小説読解 太宰治「走れメロス」その7~人間の真理 疲れている時は約束を守れない~

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PhilipBarrington / Pixabay

こんにちは、文LABOの松村瞳です。

メロスも7回目。

良くこれだけ語る部分があるなぁ……と自分でも呆れているのですが、文学作品ってそれだけ内容が濃いのです。現代作品が薄い、と言っているわけではなく、人間の根幹を抉り出そうとし、厳しい読者の目に晒されてなお現代に残っている作品というのは、それだけ人の心を動かす要素があったということです。

それを考えると、山月記もそうですが、小説の、物語の都合のために創られた人物、と受け取るよりは、人間の本来隠しておかなければいけない醜い姿を、小説から垣間見ることが出来ます。

小説は、創作物を通して、本来ならば見えないはずの人の姿を浮き彫りにしてくれるものなのです。

自分は絶対裏切らない!! それが揺らぐ時あるって知ってますか?

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【メロスの性格を振り返ろう】

これまで述べてきたメロスの性格です。

・馬鹿が付くほど正直者。

・政治が解らない。論理的な考えを持っていない。要するに、馬鹿。

・人情に厚い。すぐ感激する。感情、感覚が全て。

・後先考えない、のんき屋。

・誠実。正義心が人一倍。

ぶっちゃけすぎたかな……

けれど、何もかもが非難されることのない性格の人物が主人公として設定されることは、とても少ないです。どの物語であったとしても、欠陥や欠点を持っているもの。それが魅力となるのが主人公です。

メロスもそう。人の性格の欠点というのは、裏を返せばそれだけ魅力的にも映ります。

猪突猛進。正義心に溢れていて、あまり深く物を考えることは出来ないから、時に愚かな行動に突っ走ってしまうけれど、だからこそ自分のした約束には誠実であろうとする。自分が不利になろうとも、ずるいやり方や、有利だと解っていても嘘を吐くことはメロスの性格が許しません。

その愚かなまでの真っ直ぐさが、これまでの数々の突っ込みどころ満載の行動で証明されています。

メロスにとって人を疑うことは罪です。そして、自分のした約束を裏切ることも、同等に罪。卑怯な、卑劣な行為はメロスの中では許されざる悪なのです。

冷静に考えれば、「おいおいおいおいっ……」と、突っ込みを入れたくなるような行動をメロスにとらせているのは、この誠実さ。正義を貫き通したいメロスの性格を浮き彫りにしたいからです。(それにしたってやりすぎだとは思いますが……)

けれど、少しイッちゃったくらいの性格のメロスが、自分が絶対に許せない。そんなことは死んだって出来ないと思っていることを、犯しかける瞬間がやってきます。

【小説で描かれる人物の性格は一貫している】

これはとても大事なことです。

小説の中で描かれる人物の性格は、一貫しています。

プライドが高い人間が、プライドが低くなることはありません。

物事を論理的に考える人間が、感覚優先で考えを直感で決めるということもない。逆もしかりです。感覚を頼りにしている主人公が、いきなり論理性を選ぶわけがありません。

性格、性質は一貫しています。一貫しているから、読者はその主人公に惹かれるのです。本来ならばブレても良さそうな場面で、プレずに一貫した考え方を貫き通そうとします。

けれど、性格は変わりませんが、行動がブレる時が訪れます。

小説のお約束。主人公が乗り越えなければいけない困難。課題に、直面した時です。

【人の行動や選択は環境、状況に左右される】

復路で思いっきり余裕をかましていたメロスは、その道中。困難に見舞われます。

まずは昨夜の豪雨で氾濫した川によって、押し流されてしまった橋。その橋を渡らなければ到底間に合わない。だから、濁流の中をメロスは泳いで渡ります。

解りやすく、ゲームに例えるなら、HPが半分減少。回復薬もないまま、次の敵が現れます。

山賊です。持物を置いて行けという、追剥です。メロスは王の嫌がらせだと思い込みますが、本当に王が仕向けたかどうかは話の中では明らかになっていません。あくまで。メロスが思い込んだだけです。

