現代日本の開化 論理国語 解説

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筑摩書房の論理国語に掲載されている夏目漱石著「現代日本の開化」を解説していきます。

この評論文は夏目漱石が1911年(明治44年)8月に関西で行われた4回の連続公演の中で、第2回目の講演会の内容になっています。

夏目漱石というと、おそらくは日本小説家の中で最も知名度が高い人物でもあるかと思うのですが、(著作の「こころ」は日本で最も売れた小説です。)皆様の中にある夏目漱石の人物イメージはどのようなものでしょうか。

恐らく受験や読書感想文などで1度は「坊っちゃん」や「草枕」などを読んだことがある人が多いでしょう。けれど、実際にどういった人生を過ごした人なのかまでを知っている人は、少ないと思います。漱石は江戸末期も末期。慶應3年(=1967年 明治時代は1968年1月25日~)に江戸。つまり、東京都で生まれました。この講演会が行われたのは明治44年なので、漱石はほぼ明治という時代と共に成長し、生きてきた人物であることがわかります。

更にはこの講演会の前年には胃潰瘍で倒れ、危篤状態に陥っています。

吐血を何度もくりかえし、死と直面した漱石の作風は晩年に向けて変わっていきました。いわゆる「明治」という時代に対しての問いかけや、明治に生きる人々の生き辛さや歪み、人間のエゴイズムに焦点を当てていくようになります。(エゴに関しては初期の作品にも見られますが、より色濃くなっていきます。)

なので、この評論を読む前に、基礎知識として「明治」という時代が人々にもたらした影響はどのようなものだったかを、少し振り返りましょう。

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この評論文を読む前に

明治という病

日清・日露戦争による影響

1639年の南蛮船入港禁止令から1853年の日米和親条約締結まで、約200年以上にわたって実施された鎖国という眠りから覚めてみれば、周りは敵だらけというとんでもない世界情勢。

外国との戦争で負ける=植民地支配をうけるということがほぼ確実であった弱肉強食の世界情勢の中で、日本の指導者たち(いわゆる維新を成し遂げた人々)は討幕を果たした後、富国強兵、国力増強に勤しみます。そうしなければ、それこそ日本という国が無くなってしまうかもしれない恐怖と焦りから、必死に欧米列強の技術を身に着け、交渉を繰り返しました。その当時、白人以外の有色人種は言葉を理解できる「猿」だと揶揄されていた時代に、西洋と対等の話し合いが出来る存在になろうと、それこそ死に物狂いで社会を変革し続けてきたのが「明治」という時代でした。

国家改革は一見して目覚ましい成果を上げ続け、隣国清国との戦いに勝ち、その次はヨーロッパの大国・露西亜との戦争で互角に渡りあいました。その華々しい成功は国民に自信を与え、「西洋に追いついた。あれほど遅れていた私たちが互角に渡り合えるようになったのだ。このまま改革を続けて行けば、西洋を追い越すこともあり得るかもしれない!!」と、国内は湧き上がっていました。実はその時の成功が、殆ど張りぼての抜け殻状態であり、ロシアと講和に持ち込めたのもぎりぎりであったことは国民に知らされませんでした。国民も、そんな不都合な事実は知りたくなかったでしょうし、戦勝で湧く国内には、厳しい現実を報道したとしても耳を傾けてくれる層はごく一部だったのでしょう。

けれど、漱石はそんな急成長を遂げる日本が西洋からはどう見られていたのかを知っていました。

漱石は33歳から35歳の2年間。国選留学生としてイギリスのロンドンに留学経験があります。彼は肌感覚で西洋社会が日本という小国をどうとらえていたかを、その目で見、その耳で聞いて「知って」いたわけです。

更には帰国後の日本で、急激な改革と社会システムの変化で、明治という社会に住む人々は静かに、けれども確かに歪んでいた現実を目の当たりにします。

急激な変化がもたらした歪み

身分制度の急激な解体に伴い、それまで集団での支え合いで成り立っていた社会のセーフティネットや農村の相互に助け会う互助の感覚が薄れ、「役に立つ」=「有益」という感覚が急速に広まり、「役に立たない(稼げない)もの」=「無駄」と切り捨てられました。

その結果。

米の年貢から金額での税金徴収というシステム変化が行われ、そもそも教育を受けていない農民は貨幣感覚や市場原理が分からず、税金を払う為の借金で土地を失ってしまう人々が大量に発生しました。

