ファンタジー・ワールドの誕生 解説その3


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「ファンタジー・ワールドの誕生」解説、その3。

その1と2で、「食人族ツアー」に参加した西欧人たちが、強い差別意識を持ち、自分達の優位性を示し、更に写真を撮ることによって、現地人の背景を切り落とし、旅の思い出の一つとして素材化する。けれど、どこか自分達の生活とは異質な環境に放り出された西欧人たちは、自分達の文化圏から切り離されてしまったことに怯えているのか、その怯えを隠す様に、ただひたすら写真を撮り続ける、カメラを構えながらしか、現地人を見ようとしない。まるで、カメラが防御装置のようになっている、

今回の、その3では、更に西欧人たちが現地人に対して行っている、特徴的な一つの行動を取り上げることによって、彼らがどのような精神。心理を持ちながら、そのようなことをしているのか。

それを解説します。

 

【第4段落】

さて、「食人族ツアー」の参加者達が、常に行っているもう一つの行動があります。それは何なのか。

実は、パンフレットに書いてある行動なんですよね。えっ? と思った人は、第二段落へバック。確認してみてください。

-値切るという行為-

第二段落のパンフレットには、こうあります。

……ですからみなさんは、ここで、天性の腕を持った芸術家たちの手になるみごとな儀礼用仮面や、堂々たる神の彫像を購入することができます。(第二段落 本文より)

はい、ちゃんと書いてありますよね。購入出来るって。要するに、買い物できますよー、ってこと。

観光旅行に行ったら、お土産買うのは別に当たり前でしょう? 何処が変な行動なの? と思うかもしれませんが、こういう風に取り上げている、と言う事は、ただの買い物では無い、ということです。

しかもおもしろいことに、彼らはけっして売り手の最初の言い値で買おうとはせず、より廉い価格を要求する。いうまでもなく、彼らは「値切る」という行動に出ているわけであるが、よく考えてみると、これらの観光客はもはや自分の母国でそのような可変的な取り引きを経験することはほとんどなくなっているといえる。(本文より)

パンフレットにあった買い物。勿論、現地のものを買うわけですから、経済的な発展の規模を考えると、貨幣を沢山持っているのは、現地人か西欧人かと比べれば、もちろん、先進国である西欧人達です。

要するに、観光客はお金持ち。

まぁ、確かにそうですよね。生きているので精一杯の人は、そもそも旅行なんかしません。したとしても、近場です。けれど、彼らは自分の住んでいる国からとても遠い。それこそ、地球を半周してきているわけです。

その場所に旅行で来ている、ということ自体がお金持ちの証拠です。

なのに、彼らは値切る。

物を、出された定価では買わず、「安くならない?」と聞いて、相手と交渉するわけです。

よくよく考えてみてください。日本も先進国の一つです。けれど、私達は何処かでお買い物をする時。それこそ、学校帰りのコンビニで、肉まんでも買うことを考えてみてください。一個130円って書いてあるものを、レジで、「値引きしてください」「安くなりませんか?」って、聞きますか? 聞きませんよね。

私達の日常では、一切行われ無くなったはずの値段交渉。つまり、値引きを、彼らは必ずやっている、というのです。普段の生活では、一切しなくなったものを、わざわざ旅行先でする。

お金が惜しいから? とも考えられますが、それなら買わなければいいだけの話です。けれど、彼らは値切る。それは、どうしてなのでしょうか?

-逆説性とは?-

その彼らがセピック川のジャングルの中で見いだした美しい民芸品の数々を、けっして「定価」で買おうともしないという事実のなかには、おそらく現代の「文明人」が置かれた文化経済学的な立場の逆説性が見事に示されている。(本文より)

これは、現代の文明人のみが示す、典型的な現象であると明言されています。

お金持ちの文明人が、貧乏な現地人の造り出した民芸品を、定価で買わず、値切って少しでも安く買おうとする。

それが、文化経済学的には、とてつもなく、逆説性があると言うのです。

何のこっちゃらよく解らん、という意見を聞く、No.1とも言っていい、この「逆説性」という便利な言葉。センターでも大学二次試験でも、いつもいつも問われてくるので、早めにお友達になっておくことをお勧めします。

大丈夫。そんなに、難しい言葉じゃないから。

逆説。逆、ってことは、正しい。正説があるってことです。

逆から考えるから、難しくなる。正しい方から、考えてみましょう。




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お金持ちの考え方。特に、文化的に高い教養を持ちえた、イメージ的に言うと漢文の聖人君子みたいな人がいたとして、その人がどう見ても自分よりも貧しい生活をしている人達から何か買うとしたならば、どうやって買うでしょうね?

