2022年度(令和4年度)共通テスト 国語 評論解説

共通試験対策

2022年1月15日に実施された大学入試共通テスト本試験、国語の評論問題を解説していきます。

解法と対策も合わせて、どこに気を付けて読めばいいのか。そこを解説していきます。

令和4年度(2022年度)の問題はこちら(共通テストのサイトに繋がります)

 

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評論文とは

筆者の言いたいことはたった一つ

評論文とは、その名の通り何かを評価し、論じている文章です。

もっと詳しく言うと、何かしらの「問題」(テーマ)があるとします。

その問題について、明確な解答までは行かずとも、色々主張したいことが筆者にはあるわけです。

その主張や考えを色んな人に認めてもらうために、「根拠」を示します。

その根拠は、理系であれば実験の数値になりますが、それが「思想」に関わることである場合、数値化することは出来ないので、「誰かが書いた文章」を引っ張ってきます。「この人がこう書いているから、僕の考えも正しいよね」と主張するわけです。で、無名な人の文章を持ってきても説得力はないので、出来る限り有名な人の文章を引用するわけです。

今回の引用される文章は、「宮沢賢治」の「よだかの星」です。

国語が難化した原因

本来、評論文は過去に書かれた哲学書や歴史書、同じ評論家の書いた文章からの引用が多いのですが、今回、なんと引用が「短編小説」。しかも読解が難しい、宮沢賢治の童謡から引用されています。

評論文の読解が主な課題なのに、同時に筆者の主張を読み解くには、小説の読解能力も必要とされていきます。(引用を無視しても解けますが、中々本番でそうも行きませんよね)

さらには【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】という異なる筆者による文章を同時に読まなければいけない構成となり、本来であるのならば一つの主張を紐解けばよかった評論文の課題量が、単純に2倍になったのです。

文章の量は変わらない、と言っても、一つのものを読み解けばよかったものが二つに増え、さらには評論文の読み方だけではなく、小説の読解能力も必要とされている。

問題が情報過多であり、それらを解く前に頭の中で整理整頓する必要があります。

では、実際の問題文を読み進めていきましょう。

【文章Ⅰ】

1~3段落 生き物として対等な存在を「食べる」という違和感

まず、前提として〈人間=動物〉であるという事を述べています。

何を当たり前のことを言っているのか? と思うかもしれませんが、評論文ではこのような前提条件がしっかりと書かれているので、この場合。「よだかの星」で描かれるよだかや、そのほかの虫や鷹などは、生き物として人間と対等である、という認識が必要です。

動物が人間になるのではない、とわざわざ筆者は書いています。
少しネタバレになりますが、この評論は「食べる」ということについての考察です。つまり、すべての生き物が対等ならば、私たちは対等な存在を「食べて」いるわけです。その違和感によだかが気付くのです。(有り得ない、と思うかもしれませんが、その「有り得ない」ことを文学作品を使って、考察しているわけです。目の前の対等な存在。友達でも、家族でも構いません。それを「食べる」ことをリアルに少し考えてみてください。)

よだかは夜の空を飛ぶ鳥です。その姿の醜さゆえに、周囲から孤立し、蔑まれます。何をしても嫌がられる。そんな自分の「生きている価値」に疑問を抱くようになります。

「なぜ、自分は生きているのだろうか」

誰しも一度は考えたことがある疑問を、よだかも抱くように。そんな自分の存在すら危うくなっている状態のよだかに、居丈高な鷹が、「お前の名前は俺からの借りものだろう。返せ。名前を変えろ」と要求してきます。

よだかは、自分の存在そのものを否定されたかのように、感じていきます。

自分は醜い。自分の存在は低い。

そう思っていても、空を飛んでいるときに偶然口に入ってきた虫を、よだかは飲み込んで「食べて」しまいます。ここで悩むのです。

自分のような劣等感に満ちたものが、他の生き物を食べて生きていいのだろうか。

と。

このよだかの考えにはツッコミどころ満載なのですが、(容姿が美しいものならばいいのか。価値の高い存在ならば許されるのか。優越感を抱くものならば、「食べる」のにふさわしいのか、等)それは今回横に置いておいて、よだかの悩みに評論の内容は焦点を当てていきます。

