こんにちは、文LABOの松村 瞳です。
今回は面白古典解説第二弾。相も変わらず、妄想解説なので、これを学校の先生に質問したければ自己責任でお願いいたします。でも、もし読んで頂ければ一発で内容が頭に入ることは保証します。
何故なら。徒然草を書いている兼好さんって、今存在したらとっても人気なコメンテーターになってたんじゃないのかなって思うくらい、人間洞察が鋭いです。時代なんか気にしないぐらい、その洞察力は現代でも通じます。マツコ・デラックスと友達になれるんじゃないかなぁ、とちょっと考えちゃうぐらい辛辣で、容赦なくて、でもなんか面白みがあって、あったかい。
そんな兼好さんが私は大好きです。なので、張り切ってまいります(笑)
【本文】
-そもそも何のために石清水を訪れたんだろう-
原文
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水ををがまざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。
仁和寺にいたある僧侶が、高齢になるまで石清水八幡宮を参拝した事がなかったので、残念に思って、ある時ふと思い立って唯一人で歩いて石清水八幡宮に参拝した。
解説
有名な冒頭ですね。中学二年生の教科書に載っている部分です。かぐや姫と同じく、登場人物の説明から。この徒然草は物語では無くて、兼好さんが一人で暇つぶしにつらつらと書き殴っているエッセイです。なので、人物紹介もわりとあっさり目。
仁和寺で修行していたお坊さんのお話なのですが、この話を含め、仁和寺のお坊さんってあんまり良いエピソードが載ってないんです。今でもこの仁和寺と言うお寺は京都に存在していて、有名なお寺なんですが、そう言えばつい最近。不祥事でニュースになってたりしてましたね……当時からあんまり良い噂を聴かなかったのかな?
今で言えば、大企業に長年勤めたんだけど、定年間近になってきてふと気が付いたら海外本社に行ったことなかったなぁ。行ってみたいなぁ。ええいっ、有給使って、一人でこっそり行ってしまえ♪ な感じ。(ここまで言ったら怒られそうですけど、でもまぁ、そんな感じです(笑))
超ハイテンションです。今で言うなら、
石清水に行ったら、写真撮ってインスタにでもあげちゃおっかな!! あっ、ラインで友達にも報告しなくちゃ♡
うーん……高齢者の僧侶にハートマークはやり過ぎだっただろうか……
石清水八幡宮を訪れるのは、何も悪い事じゃないんですけど、居ますよね……本当にお参りに行きたいのか、それとも違う目的を果たす為に、参拝したいだけなのか。
お坊さんならば、尊い仏の意志を悟る為に全ての行動はなされるべきです。だからこそ、同じ僧侶の兼好さんにはこの仁和寺のお坊さんの本音が透けて見えたんじゃないかなと。
-初めて行った場所で、何故道順を通行人に訊かなかったのか-
原文
極楽寺・高良などををがみて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、たふとくこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。
極楽寺と高良神社(二つとも石清水八幡宮の末寺と末社。山の下にあった)などを参拝して、これで石清水八幡宮は全部なのだと勘違いして、そのまま仁和寺に帰ってしまった。
さて。その後友達に会って、「長年、気になっていた石清水への参拝を果たす事が出来ました。石清水はかつて話に聞いていた以上に素晴らしくて、尊いお姿でした。
それにしても、同じように参拝していた人たちは皆山に登っていったのです。山の上に何か面白いものでもあったのだろうかと興味が惹かれたのですが、石清水に参拝する事が私の本当の願いだったので、山の上(本当は山の上にこそ、石清水八幡宮の本殿がある)には登らずに帰ってきました」
と、得意げに語ったそうだ。
ほんのちょっとしたことにでも、案内人って必要ですよね。(呆れ+溜息)
解説
普通に読んでも、おいおいって突っ込みが入りそうなこのお坊さんの顛末。石清水に行ったはずなのに、その手前で勘違いして行かずに戻ってきちゃったよ!!ってことです。
たとえで言うのならば、ディズニーとかUSJとかのテーマパークって、ゲートくぐる前までショッピングやフードコート。ホテルのエントランスとか雰囲気作りの為に駅を降りると延々続いていて、それだけでちょっと心浮き立ちますよね。で、それだけ見て、
「テーマパークってこんな感じなんだ!!」
って勘違いして、ゲートくぐらず、乗り物も乗らずにUターンして帰ってきちゃう感じです。
「何のために行ったんだよッ!!」って盛大な突っ込みが入りそうなお坊さん。さぞかしこの後赤っ恥をかき、兼好さんにも「案内人って必要だよね」と呆れられるんですけど、昔から疑問だったんですよね。
「何で、道順を周囲の人に聞かなかったんだろう?」って。
-プライドの高い人は、常に周囲の目を気にしている-
これ、ずっと疑問だったのですが、氷解したのは大人になってからでした。何故かと言うと、当時のお寺がどういう場所であったのかを考える必要があったからです。
お寺は当時、物凄い権威性の高い場所でした。
宗教の中心で、人の生死の冠婚葬祭を取り仕切っていた、というのは今と同じですが、当時の仏教の影響力の強さは現在の比ではありません。鬼や霊、恨みや呪いが信じられていた世界で、人々を苦しみから救う役割だけでも絶大な力があると言っても良いです。
ですが、それ以外にも役割が当てられていたんです。
・民衆に貸していた→図書館の役割
・勉強を教えていた→教師の役割
・本から得た知識で病気を治療(当時の一級品の治療は、お坊さんに枕元でお経を読んでもらう事)→病院、医者の役割
・葬式を取り仕切っていた事から戸籍の管理→市役所の役割
・戸籍の管理の派生で税の管理→税務署の役割
etcetc….