路頭に迷った農民たちは仕事を求めて都市部に流れ込み、膨大な数の貧困層が貧民窟を形成するという辛い現実が、繁栄の陰に色濃く発生していたのです。

富国強兵に勤しむ国家は、軍隊を整備し、新しいものを取り入れることばかりに必死になり、その足元に存在する現実を生きている国民の生活環境など気にしている時間はありませんでした。

常に「国際社会の競争から振り落とされたら、自滅(貧困・植民地化)する」という不安にさらされ、貧困層の人々には、『頑張らなかった、努力の足りなかった自分が悪いという自己責任論』が横行し、その意識を背景とした国会では社会保障制度の法案は何度も否決され、国民を助けるための福祉という概念すら「怠け者を助けるな」と切り捨てられました。
(現在の社会福祉の原型となる法律「救護法」が施行されたのは、驚く勿れ。昭和7年です。)

変化についていけない、実力のない人間は捨て去る。切り捨てる。生き延びたければ「役に立つ」人間であれ。「国家にとって有益な人間であれ」と要求され続けた「明治」という時代。

 

「自分たちは西洋に追いついた優秀な国家の一員なのだ!!」

 

と高揚する人々がいる一方で、社会の歪みは確実に大きく育っていきます。

その歪みに気が付いてほしい。西洋に追いつきなどしていない。見た目が同じでも、内実は全く違う。そして、見た目だけを急激に変えたその代償がすぐそこまでやってきていると、それこそロンドン留学中に神経衰弱(今でいう慢性疲労症候群)に陥った経験のある漱石は、早くそれに気が付いてほしい一心で、この耳に痛い講演原稿を書き上げたのでしょう。

100年前の「明治」という社会を語っていたはずなのですが、所々「令和」の現代にも通じる論理があります。それだけ、「内実を伴わない外側だけの急激な変化は、危険である」という漱石の意見は、時代を超えて語り継ぐ普遍的なものとして捉える必要があります。

それでは、本文を読んでいきましょう。

 

本文解説

第1~3段落

日本の開化は外発的な見せかけだけの問題だらけなもの

現代の日本の開化は一般の開化とどこが違うかというのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。(本文第1段落)

かなり強い言葉から始まっている本文ですが、講演の原稿ということもあり、非常に分かりやすい文章構成になっています。

その構成の中身は、重要なことは冒頭に。細かい説明はその後に。更に訴えること=言いたいことは1つに集約する、というとてもシンプルなもの。

この冒頭の1文に表されている重要なことは、「西洋の開化は内発的、日本の開化は外発的」という部分です。

まず、この文章を説明するために、「開化」という言葉の意味を踏まえておきましょう。

開化=新しい知識・文化を知って世の中が開け、変わること。
歴史で勉強した「文明開化」の語源ともなった言葉であり、明治時代の流行語でもありました。世の中が変わる、いい方向に変わっていくという前向きな、ポジティブな言葉だったわけです。日本のシステムは大きく変わり、近代化(機械化・工業化)を果たしたことを誇りに思う言葉でもありました。
けれども、漱石は
夏目漱石
夏目漱石

「西洋の『開化』は、内側から自然ともたらされたものだけれども、日本の『開化』は外国から大量の知識が入ってきたのをとにかく学び取らなければいけなくて、慌てて勉強して変わっただけの、見た目だけのものなんだよ。

それがね、とっても問題なんだよ!!!」

 

と、訴えているわけであり、この評論文の要旨は此処です。これを説明するために、漱石は講演原稿を書いたわけです。

さて、どうして外側からの要求で変わった日本社会の「開化」は問題なのか。続きを見ていきましょう。

曲折してしまった日本の開化

少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺激にはね上がったくらい強烈な影響は、有史以来まだ受けていなかったというのが適当でしょう。日本の開化はあの時から急激に曲折し始めたのであります。また屈折しなければならないほどの衝撃を受けたのであります。(本文第1段落)

鎖国という特殊な状況があったにせよ、日本が外部から全く影響を受けていなかった、とは漱石も思ってはいません。朝鮮や中国、そして微々たるものではあったとしても、南蛮貿易を通してヨーロッパの影響は受け続けていました。