第4~8段落 よだかのつらさ

無意識に虫を「食べて」しまった瞬間。

よだかは背中が「ぞっ」とします。

価値のない自分が虫を食べ、その自分が鷹に食べられる。それがよだかには辛くてたまらない

その食物連鎖の苦しみから、よだかは逃れようとします。

食べたり、食べられたりすることのない世界で生きていたい。そうして、よだかは星になりたいと、色々な星に向かって飛び、頼み、そして断られます。頭を冷やせと星々に言われます。

そして、自分の願いは自分でかなえるしかないのだと、空の彼方へ飛び上がって燃え尽き、星になった……という、童話的終結を迎えます。

宮沢賢治の童話や物語は、様々な解釈がされているものであり、明確な「これ」という答はありません。ただ、ここでポイントなのは、賢治の童謡の解釈を問われているわけではなく、この物語を切っ掛けとして「食べる」ということはどのような行為なのか、を筆者が考えているかどうかです。

ここでポイントなのは、よだかが「何を辛いと思っているのか」ということです。

よだかの悩みは

「どうして自分のような惨めな存在が生きつづけなければならないのか」

という、ただそれ一点です。

ここで、「生きる=食べる」という構図が見えてきます。

第9~11段落 生きることは他者の命を「食べる」こと

「食べることが生き続けること」

と対比するのは、

「食べない(絶食)ことは生き続けられないこと()」を暗示しています。

さらには、この「食べる」という行為は「無意識に」行われているということです。それを心が傷ついたよだかが、気付く。この心が傷ついたよだかは、私たち人間の分身です。ならば、よだかの疑問や違和感は、私たち人間の疑問や違和感とも言えます。

賢治が導き出したこの疑問からの解放の解決策は、星になる事でした。つまり、生物的な存在ではなく、違う存在に変わっていくことだとしました。

生き物として、生き続けるために私たちは無意識に他者の命を「食べる」ことは避けられない。

ここをポイントとして理解しておいてください。文章Ⅰの筆者が強調していることは、これだけです。

【文章Ⅱ】

では、文章Ⅱです。全く違った見方から、「食べる」ということを考察します。

第1~3段落 「食べもの」は存在しない?

いきなり、あなたは豚肉だと言われます(笑)
実はこれ、文章Ⅰと対比になっています。文章Ⅰは<人間=動物>と前提されていますよね。文章Ⅱでは、<あなた=豚肉>というわけです。出題者のちょっとした遊びですね。

口から入って、肛門から出るまでの消化の過程を、コミカルに描き出しながら、第3段落に大事なことが書いてあります。

人間の身体の中で消化の過程を考えると、どこまでが「食べもの」でありどこからが「食べもの」でないのか、その区別をつけるのは難しいということです。

「食べる」という行為を詳しく調べれば調べるほど、「食べもの」の存在が曖昧になる、と筆者は語っているのです。

第4~7段落

ここで筆者は、曖昧な「食べもの」の存在について、二つの極端な意見を出します。

1つ目 人間は食べものを「食べて」などいない

どういうこと?? と思うかもしれませんが、目の前の「食べる」という行動で判断するのではなく、食べものは全て生きものの死骸であり、人間の身体を通過して、地球全体で循環しています。

私たち人間は、単なる生命の循環の通過点でしかなく、人間が「食べたい」と思う欲求そのもの(生きたいという欲求そのもの)が本能として備わっているのも、地球全体の生命活動がうまく回転するように組み込まれている、と考える説です。

食べてない。ただ、通過しているだけだ、という考え方が1つ目です。

2つ目 「食べもの」はずっと「食べもの」として存在している

食べものは人間の身体で消化されて、排泄物として出ていきますが、その排泄物も自然界に戻り、植物の栄養になって、それを動物が食べて、その動物を人間が食べて……と考えると、形を変えてぐるぐる回っているだけだから、ずっと「食べもの」だよね。という極端な考え方です。

人間が食べる、という規模で考えるのではなく、地球全体のエネルギー循環と同じように「食べもの」を考えると、ぐるぐる回って、その一瞬で人間の口に入っているだけだということになれば、ずっと存在しているということになる、という考え方です。

