久々の古典解説です。
今回は、教科書からではなく、ある問題集から。有名な歌人一家の、ちょっと切ないお話。
古典って、書いてある内容を皆とても固いものとして扱いがちなんですが、現代語訳に直して、一般的な現代の常識に例えを直して説明すると、とっても情感がある、感情移入しやすい物語が多いです。
良かったね!! と喜ぶこともあれば、ええ?? と、悲しくなる様なオチがある時も。
今回は、そんなお話。丁度中学3年の授業で取り上げて、反応が良かったので、ブログネタとして上げてみました。
親が偉大だと、良い事も沢山あるけど、一生懸命で努力家な人ほど追い詰められていくよね、という切ない話です。
【本文】
為家卿は俊成の孫、定家の子成りしが、壮年の頃数多歌よみ給ひしに父定家、「かくはあらじ」とて、幾度見給へども称誉もなくて過しが、我心にも、「詠得たる」と思わざれば、「歌は詠まじ」とて述懐ありしを、慈鎮聞て、「父祖の業を捨給はんは本意なし。よく味ひ読なば其道も得給はん」と異見有りし故、夫より寝食を忘れて此道を修行なし、5日の内に千首まで詠れしを、慈鎮・西行評して点なせしを、千首の家の集とて今も好人のとりなやむなり。物は精心に寄りて其業を成就なすと、人の語りぬ。
【現代語訳】
平安時代の歌人、藤原為家は、同じく歌人として有名な藤原俊成の孫であり、藤原定家を父とする家柄の出身である。
若い頃、歌を沢山詠んで父親の定家に見てもらったら、「歌はこんな風に歌うものではない」と言われ、その後何度も歌を作ったのだが、一向に父定家は褒めてもくれず、そのうち、自信が無くなってきた。
「これは上手く詠えた」と思えたものも出来なくなってきたので、「もう二度と歌は詠まないでおこう」と心に決めたら、僧侶で歌人である慈円が「定家様や俊成様の和歌のテクニックを捨ててしまうのは、残念なことだ。よく内容を理解して落ち着いて詠んだなら、良い和歌も出来るだろう」とアドバイスをしてくれた。
それに励まされた為家は、それから寝るのも食べるのも忘れて、歌の修行をし、5日間で千首も和歌を詠むぐらい、一生懸命歌を創り、慈円や西行に添削をお願いしたものを、個人の歌集としてまとめ上げた。
その歌集は風流な人々が今なお好んで詠むものと成っている。一生懸命一つのことに集中し、努力したからこそ、歌人として評価されるにまで至ったのだろう、と人々の語り草となった。
【解説】
おじいちゃんも有名な歌人。お父さんは、それに輪をかけて、超有名人。そんな由緒正しき歌人の家に生まれた為家さんの周囲には、家族だけじゃなくて知り合いも、超有名人ばかり。慈円もそうですし、西行も、言わずと知れた歌人の世界ではスーパースターです。
そんな中に、ぽこっと生まれた為家さん。勿論、周りが歌を詠んでいた環境も有ったからなのか、当たり前の様に和歌を詠むように成ります。
当時は今と違って、出世に和歌は必須科目です。頭がどれだけよかったとしても、和歌の才能が無かったら出世は絶望的です。
今でいうのならば、テストで100点取った上で、更にその上にピアノのコンクールで全国一位を取るレベルじゃないと、天皇に仕える人間。所謂、殿上人にはなれないんです。
藤原家のサラブレットとして生まれた為家さん。プレッシャーは半端では無かったでしょう。だから、若いころから一生懸命勉強した。一生懸命歌を詠んで、詠んで、詠みまくった。そして、お父さんに「どうかな? 頑張って詠んだんだけど!」と持ってたら……「お前の歌は、歌じゃない。歌はこんな風に詠むものではないし、これは歌とは呼べない」とばっさり。
いえ、あの、定家さん。言うにしても、もうちょっと言い方ってもんが……そんな初っ端から子供を絶望に突き落としてどうするよっ! と突っ込みが入りそうな厳しさですが、定家さんは定家さんなりに、息子を導きたかったのかもしれませんね。何せ、定家のお父さんは、歌の名手。藤原俊成さんです。自分も厳しく教えられたように、息子も鍛えなければと思っていたのかもしれない。
でも、父の心、子知らず。和歌ではあんなに心を表すことが上手い定家さんでも、家族相手では口下手だったのかな。何度も何度も持っていっても、お父さんから否定され続けた為家さんは、段々顔が下を向く様に。
もう自信も木っ端みじんに砕かれたし、どれだけ頑張ったってきっと自分に歌を詠むことなんて無理だったんだ。もう、歌を詠むのは止めようかな……
はぁっ……と、重―い溜め息とともに、たそがれている若者。
頑張っても頑張っても成績が伸びなくて諦めかけている受験生と、思わず重なってしまいますね。
周りの人間が優秀すぎると、必然的に高いレベルを要求されます。何とかそのレベルに追い付こう、追いつこうと必死になっていると、何処かでぷつんと糸が切れてしまうみたいに、色んな事を諦めてしまう。きっと、為家さんって真面目だったんだろうなぁ、と思ってしまいます。