けれども、漱石が言う「あの時」から「開化」の様子が急変します。外からの影響を受けながらも、ゆっくりじっくりと変化してきた江戸時代。それが、明治維新によってぬるま湯からそれこそ熱湯風呂に入れられたような状態で、変化せざるを得ない状況に追い込まれます。

江戸時代が鎖港排外の空気で二百年麻酔していたとするのならば、明治時代は突然西洋文化の刺激にはね上がった、と漱石が喩えているように、劇的な変化を日本はします。

変化の時代に生きた漱石は、日々様変わりしていく環境を肌で感じていました。その様を、曲折という言葉で表現しています。

曲折=まがりくねっていること。特に、物事の入り組んだ事情。
この曲折の真逆に位置する変化が、内側から込み上げてくる変化です。花が春の日差しに誘われるように内側から膨らみ、開く変化は自然の摂理です。そこに捻じ曲がるような複雑性はありません。自然性のない外発的な変化は「曲折」するのです。
敢えて、「矯正」と言い換えても良いかもしれません。

一見、良さそうに見えたとしても、その内実は複雑に入り組み、ねじ曲がります。

西洋の開化というものは、我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。(本文第1段落より)

この開化の刺激というのは、明治維新の時に強烈な一押しを受けただけではありません。4.50年ずっと押され続け、それは漱石が亡くなった後の現在もまた、国際社会からの強烈な影響は続いているのかもしれません。(その影響の度合いはさらに強烈に、苛烈になっているでしょう。)

刺激が相互に働き、お互いの成長に良い影響を与える場合は、お互いの立場が対等である時です。

けれど一方的に刺激を受け続ける状態は、常に相手に合わせ、自分の「形」を変容させ続ける必要があるので、とてつもない負担となります。しかもそれは自分の内部にない変化なので、どうしてそれが必要なのかも分からない状態で、ただ形だけを必死に吸収し、機械的に真似るのみ。心が伴わない変化になります。

生徒1
生徒1

「いや、だって明治政府のお偉方は富国強兵を望んだのでは? それは開化とは言えないの?」

ええ、その通りです。とにかく追いつくために、必死に日本は自身の考えや文化を変容させ続けていたわけです。国民性もあるのでしょうが、とにかく真面目に、形からでもいいから「西洋を真似しよう!!」と政府から国民にいたるまで、死に物狂いで真似たのです。

けれども、漱石はその「やらなければならないから、無理矢理やる!!」という真似の仕方では、西洋の開化と根本的に違い過ぎている点を鋭く指摘します。

西洋の開化は娯楽性の高いもの

夏目漱石
夏目漱石

「西洋の開化はね、遊びなんだよ。面倒なことはしたくないっていう人間の本能に根差していて、苦労をせずに、楽しんで、面白くて、それを突き進んだら社会が変わったんだよ。本当の開化って、そういう自然な面白さの先にあるんだよ!!

西洋の開化は、労力を限りなく削減し、娯楽方面に特化している。要するに、面倒なことはしたくなくて、「楽」して「楽しみたい」という願望に根付いている変化だと、漱石は評価しています。より合理的に、より楽しみが広がるように。

この考え方は、日本の社会では基本的に否定されるような概念です。

だって考えてもみてください。

「俺、将来「楽」して「楽しく」生きたいんだよね」

「私、努力嫌いで「楽」したいし、「楽しい」仕事がしたいんだよね」

日本は、この考え方を

「良いね!! その考え方!!」

と受け止められる社会でしょうか。

現代であったとしても、この考え方を全面的に肯定してくれる人はごく一部だと思います。それが100年前の明治時代に受け入れられるかと言われれば、間違いなく

「そんな考え方はやめなさい!!」

と否定されるでしょう。

けれども、西洋は既に100年前から

同じ成果が出るのならば、『楽』出来た方がいいし、結果が同じなら『楽しい』方法を考え付いた方が、なにより続くよね」

という考え方が国民的にも社会的にもスタンダードとして根付いているからこそ、機械化・合理化が進みやすく、発展を遂げているのだと少なくとも漱石は思っていたわけです。(西洋社会の全てがこの考え方であるというわけではないですが、こと発展・発達という分野に限ってはこの考え方が無ければできなかっただろうと漱石は見ていたわけです。)

そういう外発的な開化が心理的にどんな影響を吾人に与えうるかというと、ちょっと変なものになります。(本文第3段落)

さて、今まで見てきたように、西洋の発展の根幹の考え方と、日本人が持っている美徳。いわゆる、

「努力・根性」が何かを成し遂げるためには必要なんだ!! 娯楽とか楽しさなんて、もってのほかだ!!!

