評論文解説「である」ことと「する」こと 丸山真男著 その9~学問や芸術における価値の意味~

「である」ことと「する」こと

こんにちは、文LABOの松村瞳です。

今度は、「である」価値で出来あがっている教養や学問、芸術などにおいての解説です。

「せんせーい! それ、勉強して何の意味があるんですかー? 社会に出て、役に立つんですかー?」という質問。古文や漢文を教えていると、本当に良く質問されたのですが、教養という点に置いて、役に立つ、という観点が全く見当違いであることを、筆者は書いてくれています。(笑)

花は、そこにあるだけで価値がある

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【教養とは】

筆者は、アンドレ・シーグフリードの『現代』という書物から、教養に関する部分を引用しています。

「教養においては――ここでは教養とシーグフリードがいっているのは、いわゆる物知りという意味の教養ではなくて、内面的な精神生活のことをいうのですが――しかるべき手段、しかるべき方法を用いて果たすべき機能が問題なのではなくて、自分について知ること、自分と社会との関係や自然との関係について、自覚をもつこと、これが問題なのだ。」そうして彼はちょうど「である」と「する」という言葉をつかって、教養のかけがえのない個体性が、彼のすることではなくて、彼があるところに、あるという自覚をもとうとするところに軸をおいていることを強調しています。(本文より)

引用部分を簡単に言い換えると、

教養を何故身につけるのかというと、それは何かに役に立つから。何かに使えるから覚える、身につける、ということなのではなく、教養を身につける過程において、自分自身について学んだり、自分がどういう考え方をしているのかを知ったり、自分と社会。自分と自然の関係を自覚をもてるようになること。そこに、教養を身につける意味がある、といっています。

「彼を知り、己をしれば百戦危うからず」という言葉通り、敵を知ることは、物理的に目の前に相手がいるので簡単です。けれど、自分を知る、という行動は、本当に難しい。自分自身は、自分には見えません。そして、誰もが自分は少し良いものだと思いたいフィルターがかかっている。この色眼鏡を外す事が自分を知るということでもあり、その行為は教養を身につける過程で知り、自覚を持てるのです。

実用性ではなく、それを身につけること自体に意味が存在している。

そして、彼があるところに、あるという自覚をもとうとするところに軸を置いている、という言葉。

なんのこっちゃら分からない!!という人が多いのですが、これも簡単です。

教養の特殊性。つまり、教養を持った人、というのは、『こうなりたい!』という理想を持ちます。

例えば、論語を読んだ学生が、「孔子のような人物になりたい!」と思ったとしましょう。そうすると、彼の思考は常に「孔子だったらどうするだろう」というように、なっていきます。過去の人物の思考と自分の思考を比べることで、自分の欠点や逆に長所も見えてくる。視野も広がってくる。

「孔子のようでありたい」と考える理想像に「自分もそうであろう」と自覚を持とうとするところに、教養の価値がある、と書いてあるのです。

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【古典の意味】

芸術や教養は、「果実よりも花」と本文には書いてあります。

果実は、結果や目的です。

結果は、食べたら美味しいとか、栄養が取れるとか、病気が治るとか、痩せるとか頭が良くなるとか。そんな目的を求めるのが、果実ならば、花はそんな具体的な目的などどこにもありません。

食べても美味しいわけではないし、すぐ枯れるし、人間に役に立つ部分は、物理的にはないわけです。けれども、人は花を愛でる。美しいと思うし、見たいと思う。心が慰められるという効果も挙げられますが、物理的な利益、という面でいうのならば、全く意味を為さない存在であるはずなのに、人は花を愛でる。

芸術もそうです。

衣食住に全く関係がありません。

効率、効果、合理性と捉えるのならば、全く無意味です。けれども、人は絵画を愛し、音楽を好んで聴き、文学を楽しんで読み、演劇、舞台芸術を楽しみます。利益という面では、むしろ浪費に近い行動のはずなのに、どの文化圏でもこれらは残ってきています。

そのもの自体がもたらす結果よりも、それ自体に価値がある。

存在そのものに意味があるし、身につけることそのものに価値が存在している。だからこそ、学問や芸術の世界で、何百年、何千年も前に書かれた書物や思想が古典として残っているのは、存在そのものに価値がある。「である」論理にのっとったものだからです。

