思考バイアス 解説その3


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思考バイアス 解説その3(その1 その2)

【前回までのまとめ】

-人間の思考は基本偏っている-

私たちは何かを考える時、帰納的か演繹的かの違いはありますが、大概予測や前提を立てて、結論を導き出そうとします。

なぜかと言うと、人間は謎があると、それを解消したいと願ってしまい、訳が解らない事が起こると、その疑問を解消させるために因果関係を考えてしまう傾向性があるからです。

この性質が、突き詰めて言えば科学発達の源泉になっています。真理の追究ですね。

けど、目に見えてはっきりと結果が解ったり、具体例・サンプルが多かったり、数値化されていたりすると、原因も突き止めやすいし、仮説や改善も立てやすいし、誰の目にも明らかなので色んな人と語り合う事も出来ます。

けれど、これが神秘系の体験だったり、あまりにも印象深い出来事だったりすると、まず発生することも滅多にないのでサンプルが少ない。毎回同じ結果にならない。数値化出来ないものは、考える時にどうしても客観的な視線が保てない欠点があります。

その時に、人間の思考は偏りが生まれます。

-あなたの考えを偏らせている3つのポイント-

筆者が挙げている偏りのポイントは、次の3つ。

・「確証バイアス」考える選択肢が、最初から絞られている場合。大抵の場合、1つ。
・「関連性の錯誤、相関の錯覚」印象深い2つの出来事を、無理矢理くっつけてしまうこと。
・「肯定性のバイアス」精神的負担が少ない「~だ!!」という断定の思考をして、それに相応しい事実しか見ようとしなくなること。

これ、1つ1つは心当たりがとても在るんですよね。

では、なんでそんな無駄ともいえる機能が人間に付いてしまったのか。

それは、そのように予測して考えた方が、これまでは生き残るのに有利だったからです。

本文を読んでいきましょう。

【第6~8段落】

風が吹けば桶屋がもうかる・・って「こじつけ」ですよね?(笑)

-危険を避けるために身についた、関連付けの思考-

もっとも、2つの事柄が相次いで起こった場合、それを関連づけて何らかの学習をするという意味では自然なことであり、危険を避けるには有効で重要な行為とも言える。(本文より)

私たちの脳は、石器時代から全く変わっていないという評論文がありました。(参照⇒ラップトップ抱えた「石器人」 解説その1)

人間の遺伝子ってそんなに簡単に、たかが数百年で書きかえられるものではないんですね。だから、私たち人間の感覚は、旧石器時代に培われたもので現在も生活しているのです。

なら、この因果関係や関連づけの「くせ」は、石器時代人が使ったとしたならば、どうでしょうか。

朝の時間帯にあの場所に行ったら、兎が沢山取れた。
夕方の時間帯にあの場所に行ったら、ライオンが歩いている姿を見かけた。

さて、その経験をあなたがしたなら、きっとこう考えるでしょう。

「よし、ライオンに出会わなかった朝に、兎を捕りに行こう。」

と。

これって、あの場所=兎の生活場所。ライオンも餌を捕りにきている。けれども、どうやらライオンが狩りに来る時間帯は、夕方のようだ。

なら、自分は朝に捕りに行こう。

と、原因と結果を関連付けて、予測をし、行動に移す。

それって、生き延びるために必要な機能だったわけです。

実際、その機能を明確な数字に変換出来る分野では、加速度的な発展を私たちにもたらしました。

起こった出来事から原因を考え、仮説をし、実際にやってみて、検証を行う。

この推測行動は、本当に意味のあるものでした。

その予測が出来たから、私たちは種として生き残ってこられたのです。学習能力があった方が、生き延びられた。だから、人間には生まれつき学習機能が備わっているのです。




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けれど、必要だから発達したこの機能。

使っているうちに、何でもかんでもそれを使って考えるようになっちゃったんですね。

-ことわざは、当たっている? 当たっていない?-

昔からの諺(ことわざ)で「夕焼けなら翌日は晴れ。」とか、「朝虹が出ればやがて雨。」と言われてきた。これらは気象学的にも根拠があり、受け入れられるものである。(本文より)