という考え方。

この異なる前提が歴然と存在している中、外側だけを無理やり合わせたら、一体どうなってしまうのでしょうか?

外側から受けた強烈な刺激により、曲折した文化・発展の中で、日本人はどのような影響を受けていくのか。どのような心理になるのかを、漱石はつづけて語っています。

(ものすごーくわかりやすく言うと、人付き合いが苦手で、どちらかと言うと無言で作業をずっと続けている方が得意な性質を持っている人が、無理矢理大人数のリーダーとして抜擢され、「あなたに必要だからやれ!!」と強制されてやらされて、必死に頑張って成果を出したとしても……それは長続きしないのは、想像できると思います。)

第4~6段落

上滑りを続けなければいけない日本人

日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新しい波が寄せるたびに自分がその中で食客(いそうろう)をして気兼ねをしているような気持ちになる。(本文第4段落)

心理学に興味がある人ならば聞いたことがあると思うのですが、人間の意識というのは、8割~9割が無意識で構成されており、人間が明確に意識できる思考の部分は1割にも満たないのではないか、という風に言われております。

これはどういうことかと言うと、私たちが「自分ってこういう人間だよな」と思える部分は、全体の1割程度で、実はそれ以外の無意識の部分が「私」の決断をほぼ握っていて、無意識に支配されているのが私たち人間なのだという考え方です。

生徒1
生徒1

「えー、そんなの有り得ないよ!!」

と思うかもしれませんが、テスト結果が返ってきたときとか、在りませんか?

生徒2
生徒2

「あれ?? これ、本当に自分が書いたのかな? なんでこんな簡単なミスしてるの??」

ってことが。

これと似たようなことが日常にはあふれていて、

「どうしてこれをしちゃったんだろう」

生徒2
生徒2

「やらなきゃいけないってわかっているのに、どうしてさぼっちゃうんだろう……」

なんてことは、それこそ毎日起こっているわけです。

この「無意識」というのは人間の意識を支える根幹で、私たちはその根幹にのっとって日々の行動を決めているわけです。考える暇すらない場合、脳は多大な情報処理を「無意識」に任せて判断しています。

試験期間だからと急に真面目に勉強しようと思ったとしても、無意識が知っている日常は「勉強をしない」モードなわけなのですから、急に人は変われないわけです。(ちなみに、そんな人間の性質をわかった上で、成績を上げる方法や日常の勉強の方法はありますよ。どんな状況でも、やりようや対策方法は存在するので、絶望するのはまだ早いです。)

この「無意識」が、漱石の言う「波」・「潮流」となります。

文化的な素地。習慣や道徳、集団で社会を維持するために守られている不文律な常識と言ってもいいかもしれません。

昨今、日本は外国人旅行客にとても人気な場所になっていますが、皆さま口をそろえて言うのは、「日本はどこもかしこも綺麗」「サービスが素晴らしい」「街の人が親切」「食べ物がおいしい」という評価。

その手放しの賛辞に、

生徒1
生徒1

「え? そうかな?? 別に普通じゃない?」

と思ってしまうのは、私たちの文化の根幹が「日本社会の普通」に設定されているからです。

「日本の常識」は「世界の非常識」と言われるほどに、外国の暮らしを一度でも経験すると日本社会の便利屋さ快適さ、治安の良さを実感します。(この「外国の暮らし」は、「旅行」や「短期留学」ではなく、一人で外国を訪れて暮らす、または仕事をするハードルだと思ってください)

なにせ治安が良いと思われているヨーロッパの国々ですら、電車の中で居眠りをする日本人の多さに驚きを隠せないわけですから、(ヨーロッパであったとしても、個室ではない公共交通機関内で油断をすれば、起きた時に荷物が無かったり、運が悪ければ命の危険を考えなければいけません。)日本の治安の良さのレベルが破格に高いというのが分かります。

もちろん、それを実現しているが故の窮屈さや閉鎖的な国民性、抜きん出ることを良しとしない風潮も含めて、平均値を高い場所に設定し、そこから外れる存在(良い部分も悪い部分も含めて)を徹底的に除外する、という素地が、日本の文化の根底に存在しているわけです。

