小説読解 ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」その2~態度から心を読む方法~


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こんにちは、文LABOの松村瞳です。

「少年の日の思い出」その2。

ヘルマン・ヘッセというと、「車輪の下」がとても有名ですが、その小説の中でも周囲から理解されず、そして周囲の価値観に振り回され、それに合わせようともがき苦しむ人間の姿が描き出されています。時代は変わったとしても、本質的に人間が苦しむ原因は、変わらないものなのかも、知れません。

だからこそ、古典や百年近く前に書かれた文章が、時を超え、私たちの心に響くのでしょう。

今回は、小説読解のテクニックとも言っていい、人物の行動や態度からその心理や性格を読み取る方法を解説いたします。

ただ何となく適当に読んでいればどうにかなる、という考え方を私は生徒から良く聞くのですが、国語の問題を正確に解きたい。もしくは、読解力や分析能力を身につけたいと思うのならば、適当に読む、という行動は害悪でしかありません。

「能動的に読む」

これは、文章を読むときに必須のスキルです。読み取ろうと努力をし、これは何故そうなっているのだろうと理由を常に考え続けることによってのみ、読解力はついていきます。今までなら読み飛ばしてしまうような箇所や細かい描写に、ぜひ意識をとどめてみてください。

それが慣れてきた時。びっくりするぐらい、読めるようになっています。

闇は見たくない現実を隠してくれる

 

【闇が付きまとう冒頭の描写】

本題の少年の日々は、この訪れてきた客の回想。昔話です。

美しい思い出というものは、時間が過ぎ去ってしまうことによって自分の都合の良いように改ざんしてしまうことによって生まれるものですが、この男性の思い出は、どうにも良いものではない事は冒頭の文が物語っています。

そして、更に回想に行く前のこの男の態度や台詞。そして、情景の描写を細かく見ていきましょう。緻密な作業ですが、何事も最初が肝心です。最初を丁寧に行えば、後が楽になる。それを頭に必ず置いて、最初に面倒なことをしましょう。

やることは単純です。

この男性の性格や考えていることは何なのだろうか。その一点に絞って、気持ちを読み取ろうとするのです。

冒頭の散歩から帰ってきた客と、「わたし」と名付けられた回想の聞き手になる人物は、自分たちの幼年時代の思い出を語り合います。

「子供が出来てから、自分の幼年時代のいろいろな慣習や楽しみごとがまたよみがえってきたよ。それどころか、一年前から、僕はまた、ちょう集めをやっているよ。お目にかけようか。」(本文)

「わたし」は、そう客の男性に話しかけます。二人の関係はどんなものなのか、少し考えてみましょう。

昔からの友人であったとも受け取れますし、大人になってからの友人だと受け止めることも出来ます。けれども、ただ一つ確実に解ることは、彼らの関係がどうであったとしても、今から話す内容の出来事は初めて聞く内容だということ。そして、それを話してもいいだけの信頼が二人の間にはあったということです。少なくとも、客が「わたし」に対し、話してもいいと感じていたことを、踏まえていてください。

昔話を聞く相手は誰でも良いわけではありません。それなりに信頼関係がある相手でなければそもそも話をする気にもなれないし、心を開くだけの何かが「わたし」にはあったということです。

そして、客はちょうを見せてほしいと言ったので、収集箱を見せます。けれど、ここで、不思議な描写が。

最初の箱を開けてみて、初めて、もうすっかり暗くなっているのに気づき、わたしは、ランプを取ってマッチをすった。すると、たちまち外の景色は闇に沈んでしまい、窓全体が不透明な青い夜の色に閉ざされてしまった。(本文)

部屋の明かりを点けると、たちまち窓の外。つまり、外界が闇に沈んでしまう。まるで、ランプの光が灯っている場所だけが、世界の中で切り離されてしまったように。時間の流れや現実から切り離され、過去の話に入るための布石のような描写ですが、一点が明るくなるとそれだけ他の部分が見えなくなってしまう現象は、まるで何かを隠したい心境を暗示しているようでもあります。

【過去形の意味】

客は「わたし」の前でちょうを手に、つぶやきます。

「妙なものだ。ちょうを見るくらい、幼年時代の思い出を強くそそられるものはない。僕は、小さい少年のころ、情熱的な収集家だったものだ。」(本文)

過去形です。たった、ひらがな数文字。時には、たった一文字の場合もありますが、人間の深層心理とは面白いもので、過去形を無意識に選んでいるものは、もうそうではないと自分で自覚している時です。そして、これは小説家が細心の注意を払って書いた冒頭です。無意味に、ただの勢いで過去形にしているわけがありません。

過去形→今は、そうではない。少なくとも、本人はそうではないと思っている、ということ。

ならば、今は情熱的な収集家ではない、ということを押さえておきます。

単純なことかもしれませんが、千里の道も一歩から。最初の一歩を踏み出さない人間が、山頂に到達できるはずがありません。




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国語の文章は小さな発見の積み重ねです。決して、大股で歩こうとしない事。読解力を上げるための、大事なコツです。

【動きのあった描写を注意深く捉える】

子供のころは収集家であった。今は大人になったので、もう収集はしていない。

仮にそんな状態であったとしたならば、あなたならどうするでしょう。

別に、蝶の収集でなくとも良いのです。昔好きだったおもちゃやゲーム。夢中になって遊んだ他愛ものない遊び。テレビ番組や絵本。小説、漫画。何でも構いません。そんなものにふと出会った時、忘れかけていた情熱や懐かしさが蘇ってきて、暫くの間眺めるのではないでしょうか。ちょうど同じ趣味に没頭した友人が目の前に居るのです。昔話に花を咲かせてもいい。普通であるのならば、懐かしさに話が盛り上がる朗らかなシーンのはずです。