1つ目と2つ目の共通点

一つ目も二つ目も、地球全体規模で考えるということが、ポイント。

死ぬのが解っているのに、生き続けているのは、生命活動を循環させるため、という答が見えてきそうな勢いです。筆者は明言はしていませんが、人間の生きる本能。「食べる」ことに直結する欲求は、地球全体のエネルギー循環としては、とても都合の良いシステムとも言いかえることができます。人間の「食べる」「生きたい」という欲求が、地球の循環活動を成り立たせているんですね。

問題を解く前に

文章Ⅰと文章Ⅱを俯瞰してみる

こういう二つの文章が出てきたときに気を付けなければならないのは、俯瞰してみる、考えるという事。

でも、俯瞰して考えることって難しいと考えがちですが、次の手順を踏むと、楽になります。

二つの物事が出てきたときに必要な手順は、その二つの共通点と相違点を考えることです。

同じ部分と、違う部分ですね。単純なんですが、それをするとまとめがやりやすくなります。

共通点

両者とも、

食べることと、生きること(生命)の関係性について、書いてある

ということです。

これに疑問を抱いているのが、文章Ⅰ。その関係性を否定せずにとらえているが、文章Ⅱということに。

相違点

では、相違点を見ていきましょう。

文章Ⅰ 「食べる」ことは無意識に他者の命を奪う行為であり、生き続けるためには食べなければならないと、「食べる」ことを否定的に取り扱っている。

文章Ⅱ 人間だけでなく、生物を「食べる」という行為は、地球全体で考えれば、生命活動の循環の一つであり、人間の「食べる」という行動は、その循環に組み込まれているだけだという事。

まとめ(俯瞰した物の見方)

人間は生きるためには、食べ続けなければならない。

他者の命を犠牲にして生き続けるのが人間。

けれど、地球全体で考えればそれは循環の輪の中のこと。

逆に考えれば、地球全体の循環を成り立たせるために、生き物は「食べて」いる、ということ。

 

ここまでを理解できたなら、一度問題を解きなおしてみてください。
(解説が理解できていれば、確実に正解率が上がります。)

それで解きやすくなったのならば、あなたの課題は文章の読解能力を上げなければならない、ということです。試験直前ならばテクニックに走っても良いですが、時間があるのならばじっくりと読解力を上げた方が色んな利点が出てくるので、特に物事の共通点と相違点を考えることは思考を広げるためにも有用なので、ぜひ取り入れてみてください。

では、選択文の具体的な選び方です。

 

問の解法

問1

定番の漢字の問題。今年は、語句の意味も合わせて問われました。比較的難易度は易しめな印象です。

(ⅰ)

熟語の一部分の漢字を、下の四つの選択肢から同じものを選び出せばよい問題です。
漢字が書けるのが一番ですが、書けずとも、熟語の意味を考えれば答が導き出せます。

(ア) カジョウ=過(意味 多過ぎて余ること 「剰」の意味は、余る)
なので、選択肢の中で余っている意味合いのものを選べばOK
➀冗長(長ったらしい) ➁剰余(余っている) ③浄化(きよらか) ➃常軌(いつもの、普通の)※全てジョウの漢字の意味のみ。
正解は、➁

(イ) キズついた=傷
1 干渉(関わること) 2 鑑賞(芸術作品に接して味わうこと) 3 感傷(心を痛めること) 4緩衝(衝突を和らげること)
正解は、3

(エ) げる=遂(一つの目的の終局に到達すること)
1 類推(全体を推しはかること) 2 生粋(混じり気がないこと) 3 麻酔(薬品などで一時的に知覚を麻痺させること) 4 完遂(最後までやり遂げること)
正解は4

(ⅱ)

文中の使い方とは異なる意味を選び出せという新傾向の問題。だが、仲間はずれを探せばいいだけなので、熟語の意味さえわかれば大丈夫。言葉の語彙力を問うた問題。

(ウ)
襲い(激しい勢いで攻めてくるもの)攻めるという意味あいがないものを選べば良い。

1 夜襲 2 世襲 3 奇襲 4 来襲
この中で「攻める」という意味がないのは、2の世襲(子孫が仕事や財などを受け継いでゆくこと)のみ。正解は2

(オ)
与える(自分のものを他者に渡し、その人のものとすること)
1 供与 2 贈与 3 関与 4授与
この中で「自分のものを他者に渡す」という意味がないのは、関与(問題や事情に関わること)のみ。正解は3