氷山の一角と同じように、目に見える部分は表層的な物です。

内側に確固たる考え方や思考があって、それがにじみ出るものが「目に見える」部分です。日本の常識の高さや衛生に対する意識の高さ。ビジネスに対する誠実さなどの意識が根底にあって、初めて日本の社会は成り立っているわけです。

その集合的無意識の表れが、街の様子として現れているので、街の様子を見ればその街に住んでいる人々の思考や考えが理解できます。

これはその人の住んでいる部屋を見れば、その人の性質や性格、思考を正確に理解することが出来るという、徒然草『家居のつぎつぎしく』の内容とぴったり一致しますね。

その人の『言葉』で人を判断するより、態度や雰囲気で判断する方が間違いない。なぜならば、それは簡単に誤魔化すことのできないその人の根幹や意識が滲みでる部分だからです。

近代的な西洋の発展や科学的知識は、「西洋社会の常識」や「欧米人の思考」がその根幹にあります。その思考があって初めて、この発展や科学的発見などが成し遂げられ、それを民衆が受け入れて推し進めたからこそ、西洋社会の発展は確実なものとして存在します。

けれど、それこそ知識面だけの表面を真似た日本の「開化」は、借り物です。

その根底に流れている「波」や「潮流」は、日本人には馴染みがないもので、「何故これが開発されたのだろう」という単純なものでさえ、西洋人の思考を考えなければ理解できない、身に馴染まないものです。

どことなく落ち着かない。ここは自分の居場所ではないと違和感ばかりが酷くなる。そんな「波」に私たちは乗ってしまい、違和感を見ないように飲み込んで、とにかく明治という時代は進んだわけです。

こういう開化の影響を受ける国民はどこか空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を抱かなければなりません。(本文第4段落)

空虚の感=空しい気持ち・心の中に何も存在しないような、空っぽの感覚

です。この借り物の違う潮流に乗っているときは落ち着かず、どこかここは自分の居場所ではないような、不安定な空しい気持ちを持つのが当たり前だと漱石は述べています。

アレですね。分かりやすーくいうと、「なーんかこの場所、居心地悪いなぁ」と思うアレです。

陰キャの子が、陽キャの典型的な集まりのパーティに間違って参加しちゃうと、どうにも帰りたくてたまらなくなるあの感覚。

逆に陽キャのパーティ大好き人間が、落ち着いてみんなが勉強している図書館や、博物館・美術館などに違和感を覚え、じっくりと謎に向き合うようなものが馴染まなくて仕方がなく、面白みを感じられないように。

自分の内実にそぐわない場所に居合わせたら、それこそ居心地の悪さと言うか、早く帰りたくてたまらなくなるというか、そんな感覚に襲われるはずなのです。

いつもこんな場所に来たことないよ、というくらい馴染まない場所。

いつもマクドナルドで時間を過ごし、この適度な雑多感が落ち着くのに、いきなりおしゃれカフェとかホテルのラウンジの静寂な空間に連れてこられてリラックスしろと言われても、土台無理です。逆に、カフェなどで時間を過ごすのが好きな人が、がやがやした居酒屋で落ち着けるかと言うと、やはりどことなく違和感が襲ってくるはずです。

分かりやすい例示を何個か上げましたが、ただの日常空間を過ごす場所ですら人間は違和感を抱いてしまうわけです。それが国民全体を巻き込んだ「文化」であった場合はどうでしょうか。

なーんか、馴染まないなぁ……

と思っているならば、普通です。当たり前の感覚を持ち合わせていることになります。むしろ、そうでなければおかしい。異常だと、漱石は言いたいわけです。けれども、明治の日本社会はそうではありませんでした。

明治の日本は、その借り物の発展を喜んで受け入れ、そうして「西洋に追いついたんだ! 私たちは先進国の優れた人間なのだ」と浮かれていたわけです……

 

自分はまだたばこをすってもろくに味さえ分からない子供のくせに、たばこをすってさもうまそうなふうをしたら、生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人は随分悲惨な国民と言わなければならない。(本文第4段落)

百年、物によってはそれ以上の年月をかけて変化してきた西洋の発展を、借り物で借りているだけに過ぎないのに、それをあたかも自分の内側から湧き上がってきた発展だと、得意げに振舞う。

