こんにちは。文LABOの松村瞳です。
今回は、久方ぶりの論語。今回の論語は、「為政」という章にまとめられている部分から。個人的に、論語の中で大好きな言葉です。
孔子が弟子の由。字(あざな)の子路(しろ)の方が漢文を勉強している人には馴染みがあるでしょう。この弟子に、「知る」という事がどういう事なのかを教える時の言葉です。
【白文】
子曰、「由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。」
【書き下し文】
子曰く、「由、女(なんじ)に之を知るを誨(おしへ)んか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らざると為す。是、知る也と。」
【現代語訳】
孔先生は言われた。「由(子路)よ、お前に、物事を知る、という事を教えよう。知るとは、解っていることは解っていることとし、解らない事は解らないこととする。是が知る、という行動だ。」と。
【知る作業は、自分の頭の中を整理すること】
知る、という行動は、とても難しいものです。
物事を知っているつもりでも、全く知らなかったことなどいくらでもありますし、勉強して出来たつもりになっていた部分を、テストで大きく落としてしまう事など、誰でも一度は経験があることだと思います。
それを孔子は、弟子の中でも優秀ですが、少し調子に乗ってしまう子路に忠告として残しました。深く物事を考える前に、行動に起こしてしまい、失敗を繰り返す子路に、解ったこととわからないことを区別して、整理するように、必要なことを言い聞かせたのです。
この整理が出来ていると、とても楽です。
テスト勉強の時を、考えてみてください。
良く勉強できている教科は、あそこがやばいからちゃんと見直しておこうとか、自分の弱い部分、補強しなければならない部分がちゃんと解っている時が殆どです。
自分がどこまで出来ているかが把握できている。それは、「知る」という事が良く出来ている場合です。
けれど、全く苦手な教科である場合、自分が一体どこまで知っているのか。そのこと時代が解っていない場合が、多くありませんか?
どこから手を付けて良いのか解らない場合の時は、やばいのは解っているのに、なかなか手を付けられない。それは、整理がされていないから、行動の目的がはっきりしないのです。とにかく勉強しなきゃならないけど、どこから手を付けていいのかが解らない。自分の「知っている」境界線が、解っていないのです。
【自分の知らない場所を認めるところから、知る作業は始まる】
出来ることを確認する以上に難しいのは、自分が出来ないところを認めることです。
もともと、この世の物事は、圧倒的に知らない事の方が多いのです。どれほど頭のいい人でも、この世の真理を全て頭の中に収めることは不可能でしょう。なら、何をしているかと言うと、圧倒的に知らないことが多い海の中で、せっせと私たちは自分の立てる場所を確保するために、陸地を埋め立てているのです。
知らない知識=広大な知識の海が目の前に広がっている場所で、自分の知識=走りまわれる陸地を確保していく。その陸地が増えれば増える分、出来ることは多くなっていきます。利用できることも、やれることも増えてくる。けれども、常に知識と言うのは手入れをしていかなくてはいけない分野です。
常に、自分が知っている部分と知らない部分の境界を引く作業。それは、自分に知らない部分がある。それを認めることから始まります。
【「知らない」と言えない日本人】
これは、歴史上とても有名なエピソードなのですが、第二次世界大戦中、リヒャルト・ゾルゲというソ連のスパイが日本で暗躍していたことがあります。
ゾルゲが日本に潜伏して、ナチスドイツの情報を諜報活動によって手に入れる際、日本人の外交官に使っていた、ある有名な質問があります。
それは、国家機密に関わるような情報を匂わせ、憶測でもでっち上げでも良いから反応を引き出すために、高位の軍人や外交官に話をした後、顔色を変えない日本人に対し、一言ぽつりと驚いた表情で、こう言葉をかけたそうです。
「知らないんですか?」……と。
すると、それまで何にも表情を変えず、情報も洩らさなかった相手が、憤慨したように、「いいや、私はちゃんと知っている!!!」と秘密をぺらぺらと喋り出したそうで、簡単に立ち話で機密情報を手に入れることが出来た、という話……
プライドが高い人であればある程、「知らない」って言えないし、認めるのも嫌なんですよね。(参考→古典解説~仁和寺にある法師~エリートが陥りやすい罠 )
自分は知っている!!出来るはずなんだと思い込むと、知らない事に対して背を向ける行為となってしまいます。だからこそ、知らない事の方が多い。自分は無知なんだと、自覚している人の方が、頭のいいことが多い。
成績の高い人ほど、「いや、結構僕、何にも知らないよ」とあっさり言えたりします。世界的に有名な学者や研究者、科学者なども、有名な人であればある程、「知っている」というのを前面に出すのではなく、「いや、知りません」とあっさり言えたりします。
常に自分の知らない分野と常日頃から向き合っているから、あっさりと言えるのでしょう。頭の中が整理され、これは知っている。これは解らないから勉強する必要がある、と分けられるから、決断や行動も早くなる。
知らない事は、害悪ではありません。むしろ害悪なのは、自分が知らない、という事実に向き合わず、ほったらかしにし、知らない分野でも勢いだけで暴走してしまう事です。
どこまで自分が知っているのか。そして、どこから自分が知らないのか。
貴方は、知っているつもり、になっていることはありませんか?
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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