確かに、古文や漢文を読んでいると、今の世の中でも通じる論理は確かにありますし、同じようなことで悩んでいる人も多いし、共感できることも多い。だから

「それが何の役に立つの?」 

と訊かれると、役に立つことと言ったら、テストで点が取れて、センターで点がとりやすくなる、ぐらいなものです。学生だったらね。

でも、多分役に立たなくても、過去の人たちが何を考え、どうやってそれを乗り越えてきたのかを読み続けるんだろうなと思います。単純に知りたいっていうのもあるし、時を越えて残ってきた考え方に触れてみたいという気持ちも個人的にある。面白いし、楽しいし。

少し人間関係にも例えられるかもしれませんね。

役に立つから、というだけでそこに居ることを許されていたら、いつかは心が悲鳴を悲鳴を上げますよね。
「何をしてても、役に立たなくても、どうしようもなくても、貴方が居てくれて、生きていて良かった」と、そこに存在する価値を認めてくれる人が一人でも居たら、人間何とかなるものです。

合理化・効率化を突き詰めていくと、人間性が死んでいくのかもしれません。
役に立たないものって、案外心の平安には、大事なものなのかもしれませんね。

文学や学問、芸術面で古典を重要視するのは、大衆的な人気や流行などでその価値を判別するからではなく、それを学びとること自体に価値が存在し、芸術や創造活動の源泉になるからです。

クラシックを学んだことのない芸術家は、基本存在しないし、古典を読み込んでいない小説家や評論家がいないのと、同じ事です。

創造することは、何の繋がりもない場所でぽんっ!と生まれるものではない。その裏側には、脈々と繋がれた古典の知識があるからこそ、新しい創造は可能になるのです。

【政治はあくまでも結果重視】

けれど、政治や経済の制度には、このような「古典」に当たるものはありません。「前例」「過去の教訓」は辛うじてあるけれど、それも参考になる程度で、状況や環境などに合わせた、結果がきちんとでる方法を取っていかなくてはならない分野です。

ここが、「古典」とのおおきな違い。

政治そのものに、価値など存在しないということ。

確かに、政治や制度を知って、心が豊かになったり、自分の存在を自覚出来たり、感動を覚える事は、滅多にないでしょうね。(あまりにも酷い政治・制度で、腹が立つっていうのは、あり得るかもしれませんが……)

政治家や企業の社長にとって、「何にも出来ませんでした!」と言うのは、「無能」以外の何物でもないと、ばっさり言っているわけです。

これは確かに、そうですよね。

何もできない。どうすることも出来ないのならば、変われ! やめろ! の大合唱になることは、必須です。そう考えると、政治家って、大変な職業だなって思いますよね。

けど、芸術や学問は、何も産み出さないことが然程害悪ではないのです。

【価値の蓄積の重要性】

文化的創造でも、多作と寡作(作品の数が少ないこと)だったら、寡作の人の方が偉い、なんて風潮はないし、だからと言って多作の人が凄いのか、というと、そういうわけでもないですよね。

文学作品で考えると、学生には難しいと思うので、身近な漫画家で考えてみましょう。

一人の人気作家がいたとして、大体どの漫画家さんも代表作っていうのが決まっています。

長期連載の人もいれば、短編を量産している人もいる。一作を書きあげたから、暫く充電期間を置きます! と宣言する作家さんに対して、文句を言うファンって少ないですよね。(まぁ、休載が普通で、連載開始するとニュースになるようなアレな作家もいますが……面白くなかったら読むのやめるんだけどなぁ)

量産とか、合理的とか、数で勝負!! と考えるなら、これって害悪のはずです。けれど、作品を楽しみにしているファンも納得する人が多い。読みたいけど、良い作品書くには暫く休むのも必要だよなと、難しい論理など知らなくとも、皆分かっているんです。

音楽もそうで、休符は休みでなく、音楽の一部です。空白があるから、次の動が生きる。静寂があるからこそ、次のメロディが響いてくる。

休みの間に、価値を蓄積する。それは大きな意味を持っているのです。

また、次の作品を生みだす為に、創造をするためにちゃんと休みを取り、その間に様々なものに触れ、感じ、教養を貯めることによって、次の作品に生かすことが出来る。

だからこそ、文化的創造は、多数決で決める事も出来ないし、作品の数の多寡(多い、少ない)で決める事も無意味。人気作品だけが価値があるのかと言うと、そうでもないし、一般的な人気はないけれど、自分の心に響いた作品は必ずあるはずです。

近代的な合理性の論理は、確かに有用だし、効率は様々なことを可能にしてくれますが、それだけで生きることは無意味です。

そうではない、「である」論理が価値を置く場所も、きちんとある。

それをきちんと見分けて、わけて考えろと筆者は言っているわけです。

今日はここまで。

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