そんな滑稽な真似をし続けて、馴染まない場所に居続ける。

そうしなければ、諸外国から認められないし、何より未開の地とさげすまれ、攻め込まれて、奴隷と化すしかない。

それが嫌だから、全力で日本人は真似たわけです。そのことに対しては、漱石は一定の評価と言うか、それは世界情勢的に仕方がない、としています。彼が異を唱えているのは、その現実を人々が忘れ、直面せずに、「自分たちは優秀な国民なのだ!自分たちの力で発展をしたのだ!!」と思い込んでいること、そのものに警鐘を鳴らしているわけです。

それこそ、コーヒーや紅茶の味が分からない。苦いだけしか分からない状態なのに、「これ、美味しいねぇ」と分かるフリをしている小学生が、周囲にバレバレなのに、カッコつけている自分がイイ!!と自分で思っていたら、痛いだけでしょう。

強い存在に従わなければならない現実

西洋人と交際する以上、日本本位ではどうしてもうまくいきません。交際しなくともよいといえばそれまでであるが、情けないかな交際しなければいけないのが日本の現状でありましょう。そして強いものと交際すれば、どうしても己を捨てて先方の習慣に従わなければならなくなる。(本文第5段落)

この明治の「開化」についていけない人々はたくさんいました。

食事の仕方一つ取ってみても、ナイフとフォークが使えない人々の方が多く、それをうまく使える人が、出来ない人を笑う現象がそこかしこで起こったわけです。

そんなことが何故起こるのか。馴染まない、したことがないものが出来ないのは、当たり前のことです。けれども、それが笑われるのは、ナイフを使える人間が「強い」からです。西洋人の常識を身に着けている人間が、「強い」とされたわけです。

要するに西洋人が「強い」から、その価値観や生活習慣をいち早く身に着けることが、日本の社会の中でも「強い」と認識されていました。

「強い」ものと「弱い」ものがいれば、「弱い」ものが「強い」ものに従う。己を捨てて、従わなければ「強い」ものに踏みつぶされるだけです。

その現実を、どうしようもない国力の差を、漱石も認めています。

しかしそれが悪いとからおよしなさいというのではない。事実やむを得ない、涙をのんで上滑りに滑っていかなければならないというのです。(本文第5段落)

国の政治の在り方や、鉄道・軍隊・教育体制の配備、市場・税制度の改革といった国家的大事業から、それこそ食事のナイフ・フォークの使い方にいたるまで、とにかく真似ばかりをしている。内側からの自然な変化ではないのだから、馴染まない。無理をして身につけても、どうしても定着などしていかないと、一定の理解は示しつつも、バッサリと漱石は見苦しいことこの上ないと言い切っています。

でも、確かにそうですよね。

西洋では挨拶で、シェイクハンド(握手)や、ハグ(軽い抱擁)が当たり前ですが、果たして日本人はこれらを真似ても、肌に馴染むでしょうか?

親しい間柄の関係性だったら、そういう挨拶もしているかもしれませんが、それが社会全体の常識として根付いているでしょうか?

食事でもそうです。

これだけ食の西洋化が起こっている状態ですが、毎日私たちが当たり前のように使っている食器は、箸でしょうか? それともナイフ・フォークでしょうか?

外発的なものだから、馴染まない。

逆に言うのならば、私たちが馴染むものは、全て内発的な物なのです。心地いい。違和感がない。そういうものが、内発的なものに従った心地いい、馴染むものですし、長く時を経ても無くなりません。

百年の開化を十年で自力で行おうとするのならば

それでは子供が背に負われて大人と一緒に歩くようなまねをやめて、じみちに発展の順序を尽くして進むことはどうしてもできまいかという相談が出るかもしれない。(本文第6段落)

この状態を脱するためには、どうすればいいのか。

日本が地道に自立の道を歩き始め、日本人の感覚に従って、内発的な動機に従って国を発展させていくことは出来ないのか。その方法で、西洋に追いつく道は取れないのか、という相談です、