これはほんの一例ですが、学問の部分だけでなく、行政組織や医療まで行っていた。医者や税理士、市役所の役人、大学教授などの権威は、今でも高いものです。それらが一つの組織に集約されている。更に、精神的な救いも与えている、今で言うのならば心理カウンセラーのような役割も務めていたのです。なので、周囲からの尊敬の念は凄まじいものだったかと。
となると、お坊さんになりたい人達ってどんな人たちなのかなと考えると、勿論純粋に仏教に救いを求め、また人を救いたいと思っていた人も居るでしょうが(それが大半だと信じたいのですが、人間、そんなに強く出来てないものです)、そうではなく、唯権威にあこがれて、偉い人になりたいと思ってた出世欲バリバリの人間もいたんじゃないかなと思っちゃうんです。
まぁ、いわゆるエリートですよね。
すると、この仁和寺の法師が石清水に行きたいと言っていたことも、純粋に参拝したいという気持ちよりも違う意味合いが読めてくる。
だって、本当にその場に行って色々な物を見たい、と思うのならば事前に調べますよね。当時は神仏混合だったから、書物は有っただろうし、正確な地図とはいかなくても文献は有ったはず。其処までいかなくても、知っている人や同僚に聞いたんじゃないかと。
でも、そうしなかった。単に忘れていたし、行けば解るだろうと思っていた部分もあったのでしょうが、ならば石清水に行って気になる事があったのに、誰にも聞かなかった。
それは何故か。
お寺は当時、とてつもない権威です。
お坊さんは偉いんです。
そして、このお坊さん。真理の追究。仏の悟り、という事を心においていたのならば、事前に準備をしたはずなのに、一切それをしなかった。したかもしれないけれど、きちんとした知識は持たないままに石清水に行った。
と、言う事は……
この人、石清水に行って何かを追及する、自分の知識を得るという事が目的なのではなく、単に行った、っていうことを自慢したかっただけなのかな? そこまでいかなくとも、単に行きたかった、観光目的か?
なのに、調べなかった。現地に行っても、誰にも聞かなかった。
お坊さんは偉いです。周囲の人々が見れば、仏の化身と同じなので、手を合わせて拝みます。そんな人が、現地の人から解りきっている事を質問として聞かれたならば……
「えっ?? この人、そんなことも知らないの????」
という視線に晒されるはず。
本当に頭の良い人。勉強したいと思っている人は、自分の無知を自覚しています。知らないことを恥だとは思わない。だって、知れば良いのだから。真理を追究する、という事はある意味自分の無知と向きあい続けると言う作業です。
けれど、勉強をすることが好きなのではなく、勉強をしている自分が好き、という場合は違います。
石清水に行ったという自分が好き。自分の価値を上げるのが好き、それを人に話した時、皆からどんな風に見られるかという事を想定していた場合、何よりも恐ろしいのは人からの侮蔑の視線です。
そう。この仁和寺の法師、他人に何も聞けない人なんですね。
だってお坊さんだから。自分はエリートだから。知ってなきゃいけない存在だから。
【まとめ 無知の露呈が怖かった法師】
「知らないんですか?」と聞かれる事が、何よりも怖い。自分の無知を晒す事が、本当に怖い。人からの視線が怖い。どう思われているのかが、何より気になってしまう。
だから、聞けない。聞けないんです。聞いたら、自分の評価が下がってしまう。そんな危険な賭けは出来るわけがない。
だからこそ、それを噂話で耳にした兼好さんは、溜息と共に言ったんですね。
「誰かに聞けば良かったのに(でも、あなたは絶対に聞かないでしょうね)」って。
質問です。
あなたは、解らないことをちゃんと、人に聞けていますか?
解ったふりをしていませんか?
ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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