けれども、山賊を振り切ろうとしたメロスに、山賊たちは「命をよこせ」と要求。持物が無い、と言いつつ、メロスは衣服などを着ていたからでしょう。

抵抗するなら、殺した方が早いと思ったのか。襲いかかってくる山賊相手に、メロスは抵抗し、殴り倒した後。逃げ切るために一気に峠を駆け下りて、疲労困憊します。

それでなくとも、徹夜続きですからね。いくら休んだと行っても、完全に回復はしていない状態で濁流を泳ぎ、その後に戦闘。坂道を全速力で走りきる。

どう考えても、疲労困憊です。ふらふらです。

「肉体が疲労すれば、精神も共にやられる。」(本文より)

そう。その言葉通り、メロスはこの後。倒れて眠ってしまうまで、絶対にしてはならないとずっと胸に誓っていた、他者への信頼を裏切ろうとします。

もういい、もう頑張った。諦めていい。精一杯やったんだ。それでも出来なかったんだと、諦めかける。

友に恨まれ、王に笑われ、友を欺いた卑劣な奴だと非難されるだろうと解っているのに、「それでも良い。もう、そんなことはどうでもいい」と思います。

あの、メロスが、です。

【どんなに硬い信念も、健康的な状況があってこそ】

この瞬間を書きたいがために、太宰はこの作品を書いたような気がしてなりません。

どんなに硬い信念であろうと、鉄の意志であろうと、状況や環境が揃ってこその話。太宰が生きた時代は明治末期から大正、昭和の激動期です。

とくに、この「走れメロス」が刊行されたのは、1940年。太平洋戦争へと突入していく真っ只中で、心頭滅却すれば火もまた涼し。鉄の意志が岩盤さえも打ち砕く、という教えが徹底されていた時代です。その教えが、太宰には薄ら寒く聞こえたのでしょう。

まともに食べ、まともに寝ている状況ならばいざ知らず、それが確保できない状況で礼節を守ることなど、人間には出来るはずがない。衣食住足りて礼節を知る。そうでなければ、約束など守れない。

少し異常なほどに正義感があふれているメロスですら、疲労困憊してしまったあとは散々「もういい」と諦めかけています。

「正義だの、真実だの、愛だの、考えてみればくだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか」(本文より)

人が変わって様な、真反対なメロスの言葉です。同じ人間が言っているように思えません。

確かにメロスは調子のいいところがありました。頼みごとをするときだけ、ディオニス王に敬語で語りかけるという、計算高い、人間臭い部分もきちんと持ち合わせていた。

けれど、だとしても、これはメロスの根幹を揺らがすような言葉です。

ここまで真反対なことを口走ってしまう。自棄になってしまう。

人が、破滅的な選択肢を選んでしまう時は、大抵まともな睡眠を取らず、まともに食べても居ない時です。日本は世界的に自殺者数がとても多い国ですが、自殺か事故なのかを判定する一つの判断基準は、胃の中の残留物なのだそうです。

自殺者は、大抵胃の中は空っぽです。食べることを放棄している。食べようという気にすらならないときに、人はとんでもない選択をしてしまうのです。

だからこそ、まともな選択をしたいのならば。自分に恥じない行動を取りたいのならば、まともな状態を確保しなければならない。

メロスもそうです。

自暴自棄になり、全てを投げ出そうとしていた彼に、理性が戻ってくるのは、少し眠り、冷たい水を飲んだから。

そう。肉体の疲労が、少し回復したから、理性が戻ったのです。

メロスは確かに狂人です。正義の心を愛する、狂人として描かれている。けれども、そんな常軌を逸した人物ですら、守ろうと決めた正義の心を放りだしてしまう瞬間がある。ならば、普通の人間ならばもっと容易く、意志はくじけてしまうのではないか。

そして、一旦投げ出した意志をメロスが取り戻すのは、誰かの救いや言葉ではありません。彼を本来の彼に戻したのは、ただの肉体的回復。それだけです。

けれど、この正常な状態を保つ、ということが何よりも大事だと太宰は語っています。自分が誇る自分で居たければ、まず整えるべきものを整えよと。

 

明日は理性の戻ったメロスの行動と、突っ込みどころ満載なある人物の行動について、解説したいと思います。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

続きはこちら

小説読解 太宰治「走れメロス」その8~善人の仮面を被った卑怯者~

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