水の東西 解説 その6 まとめ

水の東西

水の東西 解説まとめです。

 

高校生になって最初に読むこの評論文。

これをクリアできるかどうかで、その後の現代文の得意不得意にも大きく関わってくる、この文章。

押さえておかなければならないポイントをまとめていきましょう。

 

理解度を高めたい人は、是非、このエントリーを読んだ後。

自分で文章を読みながら、ノートに概要を自分の手で書いて、まとめてみてください。

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【ノートをまとめるとは】

国語の授業=黒板の板書をノートに書きとめること。

という意識を持っている人が多いので、「自分でまとめてみて」と言うと、殆どの生徒は首を傾げます。

「どうすればいいんですか?」とやり方を質問してくる人が多いです。けれど、高校の授業はむしろ、先生が書いた事を板書するだけでは足りません。

足りないんです。

これは国語だけでなく、全ての教科に当てはまる事なので、新しいノートの取り方だと思って、ぜひ身に付けましょう。身に付けたら、一生役に立つ技術です。

 

-ノートのまとめ方-

 

ノートにまとめるとは

 

・重要だと思うところを抜き出す。

・ノートにメモの形で、書き写す。

・形式は自由。最初書き方が解らなかったら、箇条書きでOK。

・本当に解らない場合、教科書の文を書き写すことでも大丈夫。けれど、その場合、ほんのすこしでも良いから、文章を自分の力で書きなおすこと。

・余計な知識を足す。

・違う具体例を考えてみる。

・筆者が出した抽象例に当てはまるものを考えて、書きたす。

・色分けをしてみる。(赤以外)

・自分が大事だと思う部分を、マーキング。

 

-上手くとるポイント-

 

上手く取るポイントは、最初から上手に取ろうとしないこと、です。

えっ? と思うかもしれませんが、ノートは理解をするために書きとるものです。実際、手を動かすことによって脳が活性化し、記憶がしやすくなります。なので、「上手に、綺麗にノートをとろう」と考えてしまうと、そっちに気を取られてしまって、本来の目的の「理解」がおざなりになってしまいます。

慣れてくれば、綺麗に取れるようになってきます。また、授業でとったノートを、家に帰って、今度は冷静に、時間をゆっくりかけてノートを造り直す時に、綺麗にまとめることを意識してみる。それも効果があります。

二度手間じゃないかと思うか、復習と捉えるかは自由です。けれど、再度読み、まとめ直すことは、思う以上に効果が高い方法です。

必要なのは、理解を促すためにノートを取っているのだという意識を持つこと。これがとても大事。

ただ、何となく。

皆がとっているから。

取らなきゃいけないから。

と思って取っているのならば、今すぐそんなもの止めてください。意味がありません。だったら、「この授業時間で全て覚えて帰る!」ぐらいの勢いで、先生の話を集中して聞いていた方がよっぽど意味があります。

けれど、人間、そこまで連続で集中することも出来ない。

だから、集中を促すためにも手を動かしてノートを取る。

実際、ただ聞いている。黒板を書き写すよりも、聞いた話を自分で工夫をしてノートに書き写す作業をした方が、理解力や記憶力がUPしたという研究結果も有ります。

是非、文章を読みながらノートをとり、自分なりにまとめてみてください。

各段落ごとに、大事なことを抜き出してみるだけでも、効果があります。

高校国語に中学のような便利なワークは有りません。プリントも無いです。全て自分で解答を考えて、模範解答無しで受け続けていかなければならないのは、君達が考えている以上にハードです。

けれど、それが「高等教育」である、ということを理解し、身に付けましょう。大学の授業なんて、板書なんか教授は元々してくれないし、学生の理解なんか待ってくれませんからね。(笑)

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【水の東西 まとめ】

-日本人の好む水-

 

では、まとめです。

筆者は、

「鹿おどし」⇒「自然の流れをそのままに感じる傾向」⇒「行雲流水」⇒「物事に執着しない精神性」⇒「形なきものを恐れない心のかたち」

とまとめています。

これは思想では無く、感性の問題だとも、語っています。

頭で、それこそ勉強して解らなかったものを解る様になった!! というようなものではなく、何も新しく学ばなくとも自然に、当たり前のように、「こっちが好きだ」と感じてしまう。理屈では無い。肌で、直感で、日本人は流れているもの。形なきものを恐れない心がある。

無暗に恐れ、そこから逃げようとしたり、存在を無いようにふるまったりするのではなく、畏敬の念を、自然に対して抱いている。

親しみを抱きつつ、身近に感じながらも、それでも素材としてではなく、あるがままに流れている姿。自然のままに置いておくことを、とても好んでいる。そこには、自然は造形する対象ではなく、自分の意のままに操るものではないという敬いの気持ちが、ある。

行雲流水と言う仏教用語は、あるがままに存在し、流れに逆らわないでいる、物事に執着しない姿を指します。

固定では無く、変化を好む。

時は止まらないし、流れも止められない。

それが解っているからこそ、「止まってほしいな」「流れていかないでほしいな」「このままとどまってほしいな」と願い、その心に親しみを感じてしまう精神性を持っている。

もちろん、西洋がこの親しみの心を持っていない、とは言っていません。ただ、日本人はその傾向性が強い。それを、造形物の鹿おどしにまで反映させるぐらい、この感覚。感性を強く持っていることをあらわしているだけです。

だからこそ、鹿おどしは、水の流れを感じる極地のような仕掛けです。

ポイントは

・日本人は物事に執着しない精神性を持っている。(行雲流水)

・形なきものを恐れないから、見えなくても良い。

・鹿おどしは音だけで水の流れを感じさせるもの。

・精神的に満たされるから、水の流れを目で確認しなくても、その微かな竹の音と水の流れる音だけで、水を身近に感じられる。

・それが日本人の好みにあっている。

 

ということを、まとめられれば大丈夫です。

テストでも、この部分を書けるかどうかが、必ず問われるので、要復習ポイントです。

 

鹿おどしだけでなく、このブログでも取り上げた水琴窟も同じ様な精神性を持っているものですよね。そんな違う例示が自分の身近にないかどうか。それを探してみると、とても面白いです。

 

昨日のエントリーでも上げましたが、「見えない方が妄想がわいて良いよね」という、ちょっくら変態チックな感覚が見えるものです(笑)(怒られるかな、こんなこと書くと……(笑)でも日本人の精神性ってほんっっと変態だと思うんだよね。実際(褒めてます))

 

-西洋人の好む水-

対し、西洋人の好む水は、

「噴水」⇒「噴き上げる水」⇒空間的な水⇒目に見える水、です。

目で見て楽しむのが、西洋の好む水。

それぐらい、西洋の空気は乾燥しています。だからこそ、人工的な水場や噴水、水飲み場が必ず何処かにある。10世紀から17世紀ぐらいの時代を描いた西洋の映画などを見ると、必ずと言っていいほど街角に水場があります。

それぐらい空気が乾いていたんです。だから、西洋人たちは噴水を好んだ。そして、目に見える形で、水で空間を彩る、華やかなものを好んでいった。

その背景には、キリスト教的な教えも有りますが、自然に対する恐れなどは存在しない。

だからこそ、素材として圧縮したり、停止するように仕掛けをし、絵画のように空間を彩る。

-水に対する東西の違い-

単純に水に対する考え方や扱い方の違いを述べるだけでなく、そこから精神性を導き出す。思想や概念。思っていること。背景などを推測し、それをまとめるのが、評論文です。

 

東。つまり、日本は水を見えないものであり、自然のままの姿を愛し、流れるありのままの姿を良しとした。

西。つまり、西洋は水を目で見て楽しむものとし、人工の技術で積極的に加工し、停止しているような形を鑑賞して、楽しんだ。

 

鹿おどしと噴水からその背景を見、何故そうなったのかを推測する。

西洋の事には本文では触れてはいませんが、日本の自然に対する考え方には、更に「行雲流水」。物事に執着せず、自然のままのありのままの姿を好む精神を、掘り下げています。

 

目に見えない形而上のもの。それを積極的に恐れない感覚を、私達日本人は好んだ。

だからこそ、鹿おどしは、日本人の好む感覚が全てつまった極地の仕掛けだと、最後に述べて教科書は終わっています。

-感覚と思考の違い-

感覚は、理屈ではなく、好き嫌いの問題です。何を好きとし、何を嫌いとするのか。そんなものは、理屈じゃない。瞬時に肌で感じてしまうものが、感覚です。食べ物の好き嫌いや、音楽、色、様々なものを私たちは好き嫌いで区分けしています。

それは個人的な感覚によっていますが、頭で考えて好き嫌いを判定はしていません。

 

思考は逆です。

感覚ではなく、頭で理解し、系統立てて論理を立て、理屈で物事を考え、判定する。冷静なようですが、感情や好みを全く一切入れない、科学的な考え方。

 

肌で感じるものは、感覚です。直感で判断するものに、思考は介在しません。

この思考的に理解することと、感覚的に肌で感じ取ることの違いは、センターで出される芸術論でも、その違いを問われることが多いです。

理解と、好みは違う、ということを頭に入れておきましょう。似ていますが、これは明確に違います。

 

この感覚で、日本人は見えない物を好んでいる。

それが都合が良いからとか、便利だからとかいうことではなく、それを好きだと言う感覚をもっているからこそ、「鹿おどし」を好んでいる。

-鹿おどしを好むとは-

 

ここで、テスト対策の質問です。

何故、「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致といえるのか。

 

記述の問題は、ポイントをまとめるところから解答の作成が始まります。無計画に書き進めないことです。

 

まず、文章の形は、「鹿おどしは、~という点で、日本人が水を鑑賞する行為に相応しい仕掛けだから」という外側の括りを造ります。

この、~という点、という部分が、考えなければならないところです。

 

入れなければならないポイントは、

 

・日本人が好む水の姿⇒流れそのままの姿。

・目で見なくとも、目に見えない存在を好む。

・鹿おどしは、音を感じて、流れを感じられる。⇒目で見る必要がない。

・離れた場所で、目で見なくとも、水の流れを音で感じ取れる。

・日本人は、その感覚が好き。

 

これらを過不足なく入れて、文章を試しにつくり、解答を書いてみてください。それが現代文の勉強です。

是非、試してみてください。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

テスト問題はこちら

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