で、真面目な人ってとっても良い事もあるんですが、行動が極端から極端に振り切れてしまうのも、特徴の一つ。為家さんも同じです。「もう、二度と詠まないでおこう」これは、平安貴族として、出世を諦めたという意味と同義。かなり、重い言葉です。
それ位苦しんでいたのかな。きっと、お父さんのこと大好きだったんじゃないのかな。だからこそ、期待に応えられない自分が、ひどく情けなかった。
でも、そうやって落ちこんでいた為家さん。きっと和歌の才能があったんだと思うんです。でなければ、慈円がアドバイスなんかする筈が無い。
「今諦めるのは勿体無い。ちゃんと冷静になって考えれば、大丈夫。もう少し、頑張ってみなさい」
そうして、励まされた為家さんは、寝るのも食べるのも惜しんで、和歌に没頭します。お父さんに褒めてもらいたいし、認めて貰う為に、歌い続けたんでしょうね。そして、5日間で千首も詠みあげ、西行や慈円に添削をお願いして、選りすぐりのものを和歌集としてまとめ上げました。
どれだけ才能があったとしても、それが花開くまでには、膨大な時間がかかります。どんな才能も努力なくして開花することは有りません。
努力したから確実に才能が開花される、とは言えませんが、才能が開花した人は、すべからく努力をしています。
更に、励ましはどんな時でも、どんな人でも、必ず必要だという事。
何故かと言うと、成功するためには1万時間が必要、という法則があります。
何かで人よりも優秀になりたければ、その一つのことを1万時間続けろ。そうしなければ、才能など開かない、という言葉です。
大抵の人は、この1万時間の途中で諦めて止めてしまう。けれど、諦めずに粘り、一心に自分の技術を磨き続けた人間にこそ、世の評価は与えられます。
だからこそ、続ける。やり続けることが何よりも大事になる。何かを諦めかけている子があなたの傍にいたら、このことを話してあげてください。
【悲しいオチ】
と言う事で、それだけ頑張って歌の道で花開いた為家さんの和歌。
詠んでみたいですよね。どんな歌を歌っていたのか。
最初から歌を読め、というと、子供達って「え~っ」って不平不満を言うんです。和歌アレルギーがすさまじい(笑)けど、こうやって歌人の背景のエピソードを付け加えると、俄然詠みたくなるのが人間と言うもの。
そうして、開いて貰ったのは国語便覧。
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巻末の索引で為家さんの名前を引っ張ると…………
ない。
何処をどう探しても、為家さんの文字が。名前が、ないっ!! 俊成さんと定家さんは載っているのにっ!!千首も頑張って作ったのにっ!!
と、便覧を確認した子から、非難にも似た声が。
「為家さん、悲し過ぎるだろうがっ……」
「あんなに頑張ったのに!!」
親の七光りって、実はとても辛いんです。その道が極めた人で有ればある程、子供には跡取りとして期待します。それが、一人でも辛いのに、おじいちゃんとお父さんのダブル。しかも、父親が長い歴史の中でも和歌の名手として名が挙がる定家です。
そんな親子の和歌。ちょっと比べてみましょう。
現代の便覧に載らなかった、息子。為家さんの和歌。
五月雨は ゆくさきふかし いはた河 渡る瀬ごとに 水まさりつつ (為家)
五月雨が降っている岩田川は、流れる先がどんどん深くなっていく。先に行くほどに、水かさが増していってよく見えないように、私達の将来も、よく解らない程深くて見えなくなっている。
では、お父様。和歌の世界では超有名人。藤原定家の歌。
見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ(定家)
見渡すと、美しいとされている春の桜も秋の紅葉も、何も無い。ただ海辺の苫葺きの小屋があるだけの、この寂しい夕暮れの景色よ。(何もなく、物悲しい思いがするが、何故だろう。その寂しさに心が惹かれて、ずっとこの光景を眺めてしまう)
さて、この親子の和歌。貴方が好きなのは、どちらでしょうか。
判定は、あなたにゆだねましょう。
為家さんは、世間の評価ばかりを気にしたり、お父さんに褒められることばかりを気にしていたりしていました。慈円の説得も、家の伝統を絶やすのは勿体無い。残念だという言葉でした。
古典だから他人事として感じられますが、これって今の現代でも良くあることだと思います。
一心不乱に努力することは、成功するためにとっても大切。けど、それって本当にあなたが好きなことなんですか?
他人や周囲から、「やりなさい」と勧められたことでは、ありませんか?
人の期待を背負って生きることは、地獄の苦しみです。だからこそ、あなた自身が、あなたのやりたい事をきちんと聞いてあげてください。
そして、心が決まったら、1万時間の法則です。ただ、只管、人目を気にせず、やる。やり続ける。ただし、無茶は禁物です。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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