活させてきたのは、朝廷や行政では無く、その祭を楽しみにしていた、京の都に住む人達でした。
誰かがやってくれないのならば、自分達でやる。戦乱で人の心が乱れている時だからこそ、祭が必要なのだと、彼らは立ち上がります。
人に期待するのではなく、自分の力でやろうと覚悟を決めた時に、人間は物凄いパワーを出します。そんな誰かの熱気に感化され、協力する人が現れ、仲間が出来、そうして、現在まで続く伝統行事として残った。
誰かが「やれ!!」と言われたことが続いたのではなく、自分達で「やりたいっ! やるっっ!!」と思って続けたことが、広まり、残る。これは、色んな事に通じることです。
【他人から強制させられたことは、続かない】
こういった行事の歴史を紐解くと、何度も中断の危機にさらされていることが解ります。けれど、その時に、もしかしたら朝廷からの命令で行事を続けていたのならば、此処まで続いただろうかと疑問です。
自分でやり続けたいから、続けるためには何が必要なのかを必死に考え、思考錯誤し、試してみる。だからこそ、同じように考える人々が仲間になるし、思考錯誤を繰り返すから魅力的になっていったのでしょう。
最初はただの病気予防と、疫神を払う為に行っていた行事。それがまさか千年以上も続くなんて、御霊会を始めた平安貴族達は、思いもよらなかったでしょう。だって、そもそも御霊会って、天変地異や病の不安を消し去る為じゃなくて、始まりは超個人的な政治闘争の挙句に死んじゃったライバルが、化けて出てきて、「呪い殺される!! 祟られるっっ!!」って、ビビりまくって始めた法会がこんな風になるなんて、誰も解りませんよね。
【お祭りの数だけ、権力者は呪われている? 自業自得の因果の末路】
人をいじめまくって、攻撃しまくって、嫉妬、妬み、憎悪の念をぶつけまくった様な言動をしまくり、果てはその人が自殺するまで追い詰める。
左遷、幽閉、陰謀、密告、暗殺、呪殺、何でもありです。平安時代。貴族社会の裏側の暗黒面。
で、散々嫌がらせして、相手が死んで「勝った!!」と思っていたのもつかの間……その後に、ひたひたと迫る、呪いの影……
長屋王の変の後に、藤原四兄弟の伝染病死
早良親王の憤死の後の、都の天変地異の連続
菅原道真の左遷・死の後の、都に雷が直撃
日本史最大の祟りと言われている、崇徳上皇の呪い。承久の乱での後鳥羽の失脚……
いじめられっ子の、反撃です。それにビビった、当時の権力者達。つまり、いじめっ子達が、自分のやったことを棚に上げて、許してくれと神様に縋って奉納する。だったらやるなよ!!!と、言いたいぐらいですが、人をいじめた人間は幸せにはなれないと歴史が証明しているみたいですね。
そう言えば、祇園御霊会が毎年行われる様になった平安中期。1000年前後の権力者って……誰でしょうか?(誰でも知ってる人です。それこそ、小学生でも!!)
きっとその人。沢山、御霊会で払いたいものが沢山あったんでしようね。どれだけ、酷いことしてきたのかな。政治の世界でのし上がる為に。
毎年「自分は呪われている」って思いこむぐらい、手段を選ばずにやってきたんでしょうね。それこそ、色々と。
人を呪わば穴二つ。
お祭りを楽しみながら、そんな権力者達のなれの果てを調べてみるのも、楽しいかもしれません。(と言うか、寧ろ私は大好きです)
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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