けれど。

「もう、結構。」
と言った。
その思い出が不愉快ででもあるかのように、彼は口早にそう言った。(本文)

話を盛り上げるでもなく、ちょうを少し見て、それを戻してしまいます。不愉快そうに。そして、口早に。

不愉快そうに、というのは、相手に対して不愉快だと思っているわけでは、ありません。その後、彼は「わたし」に対して、謝罪しています。悪く思わないでくれと。

目の前の相手に対して不愉快に思ったわけではない。ならば、蝶の標本に彼は不快になったのでしょうか。それほど、出来が悪かったのか。

そんな描写も見受けられない。むしろ、標本の蝶に対する描写は明るめです。きらびやか、光輝く、美しい、濃い見事な色……蝶の標本そのものの出来に不快になったとは、到底思えません。

更に口早に、という描写は、この話をやめてしまいたい衝動があった、ということです。意図的なスピーチやセールストークの早口でない場合、一刻も早く、何かから逃れたい時に人は早口になります。(セールストークの早口は、客に決断をさせるため。他の選択肢を考えさせない為のテクニックです。)

なら、何か蝶の標本にまつわる物事が、彼を不快にさせた今、目の前にそれが無いというのならば、過去にそれがあったということになります。

「そんなもの、読み進めれば解るじゃないかっ!」と、言いたくなるでしょう。けれど、冒頭からどれだけの情報を得ることが出来るのかは、とても大事なポイントです。誰もが何も気にかからずに過ぎ去ってしまう部分にこそ、読解のポイントがあります。これは断言できます。

小説の読解が苦手な子は、読んでいるようで読んでいません。気付くべき所に気付けていないから、結果、内容が理解し辛くなっていくのです。

どの教科でも同じですが、いきなり大股で何もかもを全て理解しようとすることは、危険なやり方です。ぜひとも、誰もが当たり前のように出来るけれども、やっていない事を、しっかりと踏み固めてみてください。

【恥ずべき過去を話す理由】

彼は続けます。

「君の収集を良く見なかったけれど、僕も子供のとき、むろん収集をしていたのだが、残念ながら自分でその思い出をけがしてしまった。実際、話すのも恥ずかしいことだが、ひとつ聞いてもらおう
(略)
彼が開いた窓の縁に腰かけると、彼の姿は外のやみからほとんど見分けがつかなかった。

ここでのポイントは三つ。

・自分で思い出をけがした。(自分がしてしまった罪を自覚している)

・今でもそれを恥ずかしいことだと思っている。

・それを目の前の人物に語ろうとしている。

よくよく考えてください。自分で恥と考えていることを、人に話す時。話し辛いこと。大っぴらに、声を大にしては言えないようなこと。それは、秘密です。

普通ならば、隠しておかなければならないそれを語るのは、なぜなのでしょう。しかも、それを自分の恥だと解っているのに。その恥は一体どういうことなんだと、人に訊かれても無いのに、勝手に自分から話そうとしています。

人に言えない秘密を話す時って、どんな心なのか。

少し、考えてみてください。秘密の共有。打ち明け話をする時、人は。自分は、何を相手に望んでいるのか。

そう。

秘密を話すのは、自分のことを解ってもらいたい。理解して欲しい。そして、過去自分が犯してしまった罪を、認め、許して欲しいと思った時。人は、抱えていた胸の苦しみを吐露します。

キリスト教での告解は、自分の罪を許される為に、告白をする、という行為や儀式を指します。人は、自分の罪を他者に話し、分かち合うことによってでしか、癒されることはないとどこかで知っているのかもしれません。

そう。この物語の主人公は、許されたいのです。認めて欲しいのです。あの行為に、悪意はなかったのだと。

その後。男の姿は闇へと消えていきます。回想シーンに入るためのきっかけとして使われているこの闇。本来ならば、夜の闇は癒しの効果をもたらすはずのものなのですが、ここはとてもそんな優しい雰囲気では受け取れません。むしろ、何かを覆い隠そうとしているかのように、遠くからかえるの鳴き声が聞こえてきます。

蛙。姿を、産まれた姿と大人では全く違うものに変化してしまう物。

どうにも、その秘密の告白も、何かが変容しているような部分がありそうな、不吉な予告に満ちています。

【まとめ】

人の心を読むのは、容易ではありません。けれど、小説はその一つの手掛かりを教えてくれます。

人が話すのは、解り合いたいからです。目の前の人に、自分の苦しみを伝え、解ってもらうことで、重荷を降ろしたいと願う心が、告白という行為をしているのだと言うこと。

つまり、小説の中で告白を行うものは、全て罪を抱えている人間だということなのでしょう。

夏目漱石の「こころ」、森鴎外の「舞姫」、中島敦の「山月記」……全てそうです。

小説の人物の行動を抜き出し、人がそういう行動を起こす時は、一体何を考えているのか。それを想像し、考えるだけでも大分読解力は変わってきます。

間違ってかまいません。むしろ、大いに間違ってください。間違って、そして改善を加え、また読んで、読解する。地道ですが、それに勝る勉強方法はありません。

さて。

この男がどんな罪を犯したのか。

そして、この話したがりの男の性格や性質はどんなものなのか。それを読み解いていきます。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。続きはまた、明日。


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