問2

読解問題です。ポイントは、出題文の「筆者は」の部分。宮沢賢治が考えていたよだかの思考ではなく、あくまで筆者の意見です。宮沢賢治の文章に振り回されず、筆者が書いている表記のみで追いかけます。
ある意味、宮沢賢治の文章に書いてある「遠くの」「空の向こう」という表記があるものは、問答無用で落としてもよい、と出題は言っています。
そして、選択肢を見るポイントですが、まず、文末だけ横に並べてみます。(句読点以降の部分です)そうすると、ダメなものは簡単に選択肢から外せるので、時間短縮になります。

1 現実の世界から消えてしまおう→○ 本文には現実ではなく、「事実」とありますが、類義語なので残します。

2 彼方の世界へ旅立つ→△空の彼方、とは表記してありますが、彼方の世界へ旅立とう、というのは、新天地を求める意味合いがあるので、正解とはしづらい表記です。

3 不条理な世界を拒絶→× 不条理が現実ならば、条理がある世界はどこでしょうか? 本文中でその提示がなされていないので、不条理は選べません。

4 新しい世界を目指す→△新天地の意味合いが含まれるので、却下

5 遠くの世界で再生→△これも遠くの違う世界、という意味合いが強くなるので、却下

ということで、1番しか残らない。そこから上の部分もあわせて読んで、違和感がなければ正解です。

正解は1

問3

傍線部Bの直前に、「それは」と指示語があります。さらに前の文を見ると、「むしろここでみいだされるのは~」とあるので、その部分が共有する部分となります。

ポイントは

・自分の存在に価値を見出せず、傷ついているよだか
・無意識に羽虫を食べている
・食べることにゾッとしている

という3点。

ここも、選択肢の最後の文末のみを比べます。

1 自己の無力さに落胆する

2 自己に対する強烈な違和感を覚える

3 自己を変えようと覚悟する

4 自己の罪深さに動揺する

5 自己の身勝手さに絶望する

文末だけ抜き出すと、2か4しか解答に当てはまらないのが解ります。この二つを比べた時、ポイントになるのは、「罪深さ」という言葉になります。よだかが自分の罪に気づき、動揺しているのならば、よだかは意識的に悪いことをしていなければなりません。ここで言うのは、無意識に虫を食べてしまう事。けれど、もう一つのポイントがあります。よだか自身も鷹に食べられる存在であるということです。一方的に食っている存在ならば、罪深さも抱くでしょうし、筆者もそこを書くでしょう。けれど、「罪」という言葉の表記は本文にありません。食べることが「困難」とは書いてありますが、「罪」とは書かれていません。

なので、4は選べない。

正解は、2

問4

文章Ⅱからの出題です。極端な二つの見方の似ている点を答えよという問題。
似ている=類似点、共通点ということです。

解説で説明した部分を忘れた人は、もう一度戻って確認してください。確認したい人は、こちら

これも文末を比べて読んでみます。

1 微生物の活動と生物の排泄行為から生命の再生産を捉えている点

2 別の生きものへの命の受け渡しとして食べる行為を捉えている点

3 食べられる側の視点から消化と排泄の重要性を捉えている点

4 地球環境の保護という観点から食べることの価値を捉えている点

5 多様な微生物の働きから消化のメカニズムを捉えている点

地球全体でのエネルギー循環としての、「食べる」ということを捉えている筆者の考えから、類似点を書いているのは、選択肢2。

それ以外は、全く違います。

1は再生産という言葉の意味を考えます。再生産とは、生産➡消費➡生産、を繰り返す経済行動の言葉。命の循環という共通項からは少し離れている言葉なので、△。微生物の活動も共通項ではないので、正解にはなりません。

