古典を勉強するコツ 古典嫌い克服方法その3 清少納言ってどんな人?

センター試験対策

新学期の古典勉強法対策。

今日は、古典で絶対に覚えておかなきゃいけない必須の著者の背景です。

背景って大事ですよね。
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【三大随筆の筆者が生きた時代と性格】

-受験必須の三大随筆-

中学生以上で、古典を授業で学んでいる人達だと、必ずと言って良いほど覚えさせられるこの、三大随筆。

「頑張って覚えたな~」、「冒頭暗唱させられたな~」という記憶が多い人が沢山だと思います。
けれど、意外なことに、名前は覚えていたり、冒頭の文章は何となく覚えているんだけど、内容や筆者の人物像にいたっては、あんまり知らなかったりします。

読むだけで一生懸命で、テスト勉強中にそんなの覚える必要あるのか!!違う、もっと有意義なこと覚えるわっ!!って人は、とうぞ苦しい記憶術などを使って覚えてください。無理してやる必要もないことですし。

けど、人間不思議なもので、好きなものだったり、興味がわいたことだったりすると、「勝手に」覚えますよね。

大量な分量のものを覚える時には、この「勝手に」覚える、ということを狙うのが、一番負担が少なく、かつ楽しみも増えてくるものです。

そして、「勝手に」覚えるためには、まず筆者の背景。つまり、どんな人が書いているのかを知るのが、一番だったりします。

-書いている人に興味がわくと、読む気になる-

不思議なんですが、書いている人に興味がわくと、「どんな内容のことをこの人は書いているんだろう?」と自然に思えるものです。

そして、古典の人物と言うのは、当たり前ですがその時代で名前を遺すほどに有名人だったわけで、物凄く面白い人……というよりも、癖が強い人が多いです。

そんな人物の背景を知ると、不思議と古典でも読むのが辛くなくなってきます。そして、その人が面白いと思ったら、しめたもの。小説読む人なら、作家買いをしている人が多いと思いますが、「この人が書いているんだったら、きっと面白い」と期待して読みますよね。

古典も基本的には同じです。

では、三大随筆の筆者。

清少納言、鴨長明、吉田兼好。それぞれの人物の背景と、性格を比べてみましょう。

-「枕草子」の清少納言ってどんな人?-

まず、平安時代の有名人。清少納言からです。

生きた時代は?

生きた時代は、ざっくり西暦1000年前後。

同時代に生きている有名人は、ライバルの紫式部、その雇い主の藤原道長。清少納言が仕えたのは、中宮定子という一条天皇の奥様であり、才色兼備のパーフェクト美女です。

仕事は何をしていたの?

清少納言は、すさまじく頭が良く、女性でありながら「小納言」という、公の立場での出世をはたしている人。彼女は宮中で、当時の天皇の奥さまやその周辺の人々の間で、公務員のような仕事をしていました。現代で言うのならば国家公務員第一種合格の、バリバリのキャリアウーマンですね。

けれども、この仕事。

実は、夫との不仲が原因で仕事についたんです。

夫と離縁し、尊敬していた父に先立たれた清少納言

平安時代の女性は、男性次第で全く働く自由が無かったのではと思われがちですが、清少納言は全く違います。結婚はしたけれど、夫との折り合いが悪い。尊敬していた父も亡くなり、帰る家も無くなってしまいました。普通なら、落ち込んでしまいそうな状況ですが、そこが清少納言の凄いところ。なら、働きに出ようと、とっとと夫に見切りをつけ、宮中で働いている女房の仲間入りをしてしまいます。

でもそれって、清少納言が超頭良かったからできたことなのでは??

と思うかもしれませんが、実は彼女。とっっても苦手なものがありました。

清少納言のコンプレックス

それは、平安時代に貴族社会では必須の知識の、和歌。

意外と思われるかもしれませんが、清少納言はこの和歌がとっっても苦手だったのです。

何故かと言うと、それは彼女の家柄に原因がありました。彼女の父は、清原元輔。漢学に優れた家柄で、更には父親は超有名な歌人です。そんな環境で育った清少納言は、作った和歌をことごとく周囲と比較され、いつしか人前で和歌を歌うことをやめました。

その時の清少納言の気持ちは、直接描かれてはいませんが、想像できますよね。

何を書いても歌っても、常にお父さんと比較されてしまう。清少納言は中国の漢文を読む能力にも長けていましたが、それを公で発言するには、女性の立場が邪魔でした。当時、漢文は男性社会でのみ使われるもので、女性は教養として知っている事が重要視され、公に発言すると、「鼻もちならない」「生意気」と評価されました。

充分な実力があるのに、それを発揮できない。

標準よりは格段に高い和歌の能力も持っているのに、父親との比較や、もし下手なものを出して父の名声を傷付けたらと思ったのか、どうだったのか。

コンプレックスが新たなジャンルを編み出した

そんな辛い状況の中で、彼女が編み出したのが、和歌でも、日記でも、物語でもなく、自分の心に思ったことを素直に、率直に文章で表すと言う、「随筆」というジャンル。

そう。今に続く、「随筆」「エッセイ」というジャンルは、当時心に思ったことを表現するには「和歌」しかなかった時代に、「和歌」にコンプレックスを持っていた清少納言が作り上げた、新たなジャンルだったのです。

ストレートすぎる表現

なので、枕草子には清少納言の好みが色濃く反映されています。

春はあけぼの ようよう白くなりゆく山際 少しあかりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる。

春は明け方が良い!!と言い切っていますが、これって清少納言の完全に好みです。春の昼間のうららかな日差しが良いと言う人もいるだろうし、桜が良いと言う人もいるわけなんですが、そんな他人の思うものではなく、自分の意志をきっぱりと。更には理由付きで述べているのは、結論から知ることが出来るので、読んでいてもストレスがありません。

けれども、時にストレートすぎる表現が色んな人に批判を食らうことになるのですが、まぁ、それも御愛嬌。

強気の発言は彼女なりの怯えの発露

もちろん、才女であった清少納言に自信が無かったとは言いません。けれども、時に反発を食らうような強気の発言であっても、堂々と自分の感覚に沿って発言をしたのは、人から見れば、「可愛げがない」とされるかもしれません。

けれど、本当に強い人は強気の発言などしない、という言葉の通り、ただでさえ出自と身分、後ろ立てが全てを決める宮中の生活で、少しでも自分の地位や、自分の使える中宮定子の立場や評判を良くするために、必死だったのかもしれないなぁ……と、彼女の文章を読んでいると伝わってくるものがあります。

【まとめ】

「随筆」というジャンルを、自分のコンプレックスから産み出した清少納言。

強気の発言は、彼女の不安の現れ。そして、和歌に対する、特に当時ライバルで解り名手であった紫式部に対する、「負けるもんかっ!!」という気持ちが働いた結果かもしれません。

ちなみに、男子生徒にはすごぶる評判が悪い、清少納言の文章。彼らは口をそろえて、「偉そうだっ!!!」と言いますが(笑)何故、清少納言がわざわざそんな「偉そう」な文章を書き残したのか。

そこを考えるようになると、ぐっと古典の文章の読み方が変わってくるかもしれません。

長くなったので、次の人はまた明日。

次は、「方丈記」鴨長明です。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

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