自分たちが間違っているのならば、正しい道を選びたい。聴衆がそう考えるのも、自然な流れです。

「歪んでいるよ」と言われたら、そりゃ治したくもなりますものね。

では、漱石はそれに対してどう答えたかと言うと……

夏目漱石
夏目漱石

「出来るは出来るけど、相当な覚悟がいるかもね」

漱石が言う「覚悟」とは、どんなものだったかと言うと……

夏目漱石
夏目漱石

「それこそ、ぶっ倒れる覚悟がいるよ。成し遂げたとしても、病気で倒れるだろうね……」

そう、きっぱり仰ってます。それは、漱石自身がイギリス留学で向こうの文化や考え方に合わせて、西洋人の感覚を身につけようと頑張った結果、精神衰弱にかかってしまった自身の経験からくる言葉なのでしょう。

百年の経験を十年で上滑りもせずやりとげようとするならば、年限が十分の一縮まるだけわが活力は十倍に増やさなければならんのは、算術の初歩を心得たものさえたやすく首肯するところである。(本文第6段落)

ちゃんと地に足をつけて、日本人よりもはるかに合理主義的で娯楽性を良しとする西洋人が成し遂げた発展・開発を社会全体で日本人がしようと思うのならば、それこそとんでもない力が必要となります。

更には、百年かけて到達した西洋に、たった十年で追いつこうとするのならば、活力は単純計算でも十倍必要になると、いうのです。

確かに、結果が目の前にある再現性の高い科学技術の場合、それを消化・吸収することは短時間で行うことは可能となるでしょう。

けれど、ここで考えなければならないことは、自身の内的な欲求に従った開発・発展でなければ、常に後追いをすることになり、自分の力で道を切り開くことは不可能です。

この場合、西洋の社会システムや科学技術を評論上取り入れたとして、仮に経済状況や発展性が西洋に追いついたとしても(歴史的事実として、生産力と言う観点では、まっったく追いつけていなかったのですが)、それを追い越すことはないわけです。

ここで例示を日本が発展している物事に置き換えて考えてみましょう。

日本独自のコンテンツであり、世界中で受け入れられているものと言えば、天ぷらや寿司に代表される食文化。更には更には娯楽コンテンツで言えば漫画やアニメーションということになるのでしょう。(アニメは発祥はアメリカですが、その後のコンテンツの発展という意味で受け取ってください)武士や忍者も人気ですよね。

ある意味食文化として江戸時代の鎖国の中で発展した究極の日本式ファストフードである寿司と天ぷら。気軽に短時間で、身近にある海から獲れたものを安全に食べるために、油で揚げ、酢でしめて食べていた。それは単身労働者が多かった男性社会の江戸の街で、合理的に発展した屋台や居酒屋の食文化です。更には、漫画も娯楽が極端に制限された戦中の苦しみから解放された戦後に、子どもが楽しめるものをと娯楽性に満ちたものが人気を得、やがて手塚治虫や鳥山明、更には宮崎駿などのクリエイターを数多生んで、現在につながる発展を遂げています。

日本で海外のアニメや漫画が人気になることは、それこそディズニー、ピクサー以外ではあまり例を見ません。(あったらすみません(;´・ω・))

それは何よりも日本が最先端を突っ走っているから。他国は追従するしか出来ないわけです。

そうやって人気なコンテンツは、何かを追いかけて育った分野ではありません。あくまでも、日本人の感覚で、日本人の内発的な欲求に従って、娯楽性や快楽性(食欲など)を追求した結果、育った分野です。

誰からも捻じ曲げられた部分はなく、その専門分野に携わる人々が切磋琢磨し、工夫を凝らして、漱石の言葉を借りるのならば内発的な欲求に従って、洗練されていったわけです。

だから、他国は追いつけない。やろうと思っても、外国で食べる変な日本食のように、どこかおかしいもの。歪んだものになってしまう。

追いかける、真似をする、と言うのはそういう風になってしまうのです。

更にはそれが自分の感性や感覚に馴染まないものであったとしたら。それが必要だから、役に立つからと無理矢理飲み込む様な真似をするのならば……

夏目漱石
夏目漱石

知識は確かに得られるけど……1回倒れたら、もう2度と立ち上がれないぐらいボロボロになるだろうね……

その道理に気が付かずに「開化」に邁進し、浮かれているこの社会の空気がおかしいということに、どうかどうか気が付いてほしい。

良く、問題点に気が付くことが出来れば、

「何とかしよう!!」

と思うのが普通です。

漱石は明確に「こうすればよい!」という解決策は提示しておりません。当たり前です。彼はあくまでも小説家であり、教育者であって、国の役人でもなければ、政治家でも実業家でもありません。その畑違いの人間が敢えて非難を浴びようとも