3は消化と排泄の重要性が、×。本文にありません。

4は地球環境の保護が×。

5は消費のメカニズムが×。

正解は、2

問5

【文章Ⅱ】の文章表現に関する問題。

これも、文末を見ます。

1 無機的な消化過程に感情移入を促すように説明している。

2 消化器官の働きを厳密に描いている。

3 食べることの特殊な仕組みを筋道立てて説明している。

4 生き物が他の生物の栄養になるまでの流れを軽妙に説明している。

5 消化の複雑な過程を鮮明に描いている。

ここで面白いのが、選択肢の2と5。この二つはとても似ている内容なので、バッサリと切ります。
マーク模試では、似た表現の選択肢は両方とも間違いです。

そして、残った➀➂➃の「説明している」の前の部分。

感情移入=情緒たっぷり。悲しいとか、嬉しいとか、切ないとか、苦しいことが伝わってくる表現。
筋道立て=論理的に構成している、という事。大概は読みやすい文章ではなく、硬い、小難しい文章。
軽妙に=明るく、軽快。面白さやユニークな表現方法の事。

ということで、言葉の意味合いが解っていれば、4が一発で選べます。

正解は、4

問6

共通テストの特徴とも言っていい問題。

それぞれ、まとめて比較をしています。同じテーマで二つの文章が出てくる場合、必ず共通点と相違点が問われるので、単純な物事でも、共通点と相違点をすぐさま述べられるように日ごろからの訓練が必要になります。簡単なことなんですけど、試験でいきなりやろうと思っても思い浮かばないので、毎日の習慣が大事になってきます。

ここでも、解説で説明した部分が理解できていれば、解答は容易です。俯瞰視点での解説は、こちら

要するに、対比で考えれば、文章Ⅰが肯定的な文章だったら、文章Ⅱは否定的なのかな? と予想できますよね。別に肯定・否定だけでなく、歴史学だったら、アメリカから見た時と、日本から見た時ではとらえ方が違うのも対比だし、現在と過去でも対比になります。

今回は、「食べる」ということに対して、文章Ⅰでは「否定的意見」。文章Ⅱでは循環、という意味で「肯定的意見」とざっくりわかっていれば、大丈夫。

(ⅰ)

問題は文章Ⅰのまとめ。

食べることに、否定的な意見を選べばよいと考え、2と3を選びます。

3は意図的に他者の命を奪う行為、の「意図的に」という表現が間違い。よだかは、「無意識に」食べてしまったことに対して、とまどいを覚えているので、これは間違い。

正解は、2

(ⅱ)

空欄Yに入る、まとめの部分です。

ここまでの総まとめになるので、部分的に見るのではなく、この問題だけは最初から選択肢を丁寧に読んでいき、間違いがある部分を抜き出します。

1は、冒頭の「他者の犠牲」という表現がまず違います。
犠牲という言葉の意味は、何かの目的を達成するために自分の身や努力をささげること、または、天災等に見舞われることの意。この場合、よだかのために他者が犠牲になるとしたら、犠牲になった羽虫は、何かしらの達成する目的がなくてはなりません。そんな話ではないので、却下。

2は、「よだかが飢えて死のうとする」という表現が書きすぎです。絶食し、とは書いてありますが、飢えて、とは書かれていません。よだかは、生き物でない何か(=星)に生まれ変わりたいと、燃え尽きるのです。なので、これも間違い。

4は、文末の「食べることによって生じる序列が不可欠」という表現が間違い。そんなことは、本文に書かれてはいない。

 

よって、正解は3。

まとめ

出題形式が大幅に変わった共通テストですが、むしろテクニックで解ける部分が多くなった印象です。

そして、言葉の正確な意味合いが理解できていれば、選択肢もかなり絞れる形になっているので、対比構造や基本的な言葉の意味合いをしっかり一つ一つ調べて選択する訓練をしてください。

一気に点数があがる魔法の方法などありません。

ゆっくり、じっくり、問題と向き合って考え続けてください。

間違っても、むしろそれは良いことです。自分が「理解できていない」もしくは、「どこかでミスをしている」を教えてくれているのですから、それをしっかりと踏まえて、細かい言葉の意味や内容を調べ直してください。それで自分の中の勘違いや思考のミスが見つかれば、確実にレベルアップしていきます。

 

共通テスト、短期集中の指導は、どうぞこちらの個別指導迄。

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