ことわざとは、昔から言い伝えられていること、風習などがベースになった短い格言、教訓のことです。

この、「昔から言い伝えられていること」というのは、つまり、複数の人間の経験の結集です。

本文にある、天候に関することわざは、当たるものが多いのは、長年の観察によるもので、これって天文学では非常に有効な研究の手段です。

観察と記録。それを長期間にわたって行った結果、比較、検討を行い、恐らく次はこうなると予測を立てる。

だから、ある意味では現在の気象衛星による雲の観察や気圧の変化も、人間が下から見ているか、それとも上空から雲を見降ろしているかの違いだけで、基本は同じ行動をとっているのだから、当たるのも納得がいきます。

けれど、これで「ことわざ=全てあたるもの」と言いきれないのが、厄介なところ。

そう。外れるものも、沢山あるんですね。

-経験からくることわざも吟味してはじめて有用となる-

諺は経験則から得られたものだが、原因と結果を取り違えたり、別の原因があってさまざまな結果を見ているだけのこともあり、よくよく吟味しなければならない。(本文より)

「雨乞いをしたら雨が降った。」
「下弦の月の頃に交通事故が多い。」
「地震の前にナマズが暴れる。」
「カマキリは来る冬に降る雪の量を知っていて卵を産み付ける高さを調整している。」etc……

本文で挙げられているこれらのことわざは、本当がどうか調べてみないと解らないものや、根拠のないものも含まれています。

でも、それを確定させるためには、何年も何年も正確な観察が必要になってくる。(それが研究となりますよね)でも、誰も手を付けてなくて、なんとなくの印象で語っているものも、本当に多い。

たとえばカマキリさんですが、個体差って絶対に在ると思うんですよね。

それに、雪が降らない地方のカマキリさんはどうしているのか。全く降らない地方で、高く卵を産みつけたのだとしたら、それは何の意図があってのことなのか。

それらも含めて検証しなければ確かなことは言えないはずなんですが、人間は印象深いことを関連付ける性質が備わっています

そこにある「偶然」という可能性を捨ててしまいがちになる。

 

-迷信の誕生は、何でも関連付けてしまう機能の落とし穴-

一般に迷信は、全く関連がない2つを結びつけ、いかにも本当らしく主張することから生まれてくる。(本文より)

当たらないことわざ=迷信です。

誤ったことを信じてしまうこと。それには、この人間が身に付けた、関連付けやバイアスが深くかかわってきます。

何でも関連付けてしまう。

たとえ、それが無関係なものであったとしても、結果が不確定なものであればある程、人は様々なものを関連付けようと必死になってしまいます。

結果がどうなるか分からない世界に生きている人たち。

スポーツ選手や、勝負の世界に生きる、棋士の人たちもそうでしょう。そのような世界では、ジンクスが非常に大きなウェイトを占めています。

勝負飯や、勝負下着。必ず試合の時には赤の下着を付けたり、決まったものを食べたりする。

これはそれを身に着けていたり、一定の行動をとった時に自分の集中力が増すという経験や体験を身につけて得たものなのでしょう。だからこそ、それぞれのアスリートには、個人個人の個性あふれたジンクスやルーティーンが存在します。

けれど、その中には根拠性の薄いものも、存在する。

筆者、池内さんは物理学者です。感情よりも理性の人。だからこそ、この、結果がどう出るか解らない「不安」な状態が、人を「関連付けさせたい」という行動に駆り立てるのだということに、気がつけた。

何かにすがりたくなる時は、不安な時です。

となると、結果がどう出るか解らないアスリートなどは、特に「不安」な状態が常です。

だからこそ、ジンクスに頼りたくなる。だから大丈夫だと思いたい思考の偏りは、非常に人間らしい部分なのかもしれません。

【今日のまとめ】

-関連付けは人間の生物的危機回避の本能からくる産物-

どうして、こんな思考が偏ってしまう機能が人間に付いてしまったのか。

それは、石器時代の人間には、経験から得られることを関連付けた方が、生き延びることが出来たからです。

けれども、その中には根拠のない関連付けも確かに存在する。生き延びるのに有効だったから、便利な考え方として、何でもかんでも関連付けてしまうと、根拠のないものまで関連付けてしまったり、無理矢理強引な論理の展開をしたりと、様々な問題が起こってくる。

それに気付こう、と筆者は言っています。

何故なら、問題に気付くことは直す事の第一歩だから。

では、どうやってこの思考の偏りを治すのか。その手立ては、手段は存在するのか。

その内容は、また明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

続きはこちら⇒思考バイアス 解説その4


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