夏目漱石
夏目漱石

「言わなければならない!!」

と考えて、執筆したのがこの講演原稿なのでしょう。そうして気が付いてくれた人が、1人でもいい。増えてくれたら、増えた分だけ、「何とかしなければ」と思う人が増え、人々がどうすればよいのかを、内発的欲求に従って考え、解決していってほしいと、漱石は敢えて明確な解答や方法を書かなかったのでしょう。

人から言われた方法をただ信じて、それを実行するだけでは、西洋の科学技術を盲目的に取り込んだ人々と何も変わらず、外発的な影響力に屈してしまうという風潮は変わりません。

だから、私たち1人1人に考えてほしい。自分の頭で、そして内発的な欲求に従って、歪むことなく真っすぐに「考えて」欲しいから、解答をあえて言ってないわけです。

余談:受験で驚異的な伸びを見せる生徒の共通点

この「開化」という言葉は、「成長」「変化」という言葉にも置き換えられると思うのですが、受験指導をしていると、漱石のこの指摘は当たっているなぁと感じる時が多々あります。

驚異的な伸びを見せたり、合格を獲得したり、不合格であったとしてもそれを成長の糧とすることが出来たりする生徒に共通する点は、全て「内側からの自然な変化」をしている点です。

「この分野を勉強したい」「こういう夢をかなえたいから、その手段としてこの大学に行く」「この分野が面白くて、知ることが楽しくてたまらない」「勉強が面白い」etc…

そんな風に内側から本音で「学びたい」と思っている子たちは、自然と伸びていきます。もちろん、受験は時間制限があるものなので、間に合うかどうかはその子の状況次第ですが、それでも内側からの欲求がある子は、自分の内側からの素直に、欲求に従うようにすくすくと伸び続けていきます。

けれども……

「最低でも、この学校ぐらいには行かなきゃいけないし……」「ここに行けって親(学校・先生etc)に言われてるから」「これをこなさないと、友達に馬鹿にされるから」「馬鹿って思われたくない」「みんな、ここに行くって言ってるし」「期待されてるから」etc….

何気なく言った言葉に、その人の本音が現れていると私は考えています。

外部からの要求と刺激で自分を変えようとすれば、はっきりと目には見えませんが、けれども確実にゆっくりとねじ曲がっていきます。表面的には偏差値が上がったとしても、どこかでその無理矢理が利かなくなった瞬間、どうにもならないほどに壊れていきます。それこそ、そこから持ち直す道が見つからなくなるほどに。

それほどまでに、人は内側からの自然な変化はすくすくと伸び、外部からの刺激や強制でもたらされた変化は、人間の根幹を揺らがすほどに、生きる気力すらも奪うほどに、その人をねじ曲げてしまうのです。

それこそ、イギリスに留学してむりやり外側からの刺激で自分をイギリスの社会に馴染ませようとした漱石が神経衰弱という精神病にかかってしまったように、無理矢理開化しようとしている「日本」という存在も精神崩壊に至ってしまうのではないかと、漱石は自分の体験から語っているわけなんですね。

そうなってほしくない。自分の内側の声に。自分の望む欲求に、きちんと目を向けて、そうやって発展していってほしい。そう願いを講演原稿に込めているわけです。

もちろん、激動の19.20世紀で、そんな悠長なことが許されるわけがないという現実も解った上で、言わずにはいられなかったのでしょう。

まとめ

約百年前に書かれた、社会の風潮に問いかける講演原稿。

今でもこの原稿が論理国語の教科書に採用されているのは、この「内側からの内発的な欲求に従った成長をしていきなさい」という、漱石からのメッセージを文科省が高校生たちに伝えたいのではないかと、私は思っています。

外側からの外的な変化は、一時は劇的な変化をするように見えて、ゆっくりとねじ曲がっていきます。そうなってはならない。なっていると気が付いたなら、すぐにそこから抜け出すべきだ。それを続けていたら、2度と立てなくなるほどに再起不能になってしまうよと、百年前の漱石からのメッセージ。

貴方にはどう聞こえましたか?

 

さて、この読解が出来ているか、テスト予想問題でさらに深めていきましょう。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

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