そう。多分、貧しい生活をしている人達の生活が楽になる様にと、定価。もしくは、倍額で買う。正当に評価して、高い値段で買うのではないか。

西洋には、ノブレス・オブリージュという「高貴なるものの責任」「持てる物の義務」といった言葉も有ります。

高い教養と文化的背景を持ち、経済的にも豊かな人間ならば、貧しい人達の作り上げたものを正当な値段。又は、それ以上の値段で買うことが、正説。正しい道とするのならば、逆説は何なのか。

そう。経済的に豊かで、教養も持っている西欧の人間達が、観光で訪れた場所で、現地人の造った民芸品を、定価で買わず、値切っている。

これは、逆説的だ、と筆者は言っているのです。おかしいと。

文化経済学とは、文化や芸術を対象とする、経済学のこと。経済と文化って、全然縁のないもののように思うかもしれませんが、美術品などに高価な値段が付き、価値が生まれるところには経済が関わってきます。いわゆる、文化や計術を貨幣価値で換算して考える学問、とかなり大雑把ですが、そのように捉えてください。

文化的価値のあるもの、芸術作品には、相応しい価値を付けるべきである、という立場の教育を受けてきている筈の先進国の人間が、現地人の民芸品を買いたたく。値切る。

どう考えても、正説の行いではない。矛盾がある、と筆者は訴えています。

けれど、それはどうしてなのでしょうか? どうして、わざわざそんなことをしなければならないのでしょう?

-文化的「差異」感覚と経済的「差異」感覚-

すなわちここでは、西欧とニューギニアのあいだに横たわる文化的「差異」の感覚は、そのまま為替レートという仕組みをつうじて、経済的「差異」の感覚にあっさり読みかえられているのだ。(本文より)

西欧とニューギニアの間に横たわる、文化的「差異」。

文化とは、人間の生活そのものを表します。より便利に、より工夫を凝らして、私達は様々なものを生み出し、生活を豊かにしてきました。

衣食住、関わるすべてのモノが文化的発明品です。だからこそ、ニューギニアの人々と先進国の人間との生活様式は全く違う。

そこには本来、「異なっている」という事実しか無く、どちらが上、どちらが下、ということは、本来無いはずです。けれど、本文では、その「差異」を上下。つまり、西欧人が「上」現地人が「下」という感覚で受け取り、それが為替レートという道具を使うと、あっさりと貨幣として数値化(=経済的「差異」)されてしまう、と筆者は言っています。

見た目的な差、なんて具体的に言い表せません。だから、自分達がどれだけ上だ!!! と思っても、そんなもの自分で思っているだけのものです。

けれど、経済が発達し、彼らが使っている貨幣があれば、自分達の使っている貨幣との交換レートで、経済的な強弱が目に見えて解ってしまう現代です。

数値化は、客観的な事実を教えてくれます。

ああ、自分達の方が、こいつらよりも、「上」なのだ、と。

ものすごーく下世話な例示を上げてしまうのならば、「あの子の家、お金持ちらしいよ」と学校で噂になっても、同じ制服を来ていたりするのならば、目に見えないものだから、さほど差なんか感じないけど、自分のお父さんは年収500万。あの子のお父さんは、年収1500万。って解っちゃうと、うわぁっ……って思いますよね。

数値化の威力って凄いんです。何せ、感情が全く入らない客観的事実なので、容赦がない。(笑)

偏差値とかもそうですよね。隣の席の子が、何となく頭良さそうだな~って思うことは有るでしょうが、模試が返ってきて、彼女が偏差値78。自分は52、とかだと、自然と視線が下を向くものです。(うっ、つらい……)

西欧人は、それをやっている訳です。

民芸品の値段を為替レートで自分の国の値段に瞬時に換算し、それを値切ることで更に安い価値にし、自分達との文化的差異を数値化する。

何のために、そんなことをするのか。それは、満足する為です。

観光客たちは、神像をおどろくべき「安さ」で手に入れることで、措定(そてい)されている(西欧とニューギニアのあいだの)おどろくべき文化的「差異」の存在を再び確認して満足することになるのだ。(本文より)

措定とは、ある出来事を確定のものとして、主張すること、です。

文化的にも、経済的にも、西欧諸国の方がニューギニアよりも圧倒的に上です。文化=芸術、生活、に限って言えば、そんなことは無いのかもしれませんし、そもそも文化は上か下かで判断するものではありません。

けれど、文化=技術、という側面で判断したり、経済的な強さは、如実に上下があるのが、この国際社会です。

貨幣価値で比べてしまえば、西欧諸国の方が圧倒的に上位。強者であることは、間違いありません。確認しなくたって、それこそ、措定されています。

けれども、その措定されているはずの「差異」を、わざわざ買い物の時に定価で買わず、値切る行為によって更に「差異」を拡大させ、自分達と現地人とでは、こんなにも差があるんだな。自分達は、本当に経済的な強者なんだなと、わざわざ確認して、安心する。満足する。

その満足の笑顔が、とても醜悪なものに見えかけているのは、私だけでしょうか?

この「食人族ツアー」の映像作品が、皮肉な目線で撮られている、と説明しましたが、そう撮らざるを得ない程に、写真を撮ったり、買い物する西欧人の姿が、撮影者には醜悪に映ったのでしょう。

ね? かなり批判してるでしょう? 観光客のことを。

今日は此処まで。

もう一度、読み直してみてください。その時に、筆者の感情が組み取れれば、成長の証です。

続きはまた明日